わかってるよ。
結局、二日間にかけていくらか試行錯誤してみたが、俺は何も収穫も得られず、曲作りはほとんど何も進むことがなく、裕也と大五郎との約束をしたバンド練の日がやってきた。
やはり俺には作曲の才能というものがないのだろうかと落ち込みながら受ける授業は精神的に堪えたが、とにかくやらなければならない事実は変わらない。
放課後になり、バンド練をするということで借りていたスタジオへ向かうために学校を出た。
「そーま!」
校門をくぐる頃に、沙由菜の声が聞こえてきたので、俺は振り返る。
沙由菜は走ってきたのか、息を切らしながら俺の目の前で立ち止まる。
「どうした?」
「あの、大丈夫? 月曜からずっと元気ない顔してるし……」
「あぁ……。単純に作曲が思いの他うまく進まなくてな。心配させちまったか。じゃあ、俺もう行くな」
「ま、待って、どこいくの? 私もついていく!」
沙由菜もなんだ。いや、心配してくれているのはわかったけど、沙由菜にも沙由菜で学祭の準備をやらなきゃいけないはずだろう。
余計な心配をこれ以上させてもしょうがないので、俺は事実だけを言うことにする。
「これからスタジオでバンド練。ついてこなくても大丈夫だ」
俺は沙由菜を無視して、そのまま歩き始める。
だが、沙由菜のローファーとコンクリートの地面が衝突する音で沙由菜がついてきているのは振り返らなくてもわかる。
俺は再び立ち止まると、沙由菜は俺が止まると思っていなかったのか、俺の背中にぶつかってくる。
「沙由菜、お前なぁ……」
と俺は沙由菜に対して若干のいら立ちを覚えつつ、改めて振り返る。
しかし、沙由菜はそんな雰囲気も意にもとめず、
「ほら、私がいたら飲み物とか食べ物とか欲しくなったとき買いに行く時間も省けるし、マネージャーみたいな? やっぱほしくない?」
と提案してくる。
「……はぁ、付いてきても沙由菜のことをかまってられないぞ?」
「いいよ、別に。私の自己満足だから、放っておいて大丈夫」
俺は明確に肯定しなかったが、そのまま再び歩き始めることで暗に許可を示す。
そこまで言われてしまったら、無理をしてくるなというよりは放っておいた方が早いだろう。
俺たちは特に会話もせず、沙由菜のバイト先の近くにあるスタジオにたどり着く。
「あ、ちょうどよかった。そこのスタジオなら一回私ふぉうちゅん寄ってくるわ」
とだけ言い残して、俺と一緒にスタジオには入らず、あの異空間メイド喫茶へと沙由菜は向かっていった。
沙由菜が何をしたいのかよくはわからないが、特に気もとめず俺はスタジオに入るが、まだ二人は来ていないようだった。俺らの通う学校からの方がよっぽど近いから当たり前だろうが。
俺は二人が来るまで受け付けのすぐ近くにあるテーブルの椅子に座り待つことにする。
俺から遅れること10分ほどが経つと、
「へぇ、スタジオってこんな感じなのね」
という沙由菜の声が聞こえてくる。こんな短時間のためにいったい何をしにいったんだか。と、俺は沙由菜のコメントには特に何も言わず、押し黙る。
俺はそうやって沙由菜を半ば無視していると、沙由菜は俺の身体をつんつんと突いて来たり、突然立ち上がり、俺の目の前でスカートをパタパタとし始める。
「って、お前、何やってんだよ……。はしたないからやめろよ」
「今の状態のそーまならどこまで私を無視できるのか、実験をしたのよ。決して構ってほしかったわけじゃないのよ」
「だから、構ってられないっていっただろ……」
「それはいいけど、別に今は何かしてるわけじゃないんだし、少しくらいいいじゃない。それにそんなにピリピリしてたらいい曲も作れないよ? ほら、リラックスリラックス」
確かに沙由菜の言う通りで間違いなくその通りだと思う。それに、沙由菜は俺を心配してくれてこうしてくれているのに、沙由菜に向かってイライラするなんていいことのはずがない。
俺は二度三度深呼吸をし、あたりを見渡す。
スタジオの雰囲気はどちらかというとアンダーグラウンドで空気のよどんだ感じをイメージしがちだが、俺らの使うここは比較的明るく開放感があるのがよくわかる。
「すまん、沙由菜。感じ悪かったな……」
「ううん、いいんだよ。いっぱいいっぱいになっちゃう気持ちもわからないでもないし、そーまの気持ちもわかってるつもりだから」
「はは……。いろいろ沙由菜に支えてもらってるのに俺は何やってんだろうなぁ」
沙由菜は俺がそんなにもひどいことをしていたというのに、俺に笑顔を向けてくれる。
その笑顔には間違いなく、俺のこの不安を少しは柔らげてくれる力があるらしい。
結局、それでも俺たちは特に言葉も交わさなかったが、先ほどまでの不安定な感情もなくなり、少しは穏やかな時間を過ごしていた。
「なんだい、壮馬。やっぱり沙由菜ちゃんはガールフレンドなんじゃないか」
という声が聞こえてきたのはそれからしばらく経ってからだった。
「裕也……、そういうわけではなくて、こいつは俺らのパシリになりに来たらしい」
「そーま、言い方がひどいわね」
裕也と大五郎が現れたため、俺らは早速受付を済ませて、スタジオに入る。
様々な種類のアンプが立ち並び、小さいステージの真ん中にはドラムがセットされているのが見える。
「へぇ、すごいー。これどうやって使うのー?」
と沙由菜はちょこちょこと物珍しそうにそれらをペタペタと触っている。
俺はその様子を見つつも、自分のエレキギターとアンプを接続したりなんだりと準備をし始める。
「壮馬、俺たちはある程度定期的に練習をしていたから、すぐにでも合わせられると思うが」
とある程度の準備が整ったあと大五郎が言うので、早速、智也のリードギターなしで合わせてみる。
「じゃあ……。まずはあれ、やるか。『Hi five!』」
俺たちが世に出したCDは、シングルが4枚とアルバムが1枚だ。この曲はアルバムの1曲目に据えた曲で、俺たちバンドのメンバー四人、そしてそれをめぐり合わせてくれた小春を合わせた5人で俺たちだと宣言するような曲だ。
出会えた喜びをハイタッチと表現し、英語ではそれがハイファイブと普通は言われること、そして5人であることを掛けたロックサウンドの曲だ。
何度も行ってきたライブでは必ず最後にやっていた曲。ステージに立つのは俺たち四人だが、小春も入れて五人だと、それに感謝を込めて書いた。
俺は最初の出だしがいきなり智也のソロから始まるため、その部分は智也よりはつたないが本人から叩き込まれたギターの技術をつぎ込む。
それに伴い、曲のリズムを担う二人が合わさり、グルーヴが生まれる。
途中から俺も自分のパート、基本的にコードに忠実にリズムを刻むギター。
そして、思い切り息を吸い込み、Hi five!と叫ぶ。
二人の腕はまったく衰えるどころではない。裕也のビートはより精密に力強く、そして俺のリズムと裕也のリズムをつなぐ大五郎のベースの重低音はより深く的確な音をかき鳴らす。
だが、やはり、一つの音が足りない。
俺たちのリズムの間を駆け巡るようにうなる智也のギターの音だ。俺が声で歌を歌うように、智也のギタリングはまるでもう一人が歌を歌っているように意志を持っていた。
その曲を弾き終えて、自分たちが今からでも学園祭ライブが出来るくらいには実力を保てていることを確信させてくれた。だが、やはりその一つがないだけでまったく別な音楽の気さえしてしまう。
だが、曲を弾き終えると、惜しみない拍手が俺らを待っていた。
「すごい、かっこいいよ、やっぱり!」
と沙由菜がその拍手と共に俺らの演奏を純粋にほめてくれる。
それはうれしいことではある。それでも、やはり俺たちには何か物足りなさを感じてしまう。
沙由菜の拍手とは裏腹に、俺らが少し押し黙っていると、誰かがスタジオに入ってくる気配を感じる。
「みんなー、差し入れだよー」
その声の主は小春だった。学校帰りの途中に寄ってくれたのか制服姿の小春は飲み物などが入った買い物袋を提げていた。
「って、あれ、どうしたの? それに沙由菜ちゃんも……」
「今絶賛兄貴がいないことによる物足りなさをみんな感じているところだよ……」
裕也が小春へ今の俺たちの沈黙の理由を説明するが、ひとまずは小春の差し入れをいただくにはまだ早いだろう。
「小春、差し入れありがとな。とりあえず、まだ始めたばかりだから、その辺に置いておいてくれると助かる」
小春は俺の言葉を聞き入れ、そのまま沙由菜に移動する。
「どうする? このまま何曲かやるか?」
「そうだな、大五郎も大体全部弾けるって認識でいいか?」
と大五郎の意見に対して俺も同意し、何をやるかを思案するためにそう問いかけ、大五郎はすぐにうなずく。裕也の方を見ると、俺が話さなくとも裕也もすぐにうなずいた。
「じゃあ、いくつか試してみよう」
俺たちはその後、いくつかの曲を合わせて、自分たちがしっかりと自分たちの曲をすぐにでも演奏が出来るかどうかを確かめる作業に入った。
確かに、どうしても失敗してしまう部分もあるが、それでも確かに期限まで練習をこなせば大丈夫であろう状態である、というのは俺たちの認識に齟齬はない。
ある程度の区切りをつけて、俺たちは小春の差し入れをいただくことにした。
「学園祭のライブの持ち時間はどのくらいなんだ?」
とお茶を飲みながら、大五郎が問うてくる。
「あー、しっかりとは聞いてないな。後で確認しておく。たぶん、そんなに長くないとは思うから数曲だけだと思うぞ?」
「じゃあ、ある程度的を絞って仕上げた方がいいかもね。ライブの持ち時間がわかったらすぐに連絡をもらえるかい?」
「わかった」
時間が分かればある程度のセットリストを組んで練習をする。そうすれば、もっと純度の高い演奏が出来るだろう。
俺の中では、ある程度歌いたい曲は決めているが、それがすべて尺の中に納まるとは限らないしな。
「後、壮馬、パソコンは持ってきたよ。曲作り大丈夫そう?」
と裕也も一つの心配をしてくれる。
「あぁ、ちょっとうまくいくかはかなり心配だ。けど、やるしかないわけだしな」
「もし何か困ったことがあったら、僕や大五郎に相談してくれよ、今回は」
あぁ、その優しさはわかっている。でも、こればかりは俺が一人でやらなきゃいけないことだ。泣き言を言うわけにはいかない。
休憩をし始めたが、俺は裕也が持ってきてくれたパソコンを開き、智也が使用していたというDTMソフトを立ち上げる。
ある程度の使い方はなんとなく操作をしているうちにわかるだろう。
結構直感的に扱えそうなインターフェイスであることは見て取れるので、あとは一旦家に持ち帰って作業をしよう。
「じゃあ、これ、借りておくな? ちょっと一旦お手洗いに行ってくるわ」
と俺はそれだけを断りを入れて、トイレに向かう。
スタジオの外に出ると、すぐに後ろから、
「そーま」
と声がかかる。
「どうした、沙由菜?」
「そーま、小春ちゃんともっと話さなくていいの?」
「沙由菜、またそれか……」
俺は構わずトイレに向かうため足を一歩出す。
そして、しかしそれを見た沙由菜はすぐに先回りをして俺の前に立ちふさがる。
「おいおい、俺はトイレに行きたいんだぞ、それはさすがにどうかと思うんだが?」
「だってやっぱりおかしいよ。確かにバンドの練習をするって聞いて差し入れを持ってきてくれたのかもしれないけど、それでもわざわざ自分がバンドの練習をするわけでもないのにスタジオに来る? 呼んでないんでしょ?」
「だから、それがどうした、差し入れもってきてくれただけ。それ以上でも以下でもない。沙由菜だって、別に特に何もしなくてもついてきてるじゃねぇか。それか、今は大五郎か裕也と付き合ってるんじゃないのか。だから、ちょっとそこを退いてくれ」
普通にまだ我慢はできるレベルだが、こんなところで立ち止まって押し問答をしている場合じゃない。
「そーまは気付いてないかもしれないけど、小春ちゃんずっとそーまのこと見てた!」
……。だからどうした……。俺にとって小春は大切な人だ。でも、それでも一度こうなってしまってからではもう遅い。
それにやはり、なぜ沙由菜は沙由菜で俺と小春をくっつけるように動こうとするんだ。自分の気持ちはどこへやったんだ。やっぱり、沙由菜も俺との関係は今のままでいいと思っているのか?
いや、冷静になれ。ここで怒っても仕方がない。とりあえず、先にトイレに行かせてもらって落ち着こう。
「今、俺は小春のことなんて考えてる余裕はない。だから、一旦そこを退いてトイレに行かせてくれ、戻ってきたら少しだけ話は聞く」
その一言を聞くと、沙由菜は何を想像したのか少し恥ずかしそうな顔をして、そこを退けてくれる。
俺はトイレに向かい、一度頭の中を整理する。正直、沙由菜は俺のことを邪魔しているのか、と思うレベルでバンドのことに集中させるつもりがないらしい。
確かにバンドのことだけを考えていればいいわけでもない。沙由菜の言葉にももっと耳を貸して、それを考えるべきだ。
そして、俺らの意見の相違を埋めて、納得して放っておいてもらうしかない。
俺は手を洗うとともに、どこか熱くなってしまいそうになる感情も洗い流す。
トイレから出ると、受付の前にあるテーブルの椅子にしょぼくれた顔で沙由菜が待っていた。
「待たせた。それでだ。沙由菜はなんでこんなことしようとしてるんだ?」
「それはこの前もいったよ……。そーまが幸せになれるなら、私はその通りに行動したい」
「沙由菜、あのな。確かに、昔の俺からしたら小春と付き合う以上の幸せはなかったかもしれない。でも、俺はお前らのおかげで色々成長できた。もう昔の俺ではないし、それが俺の幸せとは限らないだろ?」
「そうだけど……」
「それに沙由菜は俺と小春が付き合ってもいいのか?」
俺は直接的に言葉に出さないが、沙由菜にお前は俺のことをそういう感情で見てたんじゃないのか、という意味を含めてその言葉を吐く。
「……それは。うぅ、ノーコメントにしておく……」
「いや、俺の幸せを願ってくれるのはすげぇうれしいよ。でも、とにかく、俺は今、小春と」
と俺がその明確な言葉を口に出そうとしたとき、沙由菜は目を見開き、何か見てはいけないものをみているような顔をする。
だが、俺がそれに気付いた時にはもう遅い。
「付き合うつもりはまったくない」
そう言い放った時には俺もその姿が見えていた。スタジオの扉を開いて、小春がその場に立っている姿だ。
小春はその一言を聞いた瞬間に複雑そうな、寂しそうな顔をしていた。だが、すぐにその顔をひっこめ、笑顔になる。
「壮馬君、そろそろ練習再開しようって。えっと、それと……私帰るね?」
そういって、一度小春はスタジオの中に引っ込み、自分の荷物を持ち、そそくさと帰っていく。
再び出てきたときの小春の顔は少しだけ涙を溜めていた様にも見えた。