プロローグ
カーン、カーン、カーン。
鐘が鳴っている。
ウルヴガンディハンドは、その腹に響く重い鐘の音を祝福の音だと思った。
十五歳から騎士見習いとして王城に出仕し、三年。初めて足を踏み入れた王城の広間は、ウルヴガンディハンドの想像以上に豪華絢爛だ。
太い柱には金の植物を模した装飾が施され、天井には有名な絵師が描いたという絵があり、その周りを囲うように青と金の幾何学模様が描かれている。その天井から垂れ下がるシャンデリアもまた金色に光り、床はその輝きを反射するほど磨きこまれていた。
城の広間の正面奥には、白い大理石の幅広の階段があり、階段を登りきったところに置かれた椅子には、今、王太子 ルチルヴィークが座っている。広間の右側には魔法使いたちが、左側には高位貴族たちが並んでおり、高位貴族たちの中に兄の姿も見えた。
三人の騎士見習い同期生たちと共に広間の後方に控えているウルヴガンディハンドだったが、その兄がウルヴガンディハンドと目が合うと満足そうに目を細めたのを見て、誇らしい気持ちが体を駆け巡る。
今日の儀式をもって、騎士として認められるのだ。
「ウルヴガンディハンド リール ド ケール」
王太子の右側に控える宰相から名を呼ばれ、短く、そしてはっきりと返事をした。
ずらりと並ぶ貴族たちからの視線を受けながら、ウルヴガンディハンドは空けられた中央の花道を歩く。
そして、ルチルヴィークより二段低い場所で剣を鞘から抜き、ルチルヴィークへと差し出せば、彼はウルヴガンディハンドが差し出した剣を取った。
麗しい顔に満足そうな笑みを浮かべてその刀身の輝きを見たルチルヴィークの様子を見て、ウルヴガンディハンドはまた幸福感を覚えた。
この方に仕えるのだ。
ウルヴガンディハンドはその場に跪く。顔を伏せれば、ルチルヴィークの靴が見えた。金に縁取られたエメラルド色の美しい靴だった。
肩に剣の平が置かれる。
「礼節と信義を重んじ、騎士としての品位を忘れず、民と国を守ることを誓えるか」
「身命を賭してお誓い申し上げます」
ルチルヴィークの言葉にウルヴガンディハンドが明瞭な声で答えると、剣が肩から離され、顔へと差し出される気配に、ウルヴガンディハンドは顔を上げた。
「ウルヴガンディハンド リール ド ケール。今日この時を持って、我が国の騎士に叙する。今後は騎士位 ヴァンを名乗ることを王太子 ルチルヴィークが認める」
「謹んで拝命致します」
ウルヴガンディハンドはルチルヴィークから剣を恭しく受け取る。
見慣れた剣が、特別で神聖なものになった気がした。
ウルヴガンディハンドは立ち上がりながら一歩下がり、剣を鞘に納める。そして、左手を胸に当てルチルヴィークへ敬礼をしてから踵を返した。しっかり顔を正面に向けて元いた場所へと戻る。
決して今日この日の誓いを違えない。誇り高く、騎士らしく生きるのだ。
そう誓ってから、もう五年になる。
ウルヴガンディハンドは、剣の手入れをしながら騎士任命式の日を思い返していた。
任命式で使用した剣はもはや使い物にならなくなり、今手にする剣は別のものだが、あの日の記憶も誓いも、まだ鮮やかにウルヴガンディハンドの中にある。
あの時から今日まで、国のため民のために生きてきた自負もある。
そして、自分が守る民が一人、今日また増えるのだ。
その理由を思うと、ウルヴガンディハンドは、なんだか不思議な心地がする。
今日、異界より渡り人が来る。
そう言ったのは、魔法使いのイルディールだ。
時空の歪みが、一週間程前から顕著なのだと言う。
普段から人を食ったような態度のイルディールだが、こういった不可思議な現象に対しては信頼に足る。
そして、そういう性格なのだと知る程度にはイルディールと旧知の仲であるため、彼とともに渡り人の保護観察人という役割を王より仰せつかったのだ。
ウルヴガンディハンドは剣を鞘に納め、手入れの道具を片付けた。と同時に大きな音を立てて扉が開けられ、思わず眉をひそめた。
「ウルヴガンディハンド!早く!渡り人が来ちゃうよ~」
「煩い」
「え!ひどい」
偉そうに胸を張り、出発を催促してきたイルディールに向けて、ウルヴガンディハンドは切り捨てるように言ってから椅子から立ち上がった。
ウルヴガンディハンドの言葉に唇を突き出して不服な態度を取るイルディールに嘆息しつつ、彼の方に向かう。
「ミラン草原だったな」
「そうだよ~。さぁ、どんな人が来るか楽しみだねぇ」
けたけたと笑うイルディールと連れ立って部屋を出る。
玄関を出て厩に向かう途中で、遠く王城の鐘の音が聞こえた。
ああ、祝福の鐘の音だ。
ウルヴガンディハンドはそう思い、ふっと頬を緩ませた。
*****
カン、カン、カン。
千紗が夕餉後に侍女と談笑していた時、短く三度、鐘の音が聞こえた。
短く鳴らされる三度の鐘。それは、危急の報せだ。
「姫様、様子を見て参ります」
「ええ、お願い。私は母上のところに参りますから、そちらに報せに来てちょうだい」
素早く立ち上がり裾を翻した侍女の背中に向けてそう告げて、千紗は小袖の襟を素早く正してから、自身も立ち上がった。
この鐘の音が終焉を告げる音だとは、この時の千紗は知らなかった。