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ガレージと蔵

「なんだか甘い香りがする」

 幼稚園へ末っ子ちゃんを送ってきた、みず江ちゃんが表の引き戸から顔を見せた。わたしは日課になった掃除を終えて、道具を片付けた。

「久しぶりに焼いてみたんだけど、食べてくれる?」

「え、いいの。いいなら、もちろん」

 みず江ちゃんは、おじゃましますと小さく言ってお店のスペースへと入ってきた。

 今朝のみず江ちゃんは、チュニック風のエプロンに、今朝は三つ編みスタイルだ。わたしは百均から買ってきたフードパックにシフォンケーキを二切れ詰めて、みず江ちゃんへ渡した。

「すごい! お店で売ってるケーキみたい」

 それから蓋を開いて、ひとつまみ口へと運んだ。顎が数回動いて、うっとりと瞼を閉じる。

「おいしい……」

 みず江ちゃんはもういちど、ケーキに伸ばしかけた指を引っ込め、名残惜しげに蓋をした。きっと子どもたちへのおやつにするんだろう。と、はっと気づく。子どもは三人って聞いていたのに、なんで二切れだけにしたの。

「ご、ごめん。みず江ちゃん、こっちと取り換えて!」

 三切れ入れなおしたフードパックを差し出すと、みず江ちゃんはちょっと目を見開いた。

「えー、いいよ。こっちに手を付けちゃったし」

 顔の前でさかんに手をふって、みず江ちゃんは小ぶりのトートバッグにパックをそっと入れた。

「ありがとう。すっごく美味しい。子どもたち、びっくりすると思う」

 中途半端に差し出したままのフードパックを、お店のショーケースの上に置いた。ほんと、気が利かない。何度あの人から言われたか知れないのに、ぜんぜん直らない。そういえば、昨日だって小夜子さんが柏餅出した時に、どうしてコーヒーをやめて緑茶にしなかったんだろう。

 昨日のことをひっくるめて数々の失態を思い出して、わたしが気まずげにしていても、みず江ちゃんはにこにこしている。

 人の不安を煽らない、そっと受け流す。お母さんになった人って、みんなこんなふうに出来るのかな。みず江ちゃんみたいな人が、幸せをつかむんだろう。胸の奥がチリっと熱くなる。

「汐里ちゃん、すごいね。まるで本職さんみたいなケーキ、作れるんだもん。もうここで、カフェ開いちゃえば?」

「えっ、そっそれは」

 思わずしどろもどろになってしまう。みず江ちゃんには、気恥ずかしさが先だってカフェのことが言えずにいる。それでつい、話題をそらせてしまった。

「あのね、みず江ちゃん。ついでみたいで申し訳ないんだけど」

「なに?」

「ガレージにある車をどかせたいんだけど、長く放っておいたせいで、もう動かないのよ」

 昨日、小夜子さんが帰った後にガレージを確かめたら、古い車が一台あった。大きな布がかぶせてあって、意外なほどに汚れていなかった。

「わかった。それなら、空いた時間に旦那を連れてくるわ。今週の予定は?」

「今日明日は片づけで一日いる。みず江ちゃんのほうで都合のいい時に連絡して」

 少しずつ、片づけていく。ちょっとずつ前に進む。小夜子さんの柏餅に触発されて、昨夜はここに来てから初めてシフォンケーキを焼いてみた。今日も肩慣らしに何か作ろうと思う。

「どんな車?」

「なんだか外車みたいだけど。わたし詳しくないし。伯父さんが大切にしていたらしくて、前に整理したときにも、父は忍びなくて手が付けられなかったみたい」

 でも、わたしはガレージとして使いたいから思い切って片付けようと思う。外車という言葉に、みず江ちゃんが興味を持ったのか、へえと小さく言った。そんな話や幼稚園時代の思い出話をしていた。

「そういえば、汐里ちゃんとここの蔵に入って、すごい叱られたことあったね」

「あった!」

 たしか、家の都合か何かでほんのいっとき、ここのお店に預けられたことがある。そしたら、みず江ちゃんが来て……。

「汐里ちゃんが幼稚園をお休みした日で、帰り道に裏口から覗いたら汐里ちゃんが蔵の前で遊んでいて」

 そうだ。伯父さんは店番をしていたから、ひとりで遊んでいたらみず江ちゃんがあの鉄の門扉からひょこっと顔を見せて。たまたま蔵が開いていたんだ。

 それで……。忘れていた何かを思い出しそう、もやもやした霧が形をつくりそうになった。

「みず江ちゃん、あの時……」

 みず江ちゃんに尋ねようとしたとき、ガラス戸をノックされた。

「ごめんください、甲斐谷さん」

 白髪をていねいに撫でつけた、品の良い老人がバインダーを抱えて立っていた。半袖のポロシャツ、足元はスニーカー。中肉中背だけど、胸を張るようにして立っている姿からは、押しの強さを感じた。

「あ」

 小さく声を上げたみず江ちゃんに、老人は声をかけた。

「これは、これは。沢田自動車の娘さん。お知り合いで?」

「はい、幼稚園のときの」

 二人はどうやら知り合いらしい。みず江ちゃんのことを奥さんといわずに、娘さんと呼んだあたり、古い付き合いなのかもしれない。

「ああ、話がそれた。初めまして、甲斐谷さん」

「江間です」

「これは失礼、江間さん。仲町商店街組合の会長、中野です」

 仲町はこのあたりのことだ。軽い会釈をして、中野さんは話を続けた。

「今日は組合へのお誘いへ参りました」

 商店組合って、お店をしているところが入る組合よね。なんで、まだ開店のめども何もたっていない我が家に来たの!?

「市役所の五十嵐さんからお話を伺って参りました」

 イガラシーっっ。個人情報、ダダ洩れじゃん。

「汐里ちゃん、お店開くの?」

 みず江ちゃんが、目を輝かせて私をみあげる。

「まだ、まだ、時間はかかりそうだけど」

 へどもどする私に、みず江ちゃんは「やっぱり」と嬉しそうに笑っている。

「カフェでしょ? わあ、楽しみ」

 はしゃぐみず江ちゃんとは裏腹に、私は周りに知られてしまったことの重大さにくらくらした。

 しょうじき、どこまでも五里霧中なんだけれど。組合への勧誘はどう考えても勇み足過ぎないか。戸惑うわたしに、中野さんはバインダーから書類を一枚取り出して私へよこした。商店街組合の昨年度の活動報告だった。

「もちろん、開業してからでかまいませんよ。この辺は次々廃業して、しもたやばかりだから、新規の開店は大歓迎です」

「しもたや?」

 わたしが首をかしげると、みず江ちゃんが背伸びして耳打ちしてくれた。元お店だった家のことだと。

「わたしが子どものころは、よくここへ鰹節やら昆布やらをお使いで買いに来たものです。懐かしいですよ、その看板も」

 店のすみにある、あの一枚板の看板のほうへと視線を投げた。

「肇さんは、そこのところにあった机の前に座っていてね、大きな算盤で計算していたものだよ」

 指し示した場所にあった机は荷物を整理して片付けてしまったはずだ。

「伯父はどんな人でしたか」

 不機嫌な顔しか覚えていないから、生前の商人としての伯父の話は耳に新しい。

「酒も煙草もやらない人で、骨董品集めが趣味でしたね」

 骨董品、か。たしかに蔵の中に食器や箱が積まれていたような覚えがある。実家の玄関にある一輪挿しは、伯父の物だったと聞いたことがある。蔵の方は近いうちに確かめよう。

「急なことで閉店して、ずっと残念に思っていました。なんせ目立つ場所ですし」

 五十嵐職員と同じことを言う。でも好立地なのは、ほっとする材料だ。

「店の表も裏も、きれいにされている。江間さんがちゃんとした方で、一安心だ」

 やっぱり見ている人は見ている。知らぬ間に自分の人となりが採点されているようだ。

 わたしは、作り笑いをしながら背中がひやりとした。

「じゃあ」

「あ、あのこれ、少しですけれど。お店で売ろうかと思っているので」

 わたしは二・三歩駆けよって、三個入りのパックを中野さんに渡した。

「おいしそうですね。妻たちが喜びそうだ。ありがとうございます」

 そうお礼を言って店のガラス戸に手をかけた中野さんが、振り返ってわたしの目を見た。そして声を落としてわたしに告げた。

「万が一、変な電話がかかってきたら、何を言われても、知らぬ存ぜぬで通しなさい」

「え?」

 変な電話って。ここに来てから二度かかってきているあれのこと?

「あの、どういう意味ですか」

 中野さんは、悩ましげに眉をしかめ、ため息とも低い唸りとも取れる声を漏らした。

「馬鹿げた話を信じている輩がいないとも限らない。まあ、気にしないことです」

 もっと詳しく聞きたかったが、中野さんは足早に店から離れて行った。なんだろう、中途半端というか尻切れトンボというか。馬鹿げた話って? 目隠しで知らない料理を食べさせられたよう。半別に困る。

「ああ、良かった。何を言われるかと思った」

 みず江ちゃんが、胸に手をあててホッと溜め息をついた。

「え、なにが?」

「中野さん。このへんの顔ききなのよ。市の商工会の役員もやっているし、口うるさいことで有名なの。今日だって、はんぶんは偵察みたいなものよ。でも、汐里ちゃんがここのお家をキレイにして使っているからケチの付けようがなかったんだわ」

 またも冷や汗が出そうになった。市役所の五十嵐さんに言われなかったら、いつまでも家の中だけに目がいって、お店の前や庭には気持ちが向かなかっただろう。やっぱり、掃除は毎朝しよう。

 みず江ちゃんがバッグからスマホを取り出した。マナーにしているらしく聞こえなかったけど着信があったらしい。

「ああ、呼び出しだわ。ケーキ、ありがとう。お店、楽しみにしてるからね」

 みず江ちゃんは、挨拶もそこそこに仕事へと向かった。まだ九時を少し過ぎたくらいなのに、早くからお店を開けてるんだ。それとも、地方はこれがスタンダードなのかな。中野さんだって早々に来たわけだし。意外と朝から人の出入りがあるのね。

 それにしても、中野さんの言葉が引っかかる。

 私は腕組みしたまま、黒電話の様子を伺った。また呼び出しのベルが鳴ったらどうしよう。無言じゃなくて、何かを聞かれたら。

 でも何を聞かれるというの?




ストック、なくなりました。次回更新までしばらくお待ちくださいm(__)m

安心材料としては、プロットつくってあります、と!!

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