おやつを召し上がれ
【いつか旅にでよう
きみをとなりにのせて
いえをすてる、すべてをすてるよ】
「こんにちは」
「ひやっ」
驚いて振り返ると、小夜子さんがいた。さらりとした髪が風にそよぐ。
「おはようございます。いきなりきてすみません、どなたかお客様がいらしてました?」
店の中を覗いて、小夜子さんがすまなそうに眉を寄せた。
「いいえ、もう帰ったんですよ」
私は店内に引き返すと、卓上の湯飲み茶碗をトレイに乗せた。
「小夜子さんこそ、どうしたんですか」
まだ九時を過ぎたばかりだ。よその家を訪ねるには少しばかり早い気がする。とはいえ、それより早くみず江ちゃんたちは来ていたわけだし。田舎はやっぱり朝が早い。
「こないだ、私が携帯を忘れて番号交換をしなかったでしょ。それで、いつこちらにおじゃますればいいか分からなくて。ごめんなさい、日曜日の朝から」
私は顔の前で手を振った。そんなことはない。小夜子さんならいつでも歓迎する。
「ご家族のみなさんは、いいんですか」
「夫と息子は、野球の練習試合に行ったんです。息子の野球は夫が担当なの。私はお弁当を用意すればあとはフリータイム」
小夜子さんは小首をかしげて笑った。
「私はかまいませんよ。これと言った予定もないですし」
「だったら、お菓子作ってみません? 材料は買ってきましたから」
「え、準備万端ですね。材料費払います」
「それは後にして、まず作ってみましょう。構いませんか?」
ぜんぜん構いません。私はうなずいた。どんなお菓子を作るんだろう。楽しみ。
小夜子さんに促されて、キッチンへ行く。朝食をとってそのままだったので、恥ずかしい。皿とカップ、湯飲み茶碗を洗う時間だけもらった。
その間に、小夜子さんは持参のエプロンを着て、髪を結い上げた。すっきりした顔のラインが出てとてもきれい。
どんなものを着ても髪型でも、小夜子さんは似合うなあ。
「このあいだ小夜子さんが持ってきてくれた柏餅みたいに、蒸して作るのは、ちょっと道具がなくて」
今まで洋菓子を中心に作ってきた私のキッチンには、残念ながら蒸し器がない。今週、ホームセンターを覗いてこようかなと思っていたのだ。
「大丈夫ですよ、これを作りましょう」
じゃーん、という擬音とともに小夜子さんはトートバッグの中から白地に赤で文字が書かれたレトロチックな袋を取りだした。
「白玉粉、白玉ですか?」
「そう。簡単だし、応用が利くかなと思って選びました」
ちょっと誇らしげに小夜子さんは顎をくっと上げた。それから小夜子さんに手順を説明してもらって、私はボウルを準備した。
「やり方は簡単。ボウルの中で粉と水とこねて、あとは適当な大きさに丸めてお湯でゆでるだけです」
作り方は、とてつもなく簡単だ。小学生でも作れそう。白玉って、子どもの時におばあちゃんと作ったような気がするけど、遠い記憶だ。
「さっき、ぼんやり外に立ってましてけど、何かありました?」
「んー、幼馴染が旦那さんと来たんですけど」
白玉粉のまとまり始めは、新雪を踏んでいるみたいにキュッキュッと鳴る。
「仲がいいなあって思っちゃって」
白玉粉はあっという間にまとまって、塊を二つに分けたらまな板の上で棒状に伸ばしていく。
「私は夫と……元夫と、仲がよかったのかな? なんて思っちゃって。ああ、もちろんうまくいかなくて別れたわけなんだけど」
小夜子さんは私の隣で、持参したフルーツを一口大に切っている。バナナ、キウイフルーツ、缶詰のミカンとパイナップル。
「結婚して十年、専業主婦だったの。子ども、出来ないこともあって、私はカルチャースクール三昧。そういうの、面白くなかったみたい」
その間に、スイーツやコーヒーを学んだけど、元夫は素人の手慰み程度にしか思っていなかった。
「そのうち、部下の女の子と浮気して、子どもが出来て離婚、と」
手を止めて、小夜子さんは私をみた。私はちょっと苦笑しながら白玉をくるくると丸める。
「積極的に不妊治療もしないし、だからといって働きにも出ない。怠け者って思われても仕方なかったなあって思う」
日がな一日、時間を持て余している私にイライラしていた。作ったお弁当は半分以上残されて、帰宅してもろくに会話しなかった。私の話には生返事ばかり。そのうち、休日は一人で出かけるようになって、うすうす感じてはいた。
「でも、浮気する方が悪いわ」
小夜子さんはきっぱりと言った。ニ三度まばたきをした私の目から涙がこぼれた。思わず両手で顔を覆う。
親でさえ、私にも原因があるんだと言った。相談できる友人もいなかった。
「汐里さんは、悪くないわ」
ふわりと私を抱きしめる両腕があった。小夜子さんからはシトラスの香りがした。