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戦慄の家庭教師(新人)

ああ、ここに来るのも久しぶりだな。


産まれてから四十回目の春、桜の花が舞う中で中年の男――ランベル・コンツェリヒは金持ちの貴族の間でもあまり見ることのできない豪華絢爛な装飾を施された門の前に立った。


手入れされた立派な口髭はその貫録を、風に揺られる黒のシルクハットとスーツはその厳しさを。そして左目にかけられたモノクルはその丁寧さをアピールしているようにも感じられる。


「あの…この屋敷に何か御用でしょうか…?」


訝し気に門の前に立っている守衛がランベルに声をかけた。


一般市民や観光客がこのセルディック家の門に見惚れるのは珍しくないしむしろ見惚れない人の方が少ないのだが、ランベルのような裕福な紳士にしか見えない人物が見惚れているのには違和感が感じられるのだろう。


怪訝な様子を隠そうともせずに守衛は眉を顰めるが、ランベルは全く気にしていない。それどころか熱心な守衛だなぁ、と微笑ましい物を見るような視線を向けてまでいる。


長い間門の前に立ち続けてきた守衛でも失礼な態度を取られても微笑ましい物を見る目線を向けてくるような人間は見たことがなかったのだろう。その表情からは困惑が読み取れた。


困惑する守衛の顔を見ながらもランベルはその見かけ通りに礼儀正しく返す。


「そうですね、まず始めに、私めはこの屋敷の主、バルバラ・セルディック殿にお招き頂いた者で、ランベル・コンツェリヒと申します。」


ランベルの家、コンツェリヒ家は、セルディック家とまではいかずともかなり裕福な貴族の家である。


セルディック家の守衛はそれなりに実力があり、同時にある程度学がなければなることはできない。


この守衛も決して知識が少ないわけではない。


故に、守衛はコンツェリヒ家のことはよく知っていた。


三大貴族よりは下だが、それでも貴族の中では上の上と言っていいほどの財産、何人もフォーセリア第三騎士団のメンバーを輩出している名誉、領内での公平な政治による民衆からの支持。


目の前にいる紳士がコンツェリヒ家の中でどのような地位にいるかは分からないが、どれをとっても文句のつけようのないまさに名家の一員であることは確かなことだ。


そして、そんな高い立場の人間に自分は何をしたか。


守衛の脳裏に、今までの自分の行為が流れていく。


いかにも私怪しんでますよといった声で話しかけたこと、怪訝な目でランベルを見たこと、胡散臭い物を見るような微妙な表情をしたこと。


ああ、これが走馬灯なのか。


まだ五十歳なのに走馬灯を見れるなんてラッキーじゃないか。


混乱した思考回路をぐちゃぐちゃに回している守衛にランベルは申し訳なさそうに声をかける。


「大丈夫ですよ。別に気にしてませんから。それに、真面目に守衛をやっているんです。不敬だと裁いたりはしませんよ。」


今までにもいくらか同じような反応を返されたことがあったのだろう。そのフォローの仕方はどことなく手慣れていた。


ランベルの丁寧なフォローに守衛は若干冷静さを取り戻す。


やっちまったあああああ!と叫びたいのを精一杯抑えながらもできるだけ冷静に見えるように守衛は姿勢を整え直してランベルに向き直った。


「それで、そのランベル殿はなんの御用でバルバラ様にお招きされたのでありましょうか?失礼ですが、相手の目的を知らなければ怪しいかどうかの判別もつきませんので。」


守衛の問いかけにランベルは微笑みを絶やさないまま口を開いた。


「はい。実は私は、バルバラ殿が五歳のご子息に教育をして欲しいと頼まれたのです。もしご存じなければバルバラ殿をお呼びして下されば本当かどうかはご理解頂けると思います。」


ランベルの言葉の中に胡散臭い調子や嘘をついた後ろめたさなどは含まれていない。むしろ自分は間違ったことを言っていないという自信に満ち溢れているようにも感じられる。


ああ、こんな後ろめたさの欠片もない人が嘘をつくわけがないか。


守衛は本物の客人であったランベルに失礼な態度を取ってしまったことを恥じながらも深く頭を下げる。


セルディック家の守衛は、根っからの善人であった。


そんな守衛の様子を見ていればその仕事に対する熱心さや誠実さがありありと伝わってくる。


そんな空気の中どことなく罪悪感を感じたのだろう。ランベルも深く頭を下げた。


その場には、いい歳をした大人同士が互いに深く頭を下げ合っているという滅多に見られない光景があったが、その雰囲気はとても柔らかい物だった。





ランベル・コンツェリヒは疑う余地のない善人であり、それでいて他人に害を与えるのに躊躇うことをしない、という一見矛盾した人格の持ち主である。


だが、善人と言ってもランベルの善性は普通の善人のそれとは大きく異なる。


ランベルは、基本自分の周りの人間に対してのみ優しく友好的に、時に厳しく接する善人である。


だが、ランベルは自分の周りの人間、つまり彼自身が認めた相手や家族以外には一切の善性を捨てる。


相手がどんなに貧乏であろうと自分が認めていない相手であれば初対面であれ全く憐みの感情を向けることがないし、フォーセリア第三騎士団の一員として一度戦場に立てば、敵が泣こうと喚こうと、自分には子供がいてそれを育てなければならないと事情を説明されて命乞いをされようと一切躊躇せずに首を斬り落とす。


そんな人物が本当に善人と言えるかは甚だ微妙ではあるが、彼と親交を深めた者は皆言う。彼は間違いなく善人であると。


そんなランベルがなぜ本来コンツェリヒ家のような一般的な上級貴族と関わりがほとんどない三大貴族であるセルディック家に招かれたのか。


その理由の一つには勿論ランベルのような極端な人間性を持つ人材を味方につけておきたいという下心もあったのかもしれないが、本当の理由はランベルの経歴にある。


ランベルは名門、コンツェリヒ家の当主の三男として生を受けた。


三男と言うと気楽な立場に思われるかもしれないが、その実最も面倒くさい立場だ。


セルディック家のように当主の直径、つまり子供しか当主になれないような特殊な家系とは違ってコンツェリヒ家の跡継ぎのシステムは一般の貴族のそれである。


せめて当主の長男か次男に産まれていれば次期当主やもしも長男が死んだときのためのいわばスペアの次期当主としてなんとか家の中での立場を確立できるだろう。


だが、ランベルは三男である。


もしも長男と次男が二人とも死んだら三男であるランベルが当主になれるかと言われれば、首を振らざるを得ない。


当主の子供に次期当主になれる可能性があるのは当然だが、それを持っているのは当主の子供だけではない。


当主の兄弟やその子供たち、つまりランベルの二人の叔父に二人の叔母、それに四人の従弟たち全員に当主になれる可能性がある。


そして、長男や次男が優先されるのは当然であっても、流石に三男までも優先してしまったら他の親戚のメンツが潰れてしまう、ということで三男が当主になれる確率はかなり低かったのだ。


だが、当主になれる可能性もないわけではない。


そんな状況の中で貴族の五男坊などがするように旅に出るわけにもいかず、かと言って当主になることばかりに気を割いていては他の事柄がおろそかになってしまう。


そこでランベルが選んだ道こそが、フォーセリア第三騎士団に入る、という道であった。


フォーセリア第三騎士団に入れば少なくとも生活には困らないし、命の危険もあるにはあるけれども一般の兵士や他の騎士団のメンバーとして生活していくよりかは生存率は上である。


幼い頃から剣術を習っていたということもあり、ランベルが若干十九歳でフォーセリア第三騎士団に入れたのは最早当然であった。


そして、フォーセリア第三騎士団で入団してから早三十年。


妻も娘も、友人と呼べる存在も多数でき、そろそろ体も衰えてくるのであまり戦場に出て死の危険に晒されるような事態になってはいけないとフォーセリア第三騎士団を抜けようかと考えていたランベルの元に、三大貴族の一角、セルディック家の当主、バルバラ・セルディックから勧誘が来た。


ランベルとバルバラは共通の友人を持っていた。


その友人にバルバラが息子、エルシアの家庭教師に丁度いい人物はいないかと問いかけたところ、帰ってきた答えがランベルだった、というわけである。


つまり、ランベルは五歳のエルシアの家庭教師として呼ばれた、というわけである。


だが、勿論ランベルは見ず知らずの五歳児などに一々興味を向けるような性格はしていないし、そもそも家庭教師、という役目上その五歳児に忠誠を誓わなければいけないのだ。


最初、ランベルはバルバラの誘いを断った。


三大貴族の誘いであると知ってなお自分の申し出を突っぱねたランベルにますます興味が湧いたのだろう。


バルバラは更に勧誘を続けた。


バルバラのしつこさに耐えられなくなったのだろう。ランベルは条件付きでエルシアの家庭教師をすることにした。


その条件とは、給料でも名誉でもない。


ランベルがバルバラへに書いた手紙の中にあったのはただ一言。『もしもエルシア殿の力がワタクシの想定を上回っていたならば、エルシア殿の家庭教師を引き受けましょう。』濁して言っているが、その意味は簡単。『自分がエルシアを試して、エルシアが合格したら家庭教師でもなんでもやってやるよ。』直訳するとこんな感じである。


これが普通の貴族相手だったら失礼な相手だと怒って申し出を取り消すところだっただろうが、そこはセルディック家の当主。バルバラは快くその申し出を受けた。


そして現在、ランベルとバルバラは屋敷の二回の窓からその大きな庭を見下ろしているところである。


「いやぁ、本当にエルシアの剣術は凄いんだよ!」


バルバラが自慢げに言う。


ランベルはエルシアを試すと決めた後に、試す内容はバルバラの方で決めておいて欲しいと提案した。


そこで、バルバラは剣術を選んだのである。


四歳の誕生日を迎えた辺りからエルシアは剣を握り始めた。


最初の方は筋肉などの問題でかなり危なげだったが、数週間すると慣れたのかビュンビュンと音を立てるような勢いで素振りを始めた。


前世では物心つく前から真剣を握っており、ある程度成長した時にはもう数多の戦場を体験していたエルシアだ。肉体が弱い物になったとしてもその剣技は大人を容易に凌駕することなど当然なのだが、周りの家族は当然そんなことを知っているわけではない。


故に、周りからはエルシアは剣技の天才にしか見えず、バルバラもそのことを誇りに思っていた。


…だが、バルバラは極端なまでの親バカである。


今日の昼に始めて会ってからまだ三時間ほどしか経っていないにも関わらず、バルバラの息子自慢は既に百回を超えていた。


だが、バルバラが親バカなのはランベルも知っている、というか今日の三時間で思い知った。


これで実は小さな子供がただ力任せに剣を振るっているだけでした、とかそういう展開だったらこの屋敷を半壊させてやろうかな。


バルバラの息子自慢に相当ストレスが溜まっていたのだろう。


内心で物騒なことを考え始めていたランベルの視界の中で黒髪の少年、エルシアが庭に出てきた。


自分の家庭教師になるかもしれない人物が自分を見ていることをバルバラは伝えていなかったのだろう。その姿には全く緊張のような物がない。


「さあ、始まるぞ、エルシアのスーパー剣技!」


横ではしゃいでいるバルバラを華麗にスルーしてランベルはエルシアを、正確にはエルシアの持っている剣を見つめる。


そして、絶句した。


ランベルの目線の先でエルシアは剣を振り続けているが、その動きからランベルは目を離せなかった。


まるで空中に浮かんでいる豆腐でも斬っているかのように滑らかに剣が上から下へと滑っていき、それと全く同じ軌道をなぞるようにして再び剣を上げる。


この動作を繰り返しているだけだったが、それでもランベルはエルシアの素振りを普通の物だとは思えなかった。


なるほど、様々な剣技を習得してきたバルバラ殿が天才と評するわけだ。親バカで言っているのかと思っていたが、あながち誇張ではないらしい。


単純に、しかしどこか美しさを感じさせる素振りに見惚れながらもランベルはぼんやりと考える。


先程も言ったように、ランベルはフォーセリア第三騎士団の一員であり、今まで多くの戦場を駆け回っていた。


そんなランベルの目には、エルシアの剣はどこか見覚えがあった。


戦場の中で駆け回り、ただひたすらに敵を斬るために研ぎ澄まされたのに滑らかでどこか美しい剣術。


騎士たちのように自らの流派を鍛えぬくことでは決して身に付かない変幻自在の剣技。


その一端が、ただの素振りの中に垣間見えたことにランベルは戦慄した。


どれだけの時間が経っただろうか。


ふと気付いた時にはランベルの視界、庭の中には誰もおらず、隣ではバルバラがニコニコして立っていた。


「あの剣技は…、なんですか…?」


かすれた声でランベルは問いかける。


その声の中には好奇心と驚愕、そして畏怖の念が混ざっていた。


答えないバルバラにランベルは再び問いかける。


「あの剣技は、戦場を駆け巡っていないと身に付かないような合理的すぎる剣だ。ただの素振りからそれが読み取れた。読み取れてしまったんです。本来ならあんな子供にあの剣技が使えるわけもないし、昔騎士団の団長から聞いた話だと、よほど攻撃され続けないとあのような剣技は完成しない。どのような教育を、施したんですか…?」


咎めるような言葉にバルバラは静かに首を振った。


「いや、俺はなにもしていないし、剣の教育など受けさせたこともない。あの子は、エルシアは、剣を握った数週間後には既にあの剣技を使えるようになっていたんだ。」


バルバラの言葉にランベルは目を見開く。


そして、かすれた声で言葉を紡ぎだした。


「それは…そんなの…ありえない…」


「…ああ、そうだな。あの子の才能は確かに凄まじい。」


バルバラが絞り出した言葉を聞いてランベルはバルバラに向き直る。


「今ので彼が剣術の才能があることがちゃんと分かりましたし、彼の家庭教師としてやっていくつもりもあります。ですがその前に、一度彼と話をさせてもらえませんか?」





ああ、これで全てが決まる。


エルシアの剣技を見たことの興奮が収まらない中、ランベルは自分を見上げている少年と目線を合わせる。


そして、実感した。


この幾度も死地をくぐってきたたくましい目付き、それでいて尖ってはいなく、むしろ柔らかく瞳の中に灯っている光。


言葉を交わさなくとも、ランベルには理解できた。


目の前の少年が、ただの一般人にしか見えないような少年こそが、自分の主になるであろうこと。


どこでかは分からないが幾度も地獄を見て、それでなおその思考を正常に保っているであろうこと。


そして、なにかを守ろうと決意していること。


それらの全てが、ランベルには眩しすぎて、神々しすぎて。


気が付けばランベルは目の前の少年、エルシア・セルディックに跪いていた。


エルシア・セルディックという名を心に刻んで、エルシアの剣技を思い出して。


ランベル・コンツェリヒは、心に誓った。


目の前の少年を助け続け、彼がなにを成し遂げるのかを、その先にある光景を見てやろうと。


飾られていた杯の中に浮かぶ月が、ゆらりと揺らめいた。

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