転生
真っ暗な闇の中で、ふと周りが明るくなってきているのを感じ取る。
ついつい剣聖になりたての頃、夜にジャングルでの戦闘に駆り出されたことを思い出してしまう。あの暗闇の中でどこから敵が襲ってくるかを知るために目を瞑って気配察知のみを使って敵を斬ったっけ。
死んだ後にもそんなことを思い出してしまうなんて、俺は相当戦場が好きなのかもしれない。
…いや、それは流石にないか。戦場が好きとか、どこの小説の主人公だよ。
いや待て、その前に、なんで俺は死んだ状態で明るさとか暗さとかを感じ取れるのだろうか。
そんな俺の疑問を見事にスルーして、明るさはどんどん上がっていく。
そして一気に暗闇が薄れていき――。
「ほーらほら、良い子ねー!」
いきなり目の前に、女の人の顔が現れた。
本で読んだことのある日本とかいう国の舞子、だっけか?とまではいかなくとも、それなりに白い肌。金糸のようなサラサラとした髪の毛、昔の上司が指にはめていた指輪のサファイヤのような透き通った青の瞳、淡い桜色の唇。それらが顔の中に行儀よく並べられている。俗に言う美女、というやつだった。
そして、女の人の顔の横にはもう一人、少女の顔があった。
美女と同じように白い肌、サラサラの金髪、透き通った青の瞳を持っている。
唯一違うところが顔の大きさと顔立ちの幼さ。
姉妹か親子なのだろう。かなり仲良さげに顔を並べて俺を見ている。
…というか、なぜ俺は二人の美女親子(仮)に見つめられているのだろうか。
それ以前に、なぜ俺は意識があるのだろうか。
それを確かめる前に、俺の視界の端から再び闇が現れ、視界を覆っていく。
ああ、きっとこれは夢なんだ。きっとそうだ。そうじゃないとこんな状況になど放り込まれるわけがない。
暗くなってほとんど何も見えない視界の中で、目の前の二人が微笑ましい物でも見るかのように優しく微笑んだ、気がした。
*
はい、夢じゃありませんでしたー。
若干思考を放棄しかけている脳でそんなことを考える。
俺が死んでから少なくとも三か月は経っただろう。九十回寝起きした、ということを覚えているわけではないのだが、寝転がっているだけの、というかそれしかできない俺の顔を見てよくニコニコしている少女があどけない口調で「このこももうせいごさんかげつなのかー」と呟いていたので間違いはないだろう。
俺が死んで、なぜか知らない場所で目を覚ましてから約三か月。この一年間の中で、俺は様々な情報を手に入れた。
まあ、ベッドらしき物の上で寝転がりながら人の話を盗み聞きしていただけなのだが。
まず、現在俺は、なぜか生後三か月の赤ん坊らしい。
いや、自分でも頭がおかしくなったのかと考えてしまうレベルには異常性を認識してはいるのだが、事実なのだから仕方がないだろう。
そして、俺には三人の母と一人の父、一人の姉がいることだ。
そんな世紀末か?と言いたくなるような衝撃的な事実を知ってしまったのは、大体俺が死んでから、つまり俺が産まれてから一、二か月くらいが経った時のことだ。
俺の寝かされているベッドが安置されている部屋の掃除をする二人のメイドがこの館の主、つまり俺の父親について話していたのからそれを知った。
なんでも俺の父親の家、セルディック家は国内でも有数の有力な貴族らしく、国王にも近い権力を持っているらしい。
当然そんな奴に目を付けない輩がいないはずもなく、多くの貴族や地主たちが娘と俺の父親、セルディック家十六代目当主のバルバラ・セルディックの間での見合いを持ち込んだらしい。
そこまでならまだ分かるのだが、その後のバルバラの行動が全く意味不明な物なのだ。
バルバラは三十余名にわたる見合い相手の中からなんと三人も結婚相手を選んだらしい。
俺の母が第二夫人で、俺の部屋によく入ってくるあの少女が第一夫人の子らしい。
なぜか三人の夫人たちは仲が良いらしいが。
耳の中にその話が飛び込んできた時には、ホントに夢でも見てるんじゃないかと思わず未発達な小さい指で頬を抓ってしまったほどだ。
貴族の中でも複数の妻を持つような節操なしはバルバラくらいしかいないらしく、メイドたちの口調も若干非難するような響きを含んでいた。
まあとにかく、自分が赤ん坊になっていることや父親がとんでもない節操なしの貴族だったことだけでも俺に思考を放棄させるには十分なのだが、更に意味の分からないことがある。
ほぼ毎日仕事があるであろう中で俺の父親は毎日俺の部屋に通ってくれているわけなのだが、この前その父親が衝撃的なことを口にしていたのだ。
確か、「いやー、俺も魔法の腕が王に認められてさ、これでようやく剣術だけじゃなくて魔法もマスターしたんだよー!」みたいな感じで話していた気がする。
その時は一種の冗談かと思ったが、いい歳した大人が産まれて一年の赤ん坊に冗談を言うなんて無意味なことをするはずがない。
つまり、恐らく魔法という物が存在するのだ、この国、または世界には。
ここまで知って俺は悟ってしまったのだ。
あれ?これって小説でよくある異世界転生とかいう物なんじゃね?と。
この考えが正しいのかを確かめるために、今日は何とか秘密で習得したはいはいで屋敷の中を徘徊してみようかと思う。
さよならニート生活、ようこそスポーツマン。ちょっと違うか。
そんな前世でも考えなかった、というか考える暇もなかったような下らないことを考えながらも俺はできるだけ音を立てないようにゆっくりとベッドの柵に手をかけて立ち上がる。
赤ん坊の筋肉量で二足歩行なんて当然できるはずがないが、努力した結果壁などに手をかけることで少しだけ立ち上がるくらいはできるようになった。
胸がちょうど柵に当たったので、胸から上に体重をかけて鉄棒を回るかのように上半身を柵の外に出す。ここまでくればもう筋肉を使う必要はない。重力に従って俺は頭から床に落下する。
落下している途中、空中でなんとか体勢を整え、着地する瞬間に受け身を取る。
成功したようだ。痛みも痺れも特にないので、すぐに動いても大丈夫だろう。
そう判断して四つん這いになり、一歩一歩前進していく。
部屋の端っこにあるドアの前まで辿り着いてから自分が失態を犯していたことに気付く。
そう。俺の目の前にあるドアは、閉まっているのだ。
ドアが開いていればなんとかドアを押して外に出られるのだが、閉まっていてはどうしようもない。
なんとかならないかと周りを見回す俺の視界の中に、姉が俺の部屋の中で一人おままごとという器用なことをしてからそのまま置き忘れていったおんぶ紐が入った。
後一時間足らずでメイドたちが部屋の清掃に来るだろう。念のためその五分前には戻っておくべきだろう。時間はあまりかけていられない。
俺は手を伸ばしておんぶ紐を握る。
姉が何歳かは分からないが、幼い女の子の持ち物らしい淡いピンク色の紐は俺の布団とはまた別の触り心地の良さがある。
まだそんなに大きくは動かない手首を精一杯回しておんぶ紐を振り回す。
おんぶ紐の先端は子供をおんぶできるように輪っかのような物が付いているので傍から見ればおんぶ紐でカウボーイの真似をする赤ん坊、といったところだろう。中々にシュールだ。
まあまあ勢いがついてきたところでおんぶ紐の先端の輪っかがドアのレバーに絡まるように投げる。
おんぶ紐はゆるい軌道を描いてレバーに引っかかる。
おんぶ紐に体重をかけてレバーを下げ、上手くドアのロックを外すことに成功。
意外とこれはハマるな。秘密で部屋を抜け出して冒険する、みたいな展開は嫌いじゃない。
キィィと音を立てて開いたドアを抜けて部屋の外に出る。
「うふぅ…」
思わず小さな感動の声が漏れてしまった。
俺の目の前には、前世に王宮に入った時に床に敷かれていた物のように真っ赤なカーペット、赤を引き立てるためか真っ白な壁が現れたのだ。
ここは一階ではないのだろう。窓の外に見える緑色の葉が風に揺られている。
木製の窓枠にはワセリンが塗られているのだろう。日光を受け止めてオレンジ色の優しい光を放っているそれは赤と白のコントラストでチカチカしている目を癒してくれる。
さて、いつまでも見惚れているわけにはいかない。
俺は再びはいはいを開始する。朝日を受け止め続けていたのであろうカーペットは、ほんわりした熱を放っていた。
*
はいはいで移動を始めてから数分が経ったが、未だに何も発見らしい発見をできていない。
閉じられたドアはいくつか発見できたのだが、流石におんぶ紐を持ってきてそれでドアを開けるわけにもいかないだろう。
そんなことをしたら少なくとも俺が生後一年しか経っていないのに勝手に部屋の外に出たことがバレるどころか、最悪大人に気付かないまま踏みつぶされかねない。
ハァ。仕方ないか。
心の中でため息を吐いてから元々自分の部屋に帰ろうとする。
正直言ってこれ以上屋敷の中を徘徊していても何も得る物はないだろうし、命の危険だってあるのだ。
見つかっても厄介なことになるし、ここは早めに戻るのが吉だろう。
そう思って方向転換してはいはいを再開しようとした俺の目の前で、俺の姉が目を輝かせてこちらを見ていた。
しまった。
そう思った時には時すでに遅し。
姉は、大きな声を上げた。
「キャー!」
下手すれば大人の男の叫びよりも大きいかもしれないような甲高い声を聞いて、屋敷の中にいるバルバラや三人の母親たちが集まってこないわけがない。
姉が叫んだ数秒後、予想通り俺の父親が現れた。
「どうした!」
娘大好き、所謂親バカなのだろう。戦場の中にでもいるかのような緊迫した声を出していたバルバラだが、俺の姿を見た途端に硬直した。
「どうしたの!?」
姉の母親も走ってきたが、俺の姿を見た途端にバルバラのように硬直した。
その後に同じように走ってきた二人の母親たちも俺の姿を見て硬直する。
「…」
場を、沈黙が支配した。
幼女と中年の男性、それに三人の美女が一斉に硬直してる様子は中々に見応えのある物だったが、誰よりも速く現実に復帰したバルバラが口を開いた。
「な、なんてことだ…」
バルバラの言葉で一斉に現実に復帰して、他の四人も一斉に口を開く。
「なんて…こと…」
「すごぉい…」
「なんで…こんな…」
「信じられない…」
場が物凄いシリアスな空気に包まれる。
えっ?もしかして部屋の外に出たらいけない、みたいなルールでもあったの?
混乱している俺の内心など知らずに五人は声を揃えた。
「「「すごい!たったの三か月ではいはいをできるようになるなんて!」」」
シリアスな空気が、一瞬にして霧散した。
ズッコケそうになった俺は悪くないと思う。
恐らく呆れたような目線を送っているであろう俺を見てバルバラが歓声を上げる。
「三か月ではいはいをできるなんて!物凄い才能だ!流石俺の息子!」
バルバラが俺の頬に薄っすらと生えている無精ひげをすりつける。
痛いんでやめて下さい、とは言えない。精神的にではなく、肉体的に。
赤ん坊というのは基本的にはベッドの上に寝てるだけだから命の危険はないが、思っていることを口に出せないのはちょっと辛いかなぁ。
幸せそうに俺に頬ずりをしてくるバルバラを見て、心底そう思った。