Act.22 対熊 Round.1
熊の眼に殺意が宿ったことを察し、日向夏が後ろへ大きく跳躍する。その距離およそ4m。互いに一瞬で詰められる距離だ。腰を落とし、息を吐く。
「しっ」
雪を踏み込み、熊の間合いに入る。初手から大胆に懐に飛び込み、攻撃の届かない脆弱な腹を刺――せない。とっさの判断で左腕でガードをしたものの、熊がその巨躯を腰から回し、鞭の要領で日向夏を弾き飛ばす。みしぃ、と腕から悲鳴が上がる。弾き飛ばされた日向夏は想像以上のパワーに焦りを覚えながらもひらり、と身を翻し着地。即座に左腕を引き剣を斜に構える。
熊は再度立ち上がり、日向夏を威嚇する。優に3mは超えているだろう。北国仕様の分厚い毛皮、歴戦の強者であることを示す夥しい数の傷跡と、盛り上がった筋肉。だが、ただ愚直に攻撃するでもなく、臨機応変な戦い方をし、そのパワーを効率的に使う。
実力もさほどない小娘二人に対しては、これほどに面倒な相手はそうそういないであろう。それなりの知能を持ち、それに見合わないほどの優秀な身体。が、余裕がある者の知識とは基本物事の効率化のためにある。この世界ではそこまで身体的に優れているわけでもない二人にとっては知識とはまさに命綱。それを欠けば待っているのは当然の如く死である。
故に、こうする。
くるり、と標的が自分に死角である背を向ける。突然の千載一遇のチャンスに、熊は一瞬戸惑い、躊らう。が、二人からすればそれは金銀財宝よりもずっと価値のある一瞬だった。
「セイッ!!」
「あいよっ!!」
樹上で待機していたセイディである。普段の戦槌を仕舞い、今は刀身の沿った刃渡り50cmほどの短剣を右手に携えている。重力を乗せた攻撃は、熊の右の健を浅く切り裂く。もちろん熊の健はこれで切れるほど軟弱ではなかったが、全速力で走ることはできなくなっただろう。こちらにとってしたら、それで十分。撤退のための時間が稼げればオーケーなのだ。
着地したセイディは、そのまま横に飛び、左の健にも攻撃を加える。こちらも浅く入っただけだったが、目的は果たせただろう。もう一度左へ飛び、日向夏とともに逃げる。熊はこちらを追ってきているもの、雪も相まって全速力が出せないのか、差は詰まらない。むしろ少しずつ開いてきてさえいる。
が、日向夏が攻撃を受けた左前腕はじくじくと血を服に滲ませている。恐らくは亀裂が入っているのだろう。この状態での戦闘は不利になる。一刻も早くここを抜けなければいけない。
それにしても......東に向かっていたはずなのにどうしてここまで強いモンスターが出てきているのだろうか。出るとしたら北のはずなのに......ふいによぎった疑問が、日向夏の脳領域を一瞬支配する。が、逃げることが先決である今は、そんなことを考えている余裕は何処にもない。立ち止まれば、死。二人は、気持ちなしか走るスピードを上げたのだった。
*
暢気にぶらぶらしていたアホ二人組は、帰ってきてその事態に動揺する。計五本の爪の跡が木についてい、熊らしき足跡が北に向かっている。おそらく熊かそれに類似する魔獣に襲われたと考えるのが妥当だろう。熊の足跡に交じって、人らしき二つの足跡もあるため、仮説が当たりつつあることに兄者は臍を噛む。
くそっ、どうしてこうなった。日向夏から目的地は白銀の樹林西部、ランクはCと決して高いわけじゃないところのはずだったのに、なんで日向夏とセイディが逃げ出すような羽目になる魔獣が出てるんだ?突然変異と言われればそれまでだが、普通に考えてそんなものと遭遇するなんてことは滅多にないだろう。
『ともかく、行くぞ、ニガ』
『はいっ』
足跡を辿ると、時間がたつごとに誰かの血が足跡に付く頻度が増えている。稀に足跡とは離れた場所についていることもある。恐らくどちらかが傷をつけたかつけられたか、もしくはその両方だろう。急がないと、間に合うものも間に合わなくなってしまうかもしれない。ニガに指示し、速度を上げてもらう。つまるところ、時間との勝負なのだ。
頼む、間に合ってくれよ......
**
「えぇ。はい。......了解しました。主含め、ランクA以上の人員で当たります」
『頼んだ。ばっちゃんにもよろしく言っといてくれ』
「嫌です」
「なぜにっ!?」
ギャーギャー喚く相手から意識を遠ざけ、視界を光で満たす。黒髪の燕尾服を着た青年は、念話球の置いてある机から椅子を後ろに引き、優雅な所作で立ち上がる。執事の名はレイ。幼いころにテルルに拾われ、今は主と仰ぐテルルの元で働いている。
曰く、樹林の北部で『遠哮』が観測されたらしく、観測場所から一番近い我々にギルドから連絡が届いた。手早く部下たちに指示を出しながら自分の装備をかき集め、ボイドウッドで統一された扉をくぐりテルルの元へ歩を早める。
だがなぁ、と少し仕事に対する反意を抱く。なぜかというと、平常ならこのような案件は、断っているはずなのだ。が、気ままな主の性格がそれを許さず、今回の任務を受けることになったのだ。主の気ままのにはもう慣れたものだが、面倒事に首を突っ込むのはこちらとしても嫌な顔をせざるを得ない。
そして何よりも、自分達『白銀の旅人』はれっきとした移動型都市、ギルドに対する意思表示程度はできる。ギルドに属していない有力な人材とも縁があり、ギルドに対する牽制にもなっているはずだ。双俊剣や緑皇、拳王など、ランクT以上の冒険者も主と交友があるため、いざと言う時には駆けつけてくれるだろう。
つまるところ、ここと事を構えるということは多数の天災に喧嘩を売る事と同義なのだ。それを理解した上でのあの通話相手だったのだろう。でなければ、自分のギルドへの評価は救い難いアホと言うことになっていた。
そんな思考を切り捨て、仕事のスイッチを入れる。5分ほどで装備を整え、主の部屋の扉の前に立つ。
「テルル様、冒険者の集合及びにリバテート・ドッグの準備、完了致しました」
がちゃり、と蝶番が軋む音と共に、悠然たるオーラを放つ主が部屋から出てくる。
「いつもすまないな。手際が良くて助かる。---行くぞ」
「仰せのままに」
臨戦態勢に入った主からは、常人なら吐き気を催すほどの濃度のマナが放たれている。これが、主。表面を取り繕うのを止めた、本当の姿。亜麻色の髪の一本ずつに魔力が通されており、それぞれが妖艶な光を放ちながら
宙をただよっている。
今回集まったのは、主と自分含め六人。全員がランクA以上、強いものではSに迫る手練ばかりだ。つい先日までは双俊剣や戦神の乙女達が居たのだが......まあ、居ないものは仕方が無いし、この人員でどうにかするしかないだろう。主が四人の前に立つ。
「急な呼び出しになってしまってすまない。時間が惜しい。手短に行くぞ」
熊共の集結とこちらの推定到着時間には大陸蝋燭で三本ほど遅れがある。急がないと近隣の街にも被害が及ぶ可能性が高い。
「『遠吼』が樹林北部で観測された。観測地点はここからおよそ40シュルツ。ウチの一番速い奴で行くが、それでも三本ほどは遅れが出る。敵はフレシャス・ベアとブルータス・ベア。個体としては我々の相手ではないが、如何せん数が多い。併せて300体ほど。広範囲魔法でどんどん数を減らしていってくれ」
一気にまくし立てる。息を整え、再度口を開く。
「急ぐぞ。乗れ」
主が一喝し、二手に別れて橇に乗り込む。向かうは白銀の樹林北部、世界に名高い--Tランク魔境だ。
更新ペースが遅いのはもうご愛嬌笑
感想、頂きました。ほんっとに、ありがとうございます。精進致しますので、これからもよろしくお願いします。




