第八話 クロ
クロとの関係に悩み続ける夏樹。
遂には、夜が明け朝となってしまったが、それでも答えを導き出せない。
そんな夏樹の元にやってきたのは、爛だった。
爛は、無理やり夏樹をトレーニングに誘い不器用なりに叱咤激励を送る。
そして、ロアもまたクロへ優しく諭すように夏樹の事を話す。
多くの人が夏樹を押し。眠るクロがうなされるのを見て夏樹は遂に心に決めた。
クロの中には、人がほとんどいない。
阿冶に爛、ロアに幼狐、後数人。
スポットライトが当たるのはその人達だけで、後は外側の真っ暗に蠢くその他の人たち。
クロの中のスポットライトは、広がることはない。
広げたくても広げられない。
だって、暗闇の中の相手が誰だかわからないから。傷つけられるかもしれない。現に傷つけられてきた。
怖い。
クロは臆病だから……どうしても立ち止まっちゃう
『じゃぁ、夏樹は?』
突然声が聞こえてきた。見えない相手。でも聞き覚えのある声。
クロは、不思議とその声に応えていた。
夏樹は……いい人。クロの中に入ろうとしてくれている。でも、チラチラとスポットライトの中に入ろうとすれば、クロがそれを阻んでしまう。スポットライトを縮めてしまう。
『夏樹が怖いの?』
……わからない
『どうして?』
こんな気持ちは初めてだから
クロが逃げても何度だって話しかけてくれる。追いかけてきてくれる。今までそんなことはなかった
『阿冶達の時は?』
ロアがいてくれた。ロアが支えてくれた。でも、今はいない
『だから、わからないの?』
だから、わからないの
『じゃぁ、夏樹とは離れた方がいいんじゃない?』
……それは、嫌
『どうして?」
……わからない
『それって、おかしくない?』
……分からない、分からないっ、分からないっ!
『………』
………
『もうわかってるでしょ。夏樹は悪い人じゃないってこと』
………
『クロも夏樹と仲良くなりたいって』
………
『そのやり方だって分かってる』
………どうして、分かるの?
『だって……私は、あなただから』
あなたは私?
『そう、私はあなた。だから、後少しのきっかけでクロが変われることだって知ってる』
クロは……変われるの?
『うん。だから、その時が来たら、勇気を出して……わたし……』
突然声は遠のいていってしまう。それとともに、クロが見る世界もぐにゃぐにゃと歪んでいく。
待って! 私! クロは……クロは、どうしたら……
『大丈夫。……夏樹を信じて。そして、自分も……』
それを最後に、クロは暗やみに閉ざされた。
頭に優しく温かいものが触れている。
気持ちいい
「ふにゃー」
クロが気持ち良さ気に声を上げつつ目を醒ますと、すぐそばには夏樹がいた。そして、心地よくて頭を擦り付けているのが、夏樹の手であることにも同時に気がついた。
「………」
「………」
クロは、思考停止した頭でさっき夏樹にされたように自分の頭を撫でる。
「あはは、起こしちゃってごめんね。えーっと、猫みたいに気持ちよさそうに寝てたから、つい」
さすがに、夏樹もまずいと思ったのだろう。
現に、寝ている幼女の頭を撫でていたのは事実である。
冷や汗を流しながら、そう言った。
「フッ」
「フ?」
「フニャー!」
警戒度は最高潮に。
反射的に後方に飛び退く。
……夏樹が、クロの頭を――
クロなんかの頭を
混乱気味の頭。
蒸気する顔。
気づけば、いつものように逃走しようとしていた。
クロは、やっぱり駄目みたい。変わらないし、変われない
完全に夏樹を拒絶してしまった。
悔しさと、情けなさと、そして込み上げてくる悲しさでポロポロと涙が伝う。
もう、夏樹とは――
「待って、クロ!」
逃げようとするクロの腕は、ギュっと強く温かく握られた。
『待って、クロ!』
駆けだそうとするクロちゃんの腕を思わず握った。
ここで逃げられたら駄目な気がした。取り返しがつかない気がした。
クロちゃんは驚いたようにこっちを振り向いている。
「……えっと、ごめん。待って、クロちゃん」
「………」
クロちゃんは、答えなかったが抵抗する様子も見せなかった。
初めてまともに話す機会を得た。もしかしたら、もうこれっきりこんな機会が訪れないかもしれないと思うと、変に緊張した。
……大丈夫。さっき決意したばかりじゃないか
阿冶さんに心配され、ロアさんにお願いされ、爛さんに背中を押してをもらった。
お膳立てはばっちりだ。皆のために、俺のために、何よりもクロちゃんのために。俺は、中途半端じゃない、確かな一歩を踏み出すんだ。
「俺は……」
「………」
重たい口を開くと、クロちゃんはビクッと体を震わせた。続きを聞くのが怖いかのように。段々と、クロちゃんの手が冷たくなっていくのを感じる。
「俺は……クロちゃんが好きだよ」
安心して欲しくて、気持ちを伝えたくてギュっと強く手を握る。
「えっ?」
「俺は、クロちゃんが好きだよ。いつも一生懸命に阿冶さんの手伝いをして、苦手な俺の事にも気を使ってくれる。そんなクロちゃんが、俺は好きだよ。だからさ、俺はクロちゃんの味方だから。それは、忘れないでほしいな」
何だか照れくさくて、途中からクロちゃんの顔を見られなくなっていた。
「………」
クロちゃんの返答はない。
当たって本当に砕けてしまったのかもしれない。
何にも言わないクロちゃんに恐る恐る視線を上げていくと――
ポタポタ
地面に落ちるしずくとすれ違った。
「……クロは……クロも」
クロちゃんは、必死に唇をかんではいるものの瞳からは涙があふれだしていた。
「……クロも……夏樹が好き。……苦手なんかじゃない。クロも、夏樹が大好きだから」
そういうと、クロちゃんは俺の胸に飛び込んできた。
顔を見られたくないからか。泣き声を聞かれたくないからか。それとも、触れることで安心したかったからか。
服を力強く握って。顔をうずめる。
「―――!」
そして、堰を切ったように泣いた。
クロちゃん、良かった
俺は、顔をうずめるクロちゃんの頭を優しく撫でた。
しばらく経って、やっとクロちゃんは落ち着いた。
「大丈夫?」
「……うん。……夏樹ごめんね。今まで逃げて」
今までよっぽど気にしていたんだろうな。おそらく罪悪感も相まって押しつぶされそうなほどに
だから、俺は笑顔で答える。
「大丈夫だよ。これからも、よろしくね」
「……うん!」
いつも通りの口調にジト目。でもその端々から喜びの情が感じ取れる。
良かった。これで一件落着
そう、気を緩めた瞬間だった。
「……夏樹」
「何、クロちゃっーー」
振り向きざまに、クロちゃんは俺の首に腕を回す。
そして、
ちゅっ――
鼻と鼻をくっつけた。
目と目が並び。
微かにおでことおでこがすれ。
そして、鼻と鼻がくっつく。
そう、それは猫が親愛の情を見せるときにする。いわゆる、鼻キスだ。
俺は、最初なにが起こったのか分からず呆然としていた。
その隙にクロちゃんは、恥ずかしいのか逃げるように自室側にトテトテと走っていく。そして、柱の陰から顔を少しだけ出して――
「……夏樹、ありがとう」
それだけ言って、もう戻ってくることはなかった。
クロちゃんが、居なくなってやっと俺は何が起こったのか理解した。
そして、
……死んだ
物理的にじゃなくて精神的に。
背中からぱたりと倒れてジンジンとする頭でそう思った。
「これはあれだ、世間一般で言う……キュン死」
居間の窓から夜風が吹きすさぶ。
まだ、春の夜は寒い。
「夏樹とクロはうまくいったか」
晩御飯の時の二人を見れば分かる。
照れからか会話こそしていなかったが、そこには確かに二人を隔てていた壁はなくなっていた。
二人がうまくいったのは嬉しい。
でも、だからこそ私の胸中にはまだ分からないでいた。
「信長。これで良かったのか? これが正解だったのか? あんたの失敗から私はちゃんと学べているのだろうか」
分からない
胸を渦巻くこのなんとも言えないモヤモヤ。不正解しか知らないあたし、断片しか得られないあたしに解消することはできるのだろうか。
……道場にいくか
迷いを振り切るように顔を叩く。
こういう時は、道場が一番だ。
一度落ち着こう
暑い。熱い。
「喉が」
私は、異常なほどの体の火照りと、喉の渇きに目を覚ました。
お水
ぐったりとした体を起こして、台所に向かう。
……爛さん?
廊下で爛さんの後ろ姿を見た気がした。
気のせいかな? ……って、そんなことよりもお水
今の私は、普段のように物事をしっかりと考えることができない程の渇きを感じていた。
台所で一杯の水をくむ。そして、それをあおるように喉を鳴らしながら一気に体の中に流し込んでいく。
……足りない
その後も、二杯三杯とゴクゴクと水を飲む。
飲んだ量が分からなくなるほど。
そしてやっと、少しだけ喉の渇きが和らいだ。
「私どうしちゃったんだろう」
激しく鼓動する胸を押さえて、自分の異変に気付きつつあった。
こんにちは、五月憂です。
皆さんいかがだったでしょうかクロ編最終回。
クロ可愛いですよね。小さくて健気で撫でたくなる、そんなクロが私は好きです。
最後は、次回以降の問題提起のようなものが入っていましたが、今後どうなるのかお楽しみ下さい……って、言いたいのですが、すいません。「突如始まる異種人同居」を一時休載することにしました。詳しくは、活動報告で書かせていただくのでそちらを参照していただければと思います。休載期間は一、二週間を考えていますが、今のところどうなるか分かりません。復帰するときも、活動報告でお知らせるのでよろしくお願いします。
最後になりましたが、「突如始まる異種人同居」を読んでいただきありがとうございました。今後とも、「突如始まる異種人同居」をよろしくお願いします。
【改稿後】
第八話で遂にクロ編もラストということで、ここはなるべく滑らかにテンポ良く読めるように細かく調整しました。クロの気持ちが皆さんに伝わると嬉しいです。