第三話 世界と使者
突然マンションを追い出された夏樹。大家さんから受け取った地図を頼りに辿り着いた場所は、大きな日本家屋の御屋敷だった。
出迎えてくれた美しい女性阿冶。通された部屋で出会ったクロと爛。
三人の女性に囲まれて呼び出した張本人ようこに会う。
夢で見た大人びた優しいイメージの女性。そんな幻想の正体は、金髪の幼女――いや、妖界をすべる三妖の一人九尾の幼狐だった。
数百年前の話。
『天界』『冥界』『怪物界』『妖界』の四世界に歪が生まれた。
後に『境界の狭間』と呼ばれるその大きな歪は、互いに存在すらも不確かだと考えられていた四つの世界をつなぎ合わせた。
種族も、文明も、常識も、価値観も違う四つの世界。そんな世界がある日突然隣接し自由に行き来できるようになった。
それは、争いの火種には十分すぎる原因となった。
領土拡大、未知の脅威、正当なる防衛、唯の暇つぶし、理由を挙げれば数え切れない。
ただ結果として、そういった思惑から大規模の争いが各地で勃発した。
草木は焼け、住居は倒壊し、多くの者の血が流れていった。
長く激しい戦いは永遠に続くと思われていた。実際終わるそのギリギリまで苛烈を極めた。
しかし、膨れ上がった風船が破裂したかのように終わりも突然訪れた。
徐々に衰退していった各世界は、ついに限界を迎えたのだ。兵も資材も枯渇し、もはや停戦という手段を取らずにはいられなかった。おそらく各世界においても史上最大の損害が出ていたのだろう。
そして、それぞれの世界からの代表者がお互いを敵ではなくよき隣人とする友好協約を結び、闘いを終焉させた。
最初こそ小さな衝突や隔たりはあったものの、時間の経過とともに少しずつ種族や世界の壁はなくなっていき、平穏な日常が戻ってきたのだ。
そして、近年。新たな世界への歪が生まれた。
『人間界』である。
四界の代表者たる面々は、先の大きな争いを教訓に『人間界』が危険か否か、共存の道があるのかを確認するために、それぞれの世界から使者。つまり留学生を選定し、実際に『人間界』へ送り経過を見ることにした――
「――っと、それで、自分はその世界の一つ――『妖界』を統治する九尾の幼狐だってそういう話か」
俺は、テレビの向こう側で偉そうに座っている金髪幼女――幼狐の話を、噛み砕いて繰り返した。
「うむ、理解力のある小僧で助かる」
「バカにしてるのか? ちゃんとした用がないなら帰る」
そのはるか上からの物言いに、初対面でありながら遂言葉が砕けてしまう。最早俺の中での幼狐に対する敬意は微塵も無くなっていた。
「……まったく、前言撤回じゃ。理解力のない小僧じゃ」
「いや、理解しろって方が無理でしょ」
「さっきも見たじゃろ。目の前でわしの姿が変わるのを。まだ、信用できんのか」
確かに見た。突然――いや、あたかもずっとその場にあって、その瞬間に初めて認識できるようになったかのように、ごく自然と幼狐に金色の狐耳と、同じく金色の九本の尻尾が現れた。でも――
「あんなの何か仕掛けてあったに決まってる」
到底信じられない
確かにリアルな耳と尻尾だけど、画面を通せばCGか何かで騙すぐらいできるだろうし
俺は、疑いの眼差しで幼狐を見る。
「ほんとに聞き分けがないのう」
幼狐は、ため息交じりで言うと、可愛らしく片手を狐の形にして俺に向けて来た。
『狐火』
幼狐が気だるそうに言い放つと、テレビから抜け出るように火の玉が目の前の宙に現れた。
「ほれ、これでも信じれんか、ん?」
幼狐の手の動きに合わせるように、ユラユラと俺の周りを回る火の玉。これでもかとアピールしてくる。
何だこれ。どうなってるんだ
火の玉? いやいや、そんなわけない。絶対タネがあるはずだ
そんな俺の考えはお見通しかのように、幼狐は追い打ちをかけた。
「これならどうじゃ」
ひょいっと、幼狐が手首をスナップすると、火の玉が狐の形に変わり俺の鼻先に向かって勢いよく飛んできた。
「熱っ!」
反射的にのけぞる。
本物だ。間違いなく火で出来ている
タネも仕掛けもない。文字通り、そう痛感した。
鼻先をこするように痛みを和らげていると、カッカッカッカッと、また幼狐の愉快そうな高笑いが聞こえてくる。
「どうじゃ、これで分かっ――ヘグッ」
幼狐の人を馬鹿にする言葉は、突如振り下ろされた拳によって遮られた。
黒髪の女性だ。
今の今まで目をつぶって幼狐の傍らに控えているだけだった女性が遂に言葉を発した。
「やり過ぎです」
涙目で頭を押さえる幼狐。
「だって、小僧が信じないから――ヒッ」
女性は言い訳をする幼狐に再度拳を振り上げ、幼狐は第二波に怯えて縮こまる。
叱られる子供と、叱る親の構図だ。
「本題へ」
振り上げられた拳は、振り下ろされることはなかった。
それに安堵した幼狐は、一つ咳払いをして場をリセットする。
「これで信じたじゃろ……っていうか、信じろ!」
前言撤回。全然幼狐の胸中はリセットされていなかった。
鬼気迫る幼狐に、俺は頷くことしか出来なかった。
「それで、さっき聞いたそっちの事情は一応分かったけど、それと俺にどういう関係があるんだ」
今まで聞いたのは彼女らの事情。俺がそこにどう関わってきているのかが今回の本題なのだろうと、俺もなんとなく気づき始めていた。
「うむ。それにはまず、後ろの三人を紹介してからじゃな」
そう言われて、俺は後ろを振り返って三人を見た。
「この娘等は、先の説明であったそれぞれの世界から選ばれた使者じゃ」
それぞれの世界ってことは、三人とも人間じゃないってこと? そんな風には見えないけど
三人を再び見比べるも普通の女の子にしか見えない。間違っても幼狐のような違和感を感じない。
「じゃぁ、私からいいですか」と、阿冶さんが先陣を切って自己紹介を始めた。
「改めまして、私の名前は銀木阿冶です。怪物界代表の吸血鬼です」
「吸血鬼……」
やっぱり人間じゃないのか
変ながっかり感が俺の胸中を渦巻く。
一番まともそうな阿冶さんですら、嘘であれ本当であれ人ではないと口にするのは、思いのほかダメージがあった。
「あっ、吸血鬼って言っても安全ですよ。私は未熟だから牙とかも今はないし」
俺の視線を危険視と感じたのか、阿冶さんは口を開いて牙がないことをアピールした。
「大丈夫です。そんなこと思ってませんから」
阿冶さんは、胸を撫で下ろすようにほっとした表情をして、次の人に変わった。
「次はあたしだな。あたしは織田爛。冥界の代表で幽霊だ」
そう聞くと、自然と視線が足に向かう。着物から伸びる細く引き締まった美脚。
幽霊って足あるんだと思いつつ視線を戻すと、爛さんはニマッといやらしい笑みを浮かべた。
その顔は、下心がなかったにしろ自分の行動を考えさせられて、俺は無言で赤面する。
「ちなみに、生前は織田信長って呼ばれてたんだ。知ってるだろ、有名人だからな」
ハッハッハッハッ、と豪快に爛さんは笑う。
織田信長って男だったよな。歴史が間違っているのか? それとも――
「最後はクロちゃんだよ」
「……クロは、猫目クロ。……妖怪代表」
「「………」」
終わり!?
爛さんや阿冶さんみたいに、もう少し何かあるのかと思った
驚愕の短さに驚いていると、幼狐と同じ様に突然クロちゃんに猫耳と二本の尻尾が現れた。
うわっ、本当に本物なんだ
作り物とはまた違う、不規則な尻尾の動きを見て思う。
「カッカッカッカ、皆綺麗どころばかりじゃろ。よかったのう、こんな綺麗な娘と同居出来るんじゃから」
綺麗どころばかりって、そりゃ皆他に類を見ない程整った顔立ちや容姿をしているけど。こんな急に紹介されても正直困惑の方が大きいわけで
「って、同居っ!?」
「何を驚いておる。お主がここに来たのもその為なんじゃから。まったく、世界多しといえどもこんなことはそうないぞ。いやー、ラッキー、おめでとう」
強引に進めすぎて口調変わってんじゃん
「誰もそんなこと了承してな――」
「夕月夏樹。15歳。父母共に亡くなっており、養父母に引き取られ、義妹との四人家族になる。現在は、仕事で海外に行った3人と離れて一人暮らし」
書面を読み上げるかのように言われたそれは、まぎれもなく俺の個人情報だった。
「大変じゃのう、その年で一人暮らしとは。養父母にもなかなか甘えたくはなかろう。でなかったら、わざわざ一人で残るまいて。高校では、何じゃ? アルバイトでもするか? 勿体ないのー、花の高校生活をアルバイト漬けで終えるというのは。本当に勿体ないのー、ここだったら家賃も光熱費も食費だってタダで済むと言うのにのー」
幼狐は、半ば挑発的に言う。
「グッ――」
グウの音もでない。
こいつ、完全に俺の事情を知って言っている
逆らいたいけど、逆らえない
あらゆる方向から攻め立て、道を一つしか残さない話術。それは脅迫よりもさらに残酷且つ精神を追い込んだ。
「それにのう小僧。小僧は、このことを了承しておるのじゃぞ」
まだ折れないのかと言わんばかりの口調で、ダメ出しとばかりに幼狐は付け加えた。
「いつ俺が了承何て――」
「ほれ、このとおり」
そう言って、幼狐は一枚の書面をテレビに近づけた。
小さい字でびっしりの書面。
その書面に俺はものすごく見覚えがあった。
「そ、それって」
震える声。
気のせいかさっきから冷や汗が止まらない。
「昨日、小僧が夢の中で記名したじゃろ」
したよ!
確かにしたよ! でも、読んでねぇよ!
心の中で叫ぶ。心の中でだけ。
偽りの声色と性格で、記名を急かす。もはや、詐欺以外のなにものでもなかった。
「小僧――」
幼狐は、優しい声色で言う。
「――諦めろ」
満面の笑みだった。
そして、勝ち誇った笑みだった。
今この場に幼狐がいたら、書面をひったくってシュレッダーにかけるよりさらに細かくびりびりに破ってやった。それ程の悔しさと腹立たしさを感じた。
しかし、
「………」
降参。了承。
どちらととってもらっても構わない。むしろ、どちらをも含めた無言の回答を俺はした。することしか出来なかった。
おいしい話ではある。俺には、何の不利益も無さげだ。書面もどれほどの拘束力があるのかは知らないが、異界の書類だ。唯の紙切れではないのだろう。
つまり、もう俺にとれる手段はないと判断したのだ。
「クックック、決まりじゃな。あー、終わった終わった。やっと、終わったのー。それじゃ、ワシは一休みするかの」
「ちょっ――」
了承したとはいえ、質問も何も受け付けず急に話を終えようとする幼狐をどうにか呼び止めようとした――が、幼狐の動きを止めたのはまたしても彼女だった。
「よろしいでしょうか」
黒髪スーツの女性だ。
いい加減この人の名前が知りたいところであるが、聞ける雰囲気ではもちろんない。
「なんじゃ? ワシは眠いんじゃが」
大あくびで答える幼狐を凍てつくような瞳で睨んで続ける。
「先ほどの話ですが、我々の置かれている立場。我々の要件。そして、書類の説明。これらを夕月夏樹様が書類に記名する前に説明する手はずだったと思われるのですが……」
「えっ、そんなことこれっぽっちも」
黒髪の女性の顔は見えない。後ずさるように逃げる幼狐を追いかけているからだ。
唯、段々と幼狐の顔が強張っていくのを見るとなんとなく想像できた。幼狐の口元が引きつっていくのが、テレビ越しでも伺える。
「その件についてご説明いただけますか……幼狐様」
最後の、『幼狐様』だけ声色が怖い。
「えっ、えっと、離す時間がなくての。あれ以上引っ張ったら小僧が遅刻してたし」
時間がないってそういうことだったんだ。あながち嘘というわけではなかったということか
「まぁ、結果的には遅刻しなかった……けど」
「ほれ、小僧もこう言っているしの。情報を漏洩しない為に小僧の記憶にもちゃんとフィルターをかけておったわけじゃし、やれることはやった――」
幼狐は、気を取り直したように俺に同調して続ける。
幼狐の名前を聞いた時に急に頭の中がスッキリしたのはそういうことか
「卒業式当日に全力疾走はさせられたけど」
言い訳する幼狐の動きが止まった。心なしか冷や汗が見える気がする。
「時間は十分にとっておいたはずです。その時間はどうしたんですか」
「そ、それは――」
幼狐は、歯切れ悪く言う。
「どうしたんですか!」
語尾を強く言われて、幼狐は体をビクつかせる。
「はひっ、そのちょっと油断してて、ウトウトしてたらいつのまにか眠ってしまって……時間がなくなりました!」
また、口調が変わってるよ
もうなるようになれと言わんばかりに幼狐は答える。
「そうですか。まぁ、妖怪誰しも失敗はあります」
予想外の言葉。
この人は、案外真面目なだけで優しい人? なのかもしれない
幼狐もビクビクと俯いていた顔を綻ばせながら顔を上げ――またそこで固まった。
「でも、お説教です」
「ヒーッ」
幼狐の悲鳴を最後にテレビはプッツリと切れた。
「何だったんだろう……」
消化不良というか。置いてきぼりというか
こうして、良く分からないまま俺と異種人の女の子達との同居生活が突如として始まった。
お久しぶりです五月憂です。
いろいろと更新を挟んだとは言え、新作を出すのは2ヶ月ぶりとなりました。
この間、様々な事がありました。特に先日終わった大学祭は大きなイベントでした。初めての大学祭でなかなか疲れましたが、無事終えれて良かったです。いつか、文化祭ネタも書いてみたいですね。
さて、今作でやっと同居が始まるまでの大まかな話は書けたかなと思っています。ゴチャゴチャしそうな部分は地の文でなるべくわかりやすくしてみました。これから、やっと夏樹と異種人娘達の物語が始まります。
次回は、なるべく早く投稿できるよう努力します。
最後になりましたが、「突如始まる異種人同居」-第三話-を読んでいただきありがとうございました。これからも、五月憂の作品をよろしくおねがいします。
【改稿後】
第三話も細かいところの修正です。
変わったところと言えば、幼狐の様子をさらに気だるそうに変えてみました。
幼狐がどういったキャラかうまく伝わればうれしいです。