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第二話 羊の皮を被った狐

ある日、不思議な夢を見た夏樹。

霞がかった世界で、姿なき声の主と語らい一つの書面を交わす夢。

起きてもおぼろげに覚えているぐらいでちょっと変わった夢程度の認識で急いで出かけるのだが、この時、刻々と人生が大きく傾いてきているのをまだ夏樹は知らない。

「やっとここまで戻ってこれた」

 目の前には、数十分前に出た学校の門が立ちはだかっていた。

 まさか、数十分かけてとんぼ返りするはめになるなんて思わなかった。

 ここを突っ切った方が早いのだが、高等部も今日が卒業式だし、そそくさと帰っておいてすぐ戻ってくるのも何だか恥ずかしい。そう思って、俺は校門の中には入らず外壁に沿って歩き始めた。

 やっぱりマンションからだと少し距離があるな

 手に持った地図を見下ろし、一つため息をつく。

 俺がこんな状況に陥っていることを説明するならば、ほんの数十分前に話を戻す必要がある。



 俺は、帰宅時とは打って変わって階段を駆け下り、一階の突き当りの部屋に足早で向かった。

「大家さん! あれは一体どういうことですか」

 俺は、勢いよくドアを開けて部屋の住人に訴えた。

 俺の住むマンションの一号室。それは、マンションの持ち主であり、管理している大家さんの部屋だ。

「誰だよ、うっさいなー」

 部屋の奥から二十代後半ぐらいの若い女性が、頭を掻きながら姿を現した。

 寝起きなのか髪は少しはねており、タンクトップとショートパンツという、部屋着にしてもラフな格好をしていた。

「あんた何て格好で出てきてんだ」

「あたしの勝手だろ。大体、そっちがノックもなしに上がり込んだんだろうが」

「それは……」

 大家さんの発言に俺はぐうの音も出なくなり、入ってきたときの勢いは完全に失ってしまった。

 一方大家さんは、俺の反応に気づいてないのかあるいは興味がないのか、上着を着るでもなくさっさと話を進め始めた。

「でっ、何か用?」

「そうだ、俺の部屋の事で来たんですよ」

 大家さんに言われて、俺は自分が何をしに来たのかを思い出した。

「あぁ、そのことか」

「あぁって、俺の荷物はどうしたんですか!」

 そう、俺が帰宅して部屋を開けると、家具や雑貨、その他諸々が全て無くなっていた。泥棒にしても家具を全部盗むことはないはず出し到底不可能だろう。そう考えると、まず大家さんが関わっているのではといきついたのだ。

「何言ってんだ。こっちこそ困るんだよね、引っ越すなら事前に行ってくれないと」

「引っ越す?」

 引っ越しする予定なんてないぞ

「あれ、お前聞いてないのか? おかしいなぁ。確かに書類も見せてもらったし……まぁ、いいか」

 大家さんは、口元に手を当てて一瞬考える仕草をしたが、すぐに頭の後ろに手を組みかえて、ふいっと俺に背を向けた。

 あっ、面倒ごとになりそうだから考えるのやめたな。

 本当に適当な人なんだから

 今までの関わりで十分分かっていたことだが、改めて大家さんの性格を痛感して頭を抱える。

「よくないですよ。俺これからどうしたらいいんですか」

「それならほれ」

 大家さんは、玄関先にぞんざいに置かれていた一枚の紙を俺に手渡した。

「なんですかこれ。地図?」

「引っ越しの手続きに来た人が置いていったんだよ。そこに書かれている場所に来いだってさ。さぁ、用が済んだのならさっさと出てってくれ、あたしはもう少し寝たいんだから」

 大家さんは、俺の返答など聞きもせずにあくびをしながら部屋の奥に下がっていった。

「やっぱり寝てたのか」

 俺は、これ以上の論争は無駄だということを早々に感じ、地図を片手にしぶしぶ部屋から出ていく。

「おぉ、忘れるところだった」

 大家さんは、折り返し戻ってきて俺を呼び留めた。

「なんですか?」

「鍵、置いてけよ」

 そうして、俺は半年住んだ部屋を失った。



 そして話は、今に戻る。

「この辺りのはずなんだけどな」

 辺りをキョロキョロと見回したり、地図を見つめたりを繰り返しながら、地図に書かれた場所を探している。

 マンションがあった方角とは真逆に位置するこの辺り一帯――というよりこの通りは、古い日本家屋の家や老舗のお店が多く立ち並ぶ地域だ。

「旧家なんかがあるのは知ってたけど、こういう景色が広がってたのか」

 反対側がマンションなどの近代化を辿っていた分こちらの空気は新鮮に感じた。

 さらに言うなら、一つ隣の大きな通りには立派なスーパーも見え、好立地の場所でもある。

 いつの間にか、目的地を探しながらも古き良き街並みを楽しむ自分がいた。

 目移りするような目新しさと出会うのは何だか小さい頃の探検ごっこを彷彿とさせる。表情には出さないまでも心の高ぶりをしっかりと感じつつ歩き回り、遂に俺は一軒の家の前で歩みを止めた。

「……もしかして、ここかな」

 瓦屋根のついた白塗りの大きな塀に格子戸の門。一見しただけだが、今まで見てきたどの家よりも圧倒的に大きな日本家屋だということは分かった。

「表札は……何も掛かってないけど、ここだよな」

 地図と周りの地形を見比べながら、俺は門の前にいつまでも佇んでいた。

 ……ほんとに合ってるよな。でも、勝手に入って違ってたら唯の不法侵入だし――

「あの、もしかして……」

 あれこれ考えるだけでいつまでも門の前に立っていると、ふいに中から声を掛けられた。

 澄んだ声。格子戸の隙間からこちらをうかがうような影が目に映った。

「やっぱりー。お待ちしていました、夕月夏樹さんですよね」

 相手が俺だと確信を得ると、ガラガラと音をたてて門は開かれ、中から一人の女の子が表れた。

 さっきほどの声の主であろう女の子は、流れるような自然な所作で俺の元に近寄り深く頭を下げた。

 その姿に俺は思わず見とれてしまった。彼女を追いかけるようにふわりと舞い上がる艶やかな黒髪は、美しいという言葉では言い表せない程綺麗だと感じた。

「あのー。どうかしましたか」

 気づけば彼女は顔を上げ、俺の顔を覗き込むように顔を近づけていた。

「あっ、あぁ、何でもないです」

 俺は、声を上ずりながら思わず後ろに身じろぐ。

 最初見た時も思ったけど、改めて見るとすごく綺麗な人だ

 腰まで伸びる艶やかな黒髪に相対するように、肌は白く、整った顔立ちをしている。さらに、柔らかな表情と雰囲気がより彼女の綺麗さを際立たせていた。

「そうですか? それなら良いのですが」

 彼女は、にこりと微笑む。

 その表情に心臓が跳ね上がったのを感じた。

 音無さんが無垢な笑顔だというのなら、彼女の笑顔は洗礼された笑顔とでもいうべきだろうか。相手に安らぎを与えるような、正に母親の笑みに近い印象だ。

 そして音無さん同様、男女問わず心を掴む表情。

 そんな素敵な笑顔だった。

「あっ、あの、君がこれを?」

 俺はまた呆けそうになるのをすんでのところで回避して、持っていた地図を彼女に差し出した。

「はい、その通りです――」

 彼女は、俺に門への道を開けるように一歩横に動いて、さらに続ける。

「――あなたをお待ちしていました」



 俺は、さっき会ったばかりの女の子に案内されるまま門の中に入った。

「えーっと、君は」

「そういえば、まだ名前を名乗っていませんでしたね」

 そういうと、彼女はクスクスと笑った。

「?」

「あっ、ごめんなさい。会うのは初めてじゃないのに、まだ名前を名乗っていなかったんだなと思って」

「初めてじゃない?」

 どっかで会ったかな? でも、こんなに綺麗な子だったらさすがに忘れないとおもうんだけど……

「えぇ、今朝も会いましたし」

「今朝?」

「ほら、マンションの入り口でぶつかったじゃないですか」

 マンションの入り口?

 俺は、今朝起きてからのドタバタを一つ一つ思い出した。

「……あぁ! 今朝の!」

 急いでいてすっかり忘れてた

「あの時はすいませんでした」

「いえいえ、お互い怪我もありませんでしたし」

 彼女は、振り向いて言った。

 表情も声色もやはり自然で、気を使って言葉を包んでいる様子はなかった。

 すごく良い子だな

 年は同じくらいのはずなのに、ふと大人に見える。そんな余裕のある雰囲気を彼女は纏っていた。

「えっと、名前でしたっけ。そうですねー」

 彼女は、少し考えて答えた。

「私は、阿冶(あと)って言います。詳しい自己紹介は、また後でゆっくりとすると思うので、今は――いえっ、これからは阿冶って呼んでください」

 そういって阿冶さんは、また歩き出した。

 阿冶さんか

 俺は、心の中で彼女の名を反復した。

 外からでも感じていたけれど、中に入ると改めて大きな家だと感じさせられた。

 和風共同住宅というべきだろうか。簡単な言葉で言うとお屋敷だ。家の中には多くの部屋があり、縁側があり、中庭には小さいながらも池がある。

 ただ、旧家が多い地域だから特別異色というわけではないのだが、柱なんかがが最近作られたように真新しいことは、少し不思議に感じた。

「この家って、最近作られたんですか」

「そうですねー。最近作られたと言えば、最近作られました」

 阿冶さんは、少し考えてそう答えた。

「そうなんですか」

 阿冶さんの答えを聞いて、着いてからの疑問が一層増した。

 こんな家に誰が呼んだんだ?

 阿冶さんはこのうちの人なんだろうけど、上品な物腰からして娘さん? 或いは、案内を任された侍女さんなんだろうか?

 ポンポンと浮かぶ疑問だったが、次の瞬間には弾けた。

 トンッ

 いつの間にか阿冶さんが立ち止まっていて、軽くぶつかった。

 急いで後方に一歩下がり、ペコペコと頭を下げる俺を、阿冶さんはクスクス笑う。

「大丈夫ですよ。それより、先刻からお待ちの方がいらっしゃいます」

 阿冶さんは、障子戸を指して言う。

「俺を待っている? だれが」

「ようこ様です」

「ようこ? ……っ!」

 その名前を聞いた瞬間、頭の中の靄が一瞬で消し飛んだように昨日の夢がフラッシュバックしてきた。

 ……今のは

 まるでずれていた体と魂が再び合致したかのような不思議な感覚。今まで体験したこともないことに目を白黒させていると――

「思い出せましたか?」

 阿冶さんは、俺の身に何かが起こるのを予期していたように言葉をかけてきた。

「これは、一体」

「それも含めて、ようこ様が説明します」

 そう言って、阿冶さんは障子戸を開けた。

 戸の先には十数畳程の大きな畳の部屋が広がっていた。机と言った家具はなく、あるのは大きなテレビと座布団だけ。

 嫌に殺風景というか。ミニマリスト? そんな印象の部屋には、阿冶さんとは別に二人の女の子がいた。

「おー、お前が夏樹か」

「……夏樹?」

 どちらかがようこさんか?

 一人の女の子は、燃えるような赤い長髪と紅色を基調にした和服に身を包んだ俺と同じくらいの背丈の女の子。顔立ちはしゅっとしていて、肌も艶やかで日本人らしい――黄色人らしい少し黄色味がかった肌をしている。ただその眼は、獅子を連想させるような鋭い金眼で、異様な威圧感を与えられた。

 一人の女の子は、赤髪の女の子の影に隠れるようにしてこちらを見ているため良く見えないが、黒髪ショートで小学生の様な体躯をしている。そして、こちらをジト目で見てくる姿が、不思議と愛くるしさを彷彿させている。

 ……そんなわけないか。昨日と話し方も全然違うし

 二人の女の子を見て、すぐにないなと結論を下した。

「えっと、ようこさんは?」

 辺りを見回すもやはり俺と阿冶さんと二人の女の子しかいない。もしかして、阿冶さんが部屋を間違えたのではないかと思っていると、

「なんだよ、あたし達には興味無しかよ」

 赤髪の女の子が唇を尖らせて近寄ってくる。

 距離感の近しい話し方同様に物理的距離も近しい赤髪の女の子。

 ただねっとりと舐るような視線が何か企んでいるようで思わずたじろぐ。

「いやっ、そういうわけじゃないんですけど」

「爛さん、夏樹さんをからかわないでください」

「へいへい」

 爛と呼ばれた赤髪の女の子は、阿冶さんに言われてしぶしぶ置かれていた座布団の上に座った。

 あれ、もうひとりの女の子は?

 爛さんが座ったのを見て少しホッとする一方、ずっと彼女の後ろに隠れていた女の子がいなくなっていることに気が付いた。

「……阿冶、……準備出来てる」

「ありがとう。クロちゃん」

「いつの間に……」

 阿冶さんがクロと呼ぶ少女は、今度は阿冶さんに隠れるように寄り添っていた。

「夏樹さん。こちらに」

 俺は、阿冶さんに促されるままテレビの前の座布団に座った。

「あの、阿冶さん。ようこさんは……」

「はい、すぐに繋げます」

 そういって、阿冶さんとその後ろに隠れるクロちゃんは、俺の後ろ――爛さんの隣に並べられた座布団に座る。

 そして、テレビは付けられた。

「ずいぶん遅かったのう。……小僧」

 まだ、映りきっていないテレビ。そんなテレビから発せられたのは、如何にも不機嫌そうな声だった。

 ……女の子?

 喋り方は老人のようだがその声は若々しい女の子の声で、声色のわりに威圧感のようなハリがある。両極端が絶妙なバランスをとっている。声だけ聴くとそんな印象を与えられた。

 やがて画面が映ると、金糸の豪華な屏風の前に一人の女の子と一人の女性が座っていた。

 女の子は、クロちゃんと同じくらいの幼い体躯で身長ほど長く、触ればふわふわしそうな金色の髪をしている。加えて、真っ白い肌に映えるように赤い鮮やかな着物が強く目を引いた。幼い容姿ながらも、可愛いというよりは綺麗と表現した方が彼女にはふさわしいと感じた。それは、彼女の表情が容姿と比べて、憂いを帯びた大人の表情をしていることも要因の一つなのかもしれない。

 そんな女の子は、畳の上に置かれた華やかな脇息(きょうそく)にだらりと体を預けるようにして座っている。

 また、その隣で正座している女性は、こちらも白い肌をしているが、ショートカットの黒髪に黒のスーツと、全体的に黒色に目がいく。綺麗で整った顔立ちをしているが、無表情で眉間に皺こそ寄っていないが冷たく厳しいイメージを彷彿とさせた。

「えっと……」

 まるで対照的な二人。

 そんな彼女たちにまず何から聞けばいいのか、多すぎて整理がつかないでいた。

「なんじゃ、何をおどおどしておる。テレビ電話ぐらい今時珍しくもないじゃろ」

 金髪の女の子は、めんどくささと不機嫌さを兼ね備えたような声色でいう。

 その話し方はお前だったのかよっと、思わず心の中でツッコミを入れてしまう。

「……あの、ようこさんに会えるって聞いていたんですけど」

 まず、本題として俺を待っているっていうようこさんについて聞いてみることにした。今朝の夢のことも含めて彼女に聞いてみようと思ったのだ。

 しかし俺の問いに答えるどころか、画面の向こうの女の子は一瞬の間を置くと、カッカッカッカッカと、盛大に笑い出した。

 ……何で誰なのかも分からない女の子に、盛大に笑われないといけないんだ

 女の子に対する印象は、しゃべり方も合わせて次第に下降していくのを感じた。

 あーっ、おかしい。そういって女の子は呼吸を整えて、また口を開く。

「わしがようこじゃ」

「はぁ?」

 女の子の言葉を聞いた俺は、口から空気を漏れ出す様に一言そういった。

 今、この子なんて言った?

 女の子の言葉を、脳内で繰り返し繰り返し反復し、はっきりと聞き間違いなく『ようこ』と名乗ったことを認識するまでに数秒もかかった。

「カッカッカッカッカ、何じゃその間抜け面は」

 女の子は、落ち着いたばかりだったのに、俺を指さしながら再度盛大に笑い出した。

 えっ、ようこさんって言えば、もっと落ち着いた話し方で、優しく包み込むような声色の聖女のような人のはず。……間違っても、こんな老人口調で足をじたばたさせながら笑い転げる偉そうな子供のはずは――

「なんじゃ、もしかして小僧は、わしを優しく落ち着いた大人の女子(おなご)と思ってっおったのではないか。ん?」

 女の子の馬鹿にしたような口調と心を完全に読まれていたことに腹が立って、ついつい俺は言い返す。

「だって、昨日と全然口調も話し方も――」

「人を化かすのはワシら狐の得意分野じゃからのう」

 俺の言葉を遮り、偉そうに自慢げに女の子は言った。

 狐? この子は何を言っているんだ

 痛い子を見るような目で見ていると、女の子はどこからか扇子を取り出すと盛大に広げた。赤地に金糸の狐の絵が入った扇子。

「改めて自己紹介しよう。わしは、ようこ。妖界(ようかい)を統べる三妖の一人、九尾の(よう)()じゃ」

 そう言った瞬間。金髪の女の子の耳からひょっこりと可愛らしい狐耳が、腰からは九つに割れた金色(こんじき)の毛色の尻尾が現れた。


 皆さんお久しぶりです五月憂です。

 最初に、小説の更新が遅くなったことをお詫びします。

 今回は、どうにかヒロインを登場させようと頑張りました。まだ、出て来たばかりでどんな子たちか分からないと思いますが、今後も読み進めて頂いて彼女達を知ってもらえると嬉しいです。

 最後になりましたが、「突如始まる異種人同居」第二話を読んでいただきありがとうございました。これからも、五月憂の作品をよろしくお願いします。


【改稿後】

第二話も、誤字脱字など細かいところの修正をしたり、分かりやすい表現に修正しました。

また、前の話が思い出せるように簡易的な前書きも書くようにしました。こちらは、なるべく短く意識して書きました。思い出すきっかけ程度にはなればと思います。

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