第一話 夢現
「……夏……ん」
何か聞こえる
ぼんやりとした意識の中で思う。
ここはどこだ。何をしていたんだっけ
まるで水面に揺蕩うようなどこかフワフワとした感覚の中、自問自答を繰り返すが何も思い出せない。
「……夏樹さん」
まただ。また聞こえる。誰かが呼んでいる
誰だろう。俺の知っている人?
聞き覚えのない声はだんだんと大きくなり、ついにはっきりとその声を聞くことができた。
「夕月夏樹さん!」
「うわっ!?」
耳元で叫ばれたような大きな声に体が反射的に反応する。そして、霞む目をこすりながらだんだんと意識をはっきりさせていく。
「ここは……」
ふらつく体をゆっくり起こして辺りを見回す。
数メートル先すら見えない程の深く霧がかった世界。そんな中に俺は横たわっていた。
「やっと起きてくれましたね、夕月夏樹さん。なかなか起きないから少し心配しましたよ」
辺りを見回し呆けていると、優しく諭すようなゆっくりとした口調の女性の声が聞こえてきた。
「さっきから俺を呼んでいたのは、あなた?」
「えぇ、そうです」
俺は、彼女の声を聴きながらキョロキョロと辺りを見回す。しかし、声の主の姿を見つけることは出来ない。
それは、唯視界が悪いということだけが理由ではない。まるで四方を鏡で囲み反射させているかのように、全方位から声が聞こえてくる。
だから、彼女を見つけることが出来なかった。
一体どこから俺に話しかけているんだ
「あなたは誰で? どこにいるんですか?」
「ようこ。私は、ようこといいます。どこにいるのかという問いに今は答えられません」
声の主は、ようこと名乗った。
「あなたが俺をここに連れてきたんですか?」
「そうです。ここは、私が用意した場所。私と夏樹さんの二人しかいません」
「どうしてそんなことを」
「ごめんなさい。今は詳しくお話しする時間がないのです。だから、単刀直入に言います。夏樹さん、あなたにお願いがあります」
ようこさんがそう口火を切ると、どこからか一枚の紙と羽ペンが落ちてきた。
「真っ白い羽ペンに……うわぁ」
一枚の紙には、小さい文字が夥しい程書き込まれていた。
「その紙に夏樹さんの名前を書いてほしいのです」
「名前を? でも、どうして俺の名前を……」
「ごめんなさい。その質問も説明する時間ないのです」
ようこさんは、本当に申し訳なさそうに小さな声で答えて、さらに続けた。
「お願いします。これは、夏樹さんのためであり、私たちの今後を左右する大事なことなんです。私には、唯夏樹さんにお願いすることしか出来ません。でも、どうか私を信じてください」
「ようこさん……」
ようこさんの姿は見えない。だが、丁寧で必死なその言葉からは、ようこさんの真剣さが容易に想像することができた。
「……わかりました。俺にできることなら協力します」
一切の詳細が開示されてはいない。本来なら確実にお断りするところなのだが、この現状があまりにも現実離れしていたからか、不思議と拒否しようとは思わなかった。
「夕月夏樹っと、これでいいんですよね」
俺は、紙の右端にある余白に自分の名前を書き込んだ。
「はい、ありがとうございます。では、私はこれで失礼します」
ようこさんは、紙を一瞥するかのように少し間を置いてそう答えた。気のせいか、周囲に満ちていた人の気配も遠のいていく感じがする。
「ちょっと! 俺はここからどうやって帰ったら――」
彼女ははぐらかす様に答えた。
「ふふっ、また後程」
その言葉を最後に、俺の意識は遠ざかっていった。
俺はこのままどうなってしまうんだろう
「………」
……夢だったのか
気が付くと、ベッドに横になっていた。
八畳の部屋には、ベッドと本棚とそれから机。殺風景というか、とにかくシンプルで面白みのない部屋。
間違いなく俺の部屋だ。
「不思議な夢だったな」
若干曖昧になりつつある夢だが、まるで聖女のような柔らかい物腰の女性と話したことだけは覚えている。不思議な夢はよく見るけど今日のはまた違った夢だった。
「……そういえば、今何時だ?」
枕元に置いてある電子時計は、薄らと発光して時間を示す。
時刻は、八時三十分。
八時半かぁ……
「……八時半!」
勢いよくカーテンを開けると、太陽はすっかり昇り鳥たちが群れを成して空を飛んでいた。
「やばい。こんな日に限って」
今日は、中学校の卒業式だ。
卒業生は、いつもより遅くの登校になっていたけど、それでも八時四十五分には登校するように言われていた。
俺は寝癖も直さないまま、慌てて制服に着替えると家を飛び出した。
「行ってきます!」
ひっそりと静まり返ったリビングに、俺の声は消えていく。
階段を二段飛ばしで下りつつ家と学校の距離と時間を逆算する。
俺が住んでいる場所は、学校から十分程離れた場所にあるマンションの五階。
学校との距離と家賃を考えて半年前に引っ越してきたばかりだ。
一階まで降りきって時計を確認すると、残り時間はあと八分程しかなく、もう遅刻に片足を突っ込んでいる時間だった。
こんな日に寝坊しなくてもいいのに
寝坊した自分を恨みながらマンションの出口に向かった。
ドンッ
丁度マンションを出たところで、中に入ろうとした女性にぶつかる。
「きゃっ」
「うわっ、すいません。急いでて」
黒く艶やかな長髪。顔まで見る余裕はなかったが、綺麗な人だってことはなんとなくわかった。
「いえ、大丈夫ですよ」
女性は、手を振りながら無事を知らせる。
「本当にすいません」
女性に軽く頭を下げ、急いで学校に向かった。
『本当にすいません』
そう言って走り去っていく夏樹さんを、私は一歩も動かずに見送った。
「おいおい、気いつけろよな」
頭の後ろで手を組んだ女性がぶっきらぼうに言い、
「……大丈夫?」
立ったまま動かない私の服の袖を、小柄な少女がクイクイと引いて心配する。
「ええ、大丈夫。ありがとね」
小柄な少女の黒髪を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。
「それより――」
私は、夏樹さんが走り去った方向にもう一度視線を送る。
「どうかしたのか」
「いえっ、何でもないです」
私は、ふふっと小さく笑い、マンションの中に入った。
卒業式は驚くぐらいあっと言う間に終わった。
「何とか卒業式には間に合ったけど、さすがに疲れたな」
校門に向かいながらそう漏らす。
校庭や廊下には在学生が卒業生を送っていたり、卒業生同士で打ち上げに向かったりと楽しそうにしているが、特別部活に入っていたわけでもない俺には、わざわざ卒業後の余韻を分かち会おうと思うような相手はいなかった。
もちろん部活や仲の良かった後輩と話している友人の邪魔をするほど野暮ではない。おとなしく帰るのが吉なのだ
「夕月くん!」
そう思っていると、急に背後から呼び止められた。
その声は、とても聞き覚えのある声だった。
振り返ると、肩まで垂れ下がったさらさらと綺麗な黒髪と、小柄で華奢な体躯が目に入った。
「音無さん、何か用?」
音無春乃。俺と三年間同じクラスだった同級生だ。しっかりしているようでどこか抜けている行動が愛らしく、男女双方から人気の女の子。俺にも気軽に話しかけてくれる数少ない女の子だ。
「え、えっと、ごめんね呼び止めちゃって。特別用事があったわけじゃないんだけど、……もう帰るの?」
音無さんは、あたふたしながら顔を赤く染めていた。
どうしたんだろ音無さん。そんなに慌てて
「まぁ、そうだけど」
「そっかー、じゃぁ、私も途中まで着いていっていいかな」
「いいけど、大丈夫? 音無さんの家ってこっちと逆じゃなかったっけ」
「あっ、うん。そうなんだけど。……覚えててくれたんだ」
「偶々だよ。偶々」
別に後ろめたいような事ではなく、単純にそう言う噂を男子生徒の間で耳にしていただけだったのだが、音無さんが不快に思うかもしれないからそう濁した。
「そっか、そっか……」
音無さんは、手を口元で組んで嬉しそうにする。
こういうところが万人受けするんだろうな
本人が無意識だからこその純粋な愛らしさ。
まぁ、その分勘違いする男子が後を絶たず、玉砕したやつを何人も知ってるから俺はそう言う風にはとらないんだけど
「じゃぁ、どうして」
「友達を待ってる間暇なんだ」
「あー、なるほど。まぁ音無さんが良いなら良いよ」
「うん!」
音無さんは、パッと可愛らしい笑顔を浮かべてうなずいた。
「そういえば、音無さんは後輩と話しとかしてこなくてよかったの?」
「うーん、いいかな。卒業してもいつでも会えるし。今生のお別れってわけでもないから」
音無さんの意見は、聞きようによってはドライな意見のようにも聞こえるがそう言うわけでもない。
俺たちが通っている如月学園は、幼稚園から大学までの機関がそろった超大型の学園なのだ。それ故に、外から生徒が入ってくることはあっても、外へと進学する生徒はそういなかった。
もちろん俺や音無さんも卒業後は如月学園の高校に通う。だから、音無さんの言うように卒業したからと言って、後輩や友達と会いづらくなることはないのだ。
「そうなんだよな。卒業したっていう感覚があんまりわかない」
「そうだよねー」
「「………」」
音無さんの共感と共に会話が途切れた。
思えば音無さんと二人きりで話すというのはこれが初めてだ。だから、というわけではないが、変な緊張で会話が弾まない。
その愛らしい一挙手一投足に勘違いをしているわけではないけれども不思議と心拍数が上がっていく。
「……はっ、春休みは何かするの」
足音すら心音がかき消してしまいそうになった瞬間、音無さんは思いついたように話題を振った。
「うーん、バイト探しかな」
「高校に進学したらバイト始めるの?」
「まぁ、これ以上おじさんやおばさんに迷惑かけられないし。家賃も自分で払おうと思ってたから。出来るだけ自分の事は自分でどうにかしないと」
「そうなんだ、えらいね。やっぱり夕月君は――」
音無さんは、口に手を当ててぼそぼそと呟いた。
「何か言った?」
「ううん。何でもないよ」
身振り手振りを激しくしながら否定する。
「すごいね達観してるって言うか、私なんて周りの人に頼りきりなのに」
達観か……。この考え方を達観と呼んでいいのだろうか
ほの暗く、ドライで、冷めきっている。根底にあるのはもしかしたらそんな気持ちなのかもしれないのに
ふと、そんなことが気になって表情がかげるのを自分自身で感じた。
「……そういえば、音無さんはなにか予定とかあるの?」
もやつきを振り払うように、今度は俺から音無さんに話題を振った。
「私はお母さん達の実家に春休みいっぱい行く予定なんだ」
「そうなんだ、実家って遠いの?」
「そこそこね。京都なんだ」
音無さんは、楽しそうに京都の話をしてくれた。
……
「……いつの間にか校門か」
色々話題を広げて話している内に、気づけば西門へとたどり着いていた。
「じゃぁ、また入学式で」
「うん。えっと、……あの」
「ん?」
「……なんでもない。夕月君、また入学式でね」
そういうと、音無さんは門の中に走り去っていった。
「どうしたんだろ」
俺は、頭を捻りながら帰路に足を運んだ。
帰りは、朝よりゆっくりと時が過ぎていくように感じた。慌てふためいていたからか、それとも音無さんと話している時間が楽しく、あっという間に時間が過ぎ去ってしまったからかは分からない。ただ、すごくゆっくりでつまらなく感じた。
「帰って何しようかな」
口には出すが、特別思案しているわけではない。
買い物に行って、ご飯を食べて眠る。
いつものルーティン。何も変化は起こらない。
起こりようがない。
そう、心のどこかで思っているからだ。
やがてマンションが見えてきた。
「はぁー、やっと着いた」
もう半年も通学しているのに、倦怠感が堪らなく押し寄せてくる。
足取りは重く、タンタンタンという足音を無駄に響かせながら階段を上り、部屋の扉を押し開ける。
「ただ、ぃ――」
ただいま。
たったその一言を、俺は最後まで言い切ることが出来なかった――。
皆さんこんにちは五月憂です。
「突如始まる異種人同居」第一話を投稿させていただきました。
今回忙しくて投稿が遅くなったりしましたが、これからはもう少し早く投稿できるように頑張ります。
また、初見さんも多いと思うので予定の半分くらいの量にしましたが、これから慣れていったら分量を増やそうと思っています。(思案中のため、文の長さのついて何かあれば遠慮なく言ってください。)
最後になりましたが、「突如始まる異種人同居」第一話を読んでいただきありがとうございました。これからも、五月憂の作品をよろしくお願いします。
【改稿後】
第一話につきましては細かいところの表現を変更したり、行を詰めたりしました。
より読みやすくなっていると幸いに思います。