無職から助手へ その3
私が暮らしていた児童養護施設、桔梗学院は都心から北のほうへ離れたところに位置する。
葉桜探偵事務所の最寄りの駅から十三駅で二時間半ぐらいかかった。
有り体に言えば田舎にあるけれど、何もないところが田舎の魅力であり、醍醐味であることは語るまでもない。
大人になって都会に出てきたけれど、一番安らぎを感じていたのは桔梗学院にいた頃だった。
駅から歩いて四十分。タクシーを使いたいところけど、出費がかさむと今後の生活に支障がきたすので徒歩だ。節約しないといけないしね。
駅前の業務スーパーでお菓子類を大量購入して、それから歩き出す。ローファーからいつも履いている靴に履き替えたので靴擦れをすることはない。
「しっかし十月だっていうのに、暑いなあ。地球温暖化のせいかなあ」
この暑さのせいでナメクジのようにのろのろ歩いていく。なので四十分の道のりが一時間以上かかってしまったのは仕方がないことだと思った。
桔梗学院に到着したのは四時四十分。ギリギリ間に合ったって感じかな。
桔梗学院の外観は昔と変わっていない。けれど、ところどころ普請が必要だなあと感じる面も素人目に見ても多い。
まあ昭和の時代からあるからしょうがないなあ。
玄関に入ってすぐに院長の姿が見えたので「院長、お久しぶりです」と声をかけた。
「ああ、めぐみちゃん。久しぶりですね。就職先が決まりましたか?」
子供に語りかけるような優しい口調。高森院長は私のお母さんみたいな存在だ。
四十代後半の年齢なのに三十代前半に見える見た目。柔和な笑み、銀縁メガネが特徴的な、とても可愛らしい女性だ。
「ええ。決まりました。探偵事務所の助手です」
「……これまた珍しいところに就職しましたね。おめでとう」
驚きながらも祝福してくれるのは嬉しかった。私はてっきり、怪しくありませんか? とか訊かれると思ったのに。
「めぐみちゃんが決めたなら何も言いませんよ。あなたは誰にも縛られることなく、のびのびと生きてくれればいいのです」
大人らしい一言だ。こんな大人になることが今後の目標だ。
「ありがとうございます。そうそう、お菓子買ってきたので、みんなで食べてください」
お菓子を渡すとにっこりと笑って「ありがとうございます」と言った。
「すみませんね。毎回毎回。何もお返しできなくて心苦しく思っていますよ」
「お返しなんていいんです。お世話になったお礼ですから」
恩返しの気持ちでやっているから、遠慮とかされるのが一番困る。
「それにめぐみちゃんは毎月寄付してくれるんじゃないですか。それも申し訳なく思っているんですよ」
私は給料の五分の一ほど、桔梗学院に寄付している。今まで育ててくれた恩を少しでも返したいと思ったからだ。
桔梗学院の経営が危ういことも理由の一つだ。
「別に構いません。私がしたくてしたことですから」
「そうですか……本当にありがとうございます。ああ、そうだ、せっかくですからお夕飯を食べてください。分かっていると思いますが七時に――」
「いえ、院長。明日から仕事なのでお誘いは嬉しいのですが……」
私はやんわりと断ると「そうですか」と残念そうな表情をした。
表情豊かな人だなあと改めて思った。
「では少し待ってください。私が車で駅まで送りますから。それまでお祈りをしていきますか?」
「はい、していきます」
そこで私は院長と別れて教会に向かう。児童養護施設に教会があるのは珍しくないけど友達との会話で「珍しいねえ」とよく言われる。
教会に入って誰もいないことを確認すると十字架に向き合い、祈りを捧げる。
ちなみに私はキリスト教徒ではない。洗礼を受けていないのだ。それでも教義や作法は一通り習っているので祈ることはできる。
なぜ入っていないのかと言うと、なんとなくとしか言い様がない。
タイミングを逃したというか。
まあそれでも神に祈ることが無駄になることはない。信仰の自由は日本国憲法にも明記されているのだから。
手を合わせて一心不乱に祈っていると後ろから気配がした。
すっと振り返ると小学生の男の子と女の子たち四人が忍び足で私に近づいてきていた。
「あ、めぐ姉気づいた?」
「たけちゃんのせいだよー」
「何をー! お前のせいだろ!」
「けんかは良くないよー」
一気に教会が騒がしくなる。
「はいはい、静かに。神様の前だよ」
そう注意するとぴたりと喧騒は止んだ。
「めぐ姉、仕事クビになったってホント?」
「誰から聞いたのかな? でも安心して。もう次の仕事は決まったから」
私の言葉に四人が「すっげー!」と声を揃えていった。
「今、就職氷河期なんでしょ! よく決まったねえ」
「そんな言葉、どこで知ったの?」
「うーんとね、荒川のお兄さん! この前、またクビになったって言ってた」
なんだあいつまたクビになったのか。
「しょうがないなあ、あいつは。そろそろ身を固めたほうがいいだろうに……」
「めぐ姉は今日は一緒に、ご飯食べてくれるの?」
その質問に私は「残念だけど無理」と答えた。
「明日からまた忙しくなるから。また来てあげるよ」
「ええー!」
声をあげてぶーぶー文句を言ってくる。私はどうしようか困っていると、入り口のほうから「困らせてはいけませんよ」と院長が言ってきた。
「めぐみちゃんはあなたたちのためにお菓子を買ってきてくれたんですよ。まずはそれに感謝しましょう」
院長の言葉に「やったー! お菓子だ! ありがとうめぐ姉!」と喜ぶ子供たち。
その笑顔が見られて、私は満足した。
「車の準備ができましたよ。駅まで送りますから乗ってください。さあ、みんな、お別れの挨拶をしましょう」
院長の声に子供たちは「はーい」と声を合わせて元気よく答えた。
「めぐ姉、さようなら!」
「じゃあまたね。今度は時間作るから、一緒にご飯食べようね」
そう言い残して教会を出て、院長と共に車のほうへ移動する。
「助手になられるということは、いずれは探偵になるつもりですか?」
車に乗り込むとすぐに院長はそう尋ねてきた。
「いや、そんな気はありません。助手といっても家政婦と変わりませんよ」
そうはいったものの、仕事もしていない段階で答えるのはフェアじゃない気がする。
車が敷地内を出て道路を走る。
「実は私、探偵小説が好きなんですよ」
ハンドルを切りながら、唐突に喋りだす院長。私は意図が分からないので「はあ……」と気の無い返事をしてしまう。
「探偵小説や推理小説での助手の役割は探偵と読者の橋渡しです。ですので狂言回しや語り部を担ったりするんですよ」
まあ確かにそうかも。シャーロックホームズも、助手のワトソンが語り部だったっけ。
「特に一人称小説の場合、探偵が語り部だと心情を表す地の文で犯人が誰か分かってしまう。そういうことを避けるがゆえに助手が語り部になるんですね」
「言われてみればそうですね。でも探偵の一人称小説でも成立しません? 閃いた瞬間に言葉に出して言うとか」
私の適当な反論に「そうですねえ」と答える院長。
「たとえば探偵が語り部の小説と助手が語り部の小説があるとして、どちらが書きやすいと思いますか?」
小説どころか作文すら満足に書けない私に対して、その質問は難問だけれど、どちらかと言えば――
「助手のほう、ですか? よく分かりませんけど」
「そうなんですよ。私も趣味で書いたことがあるんですけど、圧倒的に助手のほうが書きやすかったんです」
「えっ? 院長って小説を書く人ですか?」
日本語が不自由になるくらい動揺してしまった。そんな風に見えないのに。
「趣味の範囲ですよ。高校生の頃、文学部に所属してたんです。昔のことです。今はもう書きません」
「どうしてですか? 院長の書いた小説、興味あるんですけど」
「それはですね――嫌気が差したからです」
院長は微笑みを崩さずに答えた。
「嫌気、ですか? 書くことが辛くなったからですか?」
院長は「違いますよ」と首を横に振った。
「内容です。いかにして人を殺すか、殺人に至る経緯、そして動機、被害者の描写、加害者の心情。これらを考えるのに嫌気が差したからです」
院長は真面目なところがあるから、たとえ想像の中でも人を殺すのは忌避すべきことなんだろう。
院長は言わなかったけど、敬虔なクリスチャンということも理由の一つかもしれない。
「めぐみちゃん、探偵の助手になるってことを深く考えていないんじゃあないですか?」
話が急に飛んだので戸惑ったけど、私は落ち着いて「まあ考えていませんが」と言う。
「まさか推理小説みたいな事件なんて現実に起こることありませんし――」
「分かりませんよ。予期できないことだらけで構成されているのが『世界』なんですよ」
「話のスケールが大きくなりすぎでは?」
話の流れがなかなか見えてこないので少しじれったく感じた。
「院長は私が助手になるのを反対しているんですか?」
「違いますよ。私が言いたいのは予期しない出来事を常に考えることが重要だと言いたいんですよ」
自然と厳しい声になる院長。これは説教になるのかも。
「予期しない出来事。めぐみちゃんが家政婦をクビになったのだって予期しない出来事ですし、助手になることも予期しない出来事です。もっと言えば、ハローワークで探偵の助手になるように薦められたのも予期しない出来事です」
「まあ、家政婦の件は予期しませんでしたけど、他の二つは自分で決めましたよ」
「はたしてそうでしょうか?」
院長が何を言いたいのか、だんだんと分からなくなってきた。
「私が言いたいのは、世の中甘くないってことです。何気ない日常においても大きな力が働いていることがあるということも肝に銘じておくこと。これが今日の課題です」
出た課題だ。桔梗学院に居た頃を思い出すなあ。
「課題はしたほうがいいんですか?」
「それは自由です。答えるのも答えないのもめぐみちゃんの自由。あなたはもう、大人なんですから」
やれやれ、やっぱり院長には敵わない。大人扱いと子ども扱いを同時にやってくるんだから。
「はい、到着しました。それではまた会いましょう」
簡単に別れの挨拶と再会の約束をして院長は去っていった。
自分のマンションの最寄り駅を少し越えるくらいの金額をチャージして改札を通る。
「何気ない日常への大きな力、か……」
その言葉は私の耳に残り、反響していったけど、その言葉の意味を理解したのは、これからずっと後のことだった。




