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無職から助手へ

「砂原めぐみくん。すまないが君にはこの家政婦紹介所を来月で辞めてもらう」

 解雇通知書を手渡されながら、福井所長にそう言われたのは先月のことだった。

 私は当初、何を言われたのか理解できなかった。理解不能だった。

 勤務態度に問題はないはずだし、遅刻どころか早退すらしたこともない。

 対人関係も良好だ。他の家政婦たちと揉めたこともないし、雇い主の人たちともトラブルを起こしたこともない。

正直言って、この紹介所の誰よりも真面目に丁寧に仕事をしてきたはずだ。

解雇される理由が分からない。

というより見当たらない。

「確かに君の言うとおりだ」

 福井所長は気の毒そうに私を見つめた。

「君はとても有能だ。優秀だ。おそらく、いや確実にこの紹介所の中でもっとも優れた家政婦だろう」

「だったら、どうしてですか! どうして私が辞めなければならないんですか!」

詰め寄る私に福井所長は気の毒そうに告げる。

「君は優秀すぎるんだ」

「……優秀すぎる、から?」

 なんなんだ、その理由は。そんな理由で納得できる訳がない。嘘だと言ってほしい。

「嘘など言うものか。君の勤務態度は文句のつけようがない。それが問題なんだ」

 福井所長は苦渋の顔で説明をし始める。

「君の知ってのとおり、この紹介所では長期に渡って家政婦を雇わせることはしない。一ヶ月ぐらい、長くて三ヶ月ぐらいの間隔で家政婦を異動させる。君だってこの三年間、十数軒の家で家政婦を務めてきただろう。その目的は家政婦と雇用主の癒着の防止するためだ。またプライバシーの侵害にならないようにすることもある。まあ、そういった理由でこの紹介所では短期中心で色々な職場で働いてもらっている」

 それは重々承知している。初めての頃はせっかく親しくなれた雇い主やその子供たちと別れるのは辛かった。けれど、だんだんと仕事をこなしていくうちに慣れていった。

「それが、どうして私の解雇に繋がるんですか?」

「さっきも言ったとおり、君は優秀すぎるんだ」

 福井所長は手元にあった紙の束、資料を見ながら言う。

「最近で言うと――小林さんのケースだ。こんな苦情が伝えられた。『なぜ砂原めぐみさんのように丁寧な仕事ができないのか』次に近藤さんだ。『砂原めぐみさんは完璧に仕事をしてくれたのに、どうして今度の家政婦はできないのか』と。他にも多数の苦情が出てきている。すべて君が担当した家からだ」

「……そんな苦情が来ているなんて知りませんでした」

 そりゃそうだろうと福井所長は頷いた。

「君には一切伝えていないからな。とにかくこれがただのクレームだったら良かった。仕事ができないというのなら教育すればいい。改善すればいい。しかし、プロの仕事ではなくプロ以上の仕事をされたら他の人間の立場がなくなってしまう」

 プロ以上の仕事。

まるで自覚がなかった。

「私はただ、一生懸命に働いたつもりだったんですが――」

「分かっている。君が真面目に働いていることは苦情のおかげでよく分かっている。しかし――君はやりすぎた」

 福井所長は資料から目を離して言う。

「いくら何でも雇用主の子供の学力を底上げしたり、料理人顔負けの料理を作ったり、埃一つない掃除を毎日行なったりするのはやりすぎだ。しかもすべて勤務時間内に。言っておくが君の後任たちが無能というわけではない。職業訓練を受けた人たちであるし、君よりベテランの人間だっていたんだ」

「で、でしたら、私はどうすればいいのでしょうか? 手を抜けとでも言うんですか?」

「だから――解雇するんだ」

 福井所長は頭を掻きながらきっぱりと宣告した。最後通牒のように。

「君みたいな突出した技能を持った人間は他の人間の評価を著しく下げる。そしてその評価は紹介所全体の問題になる。今は噂程度だが大きく取り出される前に辞めてもらったほうがいいと私たちが判断したんだ」

「そ、そんな……」

「だから砂原めぐみくん」

 福井所長は――言った。

「君は今月一杯で辞めてもらうことになる。これは決定事項だ」

「……はい、わかりました」

というわけで解雇されてしまい、現在は無職になってしまった。

残暑厳しい九月のことだった。

 それで九月中は一生懸命職務に従事してきた。そのおかげで最後の仕事となった東さんの家政婦も何事もなく終わった。

時間とは残酷なもので楽しい時間ほど凄く短く感じる。また嫌な時間が近づくほどこれまた短く感じる。

私にとって家政婦という仕事は天職だと思う。高校を卒業してから三年間、一度も休むことはなく、誠実に仕事を行なってきたことを思えば、天職だったのだろう。

だから失業保険で生活支援金が貰えるからそんなに焦って仕事を探さなくてもいいのだけれど、それでも仕事がしたかった。

仕事がしたくてしたくてたまらない。

私の生い立ちと現状もあるのだけれど、誰かの役に立つ仕事は自分の存在価値を認めてもらえるようで、とても嬉しかった。

ワーカーホリックなのだろう。趣味と実益が上手く重なったことで、目を背けていたのだけど、仕事大好き人間になってしまったらしい。

まあ解雇されるのもしょうがないなあと思った。

何事にも真っ直ぐ真面目に真剣に取り組むのは美徳だけれど、それで周りのことが見えてないのは自己中と何ら変わらない。

率直に言えば、私を解雇した福井所長を恨んだりしていない。

普通だったら恨んだり憎んだり怒ったりするべきなんだろうけど、そういった気持ちは生じてこない。皆無である。

本当だったらそのような感情のままに福井署長らの紹介所を訴えたりするべきなのだろうけど、そんな気はさらさら起きない。

貯金はあるとはいえ、裁判に訴えるくらいの財力はないし、あったとしてもしない。もったいないし、それだけあったら、私が暮らしていた児童養護施設に寄付をしたほうがいい。

まあ、それ以前にすでに許しているからということもあるのだ。

福井所長も同僚の家政婦も苦情を寄せたこれまでの雇い主さんもすべて許している。

昔からこうだった。小学生の頃のスカートめくりをした男子を怒ったり、中学生の頃に喧嘩した相手のことを怒ったりしたことはない。ポーズとして怒りの姿勢を見せたことはあったが、本心で怒ったことはない。

喜怒哀楽の怒りの感情がないのだ。薄いとかじゃなくて、全くない。

枯渇しているのだ。

これに気づいたのは高校生のときだった。

初めて自覚したときは自分のことながら気味悪く感じたものだ。

だってそうでしょ?

感情が欠落しているなんて!

カフカの『変身』じゃないけど、ある日気づいてしまったら今までの自分に戻れない。

 もう戻れないのだ。

 こんな欠落人間がまともに生活できるわけがない。というわけで仕事に没頭する羽目になり、職を失う羽目になってしまったのだ。

 本末転倒とはまさにこのことだ。

 こんな自分を変えなければいけないんだろうなあと思いつつ、どう変えていけばいいのか分からないので、そのままの自分でいるのだった。

 カウンセリングなんかで治るものでもないからなあ。

 まあ私のことはどうでもいい。いや、どうでもよくないけど、話が進まない。

 私なんかより語らなければならない人がいる。

 その人と出会うきっかけを今まで長々語っただけだ。

 解雇されたことがきっかけで私はその人と出会うことになったのだ。

 その契機は職探しのためにやってきた公共職業安定所、いわゆるハローワークでの会話が物語の始まりとなる。

「えー、砂原めぐみさん。年齢は二十一歳で希望職種は家政婦、ですか」

 担当の片倉さんは履歴書と離職票を見比べながら確認するように言ってくる。ぼそぼそした話し方だったが、私は前の仕事柄、そのような話し方をする人に慣れているので聞きにくいなんてことはなかった。

 片倉さんの見た目は五十代後半といった感じ。髪は白と黒が混在した色で、短く整えていた。

 顔色は少々悪そうだけど、真面目そうな印象を受けた。これなら良い仕事を取ってくれそうだと期待できるなあと思った。

「会社都合退職ですか……失礼ですが、なぜ退職されたんですか?」

「えーっと、実は――」

 退職までのいきさつを誇張もなく話すと、「ふうん。そうですか……」とあっさりした様子でバインダーにまとめてあった資料をぱらぱらとめくる。

「私の考えですが、長期に渡っての家政婦、十年二十年単位の家政婦なら、解雇されることはありませんね」

 まあその通りだろう。いいところがあればいいのだけれど――

「ああそうですね、おすすめの仕事場と決しておすすめできない仕事場、どちらがよろしいですか?」

 おすすめできない仕事場?

「なんですかそれ? 逆に興味が出てきますね」

「興味がおありですか? 一応先におすすめの仕事場を紹介しますね」

 おすすめの仕事場は家政婦の紹介所で、前の職場より少しだけ賃金が上乗せされる金額が提示されたものだった。

 これなら孤児院の寄付が滞ることはないだろう。

「ああ、これいいですね。確かにおすすめされるのは分かります」

「でしょう? 他にも候補はありますが、給料と待遇の面ではこれが最高だと思います」

 仕事ができれば何でもいいけど、給料も多い方が良いのは言うまでもない。

 先立つものは必要だしね。

「なるほど。で、おすすめできない仕事場とは?」

 私はほとんど片倉さんがおすすめする仕事に決めていたので、まあ一先ず聞いておくかぐらいの気持ちで聞いてみる。

「探偵事務所の助手です」

「はあ? 探偵事務所?」

 小説や漫画、それとアニメぐらいしか見聞きすることはない単語だ。

 不思議に思っていると片倉さんは「そう。探偵の助手ですね」と答えた。

「興味ありますか?」

「まあ、興味は出てきましたけど、助手って具体的に何をすればいいんですか?」

「探偵事務所の掃除などですね。家政婦と何も変わらないですよ」

 片倉さんはバインダーを逆さに持って、読めるように私に差し出した。

 ふむ。仕事内容は探偵事務所の掃除などと書かれている。年齢、性別、学歴は不問のこと。週五日勤務で時間は不定。土日は休みで給料は――っ!

「こ、これってホントですか! こんなに貰ってもいいんですか!」

 とんでもない金額が提示されているのに驚く私。だってさっきのおすすめの三倍近いから。

「ええ。給料は良いのです。時間が不定になっているのが原因ですね」

「それにしても、この金額は……」

 これだけ貰えたら子供たちに好きなものを買ってあげられる。児童養護施設に新しい遊具を持ってこれる。

「どうしておすすめではないんですか?」

「……面接を受ければ分かりますよ」

 なぜかここで言葉を濁した片倉さん。

 少し疑問に思ったけど、そんなことはどうでもいいぐらいの金額だった。

「あの、これ受けてもいいですか?」

 私の言葉に片倉さんは眉をひそめた。

「受けるのは構いませんがおすすめできませんよ?」

「片倉さんから薦めてきたんでしょう?」

「ええ。ですからおすすめできないと言いました。一応聞いたのは上からの指示なんですよ」

 上からの指示?

「条件に合った方にとりあえず薦めること。それが上からの指示です。条件とは家政婦や介護などの奉仕系の職種の方ですね。ですので砂原さんに薦めたというわけです。しかし――」

 片倉さんは一旦言葉を切って、迷うように話し出す。

「今まで受けた人間はかなり多いのですが、すぐに辞めてしまうのですよ。それに面接で自ら辞退する人もいます」

「面接で自ら辞退……ですか?」

 普通は雇用主が判断するはずなのに、自分から辞退するってよっぽど……

「劣悪な職場ではありません。劣悪な人物が居るのです」

 私の思考に割り込むように片倉さんは訂正する。

「私も本人に会ったことがあるのですが、素直な感想を言えば、絶対に上司にしたくない人物でしたよ」

「そこまでですか? でも探偵事務所には他にも人がたくさんいるんじゃあ――」

「いえ、一人だけです」

 片倉さんは説明するのもはばかるのか、とても嫌そうに語る。

「たった一人で都心の一等地に事務所を構えて、二十五歳という若さで事務所の所長になって活躍する。しかしながら人格に問題がある若き探偵――」

 そこで片倉さんはシニカルに微笑んだ。

「桜川元春。人呼んで差別男と呼ばれています」

 差別男? 

嫌なあだ名だなあ。

「どうですか? 本当に、お受けになりますか?」

 私はほんのちょっと悩んで――

「はい、是非受けさせてください」

 と答えた。

 このときの私は『嫌だったら辞めればいいや』ぐらいの気持ちで、軽い気持ちで考えていた。そのくらい給料もいいし、土日は休めるし、時間は不定だけど、それくらいは許容範囲だった。

 仕事は自分の存在価値を認めてもらうための手段だけれど、それと同じくらいお金は必要だった。

 私の夢に近づくために、お金は必要だ。

 このときは自分のことしか考えていなかった。

 だけど、あんなエキセントリックな人間がいるなんて、想像すらしなかった。


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