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五導の賢者   作者: アイクルーク
六章
76/91

終わる。始まる

 

「チェック」


 俺はその宣言と共に木彫りの駒を進める。

 王都に戻ってきてから一ヶ月、もう随分長いこと平和が続いている。

 皇と模擬戦を行ったりして鍛えてはいるがそれも午前中の間だけ。

 俺は午後のこの世界に来てから数少ない、自由な時間をラノンと共に過ごしている。


「えーと、ここがルークにかかっているので‥‥」


 俺と対面して座るラノンは手製の盤面と必死に睨めっこしている。

 この世界には娯楽が少なくラノンとの時間の過ごし方に困ったのでチェスを教えてみたところ、ラノンはものの見事にどはまりした。

 一応この世界にもチェス風のゲームはあったのだが定石が確立し過ぎていて、どうにも俺としてはつまらなさを感じてしまう。


「では、これで」


 ラノンはルークとキングの間にビショップを挟んでくる。

 守りとして打ったビショップがもう片方のルークに睨みを利かせており、思うようにルークを動かすことができない。

 このルークでビショップをとるのは損だし、ナイトをとりにいけば別のルークがとられる‥‥


「上手いな」


 無意識のうちに口走っていた。


「本当ですか?」


 ラノンは盤面から目を離すと俺と顔を合わせる。

 なんとなく集中の途切れた俺は保留にしておいたエグい一手を打つ。

 打たれてから少し考えてからラノンは目を見開いて硬直する。


 もう気づいたのか。


 俺は背もたれに体を預けると温くなった紅茶に口をつける。


「そんなところに穴があったなんて‥‥私もまだまだですね」


 ラノンも疲れたのか盤を見ることを止めるとバケットに入ったクッキーを一枚手に取る。


「俺はこれでも元の世界ではチェスは強かったほうだ。始めて数週間でその強さはなかなかだと思うぞ」


 平和っていいな‥‥

 俺が丁度そんなことを考えた時だった。




 そんな平和に終わりを告げる鐘の音が城中に響き渡る。









 甲高く鳴り響く鐘の音。

 それはまるで誰かの悲鳴のように耳に残り、城中を戦慄へと誘う。

 俺とラノンが顔を見合わせながら固まっていると部屋の中にリアとグレイスが飛び込んでくる。


「ラノン!!」


「二人とも、何があったかわかりますか?」


 グレイスは防具無しでシルフィードのみ、リアにいたっては小杖すら持ってきていないように見える。

 慌ててきたのが丸分かりだ。


「うんうん、わかんない。けどこれって‥‥」


「えぇ‥‥おそらく」


 ラノンの顔にはさっきまでにはなかった焦りが見られ、どうするべきかを必死に考えている。

 城の屋上にある鐘が鳴る、それは魔族や魔物の襲撃の合図だ。

 だが、今は魔王討伐に向けて各地から戦力が集まっている状態。


 ‥‥この状況で攻めてくるってことは、それ相応の戦力があると考えるのが妥当か。


「まずは状況を把握しよう。ここで考えていても拉致があかない」


「‥‥そうですね」


 ラノンは少し時間を置いてから首を縦に振る。

 こうなった以上、時間の浪費は死に直結する。

 俺は近くに置いてあったクインテットを手に取ると入り口へと走り出す。

 部屋を出たところで共に走っていたリアと並走する。


「リア、お前はとりあえず装備を整えろ。そのままじゃ戦えない」


 いくらいつ襲われるかわからない状況とはいえ、武器を持たない護衛に価値はない。


「う‥‥わかったよ」


 次の分かれ道でリアだけ左に曲がる。

 通路には慌てながら走り回っている兵士達の姿が見えるが、その顔を見る限り詳しい状況はわかっていなさそうだ。


「また‥‥魔人が来たのでしょうか?」


 こみ上げてくる不安に耐えきれなかったのか、ラノンは手にしていた大杖をギュッと握りしめながら訊いてくる。


「下手したら魔王もいるかもな」


「えっ‥‥?」


 ラノンは信じられないと言いたげな顔で俺を見てくる。

 ラノンの不安を煽ってしまったようだが、おそらくその確率は高い。

 この段階まできた王都を襲撃するということはおそらく総力戦。

 あっちの最高戦力となる魔王がいない方がおかしい。

 開けっ放しになっていた広間の扉をくぐり抜けると、そこには数百という兵士達が隊列していた。

 その光景を見ていると戦争が始まるという実感が湧いてくる。


「おい、今どういう状況からわかるか?」


 俺は隊列している兵士の一人を捕まえる。


「なんだおま‥‥賢者様!?」


 その叫び声で周りの兵士の視線が俺に集中する。


「いいから早く説明しろ」


「は、はい‥‥北の大森林から大量の魔人が魔物を率いて王都に向かっているとのことです」


 大量‥‥やっぱりこれで決める気か?


「具体的な数は?」


「魔人だけに限定しても‥‥百は超えると」


 百?

 嘘だろ‥‥?

 十体でもかなりきついのに、それ以上を相手にするのは‥‥無理だ。

 俺一人じゃ手に負えない。


 そうなると俺が思いつく人物は一人。


「皇は‥‥勇者はどこにいる?」


「いえ、それはわかりません」


 くそ、あの野郎。

 肝心な時にいないとか、役立たずかよ。


 心の中で悪態を吐きながら次の行動を考えていると周りの兵士より良さげな鎧を身につけた男が歩み寄ってくる。


「勇者様なら鐘の音が聴こえると同時に城を飛び出して行ったそうです。賢者様もすぐにご助力に向かわれたら良いかと」


 そう言いながら男は俺に力強い眼差しを向けてくる。


「‥‥‥‥」


 考える暇も与えねえってか。

 命懸けの戦いだってのに、唐突だな。


 俺は男から視線を外すとラノンの方を見る。


「レンさん‥‥」


 何を言えばいいのかわからない、そんな顔をしていた。


 まぁ、いつかはやらなきゃならなかったんだ。

 臆することはない。


「ちょっと、行ってくる」


 ラノンに心配をかけないよう、あえて余裕のふりをする。

 きっとそれはラノンにも気づかれているだろう。

 それでも俺はこうしなければならない。

 そう思った。


「約束は‥‥忘れて、ないですよね?」



 俺は死なない



 かつて俺はラノンに向かってそう断言した。

 その時は自分とラノンの二人くらいなら守れるだろう、そう思っていたからこそできた約束なのかもしれない。

 だが、もうその時の状況とは違う。

 数十体もの魔人に立ち向かい、魔王を倒さなければならない。



「あぁ。ちゃんと、覚えてる」



「そうですか。なら──」



 ラノンの表情が明るいものに変わる。

 それが作られたものだとしても、俺の中に安堵の思いが生まれる。



「いってらっしゃい、レンさん」



「あぁ。また‥‥後で」



 俺は出口の方をチラッと見てからラノンに背を向ける。


「グレイス、ラノンを頼んだ」


「わかってるつーの」


 俺は思った通りのグレイスの答えに嘲笑しながらも地面を蹴った。









 王都北門、そこにたどり着いた俺はそこから敵の様子を伺っていた。

 ここから見える敵の数は聞いていたより多く百を優に超えている。

 そして、ゆっくりと向かってくる魔人達が魔物を引き連れている様子はない。

 下の方では兵士達が慌ただしく集まっているが、それも王都全体の兵のほんの一握りで、とてもじゃないがあの数の魔人を相手取れるようには思えない。


「この勢いで攻め込まれたらまずそうだな」


 準備さえ整えば人間側も魔人達と渡り合えるとは思う。


 このペースだと戦場は城下町、か。

 俺がどうにかするしかないが‥‥


 方法が思いつかない。

 迫り来る魔人に冷や汗をかきはじめた頃、後ろから声がかかる。


「遅かったな」


 振り向くとそこには大剣を背負った皇が身じろぎ一つせずに敵を観察していた。


「これでも頑張ったほうだ」


 皇は俺のその言葉など聞こえていないかのように敵を見ている。


「あれで‥‥全部か?」


 魔人の総数など人間側は知る余地もない。

 魔王側はどれだけの余力を残しているか‥‥


「歴代の魔王が一度に操れる魔人の数はざっと見積もって百五十。普通に考えてあそこにいるのがほとんどだと考えていいはずだ」


 百五十‥‥

 俺は見ただけで数がわかるような技能は持っていないが、言われてみればそんな気がしてくるような数。


 あれを俺と皇が‥‥?


 そう思い皇の方を見てみるとなにやら腕を伸ばし片目を閉じている。


 何をしてるんだ?


「距離はおよそ一キロ、集団での移動なことを考えても十五分以内には街壁と衝突する」


 十五分、兵が完全に集まるには不十分な時間だ。

 皇は策でも考えているのか口元に手を当て、魔人達の方をジッと見つめている。

 絶望的な状況を深呼吸することで落ち着いていると、街壁に何人もの兵が登ってきた。

 その背中には立派な大弓と矢筒を背負っていた。

 狙撃部隊か、魔人にどこまで効果があるか。

 その兵士達の列は途切れることなく続き、街壁の上に横一列に隊列を始める。


「弓の有効射程は二百メートル、魔人にダメージを与えられるレベルとなると百メートル以内が理想だ」


 さっきから皇が述べているのは具体的な状況説明であって何をするかは言っていない。


「‥‥要するに俺は何をすればいい」


「俺とお前で前に出て時間を稼ぐ」


「っ!!」


 まじ、かよ‥‥


 俺が相手にできる魔人の数はせいぜい十体。

 その中に一位級の魔人が混ざったりしていたらさらにその数は下がる。

 訊きたいことは山ほどあるがその中でも俺が最も優先して訊くべきことが一つ。


「皇、お前何体まで相手取れる?」


 皇はその質問に眉を僅かにひそめると俺に視線を向けてくる。

 単純計算ならどんなに少なくても百は相手にしてもらわなければならない。


「同時なら三十、五十を超えると多分勝てない。蓮は?」


 三十‥‥全然足りねえ。


 皇の言った数字は思っていたよりも高かったが、今必要な数字にしては低すぎる。


「悪いが俺は十が限界だ。それ以上は攻撃を捌けない」


 皇は改めて下の兵士を見ると素早く目を走らせ、そのおおよその数を数えている。


「ざっと五百人、魔人五体分の兵力だ」


 一般的に三位級魔人を殺すには訓練された兵士が百人必要とされている。

 それが二位級となれば二百人、一位級ともなれば四百人と倍に増えていく。

 人間側は合計して魔人四十五体分の戦力‥‥まるで足りてない。

 自分の額に濡れた感触があり、手で拭うとそこには冷や汗が付いていた。


「で、どうするんだ? まさか、無策なわけじゃないよな?」


 元の世界にだって倍以上の戦力差を覆した戦いはある。

 この戦いだって上手くやれば‥‥


「そのまさかだ」


 必死に平静を装っていた俺はその言葉で硬直する。


「‥‥嘘だろ?」


「今は嘘をついていられるほど時間がない」


 皇の表情を盗み見てみるがいたって真面目で、敵陣へ突っ込むことに対して躊躇いを感じていない。

 あぁ、今更だけどソフィアさんが心配するのがよくわかった気がする。


「お前、死ぬ気か?」


「そんなつもりは毛頭ない」


 皇は背中からエクスカリバーを抜くと全身に光をまとう。


「っくそ、馬鹿だろお前」


 文句を言いながら俺は身体強化・風ウィンドブレイブを発動させる。


「俺は元東大生だ」


 ドヤ顔を見せた皇は弓兵の間を抜け、そのまま街壁から飛び降りる。


「そういうことじゃねえよ!!」


 大声を出すことで自分に発破をかけながらも俺は戦場へと飛び出していく。





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