ラノンの部屋
一人で使うにはあまりに広すぎる空間、甘いようななんとも言えない良い匂い、一つ一つが高価であること一目でわかる家具や装飾。
ラノンの部屋に向かう途中、俺は旅で汚れた服を着替えさせられた。
渡された黒主体の高そうな服に袖を通した俺はラノンの部屋にてラノンの着替えを待っている。
しかしまぁ、改めて感じるが‥‥ラノンも本当に王族だったんだな。
俺は先ほど返されたクインテットを近くに置き、フカフカのソファへと腰を下ろす。
グレイスとリアも着替えをすると言って一度自室に戻ったため、この部屋にいるのは一枚壁を隔てた先にいるラノンと慌ててお茶の支度をしている使用人だけ。
あのドアの向こうにはラノンが‥‥
俺はそこで思考を止めた。
それ以上考えるのはなんだか申し訳なさを感じたからだ。
意識を別のことに持っていこうと考えた俺は自分のこれからについて考え始めた。
おそらくしばらくは魔王との戦争の準備‥‥それが済んだら総勢力を挙げ拠点に乗り込む、ってとこか。
それまで俺は──
思考にふけっていた俺は扉が開く音で一気に現実へと引き戻される。
「レンさん、すみません。待たせてしまいましたよね」
慌てて向けた視線の先にはいつもの機能性重視の服装とは違う、純白のワンピースをまとったラノンが嬉しそうな顔で立っていた。
普段の服とのギャップに俺は言葉を失う。
「レンさん‥‥? どうかしましたか?」
絶句していた俺を不思議に思ったのかラノンが首を傾けている。
今になって思い返せば俺がラノンの王族らしい恰好を見たことはほとんどない。
唯一思い当たるのがベルーガで対面した時くらいだが、なんせあの時はそれどころじゃなかったのでちゃんと対面するのは今が初めてだ。
「あぁ、悪い。少し考えごとをしていた」
正気に戻った俺は慌てて見惚れていたことを誤魔化す。
「そう、ですか」
少し納得のいかなそうにしながらもラノンは俺と対面するようにソファへと腰かける。
「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥」
俺とラノンとの間に少しの間生じる沈黙。
おそらく互いに何を話せばいいのか悩んでいる。
「ラノンは、ここにずっと住んでいたのか?」
とりあえず当たり障りのなさそうな質問をする。
「そうですね。基本的にはここに住んでいます。ですので私の専属のグレイスとリアはこの部屋のすぐ近くに自室を持っているんです」
王城に自室を持つにはそれ相応の地位が必要なはず。
まぁ、グレイスやリアは俺が思っている以上に位が高いらしい。
「昔はレンさんも王城にいたのですよね。その時は、どちらにいたのですか? おそらくですけど、会ったこと、ありませんよね?」
俺は力がないことがわかるなり軟禁状態にされていた。
ラノンと顔を合わせなかったことになんら不思議はない。
「北棟ってあるだろ。あそこにずっといた」
「北棟、ですか。あそこは確か使われてないと聞いたのですが」
王城の周りには北棟、東棟、西棟の三つの棟がそびえている。
うろ覚えだが東は主に騎士団が、西は魔導師達が使っているとか。
「あぁ。だから都合が良かったんだろうよ」
俺が少し自嘲気味にそう言うとすぐに察したのかラノンはそれ以上言及することはなかった。
と、そこで俺はこちらに向かってゆっくりも歩いてきた使用人に目を向ける。
その手には肩幅より少し小さいくらいのお盆を持っていた。
すると流れるような動作でお盆の上に乗っていたティーカップを俺とラノンの前に置くと二人の間にお茶うけを静かに差し出す。
「あ、ありがとうございます」
それに気づいたラノンは慌てて使用人に礼の言葉を述べる。
使用人に感謝の言葉か、ラノンらしいな。
その生真面目さに俺は心の中で軽く笑う。
「ありがとう」
一応俺もラノンを見習って礼を言うと使用人は軽く頭を下げてからそそくさと部屋の外へと出て行ってしまった。
「お客様が来てる時は、いつも何も言わずに出ていっちゃうんです」
使用人の消えていった扉を見るラノンの顔はどこか懐かしんでいるように見えた。
「普段は、明るくて面白い人なんですけどね」
そう言いながらラノンは柔かに笑う。
まぁ、使用人との馴染みは深いだろうからな。
このラノンの顔を見る限り仲良くやってるみたいだ。
「‥‥俺なんかじゃなくてあの人とかと話した方がいいんじゃないか?」
はっきり言ってしまえば俺とラノンは旅の途中、毎日話をしていた。
「今さら改まって俺なんかと話すよりも、しばらく会ってなかった人と話した方がいい気がするんだが」
それこそ王女という立場なら関わりを持つ人も色々といるだろう。
「そう‥‥ですね。私のこと、心配していた人もいますよね。少し、うかれてましたね」
ラノンは急に焦りだしたのか、顔がこわばる。
「まぁ、そう慌てることもないだろ。ここで一休みしてからいくのも悪くないさ」
俺はまだ湯気の立っているティーカップを手に取るとバラの香りのする紅茶を口に含む。
そんな俺の様子を見ていたラノンは少しだけ気が抜けたのか、肩から力を抜いてゆっくりとティーカップを手に取る。
「で、具体的には誰のところに行こうと思ったんだ?」
「何人か考えたのですが、やはりまずは姉に会いに行こうと思います。私が旅立つ時も一番心配してくれたので」
「姉? あぁ、そういえばラノンは第二王女って言ってたな」
俺の中では一国のトップが女、ってことは考えたこともなかったがこの世界では案外そうでもないようで後継者の中に男がいなかった場合のみ女の王が認められるそうだ。
確か第一王女もそれが適応され、王の後継者になるとか。
「えぇ、そうです。姉はたった二人の姉妹ですから」
「二人? 他に姉妹はいないのか?」
思いがけず少ない数字に俺はつい訊き返してしまう。
「はい、いません。王は子宝に恵まれなかったので‥‥」
あまり国の状況を知る機会をなかった俺は自然と険しい顔つきになる。
それだと、あまりに──
「王族の血を継ぐ者があまりに少なくないか?」
王族の中にはラノンのように古代魔法を受け継ぐ者も多いらしい。
だが、この乱世にその血族がたった二人というのはリスクが高すぎる。
「王族は元来子供が少ないらしいですよ。もし、もし私とレンさんにも子供ができたら‥‥」
ラノンはそこで篭ってしまう。
だがそうなると気になるのは王国が貴重な王族をやすやすと手放した点。
普通に考えてそんな大切な人物を他国に嫁がせたりなどしないだろう。
まぁ、すぐ思いつくのは‥‥というかおそらくこれが正解だろうが、それほどまでに戦力が不足しているということだろう。
賢者五人の欠員、その穴を埋めるために王国は奔走中ってとこか。
今の絶望的状況を少し考えたところでどうにもならないので、俺はすぐに思考を切り替える。
「ちょうどお茶も飲み終わったし、そろそろ行ったらどうだ?」
俺とラノン、二人のティーカップの中身はすでに空、間に置かれたお茶うけも半分ほどになっていた。
「え‥‥あ、はい。そうですね」
そう言いながらもなかなか動こうとしないラノン。
挙動不審なラノンを見ながら俺は首を傾ける。
「どうかしたか?」
「いえ‥‥レンさんは、来てくださらないのでしょうか?」
「‥‥‥‥‥‥え?」
思いがけないラノンの問いに俺は拍子ぬけた声が出る。
「せっかくだから、姉さんにレンさんを紹介しようと思ったのですが」
「紹介って‥‥」
どうにも姉妹の再開を邪魔するようで申し訳ないが、純粋にラノンの姉に会ってみたいという気持ちもある。
行っても、いいのか?
迷う俺はチラッとラノンの様子を見ると、こちらに期待の眼差しが向けられている。
「まぁいいか。せっかくだし、会ってみるか」
「はい!!」




