一人前
僅かに欠けた月が照らす真夜中、俺は酒と刀を手に宿の裏に作った師匠の墓まで来ていた。
素人が即興で作った墓は簡素なもので木製の十字架が土の上に刺さっているだけ。
その根本にはラノン達が用意してくれた花が添えられてはいるが正直墓としては物寂しい。
とは言っても師匠は魔人なのであまり目立つような墓を作ることもできなかった。
「よぉ。言われた通り酒、持ってきたぞ」
俺は師匠の墓の前で立て膝に座ると改めてその素朴は墓を眺めていた。
もう少しだけ、いい墓にしたかったんだけどな。
「師匠‥‥俺、あんたが死んだって実感あんまりないだ」
師匠を斬った時の感覚がまだ手に残っている。
だが、あの強かった師匠が死んだことを頭のどこかで否定していた。
天の雷
俺が師匠を越えるために生み出した技。
師の技を俺の技へと昇華させ、師の技を破った。
そうやって技は進化していくのだろう。
「あんたの言う通り、脳の強化は使うもんじゃない。多分、次に使ったら俺は死ぬだろうな」
副作用からか治癒魔法を使っても、まだ手足の痺れが消えない。
そんなことをラノンに言えば心配するだろうから口にはしていないが、おそらく薄々勘付いている。
「あんたの言いつけは全部守っていたんだが、最後の最後で破っちまったな」
細かい技術に始まり、戦闘中の立ち回り方や技の使い方。
そのほとんどは戦いにおけることだった。
「だから、今さらだが最後にあんたが言ったことくらいは守ろうと思う‥‥脳の強化は、もう使わない」
俺は宿から持ってきていた師匠の刀を手に取ると、鞘から少しだけ刃を抜いてその刀身を眺める。
細直刃と呼ばれる細く真っ直ぐとした刃紋。
見た目が地味なこともあり、あまり使われていない刃紋だが実用性だけを考えていて師匠らしい気もする。
刃紋はともかく、さすが師匠の使っていた刀と言うべきか、研ぎ澄まされたミスリルの刀は見ただけで普通の刀との差がわかるほどだった。
「いい刀だ」
俺は刀を鞘に納めると師匠の墓の前に静かに置いた。
クインテットが手元に戻ってきた今、俺に刀は必要ない。
もし必要になるとしたら‥‥
「俺がクインテットを次へと託した時、かな」
そんな時は果たして来るのだろうか?
賢者であることが公になった今となっては自分の行く末なんて全くわからない。
ただ、今までみたいに平凡に生きていくことはできないだろう。
「ま、先のことなんか今考えてもしょうがないか」
俺は前もって用意しておいた二つの盃を師匠の墓の前に並べる。
これは平盃といわれるもので日本にあるものとほとんど同じ形状をしたものだ。
この世界ではマイナーな器だが何故だか師匠は気に入っており、よく使っているのを見かけた。
「あんたの好きな蒸留酒‥‥それも、とびっきり強いやつだ」
酒屋から持ってきた革袋の栓を開けるとまず奥に置いた師匠への盃に酒を注ぐ。
ところどころ塗られた赤の塗装が剥げて木の部分がむき出しになっている盃。
その底に透き通った液体がゆっくりと溜まっていく。
溢れるか溢れないかのギリギリまで注いだところで、今度は自分の盃にも酒を注いだ。
僅かに波紋が広がっているその水面には夜空に浮かぶ月が映し出されている。
俺は手前に置いた盃を手に取ると誰かと乾杯するかのように軽く前に突き出す。
「今まで‥‥ありがとうございました」
そう言って俺は盃に口をつけた。
口の中に広がる酒の味に俺は顔をしかめる。
「相変わらず、不味いな」
蒸留酒を飲むたびにいつも感じる感想。
だが、今夜の酒はいつもと少しだけ違う味があった。
「しょっぱい‥‥」
水面が激しく波打っている酒に感じた、いつもとは違った味わい。
それらは決して美味しいものではなかった。
『蒸留酒の辛さと苦味以外を味わえるようになって初めて一人前』
昔、師匠が言っていた言葉。
「これで俺も‥‥一人前、か」




