星空
俺はラノンと岩の上で並んで横になり、ただただ空を眺めていた。
僅かに紫がかった夜空には青、赤、黄といったいくつもの星が浮かんでいる。
周りに反して一際強く輝く星や、弱いけど多くの星々が集まっていたり‥‥と見ていて飽きない光景だった。
なんだか‥‥どうでもよくなってくるな。
師匠と戦うこと。
そして、これからの俺の行く末について。
‥‥今は全て、忘れたい。
「きれいですね」
不意にラノンが長らく続いていた沈黙を打ち破る。
「あぁ」
ここで気の利いた言葉の一つでも出てくればいいんだけどな。
ラノンは少し気まずそうに黙り込んでしまうが、俺はこの沈黙が嫌いではない。
なんて言えばいいか‥‥安心する。
隣にラノンがいるだけで、心が安らぐんだ。
誰かが隣にいるだけで幸せなんてそんな感覚‥‥
「懐かしいな」
俺は思ったことをついそのまま口にしてしまった。
それを聞いていたラノンが横になったまま顔だけ俺の方に向けてくる。
「何が懐かしいんですか?」
「‥‥星空だ」
本当のことなんて恥ずかしくてラノンに言えるはずもなく、嘘をついてしまう。
「それは、その‥‥元の世界の、ですか?」
「‥‥あぁ」
元の世界での思い出。
この世界に来たばかりの頃はしょっちゅう思い出していたが今ではそれもほとんどない。
かといって思い出せないわけではなく、今でも最近のことのように思い出すことができる。
「友達と山にキャンプへ行った時、こんな星空を見たな」
次々と蘇る、もう戻らない日々。
「キャンプ‥‥とはなんですか?」
娯楽の少ないこの世界にキャンプというものはなく、初めて聞く単語にラノンが首を傾げていた。
‥‥そっか、知らないよな。
この世界では遊ぶ余裕なんかない。
「キャンプってのは‥‥そうだな、この世界で言うところの旅に近いものかな」
「どこかへ行くために移動ということでしょうか?」
「あ〜、少し違うな。それはく‥‥」
車や飛行機、と言いかけるがピタッと口を止める。
そんなことを言ってもおそらくこの世界の人には理解できないだろう。
「どうしたんですか、レンさん」
「いや、なんでもない」
その俺の返しはラノンとの間に微妙な空気を生じさせてしまう。
「まぁ、キャンプってのは簡単に言えば旅での生活をわざわざ山に行ってまでやることだ」
気まずさを抜け出すために俺はさっきの会話の続きを話す。
「理由もなく、ですか?」
きっとこの世界の人には考えられない文化だろうな。
「あぁ。強いて言うなら自然と触れ合いに行く、とかそんなところだろ。あっちの世界はここと違って自然が少ないからな」
ラノンはどうやら納得がいかないようで何かを考えている。
「ですが山中に不用意に行くというのは、危険ではないのですか?」
魔物がいるこの世界ではそういうイメージになるのか。
「いや、あっちには魔物もいないし野生動物もほとんどいない」
「そうなんですか?」
「あぁ。人を襲うような魔物はもちろん、凶暴な野生動物すらもほとんどいない。山の中を丸腰で歩ける、そんな平和な世界だ」
「そうなんですか」
ラノンの感嘆の声が辺りに響き渡る。
「いつ死ぬかもわからない、そんな恐怖を一度も覚えることなく安全な生活を送り続けることができる」
「‥‥人と人との争いは、ないのでしょうか?」
この世界にも国があり、魔王の脅威にさらされながらも小競り合いを続けている。
「昔はあったけど‥‥今じゃ、ほとんどない」
ラノンは俺のいた世界を思い浮かべるかのように少し間を置いてから口を開く。
「いい、世界ですね」
「あぁ」
俺とラノンの視界には美しく広がり続ける星空。
「もっと、聞かせてください。レンさんのいた世界を」
「‥‥興味あるのか?」
「ええ。レンさんの知る世界、もっと知りたいです」
俺のいた世界はラノンが理想とする世界。
興味があるのも当然か。
‥‥何から話そうか。
「あぁ、そういえばこの世界に雪がないのは少し驚いたかな」
俺の住む地域では冬になるとよく雪が降った。
毎年見ていた光景だがなくなるとどうにも寂しいものだ。
「雪、とはなんでしょうか?」
この世界には季節の変化こそあるものの、場所によって気候が変わったりすることはなく、また雪が降ることもない。
「雨ってあるだろ? あれの冷えて固まったようなものだ」
「それは氷が空から降ってくる、ということでしょうか?」
ラノンのこの言い方だと、雹に近いか。
「少し、違うな。雪ってのは粉みたいにフワフワしてて、空から落ちてくるのがある当たっても全く痛くないんだ」
「ですが水が冷えたものは氷になると思いますが?」
ラノンは好奇の目を俺に向けてくる。
氷と雪の違いか‥‥
そういえば昔、聞いたことがあったな。
「氷ってのは水が冷えてできるものだが、雪は確か空気中の水が一気に冷えることでできるものだ」
まぁ、ラノンに詳しい説明をしても意味はないか。
ラノンも色々と考えているのか黙り込んでいる。
「雪が降って一面が真っ白に染まった景色は綺麗だったな‥‥ラノンにも一度、見せたいくらいだ」
この世界にも美しい景色はたくさんあった。
けど、懐かしい雪景色を見たい気持ちはそれを上回っている。
「レンさんのいた世界‥‥一度、行ってみたいです」
「なぁ、ラノン‥‥」
「なんですか?」
「俺は‥‥師匠を切らなきゃ、駄目なのか?」
答えなんか分かりきっている。
でも‥‥それでも今は、安心できる言葉が欲しい。
だがラノンは、安易に肯定をしたりはしない。
「レンさんは何のために戦うのですか?」
ラノンの声色が少し変わり、明るく諭すような口調へと変化する。
「自分のためですか? 人々のためですか? ‥‥私の、ためですか?」
最後の部分だけは恥ずかしそうに縮こまった声になっている。
多分、どれも正解だ。
でも根底的な部分は‥‥
「師匠だから、だ」
クインテットを受け継いだ者として、師匠のただ一人の弟子として終わらさなければならない。
でも‥‥
「俺は今まで多くの魔人を殺してきた。けど、人を殺したことはなかったんだ」
胸の中から何かが込み上げてくる。
「だからこそ、人として考えてしまう師匠をどうすればいいか‥‥俺にはわからない」
目元を隠すように左腕を顔の上に乗せた。
俺の泣き言を静かにうなづきながら聞くラノンは何気なく俺の右手に自分の左手を絡めてくる。
「私にはレンさんの師匠のことは話の中でしかわかりませんが、多分すごく‥‥いい人だと思います。そして、一人で魔界に乗り込むほどの人です。きっと誰よりも平和を望んでいたのではないのでしょうか」
師匠との懐かしき日々。
今思えばなんだかんだ言っても師匠はいつだって誰かのために戦っていた。
「そして、レンさんに全てを託したからこそ、迷いなく魔界へと行けたのだと思います」
師匠は弱き賢者であった俺を拾い、力を‥‥そしてクインテットを与えた。
「そんな人が魔人として生きていることを望んでいるのでしょうか?」
落ち着いたラノンの声は俺の胸の奥深くまでしみこんでいく。
そうだ‥‥昔、師匠は確かに言った。
迷わず殺れ、と‥‥
俺は左手を星空へと突き上げ、無数に輝く星空に手を伸ばす。
「‥‥ありがとう、ラノン。決めたよ」
ラノンと繋がった右手がぎゅっと握りしめられるのがわかった。
「‥‥俺は、師匠を殺す」




