偽善
俺は今、貴族街にあるレストランの一つ『ルディラ』でラノン、グレイス、リア、アドネスと共に食事をしている。
さすがは高級店と言うべきなのか店の雰囲気も落ち着いており、居心地のいい空間だった。
そこに五人分の皿を持った店員が流れるような動作で各々の前に皿を並べる。
出てきた料理は竜人肉の赤ワイン煮込み。
そこいらの店では考えられないほど手が込んでいる料理だ。
ちなみにリザードマンはBランクに属する魔物で市場に出回っている量が少ない高級食品。
付け合わせには蕾キャベツのマリネが添えられている。
「フォールさん、どうかしましたか? 早く食べないと、冷めてしまいますよ」
まだ俺が料理に手をつけていないことに気づいたラノンが不安そうな表情をする。
自分の選んだ店が俺に合わなかったとでも心配しているのだろう。
「あぁ、悪い。少し考えごとをしていただけだ」
そう言ってすぐにナイフとフォークを手にする。
ここで気がついたのだが、隣にいるグレイスが意外にも慣れた手つきでナイフとフォークを扱っていた。
てっきりそういったことはできないものと思っていたんだが。
アドネスは予想通りの行儀作法だったが、リアはラノンにも引け劣らないほど流暢な手使いで食事を進めていた。
リアのは貴族の作法と比べてもほとんど遜色ないな。
竜人肉をナイフで一口サイズに切り取ると口の中に運ぶ。
竜人肉特有の濃厚な肉の旨みが口いっぱいに広がる。
味付けはあくまでオマケになるように薄味に仕上がっていた。
「美味い‥‥」
思わず口から感嘆の声が溢れる。
そういえば貴族が食うような高い飯を食ったのは久し振りだな。
ここ最近は移動が多くて干し肉やその場で狩った肉が多かったから、より美味しく感じているのか。
俺が礼を言おうとラノンに目線を向けると笑顔でこちらを見ていたラノンと目が合う。
目が合ったラノンは慌てて俺から目線を逸らすが口元の緩みは隠しきれていない。
「レンってさ‥‥あ、間違った。えーと、フォールはどこでテーブルマナーなんて覚えたの? ハンターがわざわざ覚える機会なんてないと思うんだけど」
まぁ確かに。
マナーを心得ているハンターなんてまずいないな。
リアの疑問は最もだ。
「昔に貴族の家で働いたことがあったんだよ。そん時に覚えたんだ」
「貴族の家で? 護衛的なの?」
「さぁな。もう忘れた」
俺は嘘をついた。
俺は貴族直属の依頼を受けたことがない。
依頼されたことはあるがその全て一蹴した。
そんな俺の嘘を見破っているのかリアが疑いの眼差しを向けてくる。
「そういえばフォールさんは今どこに宿をとって居るのですか? よかったらですけど同じ宿を取りませんか?」
ラノンの言うことは正しい。
一緒に旅を続ける以上、コンタクトが取りやすいように同じ拠点にいることは当たり前。
だが、今の俺にはそうできないわけがある。
「嬉しいお誘いだがそれは無理だな。今は同居人がいるから勝手には宿を出て行けないんだ」
マキナ達を連れて宿を移ってもいいんだが、あいつらもいきなり高級宿に泊まることになっても困惑するだけだろう。
「同居人、ですか?」
「あぁ、子供が五人だ。親を亡くして飢えていたから拾ってきた」
ラノン達の驚いた顔を見て、俺の同居人と言う言葉のチョイスが間違っていたかと思い首を傾げる。
「へぇー、そんなことしたんだ〜。意外〜」
リアは俺を小馬鹿にするように笑っている。
「それで、その子供達は元気なのですか?」
ラノンは真剣にマキナ達の心配をしている。
「あぁ、楽しそうにやってる。そうだ、今からあいつらに服を買ってやろうと思うんだがラノンも来るか?」
この世界に来てから男物の服はだいぶわかるようになったが女物はからっきしだ。
ラノンは肉を切るナイフの動きをピタッと止めて顔をこちらに向けてくる。
「えっ‥‥と、アドネス、午後からは予定がありますか」
アドネスは何のメモも見ることなく淡々と答える。
「この後はムーフェイス家に行き、被害状況についての確認、話し合いがあります」
見るからにラノンが肩を落として落胆する。
隣にいるグレイスがそれを見ながら眉を潜めているが、やはりどうしようもないようで手を握りながら黙り込んでいた。
「それなら私とアドネスが行くよ。それでいいっしょ、アドネス」
そんな大事そうな用事を従者に任せていいのか?
そう思うも詳しい事情を知らない俺にはなんとも言うことができない。
「僕は構いませんよ」
だが意外なことにアドネスはあっさりと承諾する。
「ですが‥‥」
ラノンも二人に仕事を押し付け、自分は遊ぶことに抵抗があったのか渋る。
「ラノンもたまには休んだほうがいいよ。それに私とアドネスがいれば十分じゃない」
自信満々に語るリアを見て妙な気分になる。
リアは事務仕事とかは苦手だと思ってたのだが、さっきの洗練された礼儀作法を見た後だとわからない。
「明日にでもいつもの倍働いてもらえば問題ないですから」
アドネスまで言い出す。
やがて諦めたのかラノンの口から深いため息が出る。
「‥‥申し訳ないですけど、仕事は二人に任せます」
ラノンはそう言って深々と頭を下げる。
主人が従者に頭を下げることってあるんだな。
呑気に鑑賞していた俺は思わず感心した。
そしてラノンと護衛三人の関係は主従関係として優良なものだと再確認する。
互いに信頼があり、かつ互いに尊重している。
大概の貴族は従者を一方的な言い分を言うだけで従者の言葉を聞こうとすらしていない。
「グレイス、ラノンのこと頼んだからね。フォールがいるから何もないとは思うけど万が一のことがあったら承知しないから」
「んなもん言われなくてもわかってるよ」
ここでラノンが最後の一口を食べ終えて、全員の食事が終わる。
「ではそろそろ出ることにしましょうか。フォールは僕と支払いを」
アドネスはそう言うと近くにいた店員の下へと歩き出す。
俺が慌ててその後ろをついていくとラノン達から少し離れた所でアドネスが足を止める。
どうしたんだ?
「フォール、一つだけ警告です」
振り向いたアドネスの顔は真剣そのものだ。
「フォールは子供を拾ったと言いましたね。なぜ、そんなことをしたのですか? 下手な正義感からしているのなら、すぐに宿から追い出したほうが身のためです」
「っ‥‥」
アドネスは矢継ぎ早に続ける。
「本気で救いたいと思って拾ったのなら、この街にいる孤児全てを救ってください」
アドネスの言いたいことは痛いほどわかる。
俺が目の前にいる五人を救って満足したとしても、俺の見えない所では百人、二百人と死んでいるかもしれない。
いや、おそらくは死んでいるだろう。
救われなかった者からすれば、自分を選ばなかった俺に対して憎しみすら抱くだろう。
そんな表層部分の満足を得るためだけにやっていることが正しいはずがない。
「昔、俺に一人の友がいた」
最初は家族と自分ことだけを考えているようなどこにでもいるような奴だと思っていた。
「そいつはいつも兄弟の話をしていたんだ」
あいつの話には、いつだって深い愛情があった。
「だがある日、あいつは自分が生き残るために二人を犠牲にした。そして死んでいった二人はある想いを託したんだ」
別れ際の最後の一言。
何気ない言葉だっただろうがあいつの中ではずっと、それこそ死ぬまで残っていたのだろう。
「その想いは生きたいと願う本人の意思とは真逆のもの」
あいつは心の底から生きたがっていた。
だがあいつは死んだ二人のことを忘れられるほど強い奴じゃなかった。
「きっと悩んだんだろう。それこそ、死ぬほどに」
二つの想いが両立することはまず無い。
それでも、ゼロではなかった。
「そして、あいつは戦うことを決めた。どちらかを捨てて生きるのではなく、どちらも守るために」
あいつは必死で生きるために戦った。
そして‥‥
「あいつは死んだ」
最後の一瞬まで足掻き、生きようとした。
そして何より、俺自身が選択を間違えなければ、救うことができた。
そう、あいつは俺が殺したようなものだ。
「あいつからの最後の手紙を読んだ俺はあいつの兄弟達の住む家に向かった。そこにあったのは──」
レックスは正しかった。
「孤児院だった」
間違っていたのは俺。
「あいつは最初から他人のためにだけに生きていたんだ」
他人と他人、自分と他人。
あいつと俺とでは前提から違った。
あいつと俺とではかけていた覚悟の次元が違った。
「俺は少しでも果たせなかったあいつの想いを引き継ぎたいんだ。この気持ちは正しいものではないと思う。言ってしまえば、ただの偽善だ」
「だけど‥‥だからこそ、俺は限りなく正しい偽善でありたい」
要はただの罪滅ぼし。
それだけのことだ。
アドネスは俺の話が終わると、作った笑みを浮かべる。
「フォールがそれだけ考えた末に出した結論なら何も言いませんよ。今の話のお礼にフォールの分も払っておきますから、先にラノンの所に行っててください」
アドネスなりの気遣いか。
「わかった」
俺はアドネスに背を向け、顔を見えないようにする。
「フォールの考え方は僕とは異なったものです。ですが、間違ってはいないと思いますよ。だから、自分を信じてその意思を貫いてください」
それだけ言ってアドネスは会計を始める。
まさかアドネスに肯定されるなんてな‥‥
「ありがとな、アドネス」
俺は一切振り返らずに小さな声でそう呟いた。




