懐かしき平穏な日常
刀を振るっていた。
辺りは血の海、立っているのはただ一人。
一切の力も出し惜しむことなく、戦う
眼前には無数のベヒモス。
その巨体を魔法と刀を駆使して葬っていく。
だが、一向にその数が減ることはない。
そして、ついに全ての魔力が底をつく。
回避に遅れたベヒモスの一撃を喰らい、体ごと吹き飛ばされる。
勢いよく地面に叩きつけられたせいか視界に靄がかかった。
ズシン、ズシン、ズシン!!
死が一歩ずつ近づいて来る。
ズシン、ズシッ
生を諦めようとしたその時、視界の端に人影が映る。
誰だ‥‥?
混濁した意識の中で必死に目を凝らして見えた先には数少ないこの世界での友がいた。
傷だらけになって横たわっている友の目の前にはベヒモスの姿が。
や、止めろ!!
レックスは俺の目の前でベヒモスに踏み潰された。
近くに人の気配を感じて眼が覚めると、一瞬で戦闘モードに切り替わる。
だが、そこにいたのは先に目を覚まし体を伸ばしているミーアの姿だった。
いきなり俺が跳び起きたことに驚いたのかミーアは目を丸くしている。
「おはよう、ございます」
「あぁ、おはよ」
夢‥‥か。
最近は見なくなったと思っていたが、まだやはり忘れられていないようだ。
俺は反射的に握っていたクインテットをベッドの上に置くと目を覚ますために昨日汲んでおいた水を口に含む。
ついでに軽く顔を洗って目を覚ます。
窓から見える太陽の方角から言ってもまだ朝の六時前後だろう。
「いつもこの時間に起きてるのか?」
「えぇ、いつも母の手伝いがあったので」
ミーアがベッドから降りて足の様子を確認している。
「足の調子はどうだ?」
捻挫だから安静にしていれば治るはず。
「もうだいぶ良くなりました。まだ、少しだけ痛みはありますが、大丈夫です」
「そうか、それは良かった。そうだ。朝飯の材料でも買ってくるか?」
どっちにしろ修行のため外に出なきゃなんないからな、ついでに買ってくるのも悪くないだろ。
「いえ、フォールさんの手を煩わせるわけにはいきません。マキナに行かせるので気にしないでください」
まぁ、こいつらも俺に必要とされている方が見捨てられないで済む、と安心できるか。
ここは、任せておくのが正解だな。
「そうか。じゃあ、少し出かけてくるんだがどのくらいで朝飯はできそうだ?」
俺はベッドの上に置いてあったクインテットと腰袋を持つ。
「それは‥‥フォールさんが決めてください。その時間にできるように私が調整しますので」
そう言われてもな‥‥まぁ、適当でいいっか。
「じゃあ、一時間半くらいしたら戻って来るから、それまでに頼む」
「はい、気を付けてください」
ミーアは礼儀正しく頭を下げて見送った。
「あぁ」
俺はそんな姿を見て、ふと母親の姿を思い出した。
宿を出た俺は人目のなさそうで、かつ広い場所がどこにあるか考える。
瓦礫の山ならいくらでもあるが、そんな所で刀を振っていたらかなり目立つ。
そうなると街の外か‥‥
そこで俺はある建物を思い出す。
「あっ、そうだ」
不意打ちの閃きに声が漏れる。
これだけ大きい街なら、多分あるだろう。
目的地の決まった俺は早速、歩き始めた。
場所は知らないが、それくらいなら誰かに訊けばわかる。
そう思い、暇そうな人を探していると一際大きな風呂敷を背負ったおばあさんがいた。
「そこの坊や。本はいらんかね?」
本はこの世界でほとんど普及していない。
主な理由は二つ。
一つはこの世界の識字率が低いこと。
もう一つは本自体が非常に高価で庶民には手が出せないことだ。
よって一部を除いて本は貴族だけが嗜むものになっていた。
「あ〜、悪いが本は──」
断ろうと思っていた俺の口が止まる。
そう言えばムレイドは、勉強したがってたな。
それなら字くらい、読めるだろうか。
「いや‥‥どんな本があるんだ?」
「ほーう。若いのに本に興味があるのか。なんでもあるぞい。恋の物語、英雄の冒険談‥‥そうじゃ、かつて世界を救った勇者と賢者の話なんてどうじゃ?」
昔、召喚された奴らの話か?
もしかしたら‥‥
「そうだな、悪くない。それを買おう」
おばあさんは本を一冊、風呂敷から出す。
「他には何かいらんのかい?」
ムレイドはどんな本がいいのだろうか。
あまり見当がつかない。
「何かについて学べる本はないか?」
「学べる本のぉ〜、これなんかどうじゃ?」
おばあさんは風呂敷の中から新たに一冊の本を出した。
『農業』
単純なタイトル過ぎて中身の想像があまりつかない。
だがまぁ、農業関係なら俺にも多少の知識はあるから口出しできる。
それにこれなら将来的にも役立ちそうだ。
「この二冊でいくらだ?」
「そうじゃなぁ‥‥小銀貨、二枚じゃ」
日本円換算なら大体一万円くらい。
だが、これでもかなり安いほうだ。
高いものだと一冊で銀貨一枚以上することもある。
俺は腰袋から銀貨一枚を出して渡す。
「ほら」
銀貨を受け取ったおばあさんは少し考え込んでから小銀貨八枚を俺に差し出す。
「まいどあり」
次の客を探しに行こうとするおばあさんの肩を掴み、引き止める。
「なぁ、この街に修練場ってないか? あるのなら場所を教えてくれないか?」
修練場、その名の通りハンターや騎士が金を払い訓練のためのスペースを借りる場所だ。
街中では剣を振れるような場所がないため、実力を鍛えようとするハンターはほぼ確実に使っている。
「修練場かい? それならこの道を真っ直ぐ行けば見えるはずじゃ」
この通りは広く先が見えないのでどこまで続いているのか見当もつかない。
「どんくらいで着く?」
「大体十分くらいかの」
十分なら、そう遠くもないな。
俺はおばあさんに礼を言って修練場への道を向かう。
木製の扉を開けると香ばしい肉の匂いがした。
まだ少し早かったようで、ミーアが肉の燻製を炙っているのが見える。
まぁ、この世界には時計がないので俺が早いのか、ミーアが遅いのかを確かめる術はないのだが。
「あ、お兄ちゃんだ!!」
ニコニコと楽しそうにミーアを見ていたメイが部屋に入ってきた俺に気がつき、声をあげる。
「フォール、どこに行ってたの?」
眠そうな顔をしたマキナが隣にいたメイの頭を撫でながら訊いてくる。
「ん、まぁ‥‥ちょっと体を動かしてきただけだ」
「へー」
マキナが続けて何かを言おうとしたところでミーアが木製の皿を持って来る。
「フォールさん、戻ってきていたんですね。これ、朝ごはんです」
そう言って手渡された皿には細長いパンが一つとレッドチーズにスクランブルエッグ、そして先ほど炙っていた肉の燻製。
一般的に見てもかなり豪華な朝食と言えるだろう。
「この肉はオークの肉を使っています。さぁ、冷めないうちに食べてください」
ミーアはジッと俺を見つめている。
自分は後から食べる気なのだろうか。
「まぁ、そんなに焦ることはないだろ。ミーアも早く食べようぜ」
他の四人はすでに皿を持ってきており、すぐにでも食べようとしていた。
それを見たミーアは少し考えてから調理場に行き、自分の皿を持ってくる。
「じゃあ、食うか」
俺がそう言うと、全員が朝食を食べ始める。
パンをかじってみると外側の皮は硬くパリッと音がなった。
だが中は予想外にモチモチしており、パン自体の塩味も絶妙だった。
これは前に食ったことがあるな‥‥
確かセーレンって名前だったか。
次にレッドチーズを口に運ぶ。
この世界ではブルーチーズは存在しておらず、代わりにこのレッドチーズが普及している。
特徴としては匂いが強いのはブルーチーズと同じだが、塩っけがかなり強く僅かな辛味もある。
この世界にきたばかりの頃は全く食べられなかったが、いつの間にか食べられるようになっていた。
「フォールってハンターなんだよね? 何ランクなの?」
マキナはオークの肉を噛み切ってから興味ありげに訊いてくる。
あぁ、こいつらの父親、ハンターだったんだっけ。
こいつら相手に隠すのも面倒だな。
「Bランク‥‥いや、今はAランクか」
メダルが無いので今は正直、何ランクかはっきりしていないがすぐにAランクになることに違いはない。
「え‥‥フォール、Aランクなの?」
マキナは手を止めて驚愕の表情を浮かべた。
ミーアとムレイドもマキナほどではないが、かなり驚いている。
まぁ、Aランクハンターともなれば国から戦力として勧誘されるレベルだからな。
「あぁ、一応な」
「なら、フォールさんはこの街を救えるのはではないですか!?」
珍しくミーアが大きい声を出してその場に立ち上がる。
ミーアはこの兄弟の中で最も周りが見えているから、この街の絶望をも理解していたのだろう。
「救う‥‥か。何をもって救うなのだろう。魔物を全て倒せばそれでみんなが幸せになれるのか、金だけを渡せば誰かを幸せにできるのだろうか」
失った命は、戻ってこない。
今さら俺にできるとはとても少ないだろう。
でも‥‥
「自分にできる限りのことはしようと思う」
「そう、ですか」
ミーアの顔に先ほどまではなかった明るさを感じる。
それに対してマキナは尊敬の眼差しを向けているだけ。
この街に迫っている危険には気づいていないのだろう。
まぁ、兄弟なんてこんなもんか。
「あとそのことなんだが、昼の間は依頼で宿を空けるからお前らは適当にやっててくれ」
テーブルの上に腰袋から出した小銀貨一枚を置く。
「昼食と晩飯はこの金でなんか買えばいい。これだけあれば十分だろ?」
「えぇ、ですがこんなに‥‥」
「フォール、ありがとう」
尻込みするミーアを庇うようにしてマキナが礼を言う。
マキナもわかってきたみたいだな。
話している間に食事を続けていたムレイド、メイ、モドアの三人の皿が空になる。
「お姉ちゃん、お肉美味しかったよ!!」
「そう、それはよかった。ほら、メイ。フォールさんにもお礼を言って」
兄弟達と接するミーアの姿はにはどこか母親のような感じを受ける。
大人びた雰囲気もあるんだろうけど、やっぱり扱い慣れている感じがどうにもなぁ。
テーブルに頬杖をつきながらメイの頭を撫でているミーアを眺める。
「お兄ちゃん。朝飯をありがとう」
「あぁ。どういたしまして」
俺はオークの肉の最後の一切れを口の中へと放り込む。
いつまでもダラダラしているわけにはいかないか‥‥
こののどかな雰囲気を見ていると、山のようにある依頼のことなど忘れたくなってしまう。
だけど、俺はこれ以上、逃げるわけにはいかない。
手を固く握り締め、肺の中の空気を全て吐き出す。
「そろそろ行くかな。ここの片付けは頼んだわ」
俺は重い腰を上げると近くに立てかけたクインテットを手に取り、腰袋をつける。
その際、俺は腰袋に入っていた本に気づく。
本を取り出すとムレイドに投げ渡す。
「ムレイドがやりたがっていた勉強する本だ」
「本当っ!!」
ムレイドは慌てて表紙を確認する。
タイトルを見たムレイドは怪訝そうな顔になった。
「農業に関しての本だ。ムレイドが何に興味があるかわかんなかったから適当に買ってきた」
それでも農業の知識は後々役に立つだろう。
本をパラパラっとめくって内容を軽く確認している。
「うーん。農業は初めてだけど‥‥せっかくだからやってみようかな」
「まぁ、簡単なことなら教えられると思うぞ」
現代にいた頃の知識を使えばわかるものもあるはずだ。
本を持ったムレイドはすでにこちら側に意識はなく、完全に本の世界へと入っていた。
邪魔するのも、悪いな。
俺はもう一冊の本をマキナに手渡すと部屋の出口まで歩く。
マキナも少し困った顔をしたが俺の意図を理解したようだ。
「じゃあ、行ってくる」
行ってくる、いつぶりに使う言葉だろうか。
俺に帰って来る場所があった頃‥‥あぁ、師匠といた時か。
まぁ、あの時はそんな余裕なかったし、この世界来てからはほぼ初めてだな。
俺はいつもよりちょっとだけ軽い足取りでギルドへと向かう。




