帰り道 2
外灯だけがつく暗いアパートの階段を上る。かつん、かつん…。
「何か嫌だな!」水本が急に大きな声を出したのでびっくりした。
「せっかく楽しかったし、美月ちゃんと昨日より近付けたと思ったのに」
「カオル君は母さんの事が好きなの?」
ミノリが急にダイレクトに聞くので、
私はミノリの口をとっさに手で覆いたいと思った。
「そうだよ」と水本はきっぱりと答える。「ミノリの事も好きだよ」
「どこが?」
「どこがとかじゃないよ全部だよ」
「でも僕たちの事そんなに知らないじゃん」
「今好きだから、これからもっと知りたいって思ってんだよ。
その知りたい気持ちも含めて全部って事」
「母さんの事が好きなんだよね?」
やっぱり口を塞いどけば良かった。
「ミノリちょっと止めなって」恥ずかしいので力なく止めるが
水本はもう一度「そうだよ」とミノリに答えた。
恥ずかしいし、嬉しい気ももちろんするが、
これだけはっきりと答えられると
相手がずいぶん年下だと言う事もあってやっぱりウソにも聞こえてしまう。
どんな顔をして言っているのか見てみたいが恥ずかしくてそれはできない。
「ねぇミノリ」水本が聞く。「お父さんに何て電話かけるの?」
「教えないよ」
「…でも聞きたい」
「聞きたくてもカオル君には関係ないじゃん」
「…そうだけどさ。…嫌だなそうだよな。
…なんかどんどん寂しくなってきた。
寂しくなってきたよ」
私の方をじっと見て水本が言ったので私は目をそらす。
「目をそらすし」と水本が言う。
「…まあいいや!」と水本が言った時にちょうど階段を登りきって私達の部屋の前だ。
「しょうがないね。まだ会ったばっかだもん。
だんだんね。だんだんもっといろんな事を話してくれるようになるよね。
だって毎日会えるから」
そんな水本にミノリは無造作に「おやすみ」と言った。
「何かミノリは冷たいな」
「おやすみーー」ともう一度ミノリが言う。
ハハハと水本が笑う。
「おやすみ」とミノリの頭をわしゃわしゃ撫でた後で私にも言った。
「おやすみ美月ちゃん」
この人が私たちを好きだと言ってくれるのは素直に信じられないけれど
すごく優しい笑顔だなと思う。最初見た時にもそう思った。
この人が私達に示してくれてる好意はいったい
どれくらいが本当に心の奥から出てきているものなんだろう。
「おやすみなさい」と私も言う。「今日はお世話になりました」
「もう、今からどっちかの家にとか言わないからさ、
後でちょっとメールしてもいい?」
私がどうしようかとミノリを見たので水本はミノリに聞いた。
「ダメ?ミノリ。返事はお父さんとの電話が終わってからでいいから」
「それならまあいいけど。ぼくは寝てるかもよ?
だからって母さんにあんまり変なメール送んないでよ?
何か…セクハラメールみたいなやつ」
「送らないよ。送りたい気持ちもないとはいえないけど送らないよ。
ミノリ、オレは美月ちゃんに嫌われるような事はしない」
「あ、そう」とだけ言ってミノリは
私の手から鍵を取ってドアを開け中へ入っていった。
「じゃあ美月ちゃん送ったメール見て何か返事してね。何でもいいから」
そう言った水本はじっと私を見つめる。そして「う~~ん」と唸った。
「…う~~ん…ダメだやっぱり聞こ!美月ちゃんもしゃべるの?元の旦那さんと」
元の旦那さんか…せんつない響きだな。
てことは私は元夫の知り合いとかに
「元の奥さん」と呼ばれているわけだ。あたりまえだけど。
水本の質問にどう答えようか迷う私は面倒くさい人間だ。
結局「わからない」と私は答えた。
「だって帰って来てないかもしれないし。ミノリとはしゃべっても
…私とはしゃべりたくないかもしれないし」
言いながら嫌だなと自分の事を思う。
同情されようと狙っているのかのようだ。嫌な感じだな。
たぶん本当にせつないのは「しゃべりたくない」と思われる事ではなくて
「しゃべってもしゃべらなくてもいい」と思われる事だ。
私がしゃべったとしても元夫はしゃべってくれる。
一緒に暮らしていた頃のように。
もういいや、と思う。取りあえず私は部屋に入る。
ミノリに電話をさせてさっさと寝よう。
「おやすみなさい!」急にはっきりと私はそう言って
そこに立っている水本をそのまま残し部屋に入った。




