管理人夫人の誘い
「今夜は満月なので」とおはようも言う前に奥さんが言う。
「お月見しますよ。
何か持って来れるものがあったら持ってきてね?」
月見?夕べ水本も月見ようって言ってたけど…。
「みんなで、ですか?」
聞くと奥さんはニッコリと笑って言った。
「みんなでやったら楽しいと思うんだけど」
「…はい」
ふふ、と奥さんは笑う。
「お月見は結構重要な行事だから」奥さんが言う。
「節分の次くらいにね?」
そうなのか?
「はい美月ちゃん」そう言って奥さんが私に
赤いバンダナで包んだ四角いものを手渡してきた。
奥さんも美月ちゃんと呼んでくれるのか。
何かちょっと嬉しいな。
受け取ってしまったが何だろうこれ。
「お弁当よ」奥さんはニッコリと笑う。
奥さんは私に渡してくれたものの1.5倍くらいの
緑色のバンダナに包まれたお弁当も持っていた。
そうしているうちに水本が隣のドアから顔を出した。
私は奥さんに渡された弁当をどうしようかとお腹の前に持ったまま。
「おはよう美月ちゃん。おばちゃん」
おばちゃん?こんな綺麗な管理人夫人の事を
おばちゃん呼ばわり…歓迎会の時はどう呼んでただろう。
「はい、お弁当」当たり前のように奥さんは
緑色のバンダナに包まれている弁当を水本に渡した。
「ありがとう」と普通に受け取る水本。
「今日お月見だから」と奥さんは水本にも言う。
「えーオレ美月ちゃんとミノリと、3人でやろうと思ってたのに」
奥さんは水本の隣の部屋のオレンジ姉妹の部屋の
ドアポストにメモを入れる。
そしてその隣の高森美々の部屋のドアポストにも
同じようにいれると、
また私と水本の前を通って階段を下りて行った。
「どうしよう。お弁当もらっちゃった」
私は水本になぜ弁当をもらったのかを聞きたいために言ったが
「おはよう」と水本はもう一度朝の挨拶をしてくる。
そしてポケットからケイタイを取り出して
私に片手を差しだしてから言った。
「持ってきてケイタイ。充電したんでしょ?」
「ねぇこのお弁当って…」
私はそれより水本が管理人夫人をおばちゃんと
呼んでいた事が気になっていたが
もらった弁当をどうしたらいいのかもわからない。
水本がもらった弁当は私の1.5倍くらいで
緑色のバンダナに包まれていた。
「おばちゃん月1くらいで急に弁当作りたくなるみたいで
いきなりくれるから」
今またおばちゃんて言った。
「もしかして親戚なの?」と聞いてみる。
「あー管理人のじいさんがオレの父さんの一番上の兄貴。
でもオレの父親と歳離れ過ぎててオレは最初
オレのじいさんだと思ってたから
未だにじいさんて言ってるけど
じいさんも嫌がんないからじいさんて。
ハイ、いいからケイタイ持ってきて。
美月ちゃんが来てくれるの大人しく待ってようと思ったけど、
いつ来てくれるのかなと思ったら気になって
声が聞こえたからもう持って来ちゃった」
この期に及んでまだどうしようかと思う私だが
「さっさと持って来てって。美月ちゃん仕事に遅れるよ」
もう!と言って水本は部屋の奥へ大きな声でミノリを呼んだ。
「なぁミノリー、おはよー。
ちょっとお母さんのケイタイ持ってきてー」
慌てて私が部屋の中へ入りかけるとミノリが
ケイタイを持ってけげんな顔をしながら出てきた。
そして水本に聞く。
「母さんのケイタイどうするの?」
水本はミノリの前にしゃがみこみ視線をミノリよりも低くして、
昨日私にした説明と同じ事を繰り返した。
「それで?」とミノリが少し冷たい声で水本に聞く。
「僕に何かあった時とか、そういう事がなくても
母さんとメールすんの?」
「するよ」と水本が答えるので私はどうしようかと思ったが、
「ミノリにもする」と水本は言うので
私は急に温かい気持ちで水本を見てしまう。
「美月ちゃんとミノリと、どっちにもする。
ミノリもオレに返事する?」
「…してもいいけど…母さんに変なメール送らない?」
「ハハハ」と水本が笑った。「変なメールってどんなメール?」
「…」ミノリが黙り込んでしまった。
水本はしゃがんだままミノリの頭に手を乗せて
ミノリの耳に口を寄せ何かをささやいた。
部屋に戻った後、水本に何を言われたのかを聞いたが
ミノリが言わない。
「ダメよ」私はきつい口調で言った。
「勝手に隣に遊びに行ったりしたらダメだからね」
「行かねーよブス!」とミノリが言う。
むかついたが私達は時計を見て言い争うのを止め急いで家を出た。
私達がアパートの敷地を出る時に今朝も2階の窓が開いた。
「ミノリ―、美月ちゃーん、行ってらっしゃーい」
水本が昨日と同じように叫んで手を振ったが
ミノリは昨日とは違い、ちょっとだけ手を上げてそれでおしまい。
私も少し頭を下げて職場に向かった。




