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新しい生活

「ミノリ」

私は静かにそう呼びかけて奥の部屋にいたミノリの前に座った。

ミノリはPSPで太鼓の達人をして遊んでいる。

「ちょっとって」私は低い声を出した。

「ゲームを止めろ。そしてお母さんの話を聞け」


それでもミノリはゲームを続ける。

私をなめているのだ。

「止めなって言ったの、聞こえてないの?

ゲームぶち壊すよ?」

しぶしぶとゲーム機を置くミノリだ。


「あの人と何話したの?」

「そんなに話してないよ。

母さんが知ったらすげー怒るようなことはしゃべってない」

それは離婚したこととかか?


「学校から帰ったら猫と遊んでたって言ったでしょ?

そいで猫と遊びながら宿題見てあげようかって言われて」

「見てもらったの!?」

「ううん。今日は宿題なかったもん。

先生が理科の実験とその後の発表、みんな頑張ったからって。

今日は本読みと手伝いだけ

後で本読み聞いてよね」

「聞くけど。…それで?」

「それで、じゃあ宿題出たとき見てあげるよって。

あと授業でわかんないとことかも教えてくれるって」

「それはあの人が働いてる塾でってこと?」

「あの人子どもが行くような塾で働いてるんじゃないよ。

予備校の先生だって言ってた」


「それで?教えてあげるって言われて

あんたは何て答えたの?」

「お母さんに聞いてみていいよって言ったらって」

「…ふうん」

「だめなんでしょ?」

「…今日あったばっかりの人だもん」

「でも隣に住んでんじゃん」

「だからよけいにそういう最初から慣れなれしくしたりしたら

いろいろ面倒なことも起こるんだよ。

それにまだどんな人かもわかんないし。」

「だからさっき嘘ついたの?

僕が塾行ってないのに行ってるって」

「いいの!

あの時のその嘘はあれで正解なの!

お母さんが勉強教えてんのは本当だからいいの」


「…でもあの人動物好きそうだったよ」

「動物好きな人が良い人とは限らないの!

とりあえず、あの人に会ったら挨拶はちゃんとして、

それであんまりいろいろしゃべり過ぎないこと、

わかった?」



やたら馴れ馴れしい隣人のことは気になったが

片付けなければいけない荷物もまだたくさんある。

私は今朝作っておいた肉じゃがとサラダを食卓に出し

やはり今朝作っておいた鶏がらのスープを温めワカメを入れた。


「お父さん何食べてんだろうね」

ミノリがまるで単身赴任をしている父親を気遣うようにそう言った。

「さあ知らないよ」と私は冷たく答える。

「何食べててもいいじゃん。

どうせお母さんが何作ってもおいしいとか言ったことなかったんだから」


分っている。

こういうことを子供の前ですぐ言ってしまう私だって

それが良くないことだっていうのはちゃんとわかっているのだ。

でも言ってしまう。

やっぱり大人気ないから。


ごめん。ごめん。と、心の中ではミノリに謝るが口には出さない。

「唐揚げ食べたいな」とミノリが言う。

「あーじゃあ明日ね」

そう言ってから、明日は歓迎会に呼ばれていたのだと思い出す。


明日の朝、断りにいこうか。

でも直接管理人に誘われたわけでもないのに

管理人にいきなり断ったら変な顔をされないだろうか。

いや変な顔というか、嫌われそうだ。

引っ越して来たばかりの私たちを歓迎しようとしてくれている人に

それは失礼だろう。


実際あの男を介して誘われたから変な感じに思えているだけで

管理人に直接誘われたらそんなに不安な気持ちにはならなかっただろう。

それでも断るとは思うけれど。



でもあの男が言っていた。

私が例え行かなくても私の歓迎会は行われるって。

それならやはり行かなくてはならない。


散々考え行く事に決める。

明日だけ。明日だけは好意に甘んじよう。

住人全員に挨拶もできるから、

挨拶していないところを1軒ずつ回る手間も省けるし。


「明日はお母さんが帰る前に宿題完璧にすましといてよ。

明日はあんたも頑張ってお行儀良くしといて」

「えー?僕留守番しとく」

「ダメだって」

「大人ばっかなんでしょ?嫌だな

ゲーム持ってっていい?」

「いいわけないじゃん」


それから少し声を落として言った。

一応隣の部屋を気にしたのだ。

「あの人がまた明日何か言ってきても、

とりあえずお母さんがダメだって言ってましたって言うように」

「猫明日もいたら触りたいな」

「ダメだよ。ダメ。猫もダメ」



肉じゃがをあまりおいしくなさそうに食べるミノリの顔は

元の夫に似ている。

中指を少し変な風に曲げる箸の持ち方もそっくりだ。

私は自分の持ち方を見せて「こう!」と言う。

「こっちの方が食べやすい」というミノリにイラっとくる。

私は首を振ってから無言でもう一度自分の持ち方を見せた。


どうしているんだろうな、とやっぱり私も考えてしまう。

元夫のことだ。

今頃どうしているんだろう。

 

ずっと空気のような人だったが

私たちがいなくなったことで本当に空気のように

あの家の中から消えてしまっているかもしれない。



空気のような、と言ったからといって

元夫は、「無口な人」というわけでは決してなかった。

私にもミノリにも十分やさしかったし、

でもよく考えたらそれだけだったような気がする。

だたやさしいだけ。


離婚を相談した友達に「やさしいならいいじゃん」と

呆れたように言われたが

それは贅沢なことに私がうれしいと思える優しさではなかった。

それは夫から自発的に発せられた優しさではなく

私達が何かした事に対しての返しが優しいだけ。



離婚の相談に乗ってくれていた友人は

私が相談するたびに私を非難するようになった。

「何が悪いのかわかんない。

優しいならいいじゃん。

言ったことをやってくれるならいいじゃん」


その友達にもうやむやにして言わなかった

離婚の一番の原因はミノリにも話していないし

ミノリが大きくなっても話せない…だろう、たぶん。



本当の離婚の一番の原因は恥ずかしくて誰にも言えない。

最後まで離婚に反対した母親にももちろん。


一番の原因は

夫から、私が「欲しい」と思われなくなったことだった。


「はあああああ~」と気付いたら大きなため息をついていて

ミノリに睨まれた。

「ごめん」と謝る。

「誤ってもどうにもならないよ」ミノリは大人びた感じで言った。

それは食事中についた大きなため息について言ってるのだろうか。

それとも離婚に?


離婚にだよね?

わかるよ。わかるわかる。

お母さんだって、小3の時にもし親が離婚してたとしたら

すごく嫌だと思ったはずだもの。


でもお母さんの親は離婚はしなかったけど

ずっと仲が良くなかった。

仲が良くないのにずっと一緒にいるのは

恐ろしく心が歪む事なのだ。

 

「ごめん」と私はもう一度口に出してミノリに謝る。

「あんたはさみしいかもしれないけどさ、

お母さんあのままお父さんといっしょにいたら

ものすごく意地悪で怖くて、ブスな感じになってたと思うよ」

「母さん今でも意地悪で怖いじゃん。それにまあまあのブスだし」

「ブスじゃないよ!バカじゃんあんた。

お母さんはすごい美人じゃないけど、まあまあ美人なんだって」

ミノリはそんな私の戯言は無視して「ごちそうさま」と言い

テレビを見始めた。


夫が私に触らなくなったのはいつからだろう。

ミノリが生まれてしばらくしてから?


私が近寄って言って寄り添えば別に嫌な顔もしないし逃げもしない。

そばにいてくれる。

でも私が近寄らなければ私たちは離れたままだった。


私が夫に触れても嫌な顔はしない。受け入れてくれる。

でも決して夫から私に触ってはくれない。

それでも私たちは普通に会話し

いつも一緒に食事をし、ミノリを育てた。


夜ベッドの中で私が夫に腕をからめていけば

夫は腕をからめたまま眠ってくれた。

でも、決して夫から抱きしめてくれることはなかった。



ダメだ…

私は頭をブンブン振った。

 

ダメだ。私はちゃんと望み通り離婚もしたし

ミノリと二人で住んでいける部屋も借りることができた。

ちゃんとリセットできたのに

また淀んだ嫌な思いの残る過去に意識を戻すなんておそろしくバカだ。

そういうことをぐじぐじ思わないために離婚したのに。



不動産屋に案内されて「やまぶき荘」を見てすぐにここに決めた。

ミノリが学校を変わりたくないとそれだけは強く望んだので

学区内で探して、3軒見て回った中で一番明るい感じがしたし、

広さも十分、そのわりに家賃が格段に安かった。

何でこんな良い物件が残っていたのか不思議だった。


「やまぶき荘」は名前の通りきれいな山吹色をしていた。

1階の左端、つまり私たちの部屋の下の階が

この「やまぶき荘」の持ち主の部屋で管理人室だ。

ドアには名前ではなく「管理人」と言う木の札がかけてあった。


管理人は気さくな感じの70歳くらいの男性だった。

白髪で、教科書に出てくるような著名人の誰かに似てるような気がしたが、

それが誰だかは思い出せなかった。


入居を決めた時に離婚したことも話した。

いろんなことを憶測されるよりきちんと知ってもらっておいた方が良い。


もしかしたら管理人は私達の名前だけでなく

私が離婚したばかりだという事も隣の男に話したのかもしれない。



とにかくだ。

私はここでミノリと平穏に暮らしたい。

楽しくてうれしい事なんてそんなになくていいから、

自分が誰からも必要とされないことをぐじぐじ悩むことなんかなく

地味に明るく楽しくミノリと暮らしていくことが私の望みだ。


ごめんミノリ、ごめん。

私はもう一度心の中でミノリに謝った。







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