そして始まる異世界ライフ!
サブタイトルはウルトラソウル風に
家を案内する、とアールさんに手を引かれ、ちょこちょこと私は歩く。家は外から見る以上に広さがあって、きっと魔術が使われているのだろう。うわぁ、と吊り下がるシャンデリアに目を輝かせると、アールさんは足を止めた。
「ここはバスルーム、そしてここがトイレ。異世界の物と似せてあるわ。多分…見覚えがあるんじゃないかしら」
キィ、と開いたドアから覗き込めば、何の変哲もないただのバスタブとシャワー。けれど勘違いしてはいけない。ここは異世界なのだ。アールさん曰く、異世界の人々は普通、シャワーの代わりに「魔具」と呼ばれる水晶に魔力を込めた魔法道具を使うらしい。だからバスタブはあってもシャワーはなかった。つまり…どういうことだってばよ。
「このシャワー?っていうのかしら?この不思議な細長いもの、構造を理解するのが少し難しかったわ。ヒカリの世界の物は複雑な物ばかりだから」
「ええ?じゃあシャワーをアールさんが作ったってこと?…ねぇ、でもどうして私の…その…元いた世界の物をアールさんは知っているの?それに、見ず知らずの私にこんな良心的にしてくれて…」
「…いいの、ヒカリはそんなこと気にしないで。あなたが気にすることはもっと他にたくさんあるのよ。些細なことは放っておくのが一番」
「でも、」
「さぁさ、次に行きましょ」
はぐらかされたような気もしないけれど、アールさんは私の背中を押す。まあいっか、と次の部屋のキッチンを見せてもらった。キッチンは似せて作ってはいないのだと言う。確かにコンロもなく、電子レンジなんてものも見当たらない。どうやって料理をするのかと聞けば、アールさんはニヤリと笑った。そしておもむろに何も無い石の上に水を入れた鍋を置く。
「"煮え滾れ"」
「うわぁ!火が!」
ぼ、と本当に何も無いところから火が現れ、鍋を押し上げた。押し上げたのだ、鉄で出来ていて、さらには水まで入った鍋を火が。信じられない。メラメラと燃える炎は鍋をカタカタと揺らし、あっという間に水を沸騰させた。
「この台は水晶で出来ているの。水晶は魔術を通しやすく、貯めやすく、それでいて魔術の影響を受けない。魔術の無い世界から来たのなら腑に落ちないでしょうけど…これが私達の世界では一般的なのよ」
「凄い…」
「ふふ、そのうちヒカリも使えるようになるわ、簡単だから」
「本当!?まじで!?」
「まじよ」
ふふん、とドヤ顔をするアールさんを目の前に、私は思う。きっと、私達が科学を使っていたように、この世界では魔術が使われているのだろう。私達は科学が当たり前で、アールさん達は魔術が当たり前。つまり、ここでは科学的文明の発達はないという事だ。
「ふふ、驚いて声も出ないって感じね。でもね、次の部屋はもっと凄いわよ…!」
「えっ」
私としてはもっとその魔術とやらを見たかったのだが、ぐい、と強く手を引かれてやって来たのは一つのドアの前。五色の宝石が散りばめられていて、彫刻として何かの動物が綿密に彫られていた。これは鳥とか猫とか……あとは…、まあ何だかよく分からないけれども、美しいと思う。うん。ほら、なんか、キラキラ光っててね。
「ここが、あなたの部屋。ヒカリ、開けてみて」
「私の…?」
微笑むアールさんに促されてその美しいドアのドアノブに手をかけた。滑らかにドアが開き、そして柔らかな木の香りが肺を満たす。小さな感嘆のため息を漏らして部屋をぐるりと見回した。
木の小さめな机、オレンジのカーペット。そして真ん中に置いてある明るい緑色のふかふかしたベッド。
クローゼットを開ければ、可愛らしいワンピースが何着も詰まっていた。
「アールさん、これは…」
「いいのよ、いいの!私がヒカリのために用意したんだもの、そんなすまなそうな顔しないでちょうだい!」
「ありがとうございます…」
どうしてこんなにアールさんは優しいんだろう。突然、理不尽にも異世界とやらに現れたこんな私に、どうしてここまで良くしてくれるんだろう。じわり、涙が滲む。
元の世界に家族が居て、友達もいて。彼氏は…まあ、うん。だから、充実していたとは言えないけれど、それなりに女子高生をしていて。
でも一気にそれが無くなった。ぷっつりとそういった大切な繋がりは千切れてどこかにいってしまって、心細くて心細くてたまらなかった。悲しくて、寂しくて、それから、胸が痛くて。でも。
「ヒカリ?泣いているの?どうしましょう、気に入らなかったかしら!今すぐに作り変え…」
「アールさん!」
「なあに?何でも言って?」
「本当に、ありがとう」
あなたが私を拾ってくれなかったら。あなたが私の前に現れなかったら--…。
だから、これからの生活の中で、優しいあなたに、私は何かを返していきたいと思うよ。ありがとう、言っても言っても足らないくらいの感謝の気持ちが涙と一緒に溢れた。
「いいって言ってるじゃない、馬鹿な子ね。元はと言えば私達の……、いえ、何でもないわ」
「?」
「そっ、そんなことよりこれを着てみて!どうかしら!似合うと思うのだけれど」
首を振ったアールさんはそう言って人差し指をちょい、と振る。ふわり、とクローゼットから飛び出した黒のワンピースは私の周りをくるりと回り、そしてぱさりとベッドへ落下した。
「うん、大丈夫そうね!今着ているものは窮屈そうだし、汚れているし、これに着替えてらっしゃい。脱いだそれは洗って大切にとっておきましょうね」
「…いいの?制服、持っていてもいいの?」
「もちろん。そのセイフク?とやらは"ヒカリ"と"光"を繋ぐ最後の道だもの、当たり前でしょ?」
「えっ、それってどういう…」
「ま、早くしてね、ダイニングで待ってるわ。クッキーでも食べましょ」
アールさんは私の制止を無視し、手を上げて部屋から出て行く。アールさんといてまだ少ししか経っていないけれど分かったことはいくつかあったし、疑問もたくさん増えた。
綺麗なこと、優しいこと、魔術師なこと。それから少し突っ走り気味なこと。
"ひかり"と"ひかり"を繋ぐ道って、何?アールさんはどうしてここまで私に良くしてくれるの?この世界と私の世界ではまさか何か交流があった?でなければアールさんはシャワーやトイレを作ることはできない。疑問は増えるばかり。
「はぁ…」
思わずため息を吐いてしまった。幸せが逃げるって言うけれど、信じてないから別に気にしない。いやまあ、全然気にならないわけではないけれど、ため息くらい吐かなくちゃやっていけないと思う。
だって、異世界だ。それに、もう二度と帰れない。紙飛行機だって、多分届かない。きっとどこかでよれよれになってゴミになるだけだ。
私が好きな漫画だって、完結してないのに読めない。ナルドは里抜けしたサスゲを連れ戻すことが出来るのかな、とか、マグロはマフィアになっちゃうのかな、とか。きっと、私がいなくなっても、ナルドは紙の上で忍者だし、マグロはきっと紙の上でヘタレだ。
私がいなくても世界は進む。それはどこの"世界"でも。気が付いてくれる人はいるだろう。家族と友達、一部のクラスメイト。けれどでも、時間が経って、長い年月が経って、きっとそのうち、私は誰の中からも消えるんだと思う。
何で私だったのかな。私じゃなくちゃいけない何かがあったのかな。
ホロリと流れた涙の粒が、少し汚れた制服の上に落ちた。