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夜の序章

 夜になると街は一層賑わいを増していた。

 立ち並ぶ街灯が照明のようにあたりを照らし、入り口から奥まった場所へ進むと、そこには鉄筋で出来た建物が身を寄せ合うようにして、ところ狭しと詰め込まれている。特に目立つのが、五、六階はありそうなマンションらしき建物が増築に増築を重ねているらしく、横に恐ろしく長い上に継ぎ接ぎが前面に出ている建物が多い事だった。

 そんな光景を見ながら、衛士たちは留置所の裏から抜け出し外を回って街の中腹辺りに忍び込んでいた。

 そこら一帯はトタンで出来た平屋が多い。どうやら富裕でも貧民でもない一般階級の人間が住まう区画であるらしい。

 手前と奥に比べていくらか人通りも少なく静かなそこで、衛士たちは一旦足を止めていた。

『つまり、衛士さんは最低でも二手にわかれたほうが良いと……?』

「あぁ。あの騒ぎでは確かに付焼刃スケアクロウの動きが確認できた。だがその場にいたかは不明だ。しかしアレから半日が経過してる現在いま、どうあれ起こり得たあの爆発を協会連中が知らないはずがない。昼中に動いていないとすれば夜。夜動いてしないとすれば昼。どちらにせよこの時間帯は、くまなく調べつくしたほうがいいと思うんだ」

『殆ど法政が機能していない街で良かったと思います。人の生き死にの観念が軽いほうが、貴方達には動きやすいから……ですが受信端末イヤホン通信端末ケータイが一式ずつしか無い現状では別れるという選択はまずありません。ただでさえ、個人での活動には制限を掛けているのですから』

 既に組み立てられている銃はケースに収まって肩に担がれる。二発分の弾丸が装填されているが、些か不安があった。

 この銃を使う機会があるだろうか。いや、無いほうがいいのかも知れない。誰かのためにも、また、自分のためにも。

「だが三人で動けば目立ちやすい。顔を覚えられてる可能性はそう高くはないだろうが、”妙な三人組”っつー情報はあると考えていいだろう」

『一番目立つのはイワイさんとベネットさんですね。衛士さんはカモられそうな日本人です。と考えれば……どの道嫌な予感しかしません。別行動は許可できません』

 バックパックは既に空同然。血に汚れた革のジャケットを洗ったお陰で乾かぬそれを脇に挟んで、衛士は黄色のロングシャツ姿で少しばかりの暑さを感じていた。

 もう十月であるはずなのに、やはり南の方は気温、湿度共に高い。それを同様に感じているらしい二人は、それぞれ汗を拭うような所作を見せていた。

「イヤホンと端末はイワイに。んで、アンナはイワイと行動してくれ。オレは手ぶらでも機関に位置が分かる。そういう身体をしてるから」

 ――機関が作る副産物は重力子と言われる、重力を司る素粒子を利用して作られ、故に特殊な能力を有することができている。簡単に説明してしまえば、そういった道具を利用できる適性者に於いての特異点の原理は似たようなものだ。

 その肉体が特異点に進化する時点で、全ての遺伝子データに重力子を感知する能力が加えられた。最も細かくより正確に説明するならば、重力子自体がある種のウイルスとなって遺伝情報に強制介入、そして”次元干渉能力”を強化した。

 その際に起こりうるのが、特異点が特異点たる為に必要不可欠な副産物の肉体と一体化する事象。その副産物の保有していた能力によって、個体が持つ様々な影響――たとえば性格だとか、持病、身体能力――を受け、生命の選別をされて特異能力が決定する。

 ――そして機関はそれぞれが持つ通信端末から人工衛星を利用したGPSで位置を把握する。が、それと共にそれぞれが持つ副産物の重力子を検出して位置を把握する事も可能だ。

 異常に圧縮される重力子。それを固定する方法、また他に影響を及ぼさぬ制御は技術の賜物だが、扱いきれているというわけでもなかった。

 だから特異点が生まれる確立もごく低い。重力子を異常に保有する個体は、それ故に副産物と同じような存在となっていた。

「了解。そんで、時間と集合場所は?」

 端末をイワイに渡す。イヤホンをつけると、衛士の名と制止を幾度となく呼びかけるミシェルの声がやや耳に痛いようで、顔をしかめる。

 衛士はベルトに付く鎖を引っ張ってポケットから懐中時計を取り出すと、それから時計に視線を落とし、またポケットに戻した。

「午前四時に入り口前でいいだろ。五分遅れた時点で有事と判断するってトコで」

『だ、だから話を勝手に進めないでください! なんで、何のための遠隔援護オペレーターだと思ってるんですか! 今回の任務は特に――』

「えー、あー、こちらイワイ。異常なし」

 彼は口元に端末を持って行くと、冗談交じりにそう呟いて通話を切断する。

「ん、ってかお前、そういや俺の事嫌いじゃなかったっけ」

「あぁ、まぁ……引きずってるわけじゃないけど。嫌いっていうか、こいつには負けられねぇなって感じだな」

「そうか。ま、どうあれ仕事上は信頼してくれよ?」

「仲間なら、アンタ以上に頼りになる奴をオレは知らない」

「たはは! ありがとよ」

 イワイはそれから背を向け、軽々しく跳び上がると――その常人ならざる身体能力で簡単に屋根の上に乗り上げた。ボコ、と音を鳴らす屋根は今にも穴が開きそうだったが、上手く骨組みの所に立っているらしい。

 無言で彼に倣って跳び上がるアンナは、それから見上げる衛士へと軽く手を上げ、一先ずの別れの挨拶をして見せていた。

「んじゃ、上手くやれよ」

「あぁ、アンタよりもな」

 言葉を最後に、その身軽な動作で素早く衛士の視界から姿を消した。

 それを見送った青年は肩の荷が降りたように一つ息を吐いて、それから額の汗を拭うようにしながら髪を掻き上げた。

「さて」

 まだ生乾きの革のジャケットは袖を通すと酷い不快感をもたらした。だが、着ていればいつか乾くだろう。手袋も同様につけて、衛士はそう考えた。

「行くか」


「先ほど、何やら騒ぎがあったらしいのですが……。強盗騒ぎは日常茶飯事なのに、それ以上の事が起こっているとしか思えません」

「いえ、神父さまはお気にする必要はありません。我々が始末しますから」

 やや広めのマンションの一室で、窓から外を眺めるスコール・マンティアはそう漏らしていた。

 簡素なベッドが置かれるだけで、後は冷蔵庫やコンロと水道が一緒になったシンク台があるだけの部屋。その窓際に立つスコールの背後には、その碧眼が特徴的な華奢な男が腰にナイフを、そして肩からはおよそその細い腕では扱えないであろう大口径の対物狙撃銃を担いでいた。

「人の生き死に……アレ以来、私はよりそこに深く関わってしまっているようだ。元より近しい立場に立っていたが、それとは違う、その現場のような場所に」

 以前は茶髪だった髪も、機関の人口調整に出くわした際に白く染まり上がってしまっている。そしてあの時に得た『神通力』も、使えば使うほどに器用に、そして多様に変異していた。

 神父が振り返ると、男は女性に人気が出るであろう優男な笑顔で出迎えた。が、対照的に着こむタクティカルベストにチノパン姿が、妙に場違いのようだった。

 ――協会の拠点キャンプと言っても、この国で展開される協会は酷く小規模だった。

 主にここを活動拠点としているが、特に目立つ行動はない。その上でこの十数人規模がこの国に来たのもわずか一ヶ月ほど前の事らしく、また近々この場所から退く事も示唆していた。

 一体何が目的でここに来たのか――神父が考えられるのは、先の人口調整によって生まれた”特異点”の回収しか無かった。

 何かを誘っている様子もない。特に目立ったこともない。故に、彼らの妙な動きも、特に口を出さずに目をつむっていたのだが――。

「だからこそ、その加担者と成り得るなら知るべき事もある筈です。でしょう、『ディーノ』さん。貴方もその筈だ」

「……えぇ確かに。スコール神父にはこれから、恐らくこれからより狡猾で大胆な作戦に参加してもらうかも知れません。まだ予定すらないですが――協会が名だけではなく、しっかりと形をなす為に。そして機関に対峙出来る為に。貴方は、我々にとっても重要だ。故に、機関にとってもね」

 ディーノはそう言って、彼の向こう側にある闇に呑まれた街を見下ろした。

 最上階であるために光景は壮観だが、絶景とは言いがたい景色だ。背の低い平屋やテントが街灯に照らされる。そして明るい道を人が群れをなして流れていく。あるいは買い物を、あるいは強盗を、あるいは強姦を。様々な光景が入り交じる、混沌としたこの環境が、この街での日常だった。

 力が無ければ生きていけない。金が無ければ生きていけない。どちらかを持っていなければ、街を訪れたその日に命を落とす――地図上ではただの荒野として描かれるこの街の歴史は、そう長いものでもなかった。

 街を出ざるを得ない人間が自然に集まり作られた街。

 つまり掃溜スラムめだ。

 まともに身を隠せて、政府の目自体が届かない場所が他にあれば、何も好き好んでこんな場所には滞在しない。なにせ、今直ぐにでも協会に戻りたいのだから――ディーノは本拠地である某国に想いを馳せて、スコールには察されぬように短く嘆息した。

 これほどまで機関の手が早いとは思わなかった。

 この特異点を回収してからまだ二日。移動時間を考えて、あの数万人を排除してから二十四時間以内にはこの神父の、否、付焼刃に於ける特異点という存在は機関に発覚されていた。そして恐らく準備万端で法の下に従って飛行機で来た三人は、確実にこの神父を狙っている。

 適性者の特異点と同様、やはり”特異点”という存在が特別なのには代わりがないことを親切にも教えてくれる行動だった。

「ではスコール神父。少し、話をしましょうか」

「話……ですか?」

 男は重そうに銃を下ろして壁に立てかけると、そのまま壁に背を添わせるように座り込む。片膝を立てて、棒立ちになる神父を見上げるようにして口を開いた。

 ――神父らしい格好で、神父らしい優しい顔つき。眉はハの字に眉尻を下げ、どこか子犬のような優しい瞳は暖かく全てを見つめてくれる。整った顔は万人に受けいれられそうな甘いマスクであり、また高い身長が弱々しさを見せてはくれなかった。

 平凡な世界に居れば幸せな生活を育めそうなルックスは、されどこの世界に踏み入れてしまえば無意味の長物となる。

 さらに神父であるのにも関わらず、自ら手を血に染める事になる。

 一度それを目撃したが、果たしてまともな自意識を保つ次回以降、またそれが出来るだろうか。

 不安になる。

 だが、今はこの男を信じるしか無いだろう。

 残された手段は、時間はもう、そう長くはないのだから。

「と言っても、ボクから自主的に伝えらる事は特にはありません。質問コーナーとでも名づけましょうか」

「質問――今動いている機関は、やはりわたしを狙っているのでしょうか」

「十割方そうと考えて、まず間違いは無いでしょう」

「仮に接触したとして、やはり殺害されるのでしょうか。協会に入るにあたって、やはりそれは機関にとって邪魔になるから、と」

 ブラウンの瞳はどこか怯えた、というよりも悲しみの色を見せていた。

 それはこれから起こるであろう事を心配してなのか、はたまた感情も熱もない自身の瞳を見ての感想なのかはディーノ自身わからなかった。

「あるいは拉致って支部へ連行。後に実験体として様々な実験をなされるかも知れませんね。我々協会の会長は機関から抜けだしたが故に様々な情報を得ていますが、向こうにとっては全くの未知数。付焼刃が、どうして付焼刃たる能力を有しているのかすら判然としていません。そこでどうして我々、この街に居る我々の存在が、正確には貴方の存在が知覚されたのかはわかりませんが、ね」

 彼の言葉を聞いて、神父は思わず背筋を凍らせた。

 異質な発想。まるで人を人と思わぬようだ。彼はそう感じて、非人道的な世界に足を踏み入れてしまったことを改めて実感した。そしてまたこれ以降、人と戦うという機会があれば――本当にこの世界に飲まれてしまうだろう。

 最早この非日常が日常になってしまう。それが妙に恐ろしい事に感じられて、スコールは言い知れぬ焦燥感に駆られていた。

「はは、大丈夫です。貴方を守るために、我々はここに居るんですから」

 それを察知されたのか、笑顔でディーノはなだめてかかる。

 スコールはそれが少しばかり恥ずかしく感じられて、顔を逸らしてまた窓の外へと目を向けた。

「この荒んだ世界が、本当なのですよね」

「……本当の世界ってのは、ボクが思うに――その人が見る世界だと思うんですよね」

「その人が、とは」

「例えばただ平凡に過ごしている学生がいれば、ソレにとっては見る感じる全てがソレにとっての世界だし、我々のように死と隣合わせにいれば、その全てが我々の世界です。本当も何も有りません。平和かどうかなんて、それぞれが持つ、それぞれを包む世界にどのような影響を与えるか、程度でしか認識されてませんし」

「善悪と同じ様なものですね」

「えぇ、ですね」

 ディーノはそう言って立ち上がる。

 ストラップもない大型の対物狙撃銃をまた担ぎ直すと、ディーノは出口に向かいざま、ふと立ち止まって振り向いた。

「今日はもうお疲れでしょう。ボクは外を回ってきますので、お休みください」

「……わたしもご同行しても?」

「といっても行くのは屋上ですけどね。狙撃銃これでちょっと周りを見るだけです」

 ディーノ以外の四人は、昼から夕方にかけて起こった、PCM連中と対峙しそして警察に連行された機関の人間の動向を探っている。というより、留置所に入れられて以降姿を見失ってしまっているのだ。

 何を起こすか分からない以上、早急に見つけ監視に戻らなければならない。

「たまには外の空気でも吸いたいものですよ」

「わかりました。くれぐれも気をつけてくださいね」

 そういったやり取りの後、二人はその部屋を後にする。

 夜はやがて更けていき――されど終わることなく、まだ夜の長さを実感させられる出来事を見る羽目となっていた。

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