喧騒の昼
大量の火器類が収まっているトラックの箱状荷台から降りると広がるのは、荒野にテントが二列になって並び、その中央に道を作る光景だった。
最もそこは人が住まいとするテントではなく、ただ屋根がついだけの骨組み、その手前には箱が並び、雑多な果物、野菜から生鮮食品、少し奥まった場所に進めば火器類が販売されている『市場』だった。
賑わい、人通りが激しい場所だ。そこに来て、衛士等は本当にこの連中が何者なのかわからなかった。
アレから車両を破壊してしまった侘びにとここまで運んできて貰ったは良いが――通信端末の電源はつかず、また受信専用端末も漏れ無くイカれていて通信できない。故に、ただ北上せよとの命をつかまつっただけで目的地など、住所は無論、大まかな場所さえもわからない。
手がかりは”協会”と”超強い能力者”というものだけだが、いくらなんでもこの全てに靄がかかる連中にそれを漏らせる筈もなかった。
「何だこりゃ、スラム街か?」
『まぁスラム街だな。この街を統率するのは左遷された警察連中。お布施さえこなしときゃ目をつけられる事はない』
小銃を肩に担ぐ男が告げる。イワイはそれに反応して振り返ると、背後では荷台から箱から溢れる大量の装備をおろし始めていた。
衛士に左の腿を撃ちぬかれた男は止血を施したまま、顔色が悪そうに三人の近くで手持ち無沙汰になっていた。
『俺たちはそんなサツどもに雇われたPMCだ』
「PMC?」
『民間軍事会社……簡単に言えば傭兵だな』
「つまり、その警察がオレたちを連れてこいって?」
『実力を見てからって契約でね。だが、まさか一度でも巻き返される事があるとは思わなかったさ』
――少し話がおかしい。
否、それは少しなどではなかった。
そもそも民間軍事会社は独自に動いて、自ら攻撃を仕掛けるなんて事はしないはずだ。
するとしても雇用者の指示の元。下っ端が自ら赴き、不確かかも知れない機関の人間にテロ行為などは考えられない――衛士の知識では、少なくともそうだった。
最も、様々な会社があるからそうする可能性もある。だが衛士が一度だけこの南アフリカ共和国で対テロとしてPMCと肩を並べた際、彼らは戦闘が下手で率先してRPG-7を使うような事はしていなかった。
が、同時にそういった民間軍事組織が虐殺行為を行っているというニュースが耳に入るのもまた事実。
この場で判断できるのは、彼らの言葉は素直に鵜呑みにしないほうが良いということだけだと理解した。衛士は静かに肩に掛けた突撃銃を構え、安全装置を弾いて外す。
『な、なにやってんだ?』
男がうろたえる。
青年は構わず、無事である左の腿を銃弾で撃ちぬいた。
――発砲音がこだまし、硝煙が鼻先をかすめた。男はそのまま悲鳴を上げながら足を押さえ、崩れ落ちていく。同時に舌打ちが聞こえ、運んでいた荷物からそれぞれ装備を手に手にとって彼らは再び衛士らを囲み始めた。
「馬鹿が、まだ泳がせてたって遅くはならなかったろーが。てめぇ様よ、見かけによらず短気だな」
「拘束されて身動きできなくされた後で始末される可能性があったのに、悠長に構えてられねぇってんだよ。何よりも、上手く嵌められたって思われるのが気に食わねぇ」
街を前にして止まるトラックの背後に衛士らは並び、車両の前に並ぶ彼らはそれぞれ同様の突撃銃を構えて照準を合わせ始めた。
『そこの色々キレてる奴は生かしとけ。今はそれだけが命令だ!』
自称PMCと衛士らに挟まれるようにして伏せる男が命ずる。
そして連中が弾幕を作るのと同時に、衛士は引き金を引いていた。
「来たらカウンター気味に撃て。弾くらい避けられるだろ? アンタ等ならさぁ!」
「たはは! 無茶言うぜてめぇ様は、いつもよぉ!」
イワイはそう言って衛士の肩を叩き飛び出す。アンナは手から解いた帯を鞭のように振るって彼の尻をなぶった。
射線上の敵は肩口から血を吹き出してよろめき、切迫したさらなる弾丸が腹部を叩くが――強い打撃を受けたように、彼はそのまま地に伏せた。
向かってくる弾は衛士の腹のすぐ脇を掠めていく。走りだした二人は器用にそれらを避け、あるいは受け流しながら九人へと肉薄した。
――アンナが何かを投擲するように手を振るうと、上空から薙ぐように払われる帯が鋭く迫る。迎撃が難しいその攻撃は思惑通りに敵の一人に迫り、彼女が手を引き帯を掴んで引っ張ると、反動が付くその先端部分のたわみが失われ、弾けてピンと伸びる。振るわれた帯はよく確認しなければわからないが、先端に向かうほどに細くなる。それは故に、そういった目的のために作られていた。
だから手元は腕を動かす速度に等しいが、先端部分に近ければ近いほど、速度は加速度的に加速する。故にその打撃はいつしか斬撃のように、鋭利な刃物のように働いて――対象はその肩口を抉られ、間もなく肉体自体にかかる凄まじい衝撃によって意識を手放した。
「ヒュー、おっかねぇ」
イワイは漏らし――向けられた銃を、振り上げた足先で蹴り飛ばした。
軸足で肉体を弾いてさらに肉薄。うろたえる事しか出来ず、また反応が間に合わない周囲の仲間は徐々に弾を、あるいは鞭を受けて倒れていく。彼はそれを視界内で捉えながら、防弾チョッキの上から腹部を拳で穿たれた。
ただの打撃だ。本来ならば鈍く伝わり通ずる筈がない。のにも関わらず圧迫された内臓はそのまま血の巡りを緩慢にし、言葉も出せぬまま男は膝から力が抜けていくのを感じて、崩れ落ちていった。
イワイはそんな彼の腕を掴むと、そのまま軽く持ち上げて吹き飛ばす。すると傍らの男がなぎ倒され、彼は倒れた所を狙ってまた腹を蹴り飛ばす――。
衛士の命令も聞かず、カウンターというよりは見て明らかに攻めの一手だった手段のお陰で、一分と待たずに辺りからは喧騒が失せ、静寂が訪れる。
「今更人殺しなんざ厭わないんでね」
清々しい笑顔を向け、唯一意識が確かな両腿を負傷した男の額に銃を向ける。
唯一この戦闘に参加しなかった男はそれまでの惨劇に震え上がりながら、その歯を揺るがしカタカタと歯を打ち鳴らしながら、小刻みに頷いていた。
「とりあえず、アンタらは何者だ? 何が目的だ?」
英語での会話は既に慣れたものだ。訓練兵時代にみっちり一日十二時間を続けてきて、さらに個人での海外渡航で否応無しでの英会話。日常会話が成されぬが故に一苦労だったが、その苦労が実って今では殺気混じりに脅すことができている。
衛士が唯一実感できる、努力が報われた結果だった。
『お、お俺たちはきょ、きょうか――。ち、違う! 誘い出そうとしたんだ! 嫌だ、死にたくない俺はまだ死にたくない嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だああああっ――』
ぼん。
そういう音がして、頭は爆ぜた。男の頭部は見事に内部から爆発して、脳髄から血液からをはじき飛ばしてまき散らした。衛士はそれを全身にかぶりながら、銃に手を添わせ、安全装置がしっかりとかかっていることを、そして銃身が発砲故の熱を持っていないかを確認して、自分がその引き金を引いてこの男を殺害したわけではないことを理解した。
強い血の匂いに、生暖かい液体が振りかかる。また肉塊が肌に触れ、血が肌に沿って垂れるのと一緒に地面へと流れていった。
それから誘発されるように、同様の、ビンの口を手のひらで抑えつけるように叩いたかのような鈍い爆発音が鳴り続け、やがてその場に居た機関の人間以外の頭が余すことなく吹き飛ぶと、爆発は止んだ。
袖で顔の血を拭い、衛士は一つ嘆息する。
「んだコレ……何だ、コレ」
「時限式の爆弾を埋め込まれてたか、特定の言葉を起爆装置として爆発する能力か……あるいは手動で、監視してた所で情報を漏らさないようにってヤツだな。リーダーさんよ、そんくらいてめぇの頭で考えてくれよなぁ?」
声は出さぬのに、アンナは呆れたようにため息を付いた。
彼女は血のりの付いた帯を男の服で拭いながら腕に巻き直し、それから腰に手をやって片足に体重を掛ける立ち方をする。イワイは不意に興奮が下がり冷静とは言いがたい程に静になる衛士をその傍らで見守りながら、周囲を警戒する。
衛士は突然の出来事に混乱しながらも、通常の何倍もの時間をかけてイワイの説明を理解した。
「そんな限定的な能力ってアリかよ」
「超能力だからな。拡大解釈すりゃ”なんでもアリ”だわな」
「……だがコレで協会が関わってる事が判明した。やっぱ何処かからか入国が漏れてたんだ」
「ならこの街に居るとかか?」
いや、と衛士は首を振る。
ここに来ること、否、ここまでおびき寄せる事を想定しているならばこの街の反対方向に目標が居ると考えて良いだろう。だが少なくとも、ここまでの衛士らを監視する役目も必要な筈だ。そしてソレが居るとすれば、この爆弾魔の能力者だが……。
「まぁオレの所持金が五万ランド……日本円で四捨五入して約六○万だから、当分は節約しながらの生活だな。何があるかわからないし」
「たはは、強盗に気を付けろよ?」
イワイが言いながら肩を叩く。すると傍らで、袖を引く感覚があった。
顔を向けると、相変わらず表情が分からぬように鼻筋から上を帯で巻き、長く黒い黒髪を下ろすアンナが衛士を見つめていた。
「いわゆる婦女暴行的な問題なら関係ないだろ。中距離なら鞭、近距離なら肉体強化で徒手空拳があるんだから」
「おいおい、女の子はいつでも誰かに守ってもらいたいもんだって雑誌で読んだぜ?」
「アンタはいい加減女性向け雑誌を卒業しろ」
イラついたようにイワイのスネを蹴るとほぼ同時に、鞭がまた尻に襲いかかる。
そんな折に、不意に街の方から無数の足音が駆けつけてくるのを衛士は聞いて――。
――かくして衛士たちは、幸先の悪い騒動を経て、駆けつけた警察官に連行されたのであった。
「漫画とかゲーム見て思ってたんだけどさぁ、やっぱ留置所にブチこんでも服装はそのままなんだよな」
錆びた鉄格子が外と雑居房を隔てる。凄まじい汚臭が蔓延する五畳程の狭い空間に、三人は両手を後ろで組まされその上で手錠をつけられ、また足をがんじがらめに縛られてぶち込まれていた。
天井近くの窓ガラスの無い、また鉄格子のみで塞がれている小窓からは早くも赤い日が入り込んでいた。
ブンブンと飛び回る羽虫は鬱陶しく、アンナは特に肌の露出が高いせいか、虫に刺されぬように外套で身を包んで壁により掛かる衛士にさらに寄りかかっていた。
「発展途上国なんてこんなもんだろ。不当逮捕はお手のものだ」
しかし衛士らがあの惨劇を行っていない証拠が無い以上、説明は単なる言い訳に終わる。そもそも爆発以前も大層な騒ぎだったから街の人間もそれを見ていたはずだ。突然頭が爆発したなどと、超能力のちの字も知らぬ人間に言っても狂者扱いされるだけである。
また反対側から、イワイが肩を寄せる。
没収されたものと言えば、あの協会に雇われたであろう連中から奪ったM4と、バックパックだ。バックパックの中にはネジまで外された狙撃銃の部品に、火薬に薬莢。そして狙撃銃を組み立てるために使うドライバー等の道具だ。およそ彼らに理解できるものは銃身と薬莢、そして火薬程度だろうが、そこから連想できるのは銃火器であるのは確定的。
「……心配だな」
処分されないことを願うだけだった。
「結局はここに来る運命だったんだろうな。今ンな事考えても無駄かもしんねーが」
「ともかくココから出なきゃ。ミシェルさんから連絡が途絶えたのも気になるし」
「お、んじゃまたド派手に騒ぎを起こすのかぁ?」
「面倒事は嫌だけどな……この世界での職務を全うする警察官が相手じゃ、いくらか話も通じる筈だ。ともかく……」
静かな空間に響き渡る足音を聞いて、衛士は口をつぐむ。
下手な所を聞かれても困るし、何よりも誤解が生まれる事によってすんなりと通る話が通らなくなる事が嫌だったからだ。
やがて甲高くこだまする足音と共に、その影は鉄格子の前にやってきた。
衛士らをこの留置所に入れてから約一時間が経過した頃合いだった。
『あー、”エイジ・トキ”出てこい。貴様に幾つか質問がある』
「……オレだ」
『だから、出てこいと言っている』
「質問だけならここで良いじゃねぇか」
衛士が平常心で吠えて見せれば、しゃくれた顎を引く男はグレーの制服の腰に付いているホルスターに軽く触れた。そこに収まっているのは、ニューナンブと呼ばれるリボルバーの拳銃だった。
短く舌打ちをして彼は立ち上がり、ぴょんぴょんと跳ねるようにして鉄格子へと近づく。同時に南京錠の鍵を開ける男は、鉄格子の一部をドアのように開いて衛士を外へと誘った。
衛士の手錠の鎖を掴み、男は片手で器用に南京錠を施錠し直す。青年は引っ張られるようにして薄暗い、水銀灯が明滅する廊下を連れ去られる最中、じっと静観する二人を一瞥するだけで彼はその場を辞していった。
刑事モノのドラマで見るような狭い部屋、取調室に衛士は入れられた。小さなデスクと向かい合う椅子に座らされ、腕は勿論背もたれの向こう側へ。
対面する男は衛士を連行した青年とは違い、まだ若々しい好青年といった風貌だった。
『機関には私たちも散々恩恵にあずかっている。無論、君たちは知らん、間接的なものだがね』
木で出来たデスクの上には衛士が持っていた通信端末が置かれていた。
――清潔には欠ける部屋だったが、唯一まともな設備を持っている場所でもあった。
蛍光灯は明るく室内を照らし、いくらか狭い空間であっても空調が涼しく快適な湿度に保ってくれている。また内部からの施錠を可能としているお陰でいくらかは安全であり、また直接外に出られる扉も備えられている。
ここは留置所だったが、同時に隙を見せれば看守の命さえも危うい。
ここは日本とは違う世界なのだから。
『君の名前は端末から得た。ここまで話せば機関に所属する君なら理解できるか? いや、そもそも英語は出来るか? 中国人?』
小汚い印象を与えるクセッ毛を掻き上げ、男はその薄い目で嫌らしく衛士を視線で嬲る。
衛士が睨み返すと、青年は薄ら笑いを浮かべた。
『いいのかいその態度は。君のお仲間は私たちの手中に居るんだぜ?』
「どうでもいい話はそこまでだ。オレたちだって時間があるわけじゃない。慰安旅行で来てるわけじゃねぇんだよ」
『アハハ、いい度胸だね君いくつ?』
「十七」
まくし立てるような質問に堪えると、看守長らしきこの男は不意に黙りこむ。と思うと、直ぐに目を見開いて衛士をじっと見つめだした。
気味悪げに視線を返すと、衛士の背後に立つ、彼を連行した男が突然その後頭部に銃を突きつけた。
『貴様、下手な事は口にしないことだ』
『――手を引け』
間もなくその行動を制する看守長は、鋭い視線を衛士の背後に向ける。と、すかさずフォローのつもりで行った所作を無かったことにするように、銃をホルスターに収め、休めの体勢をとった。
色黒の肌を持つ男はそれから暫く考えこむようにして組んだ両手を机の前に置くと、それからまた部屋の奥に、あるいは衛士へと視線を右往左往させてから、やがて口を開く。彼はどこか緊張した面持ちだった。
『やれ』
男の言葉と同時に、衛士が座る椅子の足が強く蹴飛ばされて――世界が傾く。沈んだ身体がそのまま横転して、身体が傾いたまま重力に吸い寄せられる。身動きが出来ぬ故に受け身が行えなかった為に地面に叩きつけられた肉体は、激しい衝撃が受けて視界を、全身を揺さぶった。
その間に看守長たる男は帽子を目深にかぶって、倒れた衛士のすぐ横にたって、持ち上がったその革靴で衛士の顔を踏み躙った。それは痛みを与えるというよりも、より屈辱を演出するための行為のようだった。
『なるほど。この若さでこの胆力、育て甲斐があるってもんじゃあないかい。協会が機関から引き抜きたがるのも頷ける。わざわざこんな辺鄙なスラム街の警察に話を持ちかけたりしてまでね』
キレイな靴の裏が衛士の頬を穿つ。
衛士は息遣いすらも押し殺すように微動だにしない。どういった事であれ、相手にしてやったと思われるのが死ぬほど気に食わないからだったが――不意に腹部を力一杯蹴飛ばされた際には、思わず呻きが漏れてしまった。
『アハハ、抵抗すればいいだろう? 最も、抵抗したならばその分、いや、幾らか倍にして君の仲間にお返しさせてもらうがねぇ?』
「……了解った。話を聞こう。アンタの目的は……?」
『協会、機関もろとも秘密裏に作業をしてもらうことが前提だ』
「オレには無理だな」
『なら協会に突き出そう。その前に色々と楽しませてもらうがねぇ?』
――下手に動かない方が良いと思っていた。
それは何のために? 衛士が問えば、答えは湧きでるように染み出てきた。
物事を穏便に済ませ、早急に目的を済ますためだ。
だが動かなければ全てが済むというわけでもない。とりわけ今の状況はそうなのだ。柔軟な発想が重要だ。それに気づいていない筈がない。このオレに限って。
ならどうすればいい? 自分が訊く。
混沌とする感情の渦の中で際立つ孤独が、衛士の中にすっと染み込んで吸収された。残るのは不条理な扱いに生まれた怒りと憎悪、そして何よりもこの男の気に食わぬ思考回路に対する抵抗、そしてそうすればどういった反応が帰ってくるのかという好奇心。
爆発させればどうなるだろうか。
衛士は考えるよりも早く――首を捻って、頭に乗る男の足を滑らせた。
――というよりも、考えるのが面倒になったからかも知れないのだが。
『ぬわぁッ?!』
「さっさと来いよ、お前等ぁっ!」
拘束する手錠を引きちぎろうとして、さすがに自身にはその腕力がないことを理解する。衛士はすかさず側近の看守が拳銃を抜いたのを察知してぬるりと滑るように椅子から身を引き剥がすと、素早く立ち上がった。
『き、貴様――』
起き上がりざまにパイプ椅子を振り上げ、手元を打撃。すると運良く拳銃を打ち上げ、手元から僅かにその存在が離れてしまう。
衛士はそれを感覚で認識しながら、男の目の前に移動し――跳躍。看守に迫る衛士はそのまま彼に接触し、またそのまま押し、壁に叩きつける。さらに自由になる頭だけでヘッドバンギング。鈍器と化す後頭部はそのまま男の鼻筋を叩き、へし折り、また浮き上がった所をさらに叩いて壁に頭を強打させた。
容赦のない頭突きが、男の意識を奪い去る。
看守はそのまま崩れて――拳銃を拾った看守長が、両手でそれを構えて対峙した。
『貴様のは、敗因は、調子づきすぎた事だッ!』
「喋る暇があったら撃てよ三下」
――不意に、衛士のすぐ横にある扉が吹き飛んだ。
蝶番がひしゃげて扉を固定出来ず、外側から一点に激しい攻撃を受けたように扉は凸型に突きでていて、それはまるで飛び道具のような素早さで拳銃を構えた看守長へと特攻していく。そして思惑通りに鉄扉は彼をなぎ倒し、また背後の小さなデスクごと看守長を押しつぶして――。
「結局こいつらの正体が分からなかった」
「てめぇ様は頭が回るようで短気だからな。どうしようもねぇよ全く」
装備する耐時スーツが耐時スーツだけに常人の十倍以上の身体能力を持つイワイに手錠を破壊してもらいながら漏らすのは、自分の役割を果たせなかったことに対する懺悔だった。
しかし協会に繋がっている事は確実だと判明した。恐らくこの留置所がそうなのだから、警察も同じくそうだろう。が、自称PMCとここが繋がっているかは不明のままだった。
だが――多くの政府に精通していると思われていた機関が、まさか発展途上国ではここまで無力だとは思わなかった。衛士は手首に残る違和感をさすって誤魔化しながらそう考えた。
たぶん協会が直接的、実質的な援助を――いわゆる賄賂を渡しているのだろう。そうして協会は名ばかりではなく、徐々に協会としての形を作っていく。この成長速度から考えれば、軍事能力や資産は置いておくとしても、規模は世界抑圧機関と同レベルのモノとなるのも時間の問題であるのは明らかだった。
そして準備が整った所で叩く。衛士の視点から言えば叩かれるというのが正しいところだろうか。
だからこそ、今回の”付焼刃の特異点”という存在がこれからの能力者育成に大きな影響を与える。この特異点の有無によって戦力は激しく上下すると考えても間違いではない。故にこの任務は、機関のコレまでの仕事に比べれば特殊で、そして重要な任務であるのだ。
――何処かへ姿を消していたと思われたアンナは、何処からか衛士のバックパックを担いでやってきた。その手には、なにやら雑音らしき音が喚かれるイヤホンと、そして電源の付いた通信端末が載せられていた。
「おお、ありがとな」
衛士が手を差し出す。すると彼女はリュックではなくイヤホンを衛士の耳に装着させ、そして差し出された手を包むようにして、彼女は端末を掴ませた。
『――ジさん! 応答、お願いします! 衛士さん、応答を――』
途端に鳴り響く甲高い、どこかヒステリックな悲鳴は、鋭く衛士の頭の中を切り裂くようだった。
「こ、こちら時衛士。どうしたミシェルさん」
『え、衛士さん! やっと繋がりましたよ! かれこれ一時間くらいずっと呼んでたんですよ』
「あ、あぁ。まぁ色々あってな」
『色々と説明したいこともされたい事もありますが、全ては移動しながらお願いします』
さすがプロと言ったところだろうか。
彼女の声調は瞬く間にいつもの調子に戻って、冷静に状況を判断する。そして今一番必要なものを適切に選び、衛士に告げた。
『今回の舞台はどうやらそのスラム街のようです』
「……まさか」
『ふふ、そのまさかですよ。標的の潜伏先はそこでまず間違いないようです』
衛士はこの上なく深い溜息をついて――まだ終わらぬこの一日は、まだまだ死ぬほどに長くなりそうだと肩を落とした。
突然反応の無くなった通信先に慌ててまた応答を願い始めるミシェルの悲鳴を聞きながら、衛士はうんざりしたように、また端末を口元に持っていった。
――取調室にある窓の外は、既に薄暗くなりつつある。
治安の悪いこの世界での裏の一日、その始まりだった。