ナルミ・リトヴャク
時衛士の退院は、目を覚ますと同時に許可された。
理由としては、健康状態としてはこの上なく良好なものになったからという簡単な理由であり、医師や看護師がその急激なまでの回復具合に追求してくることはなかったが――さすがの衛士も、それを素直に言葉のまま受け止めるわけではなかった。
昨日の今日だ。
おそらく機関が無理に退院をさせ、そして休む間もなく任務に就かせるつもりなのだろう。最も任務と言ってもこの間のような死闘を繰り広げるわけではなく、今回は多分、技術向上に関するものだ。
しかしやはり――久しぶりにゆっくり休めたような感覚だ。
それだけは確かに分かる。ただ単に休暇を貰って自宅でダラダラするよりも、十分に骨休めすることが出来たような気がした。
衛士は病院の前で、大きく伸びをした。荷物がないから手ぶらであるために、着の身着のまま、随分と気楽な恰好だ。
着こむのはまだ新しいジーンズに革のジャケット。任務から戻ったそのままの恰好だが、綺麗にクリーニングされていたらしくシワ一つ無く清々しい気分で着ることが出来ていた。
そして――狙ったように”彼女”はそこに立っていた。
「お弁当作ってきたんだけど、食べる?」
少し伸びて目に掛かる前髪を気にするように指で払いながら、寒そうにトレンチコートを羽織り、チェック柄のマフラーを巻く彼女はそれでもスカート姿だった。いくら下にタイツを履いているようだが、寒いのならばズボンを履いてくればいいのに、と衛士は思う。
胸に抱くのは、竹や葦などで編みこんで作られた琥珀色のバスケット。彼女が言うお弁当はその中に入っている。
「ああ、有難く。近くに公園があったから、そこに行こうか?」
喋れば共に吐き出される息が白く染まる。
少し外の外気に触れていれば直ぐに頬が火照ってきそうなモノで、実際に彼女、ナルミ・リトヴャクもその頬を桜色に染め上げていた。
――少し歩いて到着するそこは、木々が天井のように葉と葉を重ねあわせ木漏れ日が影に見事なコントラストを醸しだす緑の多い公園。だが、季節が季節、既に十一月も間近ということもあって葉は枯れ果てたものが数枚残るばかりで、木はその殆どが丸裸だった。
まだ朝だからか、人は居ない。衛士は適当なベンチで彼女を座らせて、近場の自販機へと向かった。
「……わざわざ迎えに来た、って訳じゃないよな」
そんな雰囲気ではなかった。
いつもどおりの風を装って入るが、どこかよそよそしい。あの顔の火照りようはただ単に寒いからという理由だけではないだろう。
衛士は小銭を投入し、適当な缶コーヒー二本を手にして、なぜか強張る表情を深い嘆息で緩めてから、ベンチへと戻っていった。
「――ミルクの無糖と微糖があるけどどっちがいい?」
「そ、それじゃ……微糖」
「あいよ。熱いから気を付けろよ」
衛士はナルミの隣に座りながら手渡すと、まるで大事なモノを手にするかのように両手で受け取り、ふうと息を吐いたのか、大きく白いもやが吹き出て流れた。
彼女は唐突に現れ唐突に行動を起こす節がある。
いつもそうだ。どうにも気分が上がらない時や不安が募る時にばかり現れる。
まるで何処かで監視されているかのようなタイミングだったが、それでもこうやってわざわざ来てくれるのは彼女なりの気遣いなのだ。だが、ただ無条件に与えられる好意に呑まれるだけでは男ではない。衛士はそう考えていた。
「今日は腕によりをかけて作ってきたんだよ。病室で食べさせてあげようと思ってきたのに、外だとちょっと寒いけど」
バスケットの蓋を開けると、肉や野菜やら乳製品やらが綺麗に彩り豊かに挟まれるサンドイッチ。それは訓練兵時代にうんざりするほど食べさせられた、クラブサンドであった。
「エミリーからきいたよ。クラブサンドをくれてやると毎日残さずに食べてたって」
ひどい誤解だ。
衛士は辟易したように、細く息を吐いた。
毎日残さず食べていたとはいえ、あの時はエミリアからの差し入れがクラブサンドだけであったし、その上で食事は全てエミリアが差し入れてくれるものでしか取ることが出来なかった。外に出る暇もなかったし、また出ても何かを買う金がなかったのだ。藁をも縋るとは言うが、生きるためには出されるものを食べるしか無かった。
正直言えば、食い飽きたというほどであったが……。
「あ、ああ……よく分かったな」
「エイジは――そうやって、すぐ嘘を付くんだね」
「え? ……な、なん」
「エミリー不器用だもん。どうせクラブサンドしか差し入れてなくて、それしか食べられなかったんでしょ? エイジは優しいけど、相手の想いを肯定してなんでも受け止めれば良いってわけでもないんだよ……?」
ナルミは口走る。しかし衛士には、彼女が何を言っているのか――そして何故また突然に、こんなことを言い出すのか理解できなかった。
ならばあの時に食べ飽きたから食えるかと突き返せばよかったのだろうか。そう考えれば、どう思考しても答えは否だ。いかにそうであっても、好意を踏みにじることはしてはならぬはず。
最も、これは時衛士個人の価値観からの答えなのかも知れ無い。ナルミはただ単純に、強引で自分を強く出す男が好きなだけで、彼女はそれを衛士に期待しているのではないか――と。
考える間にも、彼女は言葉を続けていた。
「暖かいよ。エイジの優しい気持ちは、このコーヒーみたく暖かい。だから好きなんだ。こんな僕にも、いつでも、みんなみたいに平等に扱ってくれた。”僕だった僕を”認めてくれて、だから今の僕がある……だから、今現在、こうしてエイジに話しているナルミ・リトヴャクはエイジの為に在るって言っても過言じゃないんだよ?」
――いや。
そうではない。
色恋沙汰の話ではない。
彼女の言葉で、衛士は正気に戻ることが出来た。
これは飽くまで前座である。本題を切り出すための助走距離。その予備動作であり、初動動作だ。
時衛士は無意識にそう考えていた。
なぜ色恋沙汰ではないと思えるのか、その根拠の一切はない。
しかし彼の頭はどうしてだろうか。そういった方面の話題にはまるで理性が自動的に作用してしまうかのように避けてしまっていた。
「なら、お前は――」
「ナルミって、呼んで」
胸を射ぬくような鋭い眼力が、有無を言わさない。
「……ナルミは、オレにどうして欲しい?」
「ちょっとだけ、僕の話を聴いて欲しい。みんなの話も聴いたんでしょ? 僕だけ、不平等だよ」
悲しげに言う彼女は、ふくれっ面で衛士をにらむ。
そうして缶コーヒーのプルタブを起こして蓋を開けると、そのまま勢い良く内容物を口に含んで――。
「あちっ!」
勢い良く零す彼女は、そのまま純白のコートに乾ききった血痕のようなどす黒い色のコーヒーを汚して――しまいそうになる。その寸でのところで手を出した衛士はうまい具合にその全てを受け止めた。
”視えた”が為に可能になった行動は、まだ卸したてに見えるその服を汚さずに済ませていた。見事だ、と自画自賛できる行動だったが、それでも意識的に行えた行動ではない。気がつけば動いていた、脊髄反射に近いソレだった。
しかし如何せん、買いたてのそれはやはり熱かった。
衛士は慌てて手を引っ込めようとする中で、それを制止する手が彼の手首を掴んでいた。
「早く処置しないと火傷が悪化しちゃうよ!」
彼女はポケットからハンカチを取り出すと、それを手に押し当てるようにして水分をさっぱりと拭き取る。そうしてからハンカチを離して手を見ると、充血するように紅くなる手は、火傷をしたというよりも湯に浸けて温めたかのような外観をしていた。
どうやら思っていた以上に手の皮膚が熱く、火傷には至らなかったらしい。
されどやはり熱いものに触れたせいか、その表面は麻痺していて――手のひらをなぞる柔らかい舌が、不意に鈍くなる感覚の中で鋭利に感触を覚えさせていた。
「な、何してんだよ……っ!?」
「唾液には消化酵素っていうのがあってね、これだけでも消毒替わりになるんだよ。と言っても、飽くまで応急処置だし、エイジにはその必要もなさそうなんだけどね? 一応だよ、一応」
彼女は言って、ねっとりとした感触を手の中に落とす。
手相に舌先を沿わすように舐め上げ、繊細に動いて麻痺する皮膚を刺激する。艶やかに動くその舌はまるで別の生き物のように滑らかに、かつ細かく動いて――そのくすぐったい妙な快感が、衛士の頭の芯を圧迫するように熱くさせていた。
緊張、興奮が入り混ざる本能たる反応。
眼球が眼窩から圧迫されるように苦しくなって、呼吸は何をしているわけでもないのに荒くなる。
衛士はそれをひた隠そうと息を押し殺すが、上目遣いにその表情を見た彼女は、意地悪そうに口角を釣り上げるように笑って、口を離した。
さらにナルミは手のひらにハンカチを押し付け、その上からさりげなく手を握る。指の股に指を挟み、そのしなやかな指が絡みついた。
「なに、してんだよ……」
ベンチに片膝をついて、彼女は衛士の胸に寄りかかるようにして耳を当てる。抱きつくほどに密着する彼女の身体が、コート越しに、それこそ火傷してしまいそうな程に熱い体温が伝わった。
激しく脈打つ要因となっている鼓動は、それこそ今にでも破裂してしまいそうな程に心臓を弾けさせ、力強く繰り返している。ナルミのその行動は、それに一層の拍車を掛けた。
顔から湯気が出そうなほど暑くなるのを感じる。どうしようも無く恥ずかしいはずなのに、衛士は彼女を拒絶することが出来なかった。
「エイジの胸、すごいドキドキしてる」
「ナルミが、そんなひっついてるから……」
彼女は、衛士の手持ち無沙汰になっているもう片方の手首を掴むと、おもむろにその手のひらを己の胸に押し当てた。
コートの上からの接触。分厚い生地が素肌を阻むが、強引に押し付けるためにそこにある確かな弾力を衛士は感じていた。ゴワゴワと、生地自体の感触しかない。柔らかさも然程感じない弾力であったが――ただそれだけで、衛士の理性は吹き飛びそうになっていた。
こんな事は始めてだった。
この先は在るのか――あって良いことなのか。
彼女は受け入れるのか。受け入れていいのか。果たして――。
考えは纏まらない。考えが考えとして形作る前に、こぼれ落ちてしまう。
そんな衛士の脳みそは既に沸騰寸前だった。
「僕もこんなにドキドキしてるんだよ。こんな事してるけどね、すごい恥ずかしいんだ……でも、君なら、エイジなら、エイジだけにしか、こういうことはしないんだ。僕は、エイジが好きだから」
乾いた唇を、彼女は艶やかな舌使いで舐める。
押し上げるように身体をさらに起こす彼女の顔は、気がつくとすぐ目の前にあった。
色っぽく濡れた唇が、その潤んだほのかの蒼みがかかった瞳が、朱に染まる頬が――その全てが、衛士を待っていた。
「もう、応えてくれるよね?」
眼下、顎下で声が、気配が迫る。
ナルミと衛士との距離は既にゼロであり、しがみつくように服を掴む彼女は依然と彼の答えを待っていた。
彼女のアプローチは夏の終わりから始まっていた。しかしそれは幾らかの冗談だと思って、半分に聞いていたのだ。そしてどちらにせよ、友人同士の関係を壊したくないと逃げていたからまともに聞かぬ理由でもあった。
そして何よりも、衛士は誰とも交際をしないと心に決めていたのだ。
相手が、たとえ自分が好意を寄せる者であろうとも。
――己に関われば不幸になる。この世界に住む屈強な戦士となる女性を前にしても、衛士はついそう考えてしまっていた。
下手に巻き込みたくはない。
彼女のように好意を振りまいてくれる事は嬉しいが、それを見るたびに心臓が締め付けられるように苦しくなる。
嫌な予感がよぎるのだ。
だからここで首を振れば、ここまでしてくれた彼女にどれほど恥になってしまうのかとわかっていても――。
「すまん、ナルミ……」
殴られてもいい。
どれほどの罵詈雑言を頭から浴びせられても仕方がない。
思うと同時に彼女の熱が身体から引いていくのを感じて、衛士は女々しく目を瞑った。それは恐らく反射的に、ナルミの悲痛な、あるいは怒りに満ちる表情を見たくないと考えたからなのだろうか。
気配は、思ったよりも動かなかった。
否、正確には近づいてこなかった。
何が起こっているのか、何故起こらないのか。それを確認するために、重く落としたその瞼を、薄く開ける。ただそれだけで胸に突き刺さるような罪悪感を感じていた。
「やっぱり外は寒いや。お弁当は、ウチで一緒に食べよう?」
バスケットをまとめて立ち上がった彼女は、先ほどとは打って変わった――そのいつも通りの笑顔で、そう声をかけて背を向けていた。
――女心は複雑だ。
その言葉を思い出すが、恐らく今回の事は関係ないように思えて仕方がなかった。
原因は自分だ。
考えながら、彼女に手渡した缶コーヒーが踏み潰されたようにひしゃげ辺りに内容物をこぼしているのを眺めながら、促されるままに衛士はその重い腰を上げた。
そこから少しばかり離れたマンションの一室が、ナルミ・リトヴャクの自宅だった。
可愛らしい壁紙が一面に広がる、いかにも女の子らしい部屋――というものでは、決してなかった。
打ちっぱなしのコンクリートが、その特に家財のない部屋の殺風景さを増幅させる。
在るのは簡素な寝台と、その足元に置かれるパソコンデスク。そして鎮座するデスクトップパソコンだけ。十畳ほどある広さにはそれ以外が無く、また玄関からその居間兼寝室らしき空間に通づる通路に台所、そしてトイレ、浴場の扉があったから、恐らく部屋はこの一室だけなのだろう。
彼女はマフラーを外しコートを脱ぐと、それを綺麗に畳んで寝台の前に跪く。その土台部分である引き出しを引き抜いてそれらをしまうと――長袖シャツにスカート姿という簡単な格好になる彼女は、そのまま寝台に座り込む。
ただその部屋の前で立ち尽くす衛士を手招きして、彼女は自身の隣を叩いて促した。
「驚いた?」
彼女は意地悪そうな笑みを浮かべる。
そんな言葉に、ひたすらにぎこちなく笑い返す衛士は、ナルミの隣に座ってから言葉を返した。
「あぁ、お前にしては――」
「ナルミ、って。ね?」
発作のように頬を赤らめて身体を寄せる。
――ここに誘った目的は、本題へと移行するためなのだろうか。衛士は未だ落ち着かぬ心臓を激しく弾ませながら、小刻みに震えるように頷いた。
その時に見た彼女の目は、酷く据わっていた。
「随分と、片付いてるな……」
「何も無いでしょ? 僕の心と一緒。でもね――君が、やっと来てくれたんだ。ね、エイジ?」
――彼女が勢い良く抱きついてくる、その刹那。
振り抜かれた白刃が衛士の腹部目掛けて振り抜かれた。
「これからも、ずっと……ッ?!」
予知をする衛士を前にして、それが無駄であることも忘れたように。
衛士は情け容赦なく手首をひねると、そのまま彼女がナイフを握る腕を押し戻し勢い良く柄尻で水月を撃ちぬく。するとナルミは短く悲鳴を上げてよろめき、彼はすかさず背後へ回りこんで両腕を拘束した。
「やだッ、痛いよエイジッ! 離してッ、離してよォッ!!」
パン切り包丁が床に落ち、軽い金属音を鳴らす。
叫ぶように喚く彼女は、何の遠慮も無く全力で暴れて拘束を力で解こうとする。全身を左右に捻って揺れるが、衛士が腕を引く、掴む力をより強めると、途端に暴れ馬のような猛々しい抵抗はすぐに止んだ。
その代わりに全身が脱力したようにベッドにもたれ掛かる。衛士はそんな彼女を支えながら――同仕様もなく、自分を責めることしか出来なかった。
自分が彼女のアプローチを無視したせいで焦り、そして先ほどの告白すらも無下にした。
ナルミが衛士を支えにしていたのは誰が見ても明らかだった。その関係が、単なる友人関係だとしても微笑ましいと、誰からも言われていた。誰一人として彼らの交際を否定するものはおらず、むしろ勧める人間が殆どであったのに、ただ一人それを拒絶したのが衛士本人だった。
相手の望むものすらもたたき落として、漠然と、確定したわけでもない不幸を視て諦める。
弱者が弱者なりに生きるための処世術を、彼はいつのまにか人間関係にて会得してしまっていた。
ただ力を求めていたがために、すっかり鈍っていた人と人との繋がりは――どうやら一方的、衛士に向かって来るものだけだったらしい。
彼はそれを、たった今認識した。
しかし加えて言えば、時衛士自身がそれらを蔑ろにしていたわけではない。
ひとえに、ただひとえに独りよがりが過ぎただけなのだ。
ならば今、どうすればいい――考える間もなくすぐに判る答えは、受け止める事だった。
これほどまでに、己が精神を削りまでして好意を寄せてくれる彼女に。
そしてソレを受けて尚、心が揺らがぬほど純粋無垢な男というわけでもなかった。
思考すると同時に、気付かないふりをしていた、ひた隠していた気持ちが胸の奥そこからにじみ出ていくのがよく分かった。
「エイジ……ねぇ、聞いてよ……。僕さ、君が居なきゃダメ、なんだ。エイジが誰かのモノになるなんて考えられないんだよ……ッ!」
瞳はすぐさま涙で潤い、まばたきをすれば溢れて溢れる。
構わず、彼女は嘆くように喚き、続けた。
「エミリーだって僕より早く君に出会って、しかも教官だった! 今じゃ同僚……エミリーは不器用だし乙女だから自分でも気付かないけど、情がわかないわけがない! ミシェルだって腹の底で何考えてるか分かんないし、君と初めて出会ったんでしょ? 君だって、彼女の事が好きな筈なんだ! だけど、僕は、エイジが居なきゃダメに――」
言葉を止めたのは、彼女の身体が人の体温に包まれたからだった。
背後からの抱擁。優しく、しかし隠し切れない急速な鼓動が背中越しに伝わる。
顔の脇から現れた衛士の顔は俯くが、彼女にはその行動が、何を意味しているかすぐに理解することが出来た筈なのに、頭は真っ白になって、身体は考えることを放棄した。
「エ、イジ……?」
「オレは多分、この気持を忘れちまってたんだ。あの時を境にして、オレは少し変わった。でも分かったんだ。お前……ナルミのお陰でさ」
愛するという、人を好きになるという事がピンとこなかった。
しかしよく考えれば、その代わりに誰かを守りたいという気持ちが強くなっていたのだ。
ならばなぜ守りたいと考えるのか、深く掘り返せばすぐに判る。ソレが守りたい人だからだ。
なぜ守りたい人なのか? 問いは生まれるが、同時に答えも生み出される。
好きだからだ。
――確かにミシェルは十分に魅力的な女性だ。ひとめぼれして、これまで引きずっていたのかも知れない。
されど、今、その気持が最も強いのは目の前の少女だった。
「こんな曖昧な言葉で悪いんだけど……その。オレ、ナルミの事が――好き、なんだと思う」
力強い脈拍が、脳みそを強く圧迫する。どうしようもなく緊張するこの全身は小刻みに震えて、どうしようもなく格好悪く思えて抑えようとするが、結局はナルミをより強く抱きしめるだけになってしまった。
「は、はは……なんだよ、ソレ……エイジ、君は――人の心を、弄んでェッ!」
振り上げる頭は、衛士がいつもそうするように拘束する相手の顔面を強打する。
そしてよろめいた隙に、力が弱まった瞬間を見極めてするりと拘束を抜け、そして振り向きざまにナルミは衛士を押し倒した。
両腕を両足で抑えこんで馬乗りになる。
見上げる彼女の顔は怒りに満ちていて、とても先ほどまでのナルミとは思えぬものに変わっていた。
喘ぐように涙を流すナルミはそのまま拳を振りかぶって、力一杯衛士の顔面に振り下ろした。
「人が、一生懸命頑張ったのに断って……なのに、自分がピンチになったら御機嫌伺いで告白? いくらなんでも、僕を馬鹿にしすぎだよ、エイジ……」
鉄拳が頬を穿ち、口内を切り裂く。
さらなる拳は対面の頬を撃つと、その拳骨が皮膚を裂き、鮮血を滲ませた。
「僕がどんな想いで君の事を考えてるか知ってるの? 僕がどんな想いで君を見てるか知ってるの? 今日だって君が退院するの知ってて待ってたんだよ、それで、君はたった一週間でちょっと変わったみたいになっちゃって、でも実際はいつもどおりで、僕も、君も緊張して――幸せだったんだ。でもね、フラれてもしょうがないって思ってた」
だって一緒に過ごした時間がそう長いわけではないから。
印象が強いわけでもないが、だからといって忘れられるというわけでも無い。
つまり恋人関係となるにはより濃厚な出来事があまりにもなさすぎた。一方的な想いだけで好き同士になれれば苦労はないのだから、もっと頑張ればいいだけだと思っていた。
「だから、せめて部屋で一緒にお弁当食べようと思ったのに君は――”お前”って……名前で呼んでくれなかった。それで、なんかもう、エイジが届かない場所に行ったみたいに思えちゃって、君が、もう僕の所に来てくれないって、考えちゃって」
だからカッとなって、気がついたら衛士を殺そうとしていた。
彼がここで死んでしまえば、ずっと自分のもののままで居られるから。
誰かに取られるよりも遙かにマシに思えたから――。
ナルミはその全てを吐露し終えると、そのまま崩れ、衛士に覆いかぶさった。
「エイジ……お願いだから、僕には正直な気持ちでいてよ……」
感情の爆発は終え、疲弊しきったのか語尾は殆どかすれて聞こえなかった。
そうすると間もなく、衛士の顔のすぐ横に落ちたナルミの頭は、すぐに静かに繰り返す単調な吐息を始め――寝てしまったことを教えてくれた。
衛士はそのまま目を瞑り、片手で彼女の頭を優しく撫でる。
「ナルミ……ごめんな」
自分で自分を殴ってやりたいほどにダメ過ぎた。まるで狙ってやっているかのようなタイミングだ。コレでまた、もっと自分が嫌いになるが――なんだか、一つすっきりしたような気もした。
ただ力を付けるだけでは強くなれない。
強いとは戦闘面で負けないことだけではないのだと、学ぶことも出来た。
――彼女が起きたらまた改めて「好き」って言おう。
オレの気持ちはもう変わらない。
衛士は頷いて、胸の底から息を吐いて、意識を深淵へと突き落とした。