それぞれの混迷
機関を訪れたランド、ダン、スコールの三名はエミリアに連れられて研究施設へと誘導された。
健康診断と特異能力の検査、それからこれよりの研究に対する協力を要請するために一週間程そこで生活をしてから、それぞれ適正者のように一般の生活が出来るようになるとのことだった。
衛士はその怪我や衰弱のために一時入院。アンナは通常通り帰宅し、そして気を使うように見舞いをしているらしい上に、毎日その見舞いがアンナに限らず、絶えることがないという、随分と羨まし状況となっているらしい。
彼はそれらを思い出して、もう心配はないか、と息を吐いた。
――暗く、なお昏い。
空間はいつものように闇に塗りたくられていて、その中でしわがれた老人の声だけが彼と繋がっていた。
『今回も特異点へは進化できなかった……推測が外れて残念か? 祝』
意地悪そうに押し殺した笑いが外部スピーカーを擦るような音を鳴らす。
イワイはそれまでの気安そうな笑顔を喪失し、一切の感情を排他した顔のまま後ろで手を組み、何を視るでもなく闇を凝視した。
押し殺すでもなく、されど叫ぶでもない声には熱がない。
まるで別人のように”何か”と対峙するイワイは、やがて口を開いた。
「機会は後一度……そうだったな。ゼクト」
そう言って、彼は自分が握りしめていたカードの存在を思い出し、暗闇の中でそれを目の前に持ち上げる。
見えない。
光のないそこではそれが当たり前だった。
されど、それを幾度とも眺め続けていた彼の網膜にはそれがどのような形でどのような硬さで何を描き何を示しているか、それを照明の下で見るが如く認識できていた。
――自分の無愛想な顔写真。
その上には『祝英雄』という名と、その隣には三月一日という取得した日付。顔写真の隣には『特異点となるまで有効(残機・一)』と示される文章。
まるで運転免許証のように作られるソレは、イワイがこの地下空間にて機関の一員として活動するための許可証でもあった。
これを手に入れてから既に経験的には一年以上が経過したが――実質的には、未だ七ヶ月。
そして後一度の任務で特異点となることが出来なければ”処分”される。
イワイはそれを承諾した上で二度と脱げぬ耐時スーツを身につけ、この地下を訪れていた。
『そのとおりだ。しかし思い返せば――くふふ、あの程度の交渉で頷いてくれるとは思わなかったがな?』
「藁をも縋るさ。しかしお前はソレすら反故にした。お前の所為でヤツがどんな目に遭い強くならざるを得なくなったか、わからんだろうなぁ。あまつさえ俺をこの状態に、な。特異点矯正サポーターだったか?」
手のひらを胸に当て、指でなぞる。
アレほど分厚かった生地は今となってはタイツが如き薄さとなっている。これでは肉体と癒着というより、完全に一体化してきている。そうしてあらわになるのは、より強調される、昆虫の腹のように割れた腹筋や、筋肉柄のシャツでも着ているかのような肢体だった。
その姿はその肉体自体がパワードスーツと化しているようなもの。
それと引換に得たものは、単純なあらゆる能力の強化だった。
『本来、耐時スーツとは強制的に特異点へと進化させるための副産物だったのだが、これではあまりにも効率が悪いというので単純な強化スーツへ移行させた。貴様に与えた理由なぞは、直感的に”コイツならいけそうだ”と思っただけだ』
「アイツも、か?」
『ふぅむ……アイツとな?』
「衛士だよ。時衛士」
『くふふ、どうだったか……年寄りの頭では思い出せんのう』
「だとすればあの時は随分と豊作だったろうな。衛士と同期だった、あの女のコも才能が跳び抜けてるんだろ?」
『あぁ、あの”耳が良い娘”か。そうだな、あの娘も随分と良い線をいっている。貴様のように、下ごしらえだけは済ましておくべきか?』
下卑た笑いは、わざとそうしているのだろうが、ともかくその笑い声が耳に障った。
特異点――そうなるためには後は何が必要なのか。
イワイにはソレが分からなかった。
副産物は既に肉体と一体化しているし、その実力だって平均的なものを遙かに凌駕している。
あと一つ。あと何か一つだけが必要であるのは理解できるが、それが何であるのかは判らない。
衛士に訊けば早いのだろうが――こうなった経緯を聞かれてしまえば、恐らく彼はまた暴走する。そうすれば、奇跡的に今回回避できた展開を再熱させ、ここを離れることになるだろう。イワイはそれだけは、どうしても防ぎたかった。
取り戻せぬとも再び築いたそれらを、今度は己の手で崩すことなどさせることはできない。
その為に、この命が消えよう事になっても。
『だがまだ早い。まずは貴様だ』
「わかっている」
『トキ・エイジは参考にならなかったか?』
「いや……ヤツと居ると俺が昂ぶる。何かを掴めそうだった……実際、アイツが離れた場合、俺は特異点になれたんだろう? アイツと戦って、よ」
イワイは踵を返し、出口へと向かう。
己の問いの答えを聞くつもりなど最初から無かったのだろう。
彼はそうして、飽くまで静かな足取りで、鉄扉を押し明け、その空間から出ていった。
残されたのは、扉から差し込む照明の残渣。
監視していた男は、それから外部スピーカーを切らずに、誰にともなくつぶやいた。
『英雄にでもなれれば良いのだがな』
重力子含有量は個体が持ちうる量を遙かに凌駕し、衛士が持つソレすらも超えている。つまり実質的には特異点となっても良いはずなのだが……。
あるいは、未だ知らぬまだその先があるのか――。
ゼクトはそう言って、空間との繋がりを断絶した。
「大事にならなくて、ホントに良かったですよ」
目を覚ますと既に居たミシェルは、椅子から立ち上がってそう言った。
不眠不休で丸五日間サポートし続けた彼女の方が体力的には限界を上回っているであろうはずなのに、彼女はその透き通るような金髪を乱し、また目の下に深いくまを作りながらも笑顔で居た。
「ミシェルさんが頑張ってくれたお陰……っていうのは、白々しい?」
「えぇ、とってもっ!」
頬を膨れさせ、絶対的優位を表現するように拳を作って腰に当てる。
彼女はそうして、本当に泣き出してしまいそうに眉尻を下げて、崩れるように椅子へ腰を落とした。
「指示の全てを無視するんですもん。すぐ解散するし、聞くだけ聞くとすぐ飛び出しちゃうし……結果オーライって言えば、そりゃそれまでかもしれないですけど……」
現在が現在だけに、一概に彼を責められたものではない。
結果的には衛士の行動が一番最善だったのかも知れない。ミシェルの指示を聞いてそれを従ってしまえば、恐らくは神父がそのまま協会を離反するだけで終わり、結局は何も進展しなかっただろう。
今回に於いて、スコール・マンティアが機関に来たことは大きかった。
そして彼が時衛士と深い親交を結ぶことは、それ故に時衛士と神父の機関においての立場を確立させることになっていた。その為に、少なくとも元協会員という事で戦闘員から差別されることはあろうとも、機関が彼らを蔑ろにしたり、いわゆるパワーハラスメントを行うことがなくなったわけである。
――ここに来て既に機関の主力となる実力者を籠絡していた。最も、ただ無自覚に凄絶な人望を持っているだけなのだが、これはこれで恐ろしいほどにすごい事だ。
今日で既に二日目となる入院生活。
つい先ほど目を覚ました彼だが、それまでで既に数人の見舞い人が訪れている。
あの堅物のエミリアを始めとして、アンナ、ナルミ・リトヴャク、そして船坂。加えてどこから話を聞きつけたのか、適正者ですらない一般戦闘員が三人ほどグループでやって来さえした。一体どこでどうやって出会ったすら不明だが、初日でコレほどとは、さすがにミシェルも驚きだった。
しかし、出会った当初は、才能はある程度ありながらも結局は発芽せず落ちぶれてしまうものだと思っていた。そうなったら、責任持って引き取ろうとさえ考えていたのだが――思ったより上手くやれていて、彼女は親心のように良かったと思えていた。
そう思う反面で、少し不安にも思う。
彼を誘い、そして彼が不幸にのたうちまわってしまった責任を感じていた事を赦された。だから、最初から出会い、全てを知っているのは私だと言う思いが、どこか彼を一番身近な、それこそ身内のように考えさせてしまう。
だから、誰かに取られてしまうのではないか。せっかくまたお話できるのに、どこかに行ってしまうのではないかと不安に思うのだ。
手放したくはない。
されど窮屈な思いはさせたくない。
彼が私に興味を持っていることは知っている。それが恋心なのかどうかはわからないが、そうであって欲しいと思うのは――傲慢だろうか。
――黙りこむのを見て、衛士はミシェルが本気で怒ってしまったのかと思ったのか、オロオロとうろたえる。彼女はそれに対して吹き出すように笑って、目尻に溜まる涙を手の甲で拭い去った。
「いえ、怒ったわけじゃないんですよ?」
衛士が離れていくかも知れない。
なぜかそれだけが頭の中で消えることなくグルグルと巡り回り不毛な考えを繰り返えし始めていた。
通信で地下から援護していた時は少なくとも、不安だったがこういった考えは無かったはずなのだが……。
「あぁ、でもまあオレも心配をかけ過ぎたってトコかな。いい加減独りじゃないって分かってたんだけどな。今回でよく分かったよ、みんなオレの事を認めてくれてるって――」
その言葉に反応したのかは、正直ミシェル自身よくわからなかった。
みんなが認めている――自分の所有物であり独占をしているというわけではないことは、勿論わかっていたはずなのに。
何故胸が、締め付けられるように痛くなるのだろうか。
――彼女は不意に立ち上がると、即座に我に返る。が、驚いたような衛士の表情を見て、なんだか居たたまれなくなって、
「私はもう休みます。エイジさんもご自愛くださいねっ」
両手で顔を覆うようにしながら足早に、ミシェルは病室を後にした。
「手前さまは女心ってモンを分かっちゃいねぇのよ。誰が自分に気があるのかは分かるくせにな?」
すれ違いざまにやってきたイワイはそう言って、先ほどまでミシェルが座っていた椅子に腰をかけた。
手土産に持ってきたのは手軽に食べられるリンゴやミカンなどの果物類と、適当なミステリー小説、クロスワードパズルの雑誌だった。
あと一週間もしないうちに退院なのにいくらか大袈裟な気もするが、気持ちはとても嬉しかった。
衛士は有難くそれを受け取って床頭台に置くと、それからイワイに返答した。
「お、女心って……今関係無かったろ」
「複雑なんだよ」
「今の流れからそんな展開に行くくらい?」
「複雑なんだよ」
「なんか、こう、恋愛的な? 要素ゼロだったのに?」
「複雑なんだよ」
こいつとりあえず複雑って言っときゃいいと思って……。
衛士は失望したように肩をすぼめて深い溜息をつくと、それからコンビニ袋からミカンを一つ取り出し、膝の上で皮を剥き始めた。イワイはそれを見て倣うように、自身が持ってきたリンゴを肌――というか、全身タイツのような耐時スーツで磨き、噛り付く。
というか、コイツの耐時スーツってこんなに薄かったか? そういった疑問が浮かぶ一方で、そういえばコレは肉体と一体化しているという話を思い出した。
これを装備し見事に扱えるのはほんの一握り。そしてイワイは現在残存する、その『旧・耐時スーツ』の使用者の最後の一人だった。
そもそも”旧”と付いている時点で、もうそれの使用許可が下りていないことは明白なのだが。
だから、恐らくその耐時スーツはいずれ完全に肉体と化す。脱げなくなるのは、普通の肌、肢体、肉体と同様になるからという意味なのかも知れない。最も、実際に現時点で脱げなくなるという事もあるのだろう。
「どの道部屋は隣なんだろ? 適当に取り繕っとけ」
「まあ、フォロー的な事はする予定だったけども」
「……なぁ、衛士」
「ん、どうした。急に」
上体を前のめりにして、膝に肘を置く。彼はそのままうつむいて、何やら搾り出すように声を出した。
――今日見舞いに来る奴は妙なのばっかりだ。
衛士は思いながら、ミカンをまるごと口の中に放り込んだ。
鼓動が早くなるのを、イワイは感じていた。
緊張する。腹の奥底に鋭い、電撃でも走ったかのような痛みがあった。
血中に混じって全身を駆け巡る痛みが自分を苛む。これから口にしようとしていたことを、まるで止めろと制止するようだった。
「おいおい、どうしたんだよマジに。病院で具合悪くなってりゃ世話ねーぞ」
衛士は寝台のすぐ近くにあるゴミ箱に皮を捨てるついでに、寝台の外に足を放る。そのまま立ち上がると、イワイの前に近寄って――またミシェル同様に突然、彼は立ち上がった。
思いつめたような表情だ。
まるで何か悩んでいますよと言っているようなものであった。
「ワリィな。何でもねーよ」
が、それが錯覚、幻想だったかのように彼は晴れたように笑顔を作る。引きつったようにも見えない、自然なソレだった。
イワイは背を向け、退室しようとする。衛士はそんな彼の後ろ姿に声を掛けた。
「言えるようになったらいつでも言ってくれよ。オレたち、もう友達だろ……?」
「……そう、だな」
一度立ち止まる。そうしてから返す言葉はそんなそっけない一言で、彼は再び、開け放たれていた扉から姿を消した。
「何なんだよ、アイツら……」
見舞いに来たのか、不安や焦燥を駆り立てに来たのか判らない。そのくせ一丁前に自分の苦悩だとかを隠せたと思っているのは甚だ不愉快だ。こちとら、なぜだか嫌でも直感的にそれを察することが得意なのだから。
衛士は缶コーヒーと小銭入れを手に、ロビーの椅子でため息をついていた。
どうにもあの個室に居ると悶々と立ち込める負の思考に飲み込まれそうだったし、かといって既に肌寒くなる外に出るのも嫌だったからだ。
その病院は、一般的な病院よりも割合に大きい。
この地下空間でも商店や工場、建築や土木、その他の様々な職種が純粋にこの地下で生活するために、殆ど普通の街と変わりがない。だから何もしない老人も居れば、されどかといって働かない若者が居るというわけでもなかった。
この街で生まれこの街で死んでいく者がいる。既にこの地下空間というものが作られてどれほどの時間が経過しているかはわからないが、少なくとも一世代分以上はあるらしい。
学校は一応あるらしいが、高校まで。望めば戦闘訓練校への入学も可能であり、また就職は機関が全て手ほどきをしてくれるため、あぶれることがない。
だからこの街、この関東圏ほどの広大な土地を持つ地下空間で道をゆけば普通に若者が歩いている。衛士よりも遙かにこの街での、この機関での、この地下空間での自分の在り方を理解した者たちが。
つまり地上とは余り変わらないのだ。圧倒的に違うことと言えば、夜がないこと。常に日中であることだ。
だから衛士が静かにその待合室でゆっくりしていても、辺りは騒がしい。最も、この適度な騒がしさを求めきたのだから、むしろ助かったのだが。
衛士は大きくため息を付いてから、缶コーヒーを一気にあおった。
「隣、良いかしら?」
苦いブラックコーヒーを飲めば頭が冴える。そう思ってずっと飲み続けていたが、ただ舌に染みこむような苦さが余韻として残るだけだった。
もう二度とブラックコーヒーなんて飲まないぞ、と心のなかで決意する中で、そういった声が頭上から降り注いだ。
顔を上げると、真っ赤に燃えるような髪に、同色の縁を持つメガネ。そして白衣を着こむ女性は返答を待たずにとなりの椅子に腰を落とした。
「あぁ保健医……っと、アイリンさん……でしたっけ?」
「好きな方で呼んでもらって構わないわ」
彼女はそう言って手にもつミネラルウォーターを手渡した。口直しにということらしいが、そのペットボトルの蓋はすでに開いていて、水も半分ほどしか残っていない。つまりは飲みかけだ。
しかし彼は構わず受け取り、一口含む。そいつを手渡すと、彼女は疲労の色濃い顔で深く息を吐いた。
「付焼刃らは貴方の看病より手厚くもてなすから安心して頂戴ね。下手に誤解を受けて攻められても、辛いのはお互いだけだし」
「えぇ、なら安心しました」
「でも敵であった筈の付焼刃が味方になるって言うのは、少なくとも適正者や上位互換には衝撃かも知れないわね。いい歳だし、まさかいじめとか言うことはないかも知れないけれど、中立に立てるのはあの任務に就いていた貴方達だけなんだから……ね?」
「わかってますって。……大丈夫ですか? 随分疲れてるようですが……」
彼女も彼女で深いくまをつくって、頬は以前見た時よりこけている。
まるで残党狩りから逃げている敗戦兵のようだった。
「あと少しで新しい副産物が完成するって所で、付焼刃に、付焼刃に於ける特異点が来たから……なおさら休む時間が無くて。今は部下から無理やり追い出されて、お昼ついでに見舞いに来たのよ」
フィルムのような包装容器で作られるゼリー飲料を、彼女は眉にシワを寄せながら飲み下す。その表情はまるで苦手なものを無理に食べるような風だったが、恐らくもう身体が疲弊しすぎていて食べ物を受け付けなくなっているのだろう。
一刻にそういう経験があったから、衛士にはよく分かった。
そしてこれを治すには、精神的なストレスを緩和することは勿論、肉体を十分に休ませてやらなければ始まらない。
「ふぅ、元気百倍ってトコかしら」
げっそりした顔でアイリンは微笑んだ。
「その笑顔でオレが元気になりました」
「あら。どこで覚えてくるのかしら。そういうの」
彼女は研究者だ。
この街で生まれ、その素質を見込まれて幼少期からその世界に踏み込んでいる。
今では全ての研究、技術開発に於ける責任者たる位置に立ち、また実際に指導し加わるまでに至っている。
衛士にはとても考えられない世界だが、彼女にとっての戦場が衛士にとっての研究現場なのだろう。そう思うとなぜか対等になれたと思えるのだから、つくづくこの頭は単純だと思う。
「特異点たるキミに一つ質問!」
なんだか気分が落ち込んでくる。そう思う最中に、彼女は少女っぽく元気に手を挙げた。
「なんです?」
「未来の”音”を聞く時って、どうすればいいと思う? キミは実際に”未来の経験”を記憶に刻んで、それを改変する選択をするわけでしょう? その説明が面倒だから、予知ってことにしてるけれど」
「えぇ、まあ、ですね。しかし――音ですか。オレの場合は目なんで、こう……集中するときは手で枠を作って、カメラのレンズを覗くようにすれば段々慣れてきましたが……そうっスねえ」
「形としては携帯音楽プレーヤーみたいな物で、それで受信してイヤホンから聞くみたいなものにしたんだけど……どうも、上手く受信しないのよ。普通の音楽プレーヤーはイヤホンを受信機にしているわけでしょう?」
「漠然と未来お音を聞くってんじゃ、そりゃ無理な話ですよ」
衛士は思いついたように、自分の腿に平手打ちをした。
スパン、と小気味良い甲高い音がなる。
アイリンはそれに食いつくように体勢をずらしてより衛士に向かう。それを見て彼は、少しばかり注目を引きすぎたと顔を引き攣らせた。
「いや、あの……素人考えなんで流し聞いてくれればいいんですよ。期待しないでください。戯言です。うわ言です。妄言ですから」
「素人の考えが虚を付くこともあるのよ?」
「んん、じゃあ――ほら、受信機って言っても、結局重力子を集めて歪めて、その僅かな時空間の歪曲から未来を受信するわけでしょう? だけど、ソレは道具だから、時間指定やら空間、位置指定までは出来無い。オレはほら、考えるのが人間ですから。殆ど意識せずとも自動なんですけど……」
「つまり?」
「ラジオって流れてる電波を拾うわけじゃないですか。どこそこの何とかっていう、既に流れてる情報。でもその未来を聞くって言うのは、結局、受信して集めてるのは重力子。未来を受信できてるわけじゃない。そして道具である限り――パソコンでその操作が出来るかもしれませんが――指定ができない」
衛士はふうと息を吐く。
前座が長すぎて、自分から期待させてしまった。
まぁいいどうにでもなれ。彼はやけくそに言ってみた。
「電波塔的な、まず未来を受信している物、人が必要なんじゃないですか?」
「たとえば?」
「そうっスね……たとえばオレとか、たとえば機関の『未来推測』だとか」
「やっぱり、そう思うわよね……。だとすると、既に取得された”未来”というデータを転送して音声に変換。副産物に送信すれば良いだけになるわ」
「やっぱり、独自に未来を取得したほうが良いんスかね」
「機関の推測は、”展開”しか推測できないから、ね。貴方のように正に秒刻みの未来を読めるわけじゃ――」
言って気づいた。
彼女はそういった顔をして指を鳴らす。
そして伸びた人差し指は、そのまま衛士を指していた。
「あぁ、居たわね。生ける電波塔が!」
「なにそのノッポの代名詞みたいなの」
「貴方が視た未来を受信すればいいのよ」
「それじゃソレ使うヤツは俺と行動しなくちゃいけなくなりますね。現場でもみっちりと」
衛士がカラカラと笑いながら、どうせコレも彼女の思いつきで採用されることでは決して無いと思っていた。
が、アイリンは思いの外真顔で、衛士をどこか見下すように、哀れなように眺め、
「うん。そういう事」
「え?」
衛士が使うことになったのか。
あるいは使用者が衛士に追随することになったのか。
「そういう事だから」
「でもオレ、音以前に未来が完全に見えますけど……」
「そいう事になっちゃったから」
どうやら後者らしい。
きっぱりと言い放つと、彼女は清々しい笑顔を振りまいて立ち上がる。まるで悩みが一つ消えたような清々しさだ。
全身の筋肉を解すように両手を天高く伸ばして伸びをする姿は、何やらこちらまで気持ちよくなってきそうなものだった。が、
「貴方は三月にエミリアと、あるいはイワイと一緒に任務に出たわね?」
「え、まあ。オレは特別実戦多いし、ここに来る前も殆ど実戦みたいなもんだったからって」
「これからは貴方、エミリアやイワイとおんなじ役目ね。次からは”イリス”と行動を一緒にすること。いいわね」
アイリンは一方的に告げると、衛士の返事も待たずに軽い足取りで、そのまま出口へと歩いて行って――。
「あ、でもまだ決定したわけじゃないから! できれば他の方法も考えてくれると嬉しいわ!」
捨て台詞のようなものを叫んで、彼女はされどざわめき続ける病院を辞した。
衛士はそれから幾らかの時間を放心状態で過ごし、時刻が夜になった頃、看護師に連れられて自室へと戻されていった。