小休止
周囲を焦がし溶かす炎はやがて消え失せ、また周囲を巻き込んだビルの崩壊も、民間人の死者を一人として出さずに済んでいた。
しかしどのみち、この街の住人は興味を示さない。
変わったことといえば、自らの保身のために誰が示したわけでもなく、その場に近寄る人間が極端に減ったことであった。
だからかえって、都合が良かったと言えるだろう。
「なんでおれが、こんな重労働をしてんだろうなぁ」
顎を伝って垂れる汗は、止めどなく額から流れ続ける。
およそ十数人の屈強な男と重機を使用して片付けるべきビルの残骸は、道路側に大きく堤防を作るように積まれ、その中央部は随分とへこんでいた。
深く息を吐いて、背筋を伸ばす。使用していたスコップを杖にして一つ休憩を入れようと考えてみるが、場所が場所なだけにそう長居は許されない。彼は思い直し、指を鳴らした。
するとその大型のスコップは一瞬にしてその場から消失した。
まるでそこには元から存在せず、それまで見ていたのは目の錯覚かと思わせられるほど見事なまでに刹那以下の時間での消滅だった。
既に瓦礫の山は失せている。されどひび割れたコンクリートに阻まれ地面は未だ見えず。つまりここから考えられるのは、一階部分が崩壊して二階部分がそのまま落し蓋のように被さっているということだ。
彼はそれを見下ろして、また深く息をついた。
「さすがに無理かな、死んでるわコレ」
腰に手をやり、挫折する。
そもそも死体を発見して確実に死亡確認しなければならないなんて無茶な話だ。こういったビルの下敷きになったり爆発に巻き込まれたり、あるいは連れ去られて死体を損壊、バラバラにして捨てられたらとても探せるものではない。
いくら超能力者なれど発火能力者だ。ここから逃れ、あるいは生き残れる筈がない。
しかし諦めずに、瓦礫を掴み、引き上げる。そうすると瓦礫は起き上がり、そこからまた――ごく狭い空間を覗かせた。
支柱か、または崩れた天井の一部が重なって、それか縦に落ちて上から落ちた天井を支えたのか。
つまりはボロボロとビルが崩壊せずに一階が潰れ二階がかぶさった事が、かえって男の生存率をあげていた。
そして図ったように、サカグチはそこに倒れていた。
右腕を瓦礫に潰されたままの格好で。そしておびただしく流れた血は未だ乾かず地面に広がる。だが、まだ命があることを知らせるように小さな呼吸音が、背が小さく上下する様子が見られた。
男は飛び降りるようにしてサカグチの両脇の下に着地する。そのまま前屈して腕の様子を見るも、潰れるだけ潰れてちぎれていないために、ここから救出するのは困難に見えた。
なにせ、腕に乗っている瓦礫は流石にスコップと人力によるテコの原理では到底持ち上がりそうもないくらいに分厚いコンクリートの塊だ。無理にでも動かせと言われても、冗談じゃないと吐いて帰るレベルである。
「哀れなやつ。どうしてこう言う奴らは一対一に拘るんだろうな?」
手を伸ばして頬を叩く。ペチペチと音を立て、聴覚と痛覚に刺激を与え覚醒を促す。
するとそう間もなく、男は唸り、そして胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「……おれ、は、……ぐッ、いてえ!」
「アンタは負けたんだよ。熱くなりすぎて自分からビルに突っ込んで崩壊させた。見てたよ、一発も当てられないから焦ったんだな。負けるはずだ」
「うるせェ俺は生きてる! 生きてりゃ、何度だって……!」
「諦めろ。少なくとも右腕がソレじゃ、傷口が塞がるまで戦えない」
「うるせー……ってんだよォッ!」
サカグチは叫びながら、肩を大きく引くようにして腕を引き抜こうとする。だが完全に挟まれ潰され固定されている右腕は、ミチミチと引っ張り上げる力に耐え切れない皮膚が音を立てて避け始める。既に砕けて結合していない骨は、それ故に筋肉や皮だけで腕の形を作っていた。
彼は歯を噛み締め、漏れ出るうめき声を押し殺す。
それを見下ろす男は、なんだか酷く哀れに思えて、頭の中にパソコンのツリーメニューを思い浮かべる。
それぞれ小火器、銃火器、擲弾、刃物、その他と並ぶそこから刃物へ。メニューに添うように同じツリーメニューが出現し、その中から手斧を選択。同様にメニューが展開し、手頃な一つを選択し、指を鳴らす。
直後に手の中にずっしりと重さが現れて、男はそれを握りながら、ゆっくりとした動作で男の脇に置いてやる。サカグチは動きを止めて斧を注視すると、それから顔を上げて男へと視線を移した。
再び指を鳴らし、手に拳銃持つ。それを顔の横で振って、おどけるように口にした。
「介錯は必要かな?」
「要らねぇぜ、んなもんよ!」
男は手斧を握り、小刻みに震える己の拳を見つめる。
怖いはずだ。怖くない筈がない。未練がないはずがない。その決断を、僅か数秒で下せる余裕は無い筈だ。
己の命の為に右腕を捨てるか。右腕がないこれからの生活を想像してこのまま死ぬか。
二つに一つだ。
サカグチとて時間がないことは理解しているだろうし、だからこそ急がなければならないと心を焦らされる。手が震えるのも、ただ純粋に怖いというだけの理由じゃない。
今ここでこの決定をして後悔しないか。
死ねばこの感情も記憶もろともなくなるから、死んだほうがいいんじゃないのか。
心が揺らぐ。
彼の瞳が落ち着きなく揺らぎ、震えが腕全体に広がるのを見て、男はそれを理解した。
仕方のないことだ。
そう、これは本当に仕方のないことなのだ。
運が良かったがためにこの選択を強いられる。運悪くビルの崩壊に巻き込まれて下敷きになっていれば、こんな事を考える必要はなかったのだから。自分の幸せは生にあるのか死にあるのか、ただ戦うことでしか自己表現出来なかった男がそれを選択できるわけがない。
成長することのない、最初から最大限の発火能力を得て、未来のない限界が突破できない能力だけで満足し、されど諦めることなくさらに力の先を無謀に目指してきたこの男に、ただ腕を切断するか否かの判断はどの程度難しいものなのか。
いずれ同様にやってくるであろうこの無情な二択に対面する男は、そうやってスライドを引く事なく銃を構えていた。
「……よし、行くぞ」
声が震えていた。
サカグチは斧を持った手を振り上げ、右腕をじっと見る。
男は指を鳴らして拳銃を消すと、また今度は別に得物を取り出す。今度は手に余る大きさの、柄の長いハンマーだった。
「下ろしたらそのままで行け。その男気ある選択、おれが手伝ってやる」
「ははっ、優しいなぁ」
「あの神父が来る前は一応年長者だからな。ディーノも静観しすぎだし」
「ランドは仕掛けておいてどっか行っちまうし……ダメだな俺ら」
「ダメダメだよホント。こんなんじゃ帰ったら怒られちまう。それこそ、いい歳してさ」
「その前に、俺ぁアイツら……いや、アイツを殺してからじゃなきゃ――」
不意に怒りが蘇る。
そうだ。そもそもはアイツが元凶だ。
脳裏に時衛士の顔がよぎり、それを契機に男は勢い良く右腕の潰れた瓦礫の手前に振り下ろす。
肉を切り裂く音。血が弾ける音。そして、激痛故に自然に溢れる叫び声を抑えるサカグチの悲痛な咆哮。
斧は丁度肘のやや上を切断するも、まだ元気にその硬度を保つ骨が腕の半ばで邪魔をした。男は既に振り上げていたハンマーを、その手斧の峰の部分目掛けて振り下ろし――甲高い打撃音が鳴り響く。
骨を断つ手応え。肉を裂く感触。斧の刃がコンクリートを叩き割いて突き刺さるが、それでも跳ね返る衝撃は、その為に手に痺れる程の衝撃を与えていた。
「ぐぅ……うううううッ!!」
サカグチは右腕の付け根を抑えるようにして上体を起こし、空を見上げるように身体を反らす。その間にも手の中に包帯を取り出し、彼の手をどかして力強く絞めつけた。
包帯を結び、適当な長さで切る。それから雑な切断面に清潔なガーゼを当てて、包帯で固定する。
彼が知りうる全ての応急処置を終えた男は、それから貧血と激痛故に頼りないサカグチを背に背負い、また指を鳴らして使用した道具を消失させると、緩慢な動作で、ゆっくりとその場から退いていった。
「適当な処置はここで終わり。火傷はそこまで酷いものじゃないし、すっかり休めばある程度は動けると思うけど……無理をさせちゃダメね。あと筋肉が張りすぎてマッサージが必要なんだけど……」
短く、ウルフカットのように刈りこまれた後ろ髪を撫でながら女性は言った。
彼女は上下一体となるロングドレス調の薄い衣服を一枚だけ着て、その胸元を大きく開けていた。しなやかに伸びる肢体は見るものの目を奪う程艶やかで、また穏やかなその表情も、濃い蒼色の瞳も、その全てが彼女を美女とする要因となっていた。
彼女の言葉に、アンナが自身を親指で自分の胸を叩いて頷く。アンナの格好にさしたる疑問を浮かべぬ美女は、「任せるわね」と言って頷いてから続けた。
「過労による気絶だから気にしなくていいわ。それと、貴方達の用が済むまでここを使っていいから。主人も口には出さないけれど、彼があの男たちを追っ払ってくれたことには深い感謝を示してるわ」
「だが同時に、そんな事なんて目じゃないくらい異常な戦闘を目の当たりにした筈だが?」
衛士が仰向けになる寝台の前でようやく椅子から腰を上げて立ち上がると、衛士を挟んだ向こう側に立つイワイが言葉を返す。が、彼女は飽くまで冷静に首を振った。
「あの店は来る人が来る店だから客足が遠のくこともないし、心配するなら近くの火器店だけれど……今の様子じゃ大丈夫ね。確かに火を出したりなんだりするのは驚いたけど……正直、それが何って感じよ」
「それが何って……」
イワイは唖然として、彼女の言葉を反芻する。
「銃口を向けられたって脅威になる。そりゃ火を出したりするのだって十分脅威って言えるけれど、私には直接関係ないもの。何も変わらないわ」
「肝っ玉がデケェな。あの店主も、随分とスゲェ女を貰ったもんだ」
傷が完治したイワイは元気よさそうにそう言って、感心するように頷いた。
アレほどの戦闘を間近で見て、さらにその当事者を酒場上階の自宅部分に招き休ませるというのは中々出来無い事だ。それが出来るのは余程警戒心が無い間抜けか、随分と人を見る目がある者だけであり、彼女は恐らく後者に思えた。
「私も海兵隊の出身でね。最終階級は一等軍曹」
「……歳を聞いても?」
「見た目ほど若くはないけれど……三五よ」
どうみてもその美貌は二十代前半というものだ。
だというのに少なくとも十以上も実年齢は上回っている。これでは海兵隊では戦闘技術より若さを保つ技術を学んできたとしか思えない。
「てか、私”も”って?」
「えぇ、彼も海兵隊出身。最終階級は少尉で、ブートキャンプでの教官を務めてたの」
「……どんな出会いだよ」
「そうね。長くなるけど――」
彼女は再び腰を落とし椅子に座る。それからどこか嬉しげに口を開くその最中、言葉を遮るように背後の扉が破裂音のような爆音を鳴らして勢い良く開かれた。
慌てて振り返ると、そこに居たのはワーグナーであった。
「要らん事は話さなくていい」
「あら?」
「あら? じゃない……まぁいい」
店主は大きく息を吐いて肩を落とす。その妻は肩をすくめるようにして立ち上がると、パイプ椅子を畳んで壁に立てかけた。
「部屋は一応人数分用意できている。使いたい時に使えばいいさ。それと――つい今し方、お前等について訪ねてきた客が居た」
彼は壁にもたれ掛かるようにして告げる。
「ワイシャツの上に黒のベストを着た気取った男だ。眼帯の男は何処に居るかと訊いてきた。俺は宿に戻ったと返すと、奴はその宿の場所を続けて訊いた。入り口付近の宿だと堪えると奴は何も注文せずに帰っていった」
「そいつは何処に行ったんだ?」
「すれ違いに来た客によれば廃ビル群の方へ行ったそうだ」
「……三人目か」
イワイが呟く。
圧力操作の能力者。
発火能力者。
それらに次ぐ、三人目の付焼刃だろう。
あと二人が残り、一人が付焼刃であり、もう一人が神父姿の特異点。今回の目標だ。
――しかし、あまりにも行動が早すぎるではないか。
まだこの街に来て一度目の朝だ。一日滞在して、既に二人の付焼刃を撃退している。そして両者とも向こうから仕掛けてきての結果だ。
奴らは何か焦っている。そう考えられる状況であった。
「どう思う?」
枕元の、床頭台のように鎮座する机の上に置かれる端末を手に取り、イワイが尋ねる。すると間もなく、耳につけたイヤホンから反応が来た。
『イワイさんの考える通りでしょうが……衛士さんを狙っているのが気になりますね』
「ただ特徴的なのが衛士ってだけだろ?」
『なら良いのですが。しかし衛士さんの意識が戻るまで、行動は控えたほうが良いでしょう。この際です、周囲の護衛は心強いワーグナー夫妻に任せて、休める時に休むべきです』
「一理あるな」
視線を落とすと、既に寝台に座り込むアンナはうつらうつらと頭を前後に揺らし、船を漕いでいた。つい先ほどまで酒場で居所寝をしていたくせに、よく眠るものだとイワイは呆れたように息を吐く。
だが同時にイワイも疲弊しているのは確かだ。いくら自己治癒が驚くほど高まり致命傷すらも時間をかければ完治すると言っても、自己治癒である限り体力を使うのだ。鍛えても、タフでも疲れる事は仕方がない。
そして恐らく近日中に事態は再び展開し任務の終盤に近づくだろう。
もしかすれば今を逃せばもう休めないかも知れない。ならば今、十分に休憩を取る必要があるだろう。
入り口は酒場の入り口しか無いし、ここは三階だ。敵の侵入が容易とはとても言えない場所である。
「なら、そういう事だ」
イワイはそれらを伝えると、二人は同時に頷いて、それぞれ顔を見合わせた。
表情は緩み、どこか嬉しげに――昔でも思い出すように、血を湧かし肉を踊らせるようだった。
「任せておけ」
「貴方達はその代わり、ゆっくり休むのよ」
夫妻はそう言って部屋を後にする。
二人を見送ったイワイは、やがて構わず衛士の隣で横になり、上に掛けるシーツを衛士からもぎ取って自身に巻きつけるアンナをよそに、自分に用意された部屋へと向かう。
――久しぶりの静かな空間を心地良く思いながら、イワイは静かに窓を開けて、外の喧騒の中へと身を投げた。