第二話:4
さてどうやって話そうか…
ベルはクレオが言うには神獣で、ベルが言うには(というか言葉から推察するに)英雄・カルカの友人、のようなものらしい。
突然目の前に現れていきなり懐かれたわけだが、もしこれが本当に英雄…カルカ本人ならイーリスにどうやってベルを紹介するだろうか?
英雄について調べようと色々本を持ってきたのに、それに目を通してすらいない。
まあ本なんて二千年もすれば真実を伝えてくれるかも怪しいものだが…
「――ナルミ殿?いらっしゃいませんか?」
いぶかしげな声が聞こえ、扉に手がかかった気配がする。
悩んでいる暇はなし、行き当たりばったりでハッタリかますしかないな。
例え本になにか英雄と神獣の関係について書かれていても、それは間違っていると堂々と言えばいいだけだ…何せベルしか真実を知らないのだから。
「いるよ。ちょっと集中してて答えるのが遅くなっちゃってね…悪いことをした。」
「ああ、よか……っ!?!??」
扉が開くと同時、私は今まさに本から目を上げた、という風に苦笑をイーリスに向けた。
それを受けてほ、と安堵した顔を覗かせたイーリスの表情が一変、ここまで人間驚くことができるのだなと感心してしまうような驚愕に染まる。
「…………」
力なく開かれた唇が何かを言葉にしようとわなわなと震えるが、それは吐息すら伴わず声が出ることはない。
クレオのように剣に手が伸びるようなことはしなかったが(私が非常にリラックスしている感を演出しているせいかもしれないが)、やはり固まってしまっているイーリスを助けるべく私は困った表情を彼に返した。
「ああ…悪いね、いきなりで驚かせて。イーリス、こいつはベル…――だ。」
れふかだべるが、と紹介してやりたいが、自らの首を絞める行為としかいいようがないため黙っておく。
「ベル、彼はイーリス。私を助けてくれている人だ、仲良くするんだよ。」
『イーリス』
私が名乗ったときのように彼の名も反復して、ベルは興味なさげな目を扉の前で未だ立ち止まったままのイーリスに向けた。
じっとベルから見つめられ、今度はびしりと直立不動になったイーリスは何もない中空を気持ち見上げるようにして気をつけの姿勢をとっている。
しばし無言で時が流れたが、それはやはり興味なさげにベルが頭を伏せて両足の上に置いたことで終止符が打たれる。
…未だに一方的な緊張は維持されているが。
「イーリス、そう固くならずに入っておいでよ。危険はないから。」
なあ、とベルの首筋あたりをわしゃわしゃとかき回してやると、尻尾がゆらゆらと振れる。
そんな動きにもびくりと身体を揺らすイーリスだが、それで硬直が解けたようで大きく深呼吸すると元のイケメン顔に戻って扉からこちらに歩み寄ってきた。
「……ナルミ、殿。これはどういう…ことでしょうか。」
固い声で尋ねられ、私は肩をすくめる。
「私が目覚めたと知って会いに来てくれたんだよ。…イーリスはこいつが何かわかるかい?」
「……私に限らず、誰に尋ねても同じ答えが返ってくるかと思いますが…おそらく神獣と呼ばれる存在、ではないかと、思います。」
ふむ、クレオの言っていたことは嘘じゃなかったということか。
あの驚きようだから嘘を吐ける状態ではなかったとは思うが、念には念を入れねば。
『ベル、あんたは神獣なのかい?』
『しんじゅう ?』
再び、返ってきたのは反復。
しかし、それは初めて言葉にする、というように滑らかでなく、私の名前を口にした時のようにつたない。
現にベルは首をかしげ、不思議そうな意思が伝わってくる。
「…本人はそういう意識はないようだがねえ…。まあベルが神獣かどうかは置いといて、イーリス。」
信じられないものを見る顔で呆然とベルを眺めているイーリスが、はっとしたように私に向き直る。
名を呼んだ私の声に潜む真剣さに圧されるように、彼は姿勢を正した。
そんなイーリスの瞳を見つめ、私は唇を開く。
「ベルを側に置きたいんだ。…戦力に加えるというわけではないよ、ただ側に…居て欲しいんだ。」
『いる』
私の言葉に、間髪いれず答えが返ってくる。ベルから。
ぱふんぱふんと速いテンポで、音が響かないようにと敷かれたのだろう絨毯を尻尾が叩く。
何を言っているんだ、とでも言いたげなその様子に、私は微笑んでついその首筋に抱きついた。
「ありがとうね、ベル。だがここは私の家ってわけではなくてね、私には何も決められないんだよ。」
よしよし、と抱きついたまま手の触れるあたりを撫でてやりながらベルに話しかけ――つつ、イーリスに訴える。
ただでさえイーリスは私が復活を望まなかった、ということを負い目に感じているようだし、こうしてちょっと情に訴えかければ神獣だろうがなんだろうが置かせてもらえないだろうかとにらんだのだ、が。
よーしよーし、とベルを撫で続けるも、あまりにイーリスからの返事が遅いためそこまで悩むことだっただろうか、と振り返ってみればなんとまあ…
――私が被っていた猫を一気にはぎ取ったあの食事の席と同様、イーリスはぎゅうと唇を噛み締めて断罪されるのに耐えるような表情で俯いていた。
「貴女が、もし普通に生きているならば当然出来たことを、私たちは奪っています…。本当に…本当に、申し訳ありません…っ」
私が声を発する間もなく、イーリスは床に跪いた。
王を前にするように片膝をつき、頭を深く垂れる。
……思いのほか、イーリスは私のことで気に病んでいたらしい。
しかしそこまでさせるつもりはなかったし、頭を下げられるとこちらの罪悪感が増す。
「…責めているわけじゃないさ。前も言ったが、仕方がなかった。そうだろう。」
「――それは…しかし、私がもしあの時」
言い募ろうとしたイーリスが、ぴたりと言葉を止める。
それは私が片手を挙げたからで、この“ストップ”のサインはこちらの世界でも有効のようだ。
「もういいんだよ、過去のことは巻き戻せない。いつまでも引き摺ってたって良いことなんてないんだからね。ほらイーリス、立ちな。」
ベルから離れてしっかりとイーリスに向き直る私に、一瞬の躊躇の後彼はすっと立ちあがった。
それでもまだ抜けないイーリスの苦しげな瞳の光に溜息をつきつつ、だがもうこれは私が何を言っても無駄だろうとツッコむのはやめる。
それよりも、だいぶ脇道にそれたが本題はベルだ。
「で、イーリス。総指揮官殿はベルを側に置くことを許してくれるかい?」
許してくれはするんじゃないかと思ってはいるが、何分この大きさでしかも神獣と呼ばれている。
与える影響は私には未知数だが、一流と自分を誇称するクレオや総指揮官を名乗るイーリスのあの驚きようから見て、一般人の反応はもっとすごいんじゃないだろうか。神獣だから何がすごいのかはまったく知らないが。
「神獣…ベル殿に関してはナルミ殿の思う通りにしていただいて構いません。…念のためお聞きしますが、ベル殿はヒトを襲ったりは…」
「どうだいベル。ヒトを食べるとか襲うとか、するかい?」
『しない』
確認をとるようにベルに視線を送ると、短く返答される。
紫の瞳が、そんな不味いもの…と物語っている気がするがあえてそこには触れないでおく。
「…しないそうだ。」
「そうですか…それならば何も問題はありません。神殿内の者には私から伝えておきましょう。」
未だに目の前でくつろいでいる神獣の存在が信じられないのか、イーリスはベルに目が釘付けながらだいぶ落ち着いたようだ。
そんな彼にうなずきを返して、そういえばと私は首をひねる。
「イーリス、何か用があって私を呼びに来たんじゃなかったのかい?」
今朝あんな同行の断り方をしたのだ、用事がなくてやってくるなんてありえない…と思うんだが。
「あ、ああ…昼食の用意ができました、と…」
「昼食ね…。」
もうそんな時間か、と私は時計を無意識に探し、そういえばこの世界に時計というものがあるのかすら知らないことに思い至る。
昨日案内してもらった限りでは見たことがないような、ただ見逃しただけのような…とりあえず案内された部屋にはなかったが、別に気にも留めず放置してしまっていた。
かといってここでイーリスに時計について尋ねても、もし二千年前にないものだったりそれ以前に今現在ですら作られていなかったら墓穴なんてものでは済まない。
呟いてから思わず考え込んだ私に何を思ったのか、イーリスが居心地悪そうに身じろいでこちらに窺うような視線を送っている。
「……食堂で食べるのかい?」
「はい。ああ…ベル殿の食事でしたら、用意できるものであれば至急準備させますが…」
ベルのことで悩んでいたわけではないし、今咄嗟に考え付いた理由にすら掠っていないんだが。
『ベル、お前は何を食べるんだい?用意してくれるそうだが。』
『 いらない 自分で獲る』
『……そうかい。じゃあ私は食事に行くが、あんたはどうする?』
私が尋ねると、ベルがのそっと身体を起こした。
食料を獲りに行くのかと思ってそれを眺めていたら、ベルが首をかしげ
『なるみ 行かない?』
行かない?、とは…
肉食っぽく見えるベルの狩り(食事)に一緒に行かないか、という意味か、それともここから移動しないのか、という意味なのか。
『………私の食事に、ついてくるんだね?』
私は先に食事に行く、と宣言したのだから恐らく後者であろうというか後者であれと願いつつ聞き返せば、肯定が伝わってくる。
「…とりあえずベルの食事はいらないが、ついてくるそうだ。あと…お願いがあるんだが。」
「! はい、なんなりと。」
一気にイーリスの表情が明るくなる。
これは…嬉しいのか、私に頼まれるのが。
…素直な奴だ、うちの孫より素直だ。孫のほうがかわいいが。
「朝食の席で周りを囲んでもらったがね…あれ、やめさせてくれないか。息が詰まる。」
喜びで輝いていたイーリスが、とたんにしょぼんと勢いをなくす。
孫のほうが可愛いがイーリスも可愛げがある。
大方私のためを考えてやったことで、しかもそれを止めるのはああだこうだと考えているに違いない、が。
「別に周りにいるな、っていってるんじゃないんだ。どうせなら一緒に飯でも食おうじゃないかって言ってるんだよ。」
「そ、そんなことは…」
「できないって?あのねえ、私は王族でも何でもない、確かに英雄で…まあ色々あるが、ただ二千年前悪を倒せただけの普通の人なんだよ。普通に接してくれ、っていっても無理なんだろうが、せめて食事くらいは…仲間と一緒に食うくらいいいだろう?」
ふと、目を伏せて机の一点を見つめる。
意識して眉を下げ、口元もかすかに微笑みを乗せ。
極力もの寂しげに見えるように苦心したのだが、はたして威力は…
「……わかり、ました…」
あったようだ。
「昼食はすでにナルミ殿だけの分が先に作られていますので申し訳ありませんがお一人で食べていただきますが、夕食からは皆で…」
「ありがとうイーリス!」
「っ…!」
不承不承、という様子で頷いたイーリスの手を思いっきり笑顔で握りしめる。
二の句が継げずぱくぱくと金魚のようなイーリスが、まさしく金魚のように真っ赤になるのを尻目に、私は食堂へと歩き出した。
後に続くベルがふん、と鼻を鳴らしてイーリスを一瞥したのが気になるが、とりあえず美人は得だと思う。
了
第二話、これにて終了です。
次話が完成するまでまた引っ込みますのでしばらくお待ちくださいませ…。