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第二話:3

ただでさえ声が出しにくい雰囲気のある図書館に、別の意味で音の立てられない緊張が走る。

まるで蛇に睨まれた蛙…本当に、まさにその言葉が似合う。

目の端で空気が揺らぎクレオが姿を現したのが見えたが、気付いた獣に一睨みされて動きを止めたようだ。

賢明な判断だと頭の片隅で思いながら、私は獣から視線を外せないでいる。


真っ白な体毛のそれは、例えるならば狼に似ていた。

ただ、絶対に狼にないもの、つるりと黒く光る角が2本程生えているのとやたら大きいということ…正面から見上げる格好にある私にはそれくらいしか違いがわからないが、間違いなく狼ではないだろう。

それともこの世界の狼は見上げる程巨大で、しかも角まで生えていて、おまけに突然現れてくるようなものなのだろうか?


私が動けないままにそれを観察していると、圧倒的な存在感でその場を支配している目の前の白い獣は、クレオに向けていた視線を私に戻した。

じーっと、何かを値踏みするように。


「………?」


特に敵意を感じるわけでもなく、ただひたすら静かな空気をたたえていた獣からふいに戸惑いが伝わってくる。

それに合わせてずいぶん犬っぽい仕草で首を傾げられ、私は数度瞬きを繰り返して無意識に止めていた息をゆっくりと吐き出した。


「…私に、会いに来たのかい?」


声をかけると、獣は私を数秒見据えてからやはりくるりと首をかしげる。


「朝、お前が呼んでいるのを感じたよ。夢だと思ってたが…」


朝の、何かがひっかかるような感覚。

夢の余韻と片付けたけれど、ずっと気になっていた。


英雄を呼んでいたんだね、と声に出さず呟けば、頭の中に言葉が流れ込んでくる。


『会いに来た』


『昔 わたし 眠ってて 』


『起きたら あなた いなくなってた』


『今度 あなたのそばにいる でも 』


『あなた あなたでは ない?』


獣がしゃべっ…人語を操った。

一瞬まともな私が驚こうとするものの、すぐにこちらの私はその気持ちを霧散させる。

当然だ、と思わせる何かがこの獣にはあった。


不思議そうなニュアンスを含んだ言葉に、私はしばし考え込む。

この白いのはどうも生前のこの体の持ち主の知り合いらしいが、私が中身であることに戸惑っているらしい。


さてどうするか。

この獣には事実を話すしかないような気がする(だって英雄本人の知り合いらしいし)が、固まったように動かないクレオに聞かれると今は少々困る。

ふむ、と腕を組んで対策を考えて…


『…私の言葉、通じるかい?』


もしやと思って、意識して獣に言葉を伝えようと思ってみれば


『通じる』


と短く返ってくるではないか。

すごい、念話というのだろうかこれ。さすが英雄殿の身体。

だがそれならば迷ってる場合じゃない。


『いいかい、よくお聞きよ。これを話すことでお前がどうしようと勝手だが、私は被害者なんだからね。』


いくら敵意を感じず、あまつさえ可愛らしいとすら思ってしまうこの白い獣ではあっても、恐らく私が目的である英雄本人ではないと知ってどう動くかは神のみぞ…いや、この狼のような獣のみが知る、のだ。


『聞く』


私の緊張など知ってか知らずか、獣はもういっそすがすがしいほど簡単に返してくる。

獣の幼いといってもおかしくない返答もそうだが、空気は恐ろしいほどに澄んで目の前のこいつに呑まれているというのに、それを恐ろしく感じないのも私がいまいちシリアスになれない一因かもしれない。


『…よし。……お前のいう“あなた”は、もう死んでる。そこんとこは知ってるか?』


『知ってる』


そこでいったん言葉を切り、獣は一歩私に近づいて鼻先を頭に押し付けてくる。


『でも いま動いている   ナニ?』


ふんふん、と匂いを嗅いでいる仕草をする獣に、思いがけずきゅんとしながら私は悩む。

言葉から察するに、こいつが眠っている間にいなくなってしまった英雄が目覚めたと何らかで気付き、はるばる会いにやってきたのに、中身が違うと知ったら落ち込まないだろうか。


『ええとね…この体の持ち主を蘇らせようとした奴が居てね。でも失敗して、中身が間違ってるんだよ。』


ふとそう伝え終えてから訪れた思わぬ解放感に、私は目を瞬かせた。

そういえば今までずっと誰にも明かしたことのない真実をはじめて他人(?)に話したことになるのか。

驚いた、私は意外に罪悪感と窮屈さを感じていたらしい。

しかしそれは獣の求める答えではなかったらしく、再び


『ナニ?』


と簡潔な疑問が投げかけられる。


『ナニ、って…私がかい?』


匂いを嗅いでいた鼻先が頭から離れ、ものすごい至近距離で見つめあう私と獣。

その瞳に肯定の意を感じ、私はまたも悩む。

ナニ、といわれても…名乗れということなのか、それとも人間ですと言うべきか。


『…鳴海・相賀。体は間違っちゃいないだろうが、中身である私はあんたの探し人じゃない。』


『なるみ おーか』


私の名前を反復してから、獣はうなずくように一度頭を下げる。

それから私の前から私の横へと、まるで机と椅子を囲むようにしてのっそりとその巨大な体を横たえた。

しばらく居心地悪そうにもぞもぞと動いていたが、やがて納得したのか瞳を閉じて…


「ちょっと待て。」


思わずツッコんでしまった。


『 何?』


伏せていた頭を上げて、こてんと頭を傾ける獣にまたしてもきゅんとしつつ。


「お前は何をしにきたんだっていうか…」


『探してた奴じゃないってわかっただろう?なんでそこで寝るかね。』


明らかに居座る気満々な姿でくつろぎだしたこいつ。

英雄とどんな関係だったか知らないが、目覚めたというか蘇ったことを知って駆け付ける程度の仲だ。

ただの獣でないことは最初からわかっているし、ちゃんと言葉は通じているようだから私が英雄でないことはわかってもらえていると思いたいのだが。


『なるみ カルカと違う』


『…カルカ?もしかしてそれがこの体の持ち主の名前かい?』


そういえば、英雄のことを生きて知っている存在は貴重なんじゃないか。

イーリスに教わった伝説によると英雄のことについてはほとんど何も知られていなくて、その動機すら部外者の私からしても首をひねってしまうものだった。

もしかしたらこいつから英雄について何か聞けるかもしれない。


『カルカ 死んだ でも なるみ いきてる』


要領を得ない答えしか返ってこないのが難点だが…


『…そうだね。じゃあ質問を変えよう。あんたは、これからどうするつもりなんだい?』


『ずっといる 今度は ずっと』


満足げに長い尻尾がゆらゆらと振られる。

心なしか薄い紫色の瞳が笑みの形に細められた気がして、私は目を瞬かす。

何かがあってなぜか懐かれた…という認識でいいのだろうか。

もしくは、英雄の身体だから?


『……まあ、いいや。じゃああんたの名前を聞かせてくれないかい?』


獣だとか白いの、と呼んできたが呼びにくいったらありゃしない。

固有名詞がいかに大切か知った。

かといってイーリスの名字(未だ覚えていない)のような横文字は遠慮したいが…


『  名前  』


ほんの少し、いつもと毛色の違う沈黙が流れ込む言葉の合間に挟まる。

不思議に思う間もなく、獣は答えを返した。


『レフカダベルガ』


ああそうかい横文字かい。しかも覚えにくいことこの上ない響きだ。

幸いなのは、頭に直接入ってきてるからなのか何なのか、記憶に残っているということか。


『……良い名前だね。れふかだべるが…』


幾度か繰り返しても、獣…れふかだべるがが名乗った時のような滑らかさにならない。

英語とも違う発音というかなんというか、ともかく日本人には難しい類の名前だということはわかった。


『…愛称みたいなのはないのかい。カルカはあんたをなんて呼んでたんだい?』


『ベル』


ほう。

いいじゃないかベル。

すごく言いやすい名前だ。

英雄殿はなかなか良いセンスを持っている。


『でも たまに レフカダベルガ』


……ゆらゆら、と尻尾が揺れる。

どうやられ…れふかだべるがと呼ばれるのが嬉しいらしいが、申し訳ない。

私にはベルが精一杯だ。


『…ベルって呼んでもいいかい?』


ぱふん、と尻尾が床に落ちる。

あからさまにがっかりしたと表現しなくてもいいじゃないか…。

しかしそんな反応すらかわいいな。でかいが。


ベルは無言だったがそれを肯定とし、私はやっと肩の力を抜いた。

今更ながら妙に緊張感の漂う時間だった――と、ふと机に視線を戻したときだ。

奴がいることを思い出したのは。


「…クレオ?」


まともにクレオの姿を視界に入れたのはベルが突然現れてから初めてだが、名前を呼ぶのすら躊躇するような顔色で固まっているのに驚く。

酷くひきつった表情で、手には私を殺そうとした時も使っていたナイフがある。震えてはいないが、動いてもいない。固まっている。


「…ベル、こいつに何かしたかい」


『してな い』


「……間が気になるが…。ベル、こいつは特に危険なやつじゃないからね。安心しちゃだめだが警戒しなくてもいいよ。」


すぐ隣の大きな頭を撫でながら言ってやると、気持ち良さそうに目を細めたベルから了解の返事が返ってくる。

と同時に大きな息を吐く音が聞こえてそちらを見れば、やっと動きを取り戻したクレオが床に跪いていた。

両手と膝で体を支え肩で大きく息をつく奴の顔は、横から流れた赤毛で見ることはできない。


「…大丈夫かね。」


あんまりな様子に立ちあがってクレオに手を差し伸べると、荒い呼吸をしながらも自力でなんとか立ちあがってふらふらと椅子に腰を下ろした。

冷や汗と苦しげな表情から、よほどの目にあったようだが私は本人じゃないから何があったのかわからない。

ただ、すさまじい恐怖を感じたのだということはクレオのこわばった顔が物語っている。


「――神獣が来るなら来るって、言ってよ…」


さすがに心配になって水でも、と扉に近づいた私に、振り絞るような声がかかる。

振り返れば、ぐったりと椅子の背もたれに身体を預けたクレオの弱り切った目とぶつかった。


「いや…私も来るとは知らなかったっていうかね…。とりあえず飲み物でも持ってきてやるから、仲良く待って「いや無理だから。」…」


言葉を即座に切り捨てられ、私は扉にかけていた手を引き戻す。


「神獣だよ?神族のナルミならまだしも、神獣。ホントに神に近いものと一緒にいろとか…あんた鬼なの?」


ぶんぶんと頭を振って、ようやく調子が戻ってきたのかクレオは恐々とベルを見やって言った。


「可愛いじゃないか。心配しなくてもあんたを取って食いやしないよ…なあ、ベル?」


『食わない』


興味無さそうにふん、と鼻を鳴らすベルにびくりと肩を揺らすクレオ。

どうやらベルは英雄と呼ばれ、さらに神族とまで言われるこの体よりももっと恐ろしいものらしい…基礎知識がない私にはなんとも言い難いが。


「飲み物もいらないよ、だいぶマシになってきたし…。ていうか、この…べ、ベル?っていう神獣、飼うの…?」


あれだけ我が道を行っていたクレオが恐る恐る尋ねてくる様子につい笑ってしまいながら、私はベルに近づく。


「そう…いうことになるのかね。」


横になっていても私の腰辺りまで高さのあるベルの背を撫でる。

手触りのよい長い毛並みを堪能しながら、そういえばベルを飼う…というか一緒にいるならイーリスに許可を取らなきゃならないんじゃないだろうか。

ここは神殿だが英雄に関係することはイーリスこと総指揮官殿に任されているらしいし。

のんきに犬猫を飼うような事ならそう考えることはないが、クレオによればベルは神獣。

神殿に神獣となっては、色々と嬉しくない噂が出てきそうだ――英雄と、神獣が手を組んでいるとか。

極力今は行動を起こしたくない私にとって、そんな噂はよろしくない。

…とはいっても、もう私の選択は終結している。


「あんたが私の側にいるなら、こいつも仲間だからね。仲良くおしよ。」


「……英雄に飼われるっていいと思ったけどさ…こんな伝説の生物がバンバン出てくるとは思わなかった。」


「まだ1匹しか出てないじゃないか。弱音吐くんじゃないよ、一流なんだろう?」


なんてベルを撫でながらクレオを流し見れば、だれたように椅子に座って唇を尖らせる。

しかし何かに気付いたようで、ぴくりと身を起こすと


「…じゃあとりあえず消えるけど。その神獣、飼うんならちゃんと躾けてよね。」


捨て台詞ともつかないものを吐き、クレオは風音を残して姿を消した。

その数秒後、廊下とつながる扉がノックされ、ある意味待っていた人物の声が聞こえてくる。


「…ナルミ殿、少しよろしいですか?」


イーリスだ。



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