第二話:2
朝食はとても美味しかった。
が、昨日からの感想は変わらない――繊細に飾り付けられた、という。
しかも刺客を警戒しているのか何なのか、侍女ズの5人とイーリス、さらにローガンやその他元白ローブ集団(普通の服だった)が私の食べているテーブルを円状に取り囲んでいる異常事態。
せっかく食堂という場所で朝食がとれるというのに、これでは部屋で食べるのとそう変わらない…いや、より悪くなっている気がしてならない。
よくこの状況でご飯の味なんかがわかったものだと我ながら感心するが、もうなんというかどうでもよくなった。
「それで? 今日は何かする予定とかあるのかい。」
朝食を食べ終え、ずっと後ろに控えていたイーリスを振り向いて尋ねる。
昨日食事の後に神殿内の案内はしてもらったし、一通りの自己紹介もしてもらった。…覚えている自信は全くないが。
「特に予定などは…議会からの返事もまだ来ておりませんし…、ナルミ殿は何かしたいことはございませんか?」
首をかしげたイーリスに、私はしばし悩み。
「この神殿に図書館があったね。そこでいろいろ調べたり知りたいことがあるんだ。」
昨日神殿を案内されたり鏡を見たり話を聞いたりで驚いたことは多々あるが、その中でも一、二を争う驚き加減だったのはこの世界の文字が読めることだ。
図書館で何気なく見せられた地図をふむふむと読んでいて、ふとそこに書かれている文字がまったく見覚えのないものであることに気付いた時の驚きと言ったら。
読めてるし通じてるからいいのかといえばいいのだが、そういえば話している言葉も日本語ではないことがわかってしまってあの時はひどく狼狽したものだ。
もうとりあえず理解することを諦めたが。
――我ながら順応というかそれとも自暴自棄なのか、動じない姿勢には敬意を表したいくらいだ。
「そう…ですね、二千年の溝があるわけですし…知識を埋めるのは必要なことと思います。では私も図書館に、」
「あ、いや。悪いが一人にしてくれないか。案内もいらないよ、昨日してもらって覚えたから。」
若い脳というのは良いな、と改めて実感しながら椅子から立とうとすると、ローガンがまるでボーイのように引いてくれる。
気が利く男も良いな、と笑顔で礼を言うが、対するローガンもイーリスも表情は優れない。
「…しかし、昨日の一件もあります。ナルミ殿を一人にするのは…」
言われてみれば、イーリスたちからすれば私は命を狙われて犯人が捕まっていない状態なわけで、一人にするのは気が引けるというものなのだろう。
しかしなんの予備知識のない私が物調べをする様を見られて怪しまれない可能性は極めて低い。
……こうなったら英雄の皮を着るしかないな。
「例え何か来ても、私に対応できない奴には誰も対応出来ない。…違うかい?」
にやりと笑ってみれば、悔しげに口をつぐむイーリス。
……ものすごいハッタリだったんだが…通じた。
「大丈夫さ。昨日の奴はもう…私を殺しに来ない。」
別の奴が来たらそれはそれだが。
とりあえずクレオは…到底信頼するわけにはいかないが、今まさに帰ってきているようだし。
さっきから、屋根裏だか天井裏だか知らないが頭の上でこちらを窺う気配を感じるのだ。
この英雄の身体の感覚を信じるなら、これは昨日寝込みを襲った奴と同じであると示しているし、それならば話は早い。
せっかく一人になるのだ、姿を消した理由もきっちり説明してもらおうと内心でクレオに念を送りながら、私は食堂を後にした。
頭上の気配がたじろいだ感じがしたのは気のせいであろう。
*****
「あー…と。とりあえずこれくらいか。」
どさり、と積み上げられた本の上に見つくろった最後の分厚い歴史書を乗せ、私はそれに向き直った。
「ほら、終わったって言ってんだろ?はやく机に運んでくれないかね。」
それ、とは。
もちろん故意に分厚めの本を10冊くらい選んで積み重ねた山…を持たせた、クレオだ。
意外に力はあるらしく(意外というか見た目割と細いのに)、あまり苦にはしていないようだが顔はひきつっている。
「いや、運ぶよ?運ぶけど……ねえ、何怒ってるのさ。」
「怒ってるんじゃないさ。別に、昨日いきなり姿を消すし不審すぎてやっぱり仲間にするとか早まったかなーとか、いきなり現れておなかすいたとか抜かす馬鹿に呆れたわけでもない。」
「………それは、だって…」
もぞもぞと言い訳を言い募ろうとする奴をひきつれて図書館の中にある比較的入口から見えない場所の机に陣取ると、私はバツが悪そうに目をそらすクレオに視線を合わせた。
「じゃあ、理由を…納得できる理由を、聞かせてもらいましょうかね?」
どこかの評議会のように両手を組んで目の前の奴を見据えれば、クレオはどこか諦めたように溜息を吐く。
「…任務結果をね、報告に行ってきたんだよ。」
ほう。
それはつまりクレオの元雇い主=私を害す意思のある人に連絡をしてきた、ということか。
ということはおそらく敵ってことになるだろうあっちにも私は生存しているという情報がもたらされたってことで…
「…次の刺客が来るじゃないか。」
私を殺すことを最終目標としているのなら、クレオで打ち止めってことはないだろう。
あの手この手で私を殺す、もしくは動きを止める状況に持っていこうとするに違いない。
もし私だったらそうする。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、だ。
「それが聞いてよ!オレが律儀に失敗しましたって報告に行ったらだよ?あっちは“やはりか”とか言って殺そ……なんでもないけど。」
開き直ったらしいクレオはむくれた様子でその時のことを語りかけて、何か引っかかるところがあったらしくむっすりと黙り込んだ。
ころころ表情が変わる奴だ、暗殺者のイメージじゃない。
「やはりか、ってことはあんたあて馬要員だったわけだ。そんでもう用はなくなったから殺されそうになって…逃げてきたと?」
「…ッ…そういうさ、なけなしのプライドを傷つける言動は控えてくれない?これでも一流の一流なんだよ?トップクラスなんだよ?」
はいはい、と適当に流しながら、私は目の前のこいつを観察してみる。
日本で考えて高校生くらいだろうか。ひ孫の一人が今年高校一年に上がったばかりだった気がする。
いや、この世界の基準がわからないから断定はできないが…年若い。
性格も、割と掴みどころがないが子供っぽい。しかし計算された無邪気さを感じる。
こいつが、トップクラスの暗殺者ねえ…。
「まあいいさ、それで?殺されるだろうことをわかっていながらわざわざ報告してまで情報を集めてきてくれたんだろ?」
聞かせてもらおうか、英雄の敵とやらの話を、と。
我ながら悪い笑い方をしている、と思いながら、ぴたりと動きを止めたクレオに問いかける。
こいつが英雄の側につくと決めたにもかかわらずそんなことをする理由といったら、まず手の平を返したか二重スパイか、それとも本当にこちらに有益な情報を集めるために自分の身を危険にさらしたか、くらいしか考えられない。
一番怪しいのはもちろん前者2つだが、あえて私は可能性の低い、お人よしとしか思えない方を言葉に乗せた。
束の間の息をつめたような静寂の後、今度こそ本当に諦めの溜息を吐いて奴は苦笑を洩らした。
「…格が違うね、ホント。さすが神族ってだけはあるよ。」
あんたの逃げ道を塞いでるだけだ、とは言わず、私は曖昧に微笑むに留める。
曖昧な笑みの裏には神族って何という疑問とかどんだけハッタリに弱い人間…じゃないのか、クレオは魔族だってイーリスから聞いた気がする…が多いのかという、笑みを作りにくい感情があったことはおくびに出さない。
そもそも神族って…。
……まあ悩んでも仕方がない、私の記憶は日本人としてのものしかないのだから。
その類の本も借りてきたことだし、後で調べるとして。
「ほら、さっさと情報を流しなよ。」
重要なのは目の前のコイツなのだ。
私を敵とみなしているのは、現状悪という存在それだけだと思っていたのだが…違う、のか。
「…オレも詳しいことは知らない。ていうか知らされてないんだけど。」
という前置きで始まった話は、こうだった。
恐らく王侯貴族級に金を持っている位の人物が、それなりの規模の組織を使って、英雄を再び亡き者にしようと画策している、と。
要約などしなくとも十分に短時間で語りつくされたその“情報”に、私は目が点である。
「――オレは暗殺者としては一流。けどあれだけ末端まで教育された組織を相手取るには力不足…っていうかそんなの暗殺者のやることじゃないよ。」
なんて、投げやりにクレオが言い終える。
が、ちょっと待て。
肝心な事が伝わっていない…というかそれだけの情報?
誰が、私を殺したいと思ってるって?
金持ち?
名前は?
組織?
実際の規模は?
クレオ一人じゃ相手にできない程度の規模…ってどんな尺度だ。
第一、
「目的は?」
一番大切な情報だろう、これ。
いや、相手の実像についても確かに大切(それも明らかになってない)だが、目的がわからなければ…
「英雄サマを殺すこと。…わかってるって!なんで殺したいか、でしょ?」
そんなに殺気込めて睨まないでよ、とぶつぶつ文句を垂れるクレオを再度睨みつけ、先を促す。
しばし言い渋っていた奴だったが、ぼそりと呟かれた内容に私は目を瞬かせた。
「……悪に対する最大の脅威を潰す、らしい、よ。」
それまでクレオからもたらされた情報は、不鮮明ながらも“らしい”や“ようだ”という推測の言葉を挟まなれていなかった。
ここにきて初めて不確定な言葉を吐きだすことで、それ以前の情報が全て確実なものであると考えさせようとしているのなら恐れ入るが…。
私にそれを判断する術はなく、一番確かな筋がこいつなのだ。
信頼するしかあるまい。
それじゃあ統合するとつまり――誰かが悪に肩入れしていて、私…英雄を邪魔と考えている、と。
「……あんたよくそれだけの情報で英雄に身売りしようと思ったね?」
ふっと息をつき、小首を傾げて目の前のクレオを上目遣いに見上げる。
「あ、それ酷い。オレ頑張ったんだよ?ご主人様のためにさ、命を危険にさらしてまでちょっと上のほうと接触を試みようと思ったりさー…」
「思った、だけだろ。」
ぐ、と言葉を詰まらせたクレオを横目に、私はとりあえず目の前の本の山のてっぺんを飾っている一冊をとる。
先程見繕った本の中でも一番分厚い…歴史書。
文字は読めるがどの本がもっとも有用であるかまでは分からない私は、これぞ歴史書!と体を張って主張しているっぽいものを選んでみた。あくまで私の独断と偏見によるチョイスである。
「…あー。わかったわかった、あんたはよくやったよ。一流の暗殺者だからこその引き際ってやつがあったんだろ?少なくとも信用できる情報を持って帰ってき…信用できるんだろうね?」
「できるよっ」
あまりに恨みがましくじっとりした視線を送ってくるものだからおざなりに労ってやれば、返ってくる噛みつくような返事。
ムキになるところがますます子供っぽいな、と苦笑しながら、私は今一度本に落としていた視線をクレオに戻した。
「ならいい。まあこの材料をどうしていいか、今んところ私には判断がつかない。議会とやらからの指示をもらってから、イーリスに相談してみるよ。」
その時までは身を潜めてな、と歴史書の1ページ目で早くも挫折したくなりながらも言ってやれば、クレオはしばし不満げに唇を尖らせていたが、諦めたのかやがて空気に溶けるように姿を消した。
…現れた時も突然だったが、消える時も突然なやつだ。
しかし今回は注意すれば近くに気配があることがわかる。遠くには行かない、ということだろうか。
まあまだ『クレオが』信頼できると決まったわけでもなし、しばし様子見だなと溜息を吐きながら歴史書をめくった瞬間だった。
何かが来る。
一瞬クレオかとも疑ったが、全く違う感覚だ。
今まで感じたことがない肌を撫でる気配に驚いて目を上げると、そこには。
「……で、か……」
図書館の天井につくくらいの巨体を持った、真っ白な獣がこちらをまっすぐに見つめていた。