第一話:3
「――そうして、英雄殿…いえ、貴女のご遺体をこの霊山・エバーアリシアに安置したのです。」
「……なるほど。」
この世界に伝わる、いわゆる伝説というべき英雄と悪との戦いの顛末をイーリスが澱みなく話す中、私はもぐもぐぱくぱくと皿に盛られ…いや、盛られたという表現は正しくない。
繊細に飾り付けられた、というべき豪勢な料理をひたすらに平らげていた。
ここは私に与えられた部屋の隣にあった、それなりにこじんまりしたダイニングのような部屋。
小じんまりした、とは言ったが軽く20畳くらいはあると思われる。
そこに白いテーブルクロスのかかった丸机と4脚程置かれたイスがあって、私の斜め右にはイーリスと、その背後に立つローガンがいる。
正面には外を一望できる大窓がはまっているが、見事な銀世界を望んで食べるのはなかなか気分が良い。スキー場で食事をしている感じだ。
そんな絶景ダイニングでの私の行動の中心はまさしく食事であるが、食卓につきながらも目の前には香り高い紅茶だけ、というイーリスは違う。
彼の説明によれば、私は…というかこの身体は、ごくごくわかりやすく言えば死体らしい。
二千年前になんだかすごく名は体を表すボス“悪”を一人で倒して戦死したこの身体を、傷を全て綺麗に治した上で永久に時が止まっている状態でいられる永遠の棺とやらに安置、祀っていたのがこの霊山の頂上付近に立てられたエバーアリシア神殿。
洞窟に安置したものだから、それを守るために周りを囲ったら自然と神殿となっていたらしい。
「それから平和な時代が続きました。しかし二千年の時が経った今、我々は再び脅威にさらされているのです…」
死体だけど心臓が動いているし、身体も温かい。
私という魂的なものが入ったから機能しているのだろうか?
「そう、悪の復活です。確かにアオリッ…ナルミ殿が倒したはずの悪は、一体どこで生きながらえたのかはたまた新たに生まれたのか、この世界のどこかで再び息を吹き返したのでした。」
当然ながら死体だったこの身体の胃袋の中には何も入っていなかったようで、すさまじく腹がすいていることを料理が運ばれて来てから初めて認識した。
それ以降運ばれてくる料理を黙々と詰め込んでいるが、すごく物足りない。
白米が…味噌汁が…そしてがっつりカツなんかを食べたい。
大体、デカイ皿にちまっとしか盛らない芸術的な料理なんて洗い物が増えるだけ、鍋ごと持って来いと叫びたい。
こんな気持ちになるのは近年(生前の)めっきり少なくなっていたが、身体も若い…若い、のか?…まあとにかく、若く見えるこの身体だからこそ肉類をがっつり食べたい、なんて新鮮な気持ちになれるのかもしれない。
「…ナルミ殿? 申し訳ありません、退屈でしょうか…?」
無言で咀嚼を続ける私に、イーリスが眉を下げて問うてくる。
よくできた男だ、もしこれが日本の高校生だったら(見た目年齢-外国人的な容貌からの推察)怒りだしてもおかしくない。
私は適当に相槌を打つこともやめ、ただ料理をかっ食らっているだけなのだから。
「…退屈というか…いいえ、大丈夫です。私が望んだことですから、続けてください。」
ごくん、と噛み砕いていたミズナっぽい野菜を飲みこんで、私は先を促しながら次の肉料理に手を付ける。
しばらく眉を下げたままこちらを窺っていたイーリスだが、気を取り直したのかそれでは、と話を続けた。
「今のところ悪自身は目立った活動はしておりません。しかし悪が目覚めたため各地の魔物たちは凶暴になり、瘴気の森から流れ出る毒はその強さを増しているという報告が入っております。」
「その話、どうして悪の影響だとわかるのです?」
この肉、何肉だろうか。
まあ蛇も蛙も猪も鹿も、変わり種でいけば駝鳥も食してきた私に敵は無い。美味しいし。
「…悪が目覚めた頃と、魔物たちが凶暴になった時期、また毒が強まった時期も合致します。さらに、二千年前にも同じことが起こり、それは実際悪という存在によるものだったと記されています。」
「そうですか。話の腰を折りましたね、申し訳ありません。」
「いいえ、気になったことがあればどうかご質問ください。…悪の活動が見受けられずとも、いつ何時二千年前のような事態に陥るかわかりません。各国の王や首長で構成された連合議会の話し合いの結果、悪を討伐する者を集ったのです。しかし…集った者たちは悉く悪に敗れ、冷たくなった姿で発見されました。危機を感じた議会は連合軍を組織し、英雄…貴女を、目覚めさせることを考えつきました。」
肉に添えてあったジャガイモっぽいもののソテーも美味。
ほくほくでソースが絶妙に絡んでうまい。
「本来であれば反魂の儀など禁忌中の禁忌。しかしこのままでは事態は好転しないとした議会は、その禁を破り貴女を目覚めさせたのです。…私から説明できるのは以上ですが…ナルミ殿、何か他にお聞きになりたいことは…」
最後にグラスに注がれた琥珀色の液体…果実酒のような風味だ。これまた美味…を飲み干し、私はゆっくりと口元をナフキンで拭う。
テーブルマナーは日本仕込だが、まあ小汚い食べ方はしてないからよし。
ふうと一息ついて、私は、こちらを不安げに窺うイーリスを見据えた。
「どうして私が協力する前提で話が進んでいるんでしょう。」
イーリスが、むしろこの部屋にいた全ての人々が瞠目しているのが気配でわかる。
忙しく皿を片づけていたり給仕したりしていた侍女ズも動きを止め、私の方を見やっている。
「そ、れは…その」
「二千年前悪と戦ったから、今回もきっと戦ってくれるだろうと、そう思われましたか。」
ついつい口調が厳しくなる。
おかしいと、思ったのだ。
一度、動機は不明ながらも(伝説によれば“故郷を救う”ためだが)たった一人悪に立ち向かい、そして共に倒れた英雄。
もちろん私はその身体の中身になっているだけで、もともとの人格がそのまま目覚めて――甦っていたならば、すぐさま首を縦に振っていたのかもしれない。
イーリスの求めに応じて、共に悪を倒そうと立ち上がったかもしれない。
でも私にはそれが、この英雄に対して酷過ぎるのではないかと思えてならないのだ。
「命馬鹿にしてんじゃないよ、若造が。」
いきなり口調ががらりと変わった私を、時を止めたように凍りついた部屋の住人たちが見つめている。
せっかくだからこの身体でしばらく生きてみようと考えていたが、まあ最悪また死んだとしても特に困ることもない――だって“私は”死んでいる――私は、身勝手な論を並べていく。
「都合がよすぎるとは思わないかい。死んで安息を得た英雄を叩き起こして、また戦ってくれなんて。しかも一度共倒れしたんだろう、今度も死ぬ確率が高いじゃないか。戦って死んで無理やり起こされてまた死んで…どれだけ命を弄くれば気が済むんだ。」
そこまで言ってイーリスを見据えれば、ぎゅう、と唇を噛んで視線をテーブルクロスに落とす青年に、私は悟った。
彼は全てわかっているのだ、と。
何も知らない馬鹿だったならもっと口先三寸でとくとくと命について語ってやったが――
「…なんてあんたに言っても、無駄か。これを決めたのはあんたたちの上の人間なんだろう。」
イーリスの話の中に出てきた、王や首長で構成された議会とかいう組織の決定らしい、英雄の復活。
国のトップに立っている人間が集まっているのだから少しは頭が使える連中だろうとは思うが、トップに立つものらしく少ない犠牲で多くを救うという考えがあるのだろう。
そりゃ悪を一度は退けた実績がある英雄を甦らせる方法があるのであれば、それが一番被害が少なくて済むと思っても仕方ないかもしれない。
だがそれは失敗している。
身体は英雄のものでも、中身が私ときている。
平和ボケした日本で生まれ、そして死んだ私が中身では、間違いなく悪を倒すどころじゃない。
それを踏まえた上で、私は私の立ち位置を考えねばならない…
「…説明してもらった手前悪いが、未だ記憶が曖昧で私は悪と戦ったことはおろか戦い方自体思い出すことができていない。どの道、記憶が戻るまでは私の答えは保留させてもらう。…それで議会とやらが納得するかは知らないがね。」
少しだけ表情を緩めて言った私に、イーリスもどうやら詰めていたらしい息をそっと吐き出して頭を下げた。
頭を下げられるようなことはしていないどころか、本当のことを話したら私がどうなるのかわからない。
ましてや話に聞く限り、ここは私を――…いや、目覚めることのなかった英雄を欲しているような世界。
正直言って、あからさまに巻き込まれる位置にあるわけな私はなんとか身の振りを考えて生活していかなければならないだろう。
…この世界を、もう少し見て回るのならば。
「…今日はお疲れでしょうから、話はここまでにいたします。」
思い悩んでいた私を知ってか知らずか、イーリスとローガンは退室を願い出ると、やはり深く一礼して部屋を出ていった。
その場に残ったのは私と、奥で給仕をしていたリーンと、名前が分からない侍女ズのうちの一人。
もう食事も残ってないし、とりあえず移動すべきか。
「リーン、これから何かすることはあるのかい?」
「…これからのご予定は特にございませんが…ナルミ様、」
リーンの言葉が途切れる。
――それが起こったのは、私が目の前の大窓からふと視線を外した瞬間だった。
背筋を氷が滑るような感覚が襲って、私はただ身体の動くままに椅子を蹴倒して飛び退く。
リーンたちの警告の声が上がり、それを掻き消すような甲高い衝撃音が耳を劈く。
ぶわり、と粉雪の混じった風が吹き込んだのは目の前の砕け散った大窓から。
私が目にしたのは、一瞬で飛び込んできた黒い塊と鋭く光る銀の切っ先だけだった――。
次の更新で一応第一話終了となる予定です。
まだメインキャラがそろっていないので、今しばらく前準備的な話が続く…予定です。(予定多いよ!)