第五話:2
本能の赴くままに、それに身を委ねて、さあ喰らい尽くそう。
と、私が恐るべき大人の階段を上ろうとした時だった。
思いもかけない邪魔が――いや、この場合助太刀とでもいうのだろうか――入ったのは。
始まりは一つの花火だった。
いや、花火が空で咲くものであると定義されるならば、これは正しくはそう呼ばないだろう。
正しくは…爆炎だ。
地表で起こったそれは、周りの雪を尽く弾き飛ばした。
もちろん弾き飛んだのは雪だけではない、敵であるらしい兵士も、だ。
地に降った雪の上からもう一つ、血霞が降り注ぐ。
圧倒的でいて、無駄のないそれは瞬く間に戦況を覆し、気付けば戦闘は終わっていた。
周りに残るのは地表をむき出しにされた哀れなクレーターと、そして私を守るように取り囲む連合軍の兵士だけ。
内部から弾け飛んだのだろうか、敵兵の内で原型を留めたものは――訂正、形の残っているものは、いなかった。
40という数だけは、クレーターとその周りの赤く染まった雪で確認が出来るが。
「ナルミ殿、馬車の中に。お早く!」
切羽詰まったようなイーリスの声に促され、私は自然と馬車の方へ視線をうつしていた。
何も見えないように、隠れられるように。
「――待て、英雄。」
声が響く。
聞いたことのない声だ、と思う私がいる。それと同時に、どうしようもなくそれを懐かしいと感じるわたしもいる。
何を懐かしいと感じるのか、わたしは何を思い出しているのか。
「…血生臭いな。すまない、全てを消し飛ばせればよかったのだが、奴らも相応の装備を整えていたようだ。」
そいつは、何事もなかったように前方の空間から現れた。
ふわり、と一度空で跳ねて、それからゆっくりと雪の上に足を着ける。
見慣れない、民族的な衣装を纏ったそれは、
「……神族?」
白い髪。金っていうかなんて言うか、見慣れたものに近いファンタスティックな色合いの瞳。
端正な顔立ち、整い過ぎて神聖さすら醸し出す姿。
私と、同じもの。
自然と言葉が漏れたが、呟きよりも小さかったそれを、奴はその長い耳で拾い上げたようだった。
そして露骨に顔を歪める――え?
「神族ではない。…我らを神族と呼ぶ者たちが多いが、正確には古き民だ。」
あれ?
神族は自分たちを神族と称した、のではなかったか。
神に最も近いものとして。
不思議そうな私の顔を見て、さらに彼の眉間にしわが寄っていく。
――ああ、そうだ。目の前の神族と思しき奴は、男である。私も身長が高いが、それを優に越す背丈に、しっかりした骨格。
声も低く、喉仏が上下するのがここからも見える。
「…今は二千年前とは違うのだ、同胞よ。神と己らを同列に扱うなど、勘違いも甚だしい。……わかってくれとは言わぬ。」
吐き捨てるように言って、彼は首を傾げた。
「長き眠りから…いや、目覚めるはずのない眠りから目覚めたと聞いて迎えに来た、同胞よ。己は古き民、名をアジリーズという。共に来てくれ。」
誘う様に手を差し出される。
その姿はさながら神話に出てくるようなきらびやかさを纏っているが、いかんせん、周りが血みどろクレーターぼっこぼこでは神々しさ半減どころではない。
そのアンバランスさに正気を取り戻したというか、やっと現実味が返ってきた私は溜息をついた。
「意味がわからないよ、アジリーズ。いきなり私らの敵を横やりでかすめ取り、挙句理由も言わずに迎えに来ただのなんだの…礼儀がなっちゃいないね。商談の基本は売ることさ。情報であれ自分であれ、売りを惜しんじゃ買われない。私を話に乗らせたいなら、出し惜しみなんてやめなよ。」
周囲の兵士たちに緊張が走ったのがわかる。
明らかに私の言葉が売り言葉だったからだろう。神族に喧嘩を売るなんて、という心の声が聞こえてきそうだ。
明らかに機嫌を損ねた表情になったアジリーズは、しかし一つ頷きを返す。
「確かに、急な誘いだった。急ぎ過ぎたともいえよう。…そうだな。己の目的、行動の理由、そして世界への影響を教えよう。…ヒトよ、英雄の身柄をしばし預かり受けたい。傷付けはせぬ。」
何をもって知ったか知らないが、アジリーズは的確にイーリスを見定めると、後半の言葉を伝えた。
突然の申し出、しかも英雄の身柄を預かるなどと、イーリス達連合軍にとってはとんでもないことだ。
しかし相手は英雄と同じく神族。先程の一方的な殺戮だって、こちらには真似できない方法であった。
「……アジリーズ殿、私は連合軍総指揮官、イーリス・グレガンディアと申す者。英雄殿の身柄を引き渡すことは、我々が決めることではない。彼女は我々の…仲間であるのだから。しかし、もし英雄殿が貴殿に従うと言うのなら、我々のうち少数を供につけさせてもらいたい。」
最大の譲歩をしたのだと思う。
世界規模で手放すわけにはいかない英雄を、英雄自らの意思を尊重して引き渡すこともやぶさかではない、とは。
それだというのに、アジリーズは眉を寄せ、何やら芳しくない顔をする。
「それは無理だ。お前たちは国に飼われている。己たちは、それを善しとしていない。」
どういうことだろう。
国に飼われている、つまり話した情報が国――もっと言えば、連合議会に伝わるのは好ましくないと、アジリーズはそう言っている。
そういう立場にあるのはどこだ?
「ひとつ答えてもらおう、アジリーズ。これが聞けなきゃ、私があんたについていくという選択肢は無くなる。」
しかし、私のこの自信はどこから来るんだろうか。
英雄と呼ばれる体をもっていても、それを活かせるかと言えば、否。アジリーズが強硬手段に出たら、万一にも私は、そしてイーリス達には、抵抗する術がないだろう。
私の言葉に身構えたアジリーズが、続きを促すように頷く。
私はアジリーズの一挙一動を逃さないように視線を合わせ、そして口を開いた。
「…あんたは、悪と関係があるのか?」
連合議会の最たる敵は、悪だ。
今回の襲撃が悪絡みだったとして、それを殲滅せしめたアジリーズが悪側についているというのは考えにくい。
けれどそれが芝居だったら?安心させるための物だったら?
私は気にはしないが――死んでいる、私だから。
それでも、イーリス達は関係大有り、アジリーズが悪と関係があったら、ここで例え全滅することになっても抵抗せねばならなくなる。
まあこれまでの経過から見て、よっぽど手の込んだ計画で私、英雄を殺したいのでなければ、可能性は低いと思うが。
アジリーズは、一瞬気の抜けたように呆け、それからもともと厳しい顔つきをしていたのをさらに不機嫌に歪めた。
「悪などというものと関係をもつと思うのか。同胞よ、それは侮辱か?」
「いいや、確認さ。私の大切な友人たちが、安心できるように、ね。」
イーリス達は、確証はなくとも、そして可能性が低くとも、アジリーズと言う得体のしれない神族が悪絡みではなく、英雄の身に危害を加えないという証が欲しい。
そして私は、正直に言って、神族そのものとのふれあいは今後を考える上で有益であると判断した。
神族の力、魔術、そういった能力を理解していないと、私はこの世界に出来た友人たちを助けることは出来ないだろう。
もちろん、それ以外の方法もなくはない。けれど、一番求められていることができるのならば。
私はそれを成すために必要なことであれば、アジリーズの求めに応じることも厭わない。…ただし、取引次第ではある、が。
「…ナルミ殿…」
馬車の前に立つ私、その前に立ちはだかるイーリスを筆頭とする連合軍の兵士たち。
それを越えた前方にはアジリーズ。
不安を声に滲ませて私の名を呼んだのは、イーリスそのヒトだ。
顔を見なくてもわかる。間違いなく、嫌そうだ。
「イーリス、悪いね。私はヒトを見抜くことがまあ得意とは言わないが、アジリーズは嘘をついてはいないと思うよ。少なくとも私は傷付けられる心配はなく、彼は悪とは関係がない。…私は、彼の話が聞きたい。」
こちらを見ようとしないイーリスは、私の言葉に沈黙で返事をする。
沈黙も時には有効な手段だ、彼の立場を考えればそれも当然と言える。
しかし、私がわざわざ待っていてくれているようであるアジリーズのほうに一歩を踏み出した時、イーリスは囁いたのだ。
「…私は貴方にまだ謝っていない。様々な事を…そして伝えてないことも、あります。どうか、必ず帰って来てください。」
なんて縁起でもない口説き文句を、と苦笑しようとして、私は結局出来なかった。
私は気付いているのだ、そしてイーリスも知っている。
アジリーズが、一度も私を「帰す」とは言っていないことを。
預かり受ける、とは聞いた。いつまでかはわからない。
それに私が了承してしまったから、きっとイーリスは、不味い立場に置かれる。今はまだ、可能性の話ではあるが。
「アジリーズ殿。我々はこの先、ノーケルの街に宿をとり、そこで英雄殿をお待ちしている。」
私からの返答は元から期待していなかったのか、イーリスは剣の切っ先を下ろしてアジリーズに言い放つ。
あからさまに私を帰すことを要求してはいないが、言葉の端々からそれが垣間見える。
対するアジリーズは一つ頷きを返しただけで、それがイーリス達の居場所を了解した、という意味なのか、帰す、という意味なのかはわからない。
いや、待て。
違う。
ふと思考が晴れた気がした。
イーリス達は確かにアジリーズを警戒している。
けれど、私の軽挙にも同じように警戒しているのだ。
英雄が、自分から、初対面ではあるようだが同じ種族と出会って離れていってしまわないか。
それも危惧している。
だからこそ、私の返答を聞かずにアジリーズへの牽制だけをした。
「…行ってくるよ。」
些か強張ったイーリスの背中にぽん、と手で触れ、私は一団の輪から抜け出た。
心配そうな、複雑そうな視線をいくつも感じる。
今更ながら血に染まった雪のどこを踏んだものやら、と悩みつつ、私はやがてアジリーズの目の前に立った。
いつのまにか降ろしていた手を再度差し出したアジリーズのそれに手を重ねた瞬間、私はまるで見えない紐に身体を釣りあげられるような感覚を感じるとともに、視界が白く染まった。