第四話:4
次の日。
山の端が薄らと白んでしんとした空気の中、吐く息が白く視界に映る。
「ナルミ様…お元気で…!」
昨日挨拶したのに、朝も早いうちから神殿の信徒の皆さんがお見送りしてくれていた。
それなりに仲良くなったものだと感慨深い。
「世話になったね。また時間ができたらここに来るよ。」
別れというのはいくつになっても慣れないが、次があると考えると笑うことができる。
またここに来る、というのはどうにも不確定過ぎるが。
「ではナルミ様、こちらへどうぞ。」
別れを惜しまれつつ、イーリスにエスコートされて馬車に乗り込む。
かじかんでいた指先が、馬車に入った途端ぬくい空気に包まれてほっと体がゆるむ。暖房器具はないが、どんな細工だろうか。
馬車、と聞いて現代人が思い浮かべるだろうものと、形も大きさも大差はない。
黒塗りのこれは2頭立てで、車輪は6つ。
中は落ち着いた赤いベルベット地のふかふかな座席。…尻が沈む…。
知ってるか?あんまり柔らかすぎる座席でもバランスが取れなくて変に筋とか痛めるものなんだ。
こいつはその類だ…!
「…どうかなさいましたか?」
席に座った途端眉を寄せた私に、イーリスが心配そうな顔をする。
が、まさか座席が気に入らないから馬車を変えろとも言えるはずがない。
「いや、なんでも。ちょっと歳でねぇ。」
「え、はぁ…」
適当な事を言ってごまかしてしまったが、そういえばこの身体はいったいいくつなんだろうか。
文献にも載っていなかったが、神族は長命な種族らしく外見と年齢は必ずしも比例していないという。
そのおかげでか、私の妙な言い訳にも一応の納得を示したイーリスは、何かありましたらお呼びください、と引っ込んでいった。
『ベル。カルカっていくつだったんだい?』
閉まったドアの窓からイーリスやその他の連合軍兵士の皆さんが馬に騎乗するのを眺めつつ、手に持ったバスケットの中身に尋ねる。
あたかもこれからピクニックに行くんで弁当とか入れてますー、なバスケット。
驚くことなかれ、中身はベル、神獣である。
何も知らない人が開けたら卒倒すること間違いなしだ。
が、小さくなったベルを姿の見える格好(例えば抱っことか)で持ち運ぶとそれはそれで硬直する人が現れたため、苦肉の策としてこうなった。
でもバスケットにちんまりと入っているベルもなかなかおつなものがある。可愛い。
ふたを開けると、丸まっていた銀色の毛玉が顔だけ覗かせる。
『 知らない 私より 若い』
『……。ベルはいくつだい?』
『 原初の生物よりいくつか下』
…予想はしていたが。
すでに生物としての枠を超えているとしか思えない。というか、原初の生物っていつの何のこと?
二千年前にはカルカが存在していたのだから、それよりは前ということになる。
理解の及ばない獣であることを再認識して、私は溜息を吐く。
改めて、英雄がわからない。
一般人でも知ろうと思えば知ることができる知識しか私は持っていない。それも、英雄個人でなく神族という種族の知識だ。
ベルは…貴重なカルカを知っている存在ではあるが、カルカのことを良く知っているかといわれるとそうでもないらしく、どういう仲かと聞かれれば昼寝友達、らしい。
昼寝友達程度の関わりしか持っていないベルがどうしてカルカの肉体が目覚めたことを知ってすっ飛んでやってきたのかわからないが、ともかく、カルカの人となりを十分に知るには至らなかった。
コンコン、とドアがノックされ、条件反射で応えるとリーンが顔をのぞかせた。
いつものお仕着せなメイド服ではなく、黒いコートの下にすらっとした乗馬服のような格好をした彼女は、私に目礼をすると
「失礼いたします。ナルミ様、御同乗させていただいてもよろしいでしょうか?」
と問うてきた。
同席することになんの異論もないが、リーン、この馬車割と乗り心地とか悪いかもしれない。
などとは言えず、私は喜んで、とリーンを向かいの席に迎える。
リーンや侍女ズは私と行動を共にすることが多いためか、それなりに打ち解けてくれたと思う。
「ナルミ様、もうすぐに出発だそうです。…何か、お力になれることはございませんか?」
打ち解けたということは私を少なからずわかっているということで、リーンは特に人を理解することに長けているヒトだった。
だから、私の顔を見て、私が何かに煩っていることが伝わったのだろう。
それでも力になれることはないか、と、話したければ話せば良いし、話したくないのなら話さなくていい、とどちらにもとれる尋ね方をしてくれている。
「いや、特に…十分力になってもらってるさ。」
苦い。
仲良くなるのも弊害があるな…。
特に何もない、とはさすがに言えず、かといって「私は何者なのか悩んでいた」なんて益々言えるはずもない。
いつのまにやらぼんやりとくもった窓に指を這わせ、私はリーンから目線を外した。
出発、との掛け声が外から届き、それと同時に馬車ががたりと動き出した。
最初こそ慣性の法則で揺れたが、走り出してしまえば実に安定している。
街道が舗装されているとは昨日ザンツが言っていたからわかっていたが、これはそれだけではない気がする。
「この馬車、何か魔術がかかっているのかい?」
乗り込んだ時に外の寒気がぴったり遮断されたように暖かな空気に満たされていて驚いたことといい、揺れが少ないことといい、この世界の技術力が移動手段=馬車であることから憶測するに、機構的機能ではなく魔術ではないかと踏んだ。
魔術の発展は、比較対象が無いからどうとも言えないが、現代人だった私が苦労することもなく生活できる程度に魔術は日常に染み込んでいるし。
「その通りです。機構魔術士ではないので詳しくはわかりませんが、空気を一定の温度に保つ魔術と浮遊の魔術がかけられているとか。」
リーンに尋ねると、思った通りの返答がある。
つい口をついて便利だねぇ、と呟いてしまった。
「ああ、ナルミ様の…二千年前にはこのような魔術はなかったのですか?」
うえ。
「ん、ああ…。どうだったか、記憶がまだ鮮明じゃないんだよ。」
記憶が鮮明じゃない、だなどと大嘘を。
英雄の記憶なんざ何一つ残っちゃいない。
おまけに言えば魔術に関してもさっぱりチンプンカンプンだ。
ああ、頭が痛くなってきた。
「そうですか…。」
残念そうなリーンに、しかし謝るわけにもいかず、私は気まずく笑って口を閉ざす。
私はイーリスに戦い方もわからない、と話した。
それ以来記憶が戻ったか、とは誰からも訊かれていないから忘れそうになっていたが。
今の私は戦力外であると認識されているはずで、まあ肉弾戦は避け続けることくらいなら出来るようだが、他人を傷付ける覚悟なんて持ち合わせていない私にはちょうどいい。
でも魔術か…。
ちょっと使ってみたいような気もする。
まったくわからないが、魔術ならヒトを傷つけることなく無力化する方法もあるのではないか。
それができれば、もしもの時に役に立つかもしれない。
記憶が曖昧だから云々で丸めこんで、魔術を誰かから習うことはできないものか…。
クレオなんかは『魔の』(笑)なんて称号を持っているのだ、魔術に関してはお手の物だろうが、奴に習うとか想像しただけで嬉しくない展開にしかならない気がする。
ベルは……どうなんだ、それ以前にこいつは魔術を使っているのか?
「ナルミ様、旅程についてお話させていただいてもよろしいですか?」
ううむ、と一人で首をひねっていると、順調に走り出したらしい一行を窓の外に眺めていたリーンが口を開いた。
「ああ、うん。そういえば聞いてなかったねぇ。」
「お伝えするのが遅くなってしまい申し訳ございません。…ナルミ様は、ノーケルまでの道のりについてはどの程度ご存知でしょうか?」
どの程度…。
旅雑誌で得た知識(ノーケルまでは森を抜ける街道があって、その途中には自然が売りの小規模な集落がある)を簡単に話すと、リーンは感心したように頷きを繰り返す。
「そこまでご存知ならば特にご説明することはございませんね。ナルミ様の仰った街道を、3日かけて進む予定になっております。」
3日ね。
ローガンは馬を飛ばして2日と言っていたから、馬車であることを考えると妥当なところだろうか。
窓の外を流れる景色はそこまで忙しいわけではないし、恐らく私の体調にも気を使ってゆっくりと進んでくれているのだろう。
「その後ノーケルにて転送陣を使用し、王都まで向います。…転送陣は初めてでございますか?」
っていうか魔術とか魔のつくものに触れるのは初めてだと思うね。ああ、ファンタスティックな光を放つ石ならあったか。
幸い、転送陣なる技術が開発されたのはほんの200年前。
英雄が経験しているはずがないのははっきりしている。
「そうだねぇ。どんなものなのか気になっているよ。」
「魔術師はある種専門職ですので、私はあまり造詣に深くないのですが…もしお望みであればシェヴィルかビビエラあたりに説明させましょうか。」
シェヴィルとビビエラとは侍女ズの一人だ。
そういえば記憶を辿ると、二人とも魔族の特徴であるとんがった耳をしていた。…クレオもそういえば耳とんがってたな。
魔族は文字通り魔術を扱うことに長けているため、説明はその二人に、ということだろう。
が、聞いてもはっきりいってちんぷんかんぷんだろうし…とりあえず転送できるんだろ、陣から陣まで。
「いいや、大丈夫だ。転送陣が使えるようになるわけではないしね。」
クレオが言うにはネットワークにもぐりこめば可能らしいが。
そんな、明らかに犯罪と思われる行為をするつもりも、出来る気もしない。
そう答えた私に、リーンはわかりました、と一つ頷く。
「何かございましたらお申しつけくださいね。私たちはナルミ様のために居りますので。」
いつも以上に真摯な表情を見せたリーンに、つい苦笑がこぼれる。
大袈裟な。
連合軍の、しかも今ここにいる兵士たちは特に英雄に対する思いが強いのだとは聞いている。
その中でも特に私…いや、英雄のために存在しているのがリーン率いる侍女ズ、またの名を英雄の近衛部隊だという。
「…ありがとうね。」
苦笑のまま答えた私に何を思ったか、翳りを帯びた顔のリーンは目を伏せた。
この時のリーンの表情が何を意味していたのか、それを知るのはもうすぐのこと。
了
といわけで、第四話終了です。
微妙にシリアスぶってますが、次回の流れ的には多分そこまでシリアスにはならない、はず、です。