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第三話:3

『なるみ』


ゆらりと目の前の空気が揺らいだと思ったら、視界が白に覆われた。

私には来る予感がしていたから良いものの、隣を歩いていたローガンは一瞬ものすごい殺気を出して飛び退きそうになっている。

つい溜息を吐いて、目の前の白い塊…ベルの鼻筋に手を伸ばす。


「なあベル。そういう、空間から現れるのよさないか。ほら、ローガンが驚いているだろう。」


『私 殺せない 大丈夫』


そういう問題じゃない。

ベルが殺せるとは到底思えないが、ローガンは死ぬだろう、ベルにかかったら。

撫でられて嬉しそうにする姿からは想像も…いや、この大きさだから普通に考えて想像できるかもしれないが…ベルに正面から向かっていって勝てる生物がこの世界にもどれだけいるのか。

ひょっとしたら悪もベルには負けるんじゃないか?神族に負けるような奴だ。それより恐れられている神獣に勝てるとは思えない…ような。

まあベルを戦力として数える気はまったくないけれど。そもそも戦うと決めてないし。


「歩いて移動しないか。よっぽどのことがない限り、普通に。」


「…ナルミ様、良いのです。神獣であるベル様にそのようなお気遣いは…」


「ローガンやイーリスならいざ知らず、他のヒトがベルに斬りかかったりしたら責任取れないからね。ね、ベル。頼むよ。」


かりかり、と指先で鼻面を掻いてやると、しばらくもっとというように顔を押しつけてきていたベルだが、気がすんだのか一歩引いて控えているローガンに目を移す。

じっと紫の瞳がローガンを捉え、それから私の方を向く。


仕方ない、との意思を感じ取り、私は褒めてやるべくわしわしと喉元の毛を撫でかき回す。

ぐるる、と気持ちよさげに目を細めて喉を鳴らす神獣に、どういった系統(例えば犬とか猫とかそういったおおざっぱな)の獣なのか首をひねるばかりだ。


『なるみ うれしそう』


「おや。わかるかい?」


ぐる、と喉を鳴らしながら、なぜかベルのほうが嬉しそうに、弾んだ心が伝わってくる。

何をそこまで喜んでいるのかわからないが、直接伝わるそれにいっそう私も嬉しくなって笑みが深くなる。


「これからね、イーリスに私にも仕事をくれるようにお願いしに行くんだよ。」


『 イーリス 』


え。

一瞬の静寂の後、どことなく棘を含んだ言葉がベルから漏れた。

驚いて紫の瞳を見上げると、面白くなさそうにふん、と鼻息で返される。


そういえば昨日も食環境改善を総指揮官殿にお願いした後、ベルが彼を忌々しいとまでは言わないもののそれに近い感情を込めて視線を流していたことを思い出した。

え、何。

まさか、


「嫉妬かい?」


冗談半分というか7割でにやりと笑ってみれば、戸惑ったようにベルの瞳が揺れた。

え、とこっちが戸惑いで動きを止めれば、ベルが首をかしげる。


『嫉妬 わからない』


『でも 嬉しくない』


ごつん、とベルにしては強引に、鼻づらを体当たりでもするように押しつけられ、後ろによろめきながらそれを受け止める。

嫉妬がわからないとは言っても、意味のわからない単語であるわけではなく感じたことのない感情だからわからない、と言っているらしい。

しばしベルの言葉を反芻しつつ無意識に押しつけられた顔を撫で、やがて私は噴き出した。


「あっはは!可愛いじゃないか、ねえ。」


『心配しなくても今一番頼りにしてるのはベルだよ。言ってなかったが、私が英雄ではないって知ってるやつはあんたしかいないんだ。…それでどれだけ私が救われてるか、わからないだろうけどね。』


もふもふしながら伝えると、ベルはまだ戸惑いは残したまま、それでも嬉しそうに頭を擦りつけてくる。


「……お話は終わりましたかな?」


後ろからかけられた紳士然とした声に、はっとして声の主、ローガンを振り返る。

そういえばベルの言葉は私以外に伝わらないことを思い出し、ちょっとした不審者をやっていたことに気付いて頬がひきつってしまう。

ローガンからすると独り言で、とりあえず飼い主馬鹿的な発言をしていた気はする。

そしてそれを止めるでもなくずっと優しげな眼差しで眺めていたらしいローガンを見るとやるせなくなっていくからやめてほしい。何より自分より若い者にこう微笑ましく見られるというのは恥ずかしい。

…まあローガンからしたら私の方が若い、と思われているのか。


「…悪いね、私のために時間を割いてくれてるのに待たせて。」


「いいえ。それでは参りましょうか。」


目元を緩め、ローガンは一歩引いていた位置から再び先導するように足を踏み出した。

なんとも言えない気持でそれを横目で見送り、私もベルを伴って歩き出す。

目指すのは、私も案内の時以来入ったことのないイーリスの執務室である。




*****




深い飴色の扉を開くと、執務室の名に恥じない大仰なデスクと、一応の応接ができるようになっているのだろう、木製のテーブルを挟んで3人掛けのソファが2つ鎮座していた。

私の使っている部屋程生活を重視していないのだろう、床に敷かれたカーペットは踏んでも毛足に気をとられない深紅のもの。

そういえばイーリスがどんな仕事をしているのか知らなかったな、とほぼ無意識に机の上を眺めると、インクの入った小さなビンとペン、分厚い上にデカイ本数冊が几帳面にブックスタンドに立っている以外は特に何も置かれていない。

…私が英雄業を断った(に近い)せいで、イーリスの仕事も現在停止中なのだろうか。


「ナルミ様。」


私が室内を観察している間にイーリスに話を通してくれていたローガンが、私を促すように声をかける。

声につられて目の前…テーブルの向いに腰かけたイーリスに視線を向ければ、なかなか堂に入った眉間のしわとお目見えした。


「…まだ若いのに跡がつくよ?」


指を伸ばしてイーリスの額に触れようとすると、ばっと首ごと顔をそらされる。

イーリスのひきつった顔をしながらも耳が赤く染まっているのを認め、大人しく手をひっこめておく。まったく、親切心で女慣れさせてやろうと思ったのに。


「まあ、なんだ。ローガンから聞いたろ?皆私が神族だし英雄だしってことで遠慮しいしい、私はそれが不満でねえ。変わってると思うかもしれないが、打ち解けるためには仕事を一緒にすることが一番じゃないかと思うんだ。」


「…皆に、ナルミ殿に普通に接するよう通達します。ですから、仕事は…」


「示しがつかないからかい?私が悪を倒す以外に仕事をしたら、英雄に何をさせてるのかって上からなにか圧力でもかかるのかい。」


普通に接するよう通達されたって、それで普通になるくらいなら苦労しない。

むしろ作られた普通で囲まれそうで、それは嫌だ。

それくらいわかっているだろう、という意思を込めて、敢えてイーリスが嫌いそうな理由を挙げてみた。

別に、イーリスが本当にこう考えているとは思っていない。

でもイーリスは、英雄を神聖化する傾向がある。それを私は嫌だと感じていると知ってもらわなきゃならない。

すると露骨に顔をしかめてこちらを睨んでくるイーリスに、こちらも目を細めながら相対してやる。


「そういった関係を、皆と築きたいと仰っているのですよ、イーリス様。」


にこやかに、いつもならイーリスの後ろに控えているはずのローガンが今回ばかりは私の後ろから言葉を挟む。

それを受けたイーリスは、瞬いてから苦い顔をして目をそらした。


イーリスもローガンも、私と最も関わるからか徐々に遠慮というか、距離がなくなっていると思う。

それを指して、だからもっと他の人間とも触れ合わせたらどうか、と言外に含ませたローガンに、しかしイーリスは渋い顔をしたまま。

まあイーリスの気持ちもわからんでもない。

神族の英雄が、普通の仕事を回せとか。我儘以外の何ものでもないし、分じゃないと言われるとその通り。

しかも役に立つかもわからない。…言っておくが、主婦歴ウン十年の鳴海さんを舐めるなよ。家事全般なんでもござれに決まってるだろう、と言いたいが世界が変わってしまうと私の常識が通じない可能性すらある。

足手まといにはならない、と言い切れる自信がないのだ、どうすればいい。


「…ナルミ殿の仰りたいことはわかります。私やローガンですら、最初はまるで英雄殿を神か何かのように接していたのです。他の者の反応など、見ずとも想像がつく。」


それなら、と口を開きかけた私を、イーリスが視線だけで制した。

珍しく上に立つ者の顔をした目の前の若者は、可愛い可愛いと思っていた面影など持っていない。


「しかしナルミ殿、貴女からすればどうということではなかったのかもしれませんが、あの時の暗殺者。あれは『魔の』クレオ=ルトルです。恐ろしい腕前の暗殺者…しかも結界を破るでもなく内部に潜入する技術は、こちらには皆目見当もつかない高度なものです。」


だからこちらから貴女をわざわざ危険な状況に持って行きたくはない、とイーリスは言った。

その真剣な瞳に映る私の顔は、…滑稽な程ぽかんとしている。


自分の中では完結していたから全くそっちの方向に意識が向いていなかったが、クレオがまさかそんな危険因子とみられているとは。

っていうか、クレオの装飾語なんてった?『魔の』?しかも意外に立派な評価を得てるじゃないか。さすが一流。

まあクレオが襲ってくる危険はないと思うが、そういえば暗殺失敗したというのに後続が来ていない。

諦めたとも思えないが、英雄を亡き者にするなら別の動きが見られてもいいと思うのだが。…いや、来てほしいわけでは断じてない。

断じてないが、そういえばイーリスの総指揮官という役職から考えると、私の身の安全を考えなければならないのか。

悪を倒す前に死んでいては困るものな。


「ローガン、お前も連合軍に属する者なら危険も考えろ。何より優先するべきは英雄殿の安全だ。」


なんて言っても悪を倒すまではってことだろ、と穿った見方しかできないのは私の性格の問題だろうか。

そういう立場にあって、イーリスが苦悩しているのは知っているのに。


「…そうだね、我儘を言って悪かった。ローガンを責めないでおくれよ、きっとわかった上で私を優先してくれたんだろう。」


私の身を案じてくれている、それはわかった。

よくよく思い返してみると、私がいるところには常に元白ローブ集団、もとい連合軍の精鋭らしい彼らがいた。

図書館の扉の前や天井裏に気配を消して潜んでいることには気付いていたが、それが仕事なのだと思って気にも留めなかったけれど…そうか、私を守るためにいたのか。

そういえば警備が厳しくなったとかクレオがぼやいていた(それでも現れる奴はやはり凄腕だったのか)。

そして、守る側としては守る対象が仕事をして回るとかは避けたい状況に違いない。


「でもね、イーリス。私は確かに私に対応できない奴には誰も対応出来ない、って言った。案内もいらないと言った。それは本心だよ、今でも守られる必要なんてないと思ってる。けどあんたたちからしたら守らなくちゃならない立場がある。それを理解できない私ではないんだよ。」


つまり。


「仕事するのは諦めよう。その代り、私の周りに配置している彼らともっと関わらせてもらうよ。姿を消したり身をひそめたりしなくていいから、そのほうが都合もいいだろう?」


仕事がほしいのは本当だ。

みんなと仲良くなる手段としても、タダ飯食らいから脱するためにも。おんぶにだっこ状態は私は嫌いだ。

それに、常識とか生活とかの知識は実際にやってみないとわからないものだし。

でもだからって、仕事がすべてではない。

ようは私が皆と積極的に関わればいいのだから。

昨夜の夕食ではものすごく硬い空気で葬儀かと思う静けさの中の食事だったし、未だ侍女ズは私に話しかけられると飛び上がるし。

白ローブ集団…つまり連合軍の兵士以外、具体的には神殿の人間には拝まれそうになるしやたら遠巻きに熱視線を送られるし、優しそうな司教は実は腹に一物抱えてそうだし…。

………あ、難しい気がしてきた。


思わず遠い目になりかける。

が、ともかく。


「あんたたちはね、私に何も求めなさすぎる。私は仲良くしたいと思ってるんだよ、皆と。だからもっとあんたたちの思いを打ち明けてくれないか。私の思うままに、っていうのは寂しいものだからさ。」


傅かれてそれが当たり前と思う生活なんて、鳴海だったころは当然していない。

神族だからと言って、カルカも2千年前はそんな人生歩んでないだろう。

だから、人と意見を交わして相談していきたい。自分を考えての忠告なら喜んで受け入れる。

そんな風になれたら、なんて、大きすぎる秘密を抱えた私には過ぎた願いなのかもしれないけれど。


「…気付いてらっしゃったのですね。」


いろんな意味を含めた言葉を、イーリスは苦笑して呟いた。

目の前の彼の顔から硬さが抜けたのを見てとり、どうやら私からの譲歩案が受け入れられたらしいと悟る。


「当り前さ、私をなんだと思ってるんだい。」


ようやく軽口を叩ける雰囲気になった。

知らずにシリアスモードに突入していた室内の空気が弛緩するのを肌で感じながら、そういえばローガンが用意してくれていたのに手をつけていなかったお茶に手を伸ばす。

最初は湯気を上げていたはずのそれは指先にぬるい名残を感じさせたが、口に含んでしまうと冷たさが際立つ。

それでもほっと息を吐いてソファに背をもたれれば、


『なるみ 嬉しい?』


と、部屋の1/3以上を占めている白い物体から声がかかった。

ずっと我関せずの姿勢を貫いていたベルだったが、どうも私の気分の変化を敏感に感じ取ったらしい。

イーリスとの話の最中ずっと空気だったが、ずっと一緒にいると言ったベルはその言葉通り今回も私の座るソファの左側から扉にかけて体を横たえていたのだ。

図体がでかいから空間が狭まった感覚すらする。執務室だけあって人を応接する準備はあるが、神獣がやってくる場合は考えられていなかったらしい。

頭を起こして首をかしげるベルに、私はゆっくりと微笑んだ。


『ああ。これから、楽しくなりそうだからね。』







第三話・了

そういうわけで第三話終了です。


しかしこの三話、最後あたり少々納得していない部分があります…もしかしたら、大筋は変えなくても何か手直しを加えるかもしれません。

が、めんどくさがりな作者ですので結局直さないかもしれません。どっちだよ。

とりあえず何か直したらお知らせしますが、読み直さなくても筋は変わらないので大丈夫ですよ、ということだけ言いたかったというか。


それでは。

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