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第三話:2

どれくらい時間が経ったのか、ふと喉の渇きを覚えて私は身を起こす。

後ろでいつのまにやら眠り込んでいるベルが身じろぎしたが、起こしてしまったわけではないらしくもぞもぞと体勢を変えると再び寝息が聞こえてきた。可愛い。

神獣らしいベルがここまで無防備で良いのかと不安になるが、そこまで信頼してくれているのか、それとも神獣だからこそ特に何を警戒する必要もないのか。


音をたてないようにそっと図書館から出た私は、すでに何度か通って見慣れてきたといえる食堂への道を辿る。

図書館への扉がある廊下は窓がなくファンタスティックな輝きの石で照らされているが、食堂まで行く途中には中庭に面する渡り廊下を通ることになる。

中庭には一面の芝生と花園の中に水がしぶいて溢れる瞬間を固めたような抽象的な白い像が立っていて、驚くことにあれがこの神殿で祀る神(名前は忘れた)の偶像だという。

この世界では神は実体を持たない存在らしい。

いつもながら変な像だが私の芸術センスに訴えるものがある像だとか勝手に思っていると、進行方向にある扉から見覚えのある人が現れた。

あちらも私に気付いたようで、一瞬動きを止めると微笑んで優雅に腰を折って挨拶をしてくる。

ナイスミドルことローガンだった。


「ナルミ様、どちらに?」


「食堂に。ちょっと喉が渇いてねえ。」


「左様ですか。…とても香りの良い茶葉があるのですが、いかがでしょう。読書の息抜きにお茶になさりませぬか?」


にこりと微笑み、ローガンは歩み寄った私の横を歩き出す。

別に水でも構わなかったが、誘ってくれたものを断る理由もなし。


「いいねぇ、ご一緒させてもらおうか。」


では、と微笑むローガンにエスコートされたのは2階にあるテラスだった。

最初私にあてがわれていた部屋からも絶景の銀世界が見えたが、ここはより高い位置にあるからよけに眺めがよい。

晴れているから日差しも温かく、良いお茶日和だ。

なんで神殿にこんなものが、と思わないわけではないが、どうもこの神殿は神を祀るより英雄を祀ってあることで有名な巡礼どころであり、集客と金を落としてく富裕層のためにサービス面は割と充実しているらしい。


「どうぞ、お口に合えばよいのですが。」


「…ああ、ありがとうローガン。」


ことり、と湯気を上げるカップが置かれ、私は景色からテーブルに視線を戻した。

総指揮官補佐という役職にあるはずのローガンがなぜこんなに手際よくお茶を入れ、しかも手ずからお茶うけであるパイのようなものを切ってくれているのか甚だ疑問だ。

イーリスもローガンも身のこなしが上品で、どちらかというともてなされる側、貴族といった方がしっくりくる。

それが顔に出ていたのか、表情に苦笑の色を混ぜてローガンは切り分けたパイを私の前に置いた。


「不思議ですか、私のような者がこのような…」


「ん、ああ、まあね。イーリスもローガンも、軍隊率いるにしちゃ上品だなとは思ってたんだよ。」


こんな、景色は良いけれど他と連絡を取るのも難しい山のてっぺん近くに建っている神殿に総指揮官が滞在している状態で成り立つものなのか。

悪が行動を起こしていないとは聞いていたから、まだ軍を動かす段階ではないのか。


「はは、上品とは。……私とイーリス様は、シュエルタンの貴族なのですよ。」


言われ、一瞬私は動きを止める。

割と驚くべき事実をさらりと口にされた気がしたが、それを語ったローガンの表情に特に変わりはない。微笑、柔らかな雰囲気。


シュエルタン…おととい案内され、そして昨日今日と図書館で壁にかかっている世界地図を見た。

イーリスから受けた簡単な地理の説明と、そして頑張って読み進めた歴史書と照らし合わせたその国は、確か陸地の3割を占める大国ではなかったか。

2代前の王が戦略と政治に長けた人物で、その頃の領土拡大によってシュエルタン王国は世界一の軍事国家となりあがったと聞いた。

そこの貴族――


「――グレガンディア…」


ふと、歴史書を読んでいるうちに聞き覚えのある名前だと思って記憶に残った家名があったのを思い出す。

どこで聞いたのか、そこまで深く考えていなかったがこれはイーリスの。


「さすがはナルミ様、すでにそのような時代まで学んでおられましたか。」


ひょい、と片眉を上げて、ローガンは感心したようにこぼした。

我ながら本当に、よく1日2日で歴史書全1438ページ中700ページまで読破したものだと思う。

それでもまだ半分に至っていないことに目の前が暗闇に閉ざされそうだが。


「たしか、かつてのシュエルタンの王の6男が公爵の位を得て貴族となったのがグレガンディア家の始まり、だったかね。」


そうだ、確か。

今からざっと200年ほど前にさかのぼるのだろうか、戦で名を上げた6男だが王位継承権はなく、公爵としての地位を手に入れ王に忠誠を誓った。

などと、若い脳はスポンジのように知識を吸収してくれるからいい。

とは言ってもこの身体はどう見ても20代に差し掛かっていると思うし、これは神族という血筋特有の頭の良さがなせる技なのか。


「そのとおりです。イーリス様は現グレガンディア家ご当主の二男にあらせられます。」


へえ。

ってことはイーリスはシュエルタンの王と血族ってことで…そんなイーリスが指揮官ってことは、つまり連合軍というのはシュエルタンが主体となっているわけだろうか。

まあこの世界の陸地3割持ってるんだし、規模も力もトップならば王家の血筋の者を指揮官に据えて連合軍を取り仕切る位置に就くのも当り前なのかもしれない。


ふむふむと頷き、ローガンの淹れてくれたお茶を口に含んだ。

色合いは黒っぽいそれは、華やかな香りが広がり、その後すっきりした苦みがほどけていく。


「…うまいお茶だ。茶葉のことはわからないが、これは好きだよ。」


切り分けてくれたパイっぽいものの甘みと絶妙にマッチしている。

知らず微笑んだ私に、ローガンは嬉しそうに笑った。


「それは良かった。貴女様をお茶にお誘いした甲斐があったというものです。」


そう言って自分もお茶を飲み、香りを楽しむように目を閉じる。

やはり優雅な物腰なローガンに、ものすごく良い女(の体)だと思うが庶民全開の私。

何か負けたような気がする…が、まあいい。


「…そういえばちょっと訊きたいことがあったんだ。」


「なんですかな?」


ことり、とカップを置いて私の方に顔を向けるローガン。

紳士的だ、ちゃんと話を聞く姿勢を持つだけでも印象って代わるものだしな。

それはそうと。


「『神族の笑い』、知ってるかい?」


こちらもカップをソーサーに置いて、何食わぬ顔を装って問いかける。

パイをもう一口、とフォークのような二股の匙で切って、珍しく返答の遅いローガンをちらりと見る。


「……ええ、存じております。」


のろのろとした、いつも明朗な声音で答えてくれるローガンのいつになくうろたえた返答に苦笑を洩らす。


「別に責めてるわけじゃないよ。ローガンが神族の笑いの著者なわけじゃないだろう?…いや、神族の笑いだけでなくほぼ全ての神族についての書物が割と酷評だったがね。」


「………。」


こちらが努めて明るい雰囲気でしゃべりかけているのに、ローガンの周りの空気はどんよりとまるで曇天のような暗さを呈し始めている。おまけに表情はそのままなのに顔色まで急降下しだした。


…やはりというかなんというか、神族についていろいろ口さがなく書かれたあの本を当の本人である神族が読んだということは相当に胃がキリキリする状況に違いない。

申し訳ない、ローガン。

しかしこれではっきりしたのは、神族のイメージがやはりアレで浸透しているということだ。


「英雄とはいえ、神族を蘇らせるなんてね。なかなかいい度胸してるじゃないか。あんな印象しか抱いていないんだろう?しかも今の世に神族は……残って、ないのかい。」


呟くように、最後の言葉を絞り出す。ようにみせかける。


神族が残っていないのは好都合のようで、しかしマイナスにもなる。

自分しか神族と呼ばれる存在がいないのなら、行動の差が比べられることもない。しかし、今後のこと…神族として生きていくのならば、その特殊な立ち位置やら種族やらが相まって危うい立場・状況に置かれるのではないだろうか。

そんなときに頼れる神族がいれば――あの本に書かれたとおり種族愛のない人物ならそれはそれで困難が伴うが――、手助けを乞えるかもしれない。力の使い方とか、習性とか。


ティーカップの中で揺れる自分の、いや英雄の顔を眺めながら考えていると、息を詰めたローガンが突然椅子から立ち上がった。


「本当に申し訳ありませぬ、ナルミ様。貴女様の意思を考慮に入れぬ禁術を行使して目覚めさせてしまったことも、神族に対する印象で貴女様への対応がなかなか打ち解けぬのも。」


きっぱりと言い切って、ローガンは深く頭を下げた。

また謝られてしまった…。

謝られるようなことをされてはいるが、責めているわけではなし。

こう何度も謝られると、本当に罪悪感が胸に迫ってくる。


しかし、だ。

私は「周囲が自分に対して打ち解けてくれない」と悩みを打ち上げるようなことはしていない。

それ込みで私が神族の笑いの話を持ち出したとわかっているのか。

そのあたりに気付くとは、やはりイーリスより歳を重ねているだけあるというものか…イーリスだったら、ここで謝る内容は神族に対する概念そのものなのだろう。それとも、その先を読む力をイーリスも持っているだろうか。


「……わかっているならいい。ローガンは私を個人として見ようと努力してくれているのは伝わっている。…皆が皆、出来ることではないようだけどね。」


侍女ズの動きを見ていると、声をかけると一瞬こわばるあたりに苦笑してしまう。

別に責めてないと何度も言っているのに。

結局のところ、英雄だから、神族だから、という壁がとても大きいのだ。


そして、それを打開すべく良いことを思いついた。


「ねえローガン。お願いがあるんだ。」


一応私の許しを得たことで席に戻っていたローガンに、つつ、と身を寄せる。

意識して色目を使うなんて何年ぶり…いや、何十年振りだろうか。唸れ神族の魅力!


「…なんですかな?」


若干驚いたように目を見開いたものの、すぐに穏やかな雰囲気が戻ってくるローガン。

やはりというか、イーリスだったら簡単に真っ赤になるのに。

まあ真っ赤になってうろたえることと、その後の承諾を得られることとは必ずしもイコールではないとわかっている。

イーリスは真っ赤になろうが狼狽しようが、私の益にならない、不利益になる可能性が高いと判断したことは絶対に許可しない。

この思いつきは、イーリスに許してもらえる可能性は限りなく低いと思う。

ローガンがイーリスより攻略が簡単だとは思わないが、より冷静に客観的に英雄を見ているだろう。

だからこそローガンから味方につけようという魂胆なんだが…


「私に仕事をくれないか。…ああ、英雄としてのじゃないよ。ただ、タダ飯食らいをずっとしているのもなんだしね。それに親しくなるには触れ合う機会を増やすべきだと思うんだ。」


いくら望まない目覚めだからと言って、英雄として働くのは嫌だとかなかなか我儘だとは思う。

まあ永遠に逃げ続けられるとは思わないし、再び英雄の働きをするためにも味方をつけなければ。


そんな私の考えを読んでいるのかわからないが、ローガンはしばし口を結んでこちらをじっとみつめていた。

ちょっと我儘過ぎたか、と内心冷や汗が滲んできた頃…ようやく、ローガンはずっと絡んでいた視線を外して息をついた。


「まったく、貴女はどこまでも型破りですな。ご本人にこう申すのもなんですが、腫れものを扱うようだったここ数日、ナルミ様の気質を考えると息が詰まるようだったのではありませぬか?」


「……じゃあ」


「私の一存で決められることではございませぬが、口添えはいたします。…皆も、ナルミ様の人となりを知った方が良いでしょう。」


「ありがとうローガン!」


穏やかに微笑んだローガンに、私は昨日イーリスにしたようにがっしりと彼の手を握りしめる。

今度は両手で握りしめてみたが、さすがイーリスと違って経た年月を感じさせる厚みのある手だった。

イーリスのは剣を扱うからか硬くはあるが、まだ皮膚が青さを残しているように感じたのだ。


イーリスのように赤くはならないが目を丸くしたローガンにパッと笑顔を向けて、私は彼の手を離し残ったお茶とお茶菓子に手をつける。

先行きが見えてきたからか、さっき飲んだよりも幾分冷えたお茶なのに美味しく感じた。


拍手コメントへのお返事は活動報告にて行っております。

そういえばコメントしたな、という方、暇がありましたら活動報告も覗いていただけると何かテンションおかしい返答が書かれておるやもしれません。

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