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転生の哲学

掲載日:2026/09/06

地球なのか、異世界なのか。ここはどこで、私が誰かさえ分からない。分からないなりに考える。

私は転生した。

 私は今、生まれてまもない赤子の体を持ち、病院の一室で母と思われる女に抱かれ、父と思われる男に写真を撮られている。いかにも喜ばしそうな声を上げる両親とは対照的に、前世の死の瞬間がまだありありと残っている私は少し気分が悪い。ここは日本とは違う国なのか、はたまた全くの異世界なのか、両親の発する言葉の意味が全く理解できない。この世界は私の前世と同一のものなのか?この世界での私のステータスは?言語や文化の問題はどうなるか?そんな必然的な疑問が浮かぶより先に、私のこの小さくて産毛の生えた頭にはもう少し倫理的な疑問がやってきた。

 この赤子の体の、存在したはずの人生はどうなるのか?

 この赤子は純粋にありのままの人生を送ることができたはずだ。しかしこの赤子は私に生存の席を奪われ、本人も気付かぬうちにこの世を去ることになった。私の海馬はこの赤子の脳を上書きしてしまった。あるいはこの赤子は私と同一であるのかもしれない。生まれて直ぐ物心つく前にこの赤子は私になったのだから。しかし現代の倫理はその思考を許してはくれないかもしれない。中絶が議論されるのは母体への負担のためだけではないし、ES細胞が批判されるのは拒絶反応が現れるためだけではない。受精卵や胎児であっても人間として生命権を持つと考えられるためでもあるのだ。私は今、赤子の体に成人の脳が入った状態にあるらしいのだが、胎内に居た私の脳は本当に私のものだったのか?どうも私にはそうは思えない。前世の記憶がすぐ近くにあるのに、10ヶ月前から卵としてすでにこの世界にいたとは到底実感できない。私は罪のない赤子を1人殺したのだ。意図して転生した訳ではないが、どうしても私にはそう思えてしまう。背中が総毛立つ。私のものではなかった筈のこの背中が。幸いブランケットに隠れていたので、私の緊張はこの体の両親には伝わらずに済んだようだ。

 この両親も気の毒なものだ。真っ白なキャンパスを期待していたのに既に絵が描かれていた物を渡されたのだから。私が無垢な子供を演じれば両親の目にはこのキャンパスも真っ白に映るかもしれない。しかし私は表面上の子供を演じる義務を負うのか?事実上肉親であるとはいえ、このふたりの男女は私にとって見ず知らずの人間である。精神的には両親ではない。ニュースで見た刑事事件の被害者を気の毒に思ったとしても、何らかの行動を起こす人はほとんどいないだろう。確かに私は本当の赤子を奪ったと言えるかもしれないが、そもそも私とて原因不明の転生の被害者であるのだ。できることならそう考えたい。だが同時に無関係でもない。彼らは私に愛情と期待を向けてしまっている。どうやら私は半端な人間であるようで、彼らを見捨てる気にも、自分を何年も殺して年齢に合わない年齢相応の人間を演じる気にもなれないのだ。どちらにしても言語を覚えるまでは当分赤子として生活せざるを得ないだろう。

 父が私をあやすように、ゆっくり低い声で私の知らない言葉を話す。母も意味の分からない言葉を投げかける。私の名前のようなものもあるような気がした。どの1つをとっても未だに理解できない。彼らの言葉とともに、ふと私の頭にあまり考えたくない1つの可能性が飛び込んできた。もしかしたら転生者は自分の他にも沢山存在していて、皆他人を傷つけないために他人を演じているのではないか?私だけが転生者であると考えられる理由はどこにもない。道行く人や数時間おきに病室にやってくる看護師、両親さえ本当は赤子の権利を奪った別人なのかもしれない。誰かが赤子の頃から誰も知らない人間を演じていても、知る由はない。他人からすればその知らない人間こそがその人なのだから。もっと言えば私の前世にそんな人がいた可能性だって否定はできない。友人でも家族でも恋人でも他人である限り他人は理解できないのだ。誰もが表面を演じただけの人間でも、気づけるのは本人しかいない。

 自分だけの物だと思っていたが、転生者としての苦悩を皆も持っているのかもしれないと思うと、少し心が軽くなった気がした。本当の所は知りようがないので、とりあえずこの世界について、分かることから考えようと思う。

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― 新着の感想 ―
ぐいぐい読み進めたくなってあっという間に終幕したので 冒頭からまた往来しました。とても楽しい時間でした。
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