魔人軍の不協和音と、少年の知略
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そう――本当の戦いはまだ始まったばかりだ。
僕たちは三日間、この砦を死守しなければならない。
先に逃がした竜人族の避難組が、安全な抜け道まで到達するための時間を稼ぐ必要があるのだ。今この瞬間も、彼らは休むことなく険しい森の道を歩み続けていることだろう。
「油断は禁物だけれど、僕たちも今のうちに休もう。まだ戦いは続くんだ、休めるときに休んでおかないとね」
僕がそう言うと、ティーナは静かに頷いた。二人で並んで、彼女の家へと向かう。
この過酷な戦いが終われば、もう二度と帰ることのないであろう家へ――。
一方、深い暗闇に包まれた魔人軍の陣営では、声を潜めて激しく口論する男たちの姿があった。
「ギャバン様が討ち死にされ、兵士も半数近くが戦死、あるいは戦闘不能となった。このままでは全滅だ、一時撤退も視野に入れねばなるまい」
そう冷静に状況を分析するのは、ギャバンの副官であったワルターだ。
彼は今、生き残った騎馬隊の分隊長たちを集め、軍の再編と今後の方針について軍議を開いていた。
「撤退だと? 何を血迷ったことを言うか! ギャバン様の弔い合戦もせずに尻尾を巻いて逃げるなど、絶対に許されんぞ!」
一人の分隊長が激昂すると、他の者たちも次々とそれに同調し始めた。彼らは皆、ギャバンに染まりきった連中だった。その暴力的な思考の方向性も、彼と大差ない…。
「しかし、歩兵は疲労困憊でほとんど役に立たない。主力である騎馬隊も、今日の戦いだけで三百強にまで激減しているのだ。一度兵を引き、態勢を立て直すのが軍としての筋だ」
ワルターが現実的な進言をするものの、分隊長たちは目を血走らせ、完全に殺気立っていた。
「歩兵など、我らの盾にすぎん。盾が傷つくのは当然のことだろうが! 我ら誇り高き騎馬隊が健在である限り、撤退などもってのほかだ! 明日は必ずギャバン様の仇を討ち、あの忌々しい竜人族どもを血祭りに上げてくれる!」
一人の分隊長がそう叫べば、他の分隊も熱狂的に吠え猛る。
彼らは今日の圧倒的な大敗北から、一体何を学んだというのか。きっと何も学んではいないのだろう。話が通じないことを悟り、ワルターは心中で深くため息をつき、静かに肩をすくめた。
「……わかった。撤退はせず、戦闘を継続する方針で行こう。しかし、現在まともに動かせる歩兵は三百のみだ。それ以上は絶対に出せない」
ワルターがそう妥協案を示すと、別の分隊長が進み出て不敵に笑った。
「ならば、その歩兵どもを引き連れて、副官殿が正面の扉から攻め入ればいい。その間に、我ら騎馬隊が左右の扉をこじ開け、竜人族どもを存分に蹂躙してやる」
分隊長たちは、その無謀な作戦に熱狂的に賛成した。
そう、ギャバンという絶対的な恐怖の枷を外された彼らは、それぞれが「第二のギャバン」と化していたのだ。
ワルターは元々、ギャバンの雑用係程度にしか思われていない。本来なら、司令官が戦死した今、全軍の指揮権はワルターにある。
しかし悲しいかな、彼の現実的な言葉に耳を貸す者は、この狂気に当てられた陣営の中には一人もいなかった。
「……承知した。貴公らの望む通りにしよう」
ワルターは短くそう告げ、足早にその場を去った。彼の頭を占めていたのは、この絶望的な状況下で、いかにして一人でも多くの歩兵を生かして本国へ帰還させるか――ただそれだけだった。
決戦二日目の朝。この日も、空は雲一つない快晴だった。
敵は甚大な損害を受けているため、今日はおそらく様子見に徹するだろうという僕の甘い観測は、見事にシュレッダー行きとなった。
「敵は、今日もやる気に満ちているようですね」
防壁の上から対岸を見据え、リプトン村長が硬い声で言う。僕は短く頷いた。
あれほどの歴史的大敗を喫しておきながら、未だに高い士気を保って進軍してくる敵軍には、狂気めいた恐怖すら感じる。
しかし、こちらとしては想定していた計画が前倒しになったというだけの事だ。
「中央に歩兵、そして左右に騎馬隊を配置しているな。サム、君はどう見る?」
僕は隣に立つサムに意見を求めた。この少年の戦術眼は本物だ。
「先方に歩兵を置き、後方に騎馬隊を縦列で配置する陣形であれば、定石通り中央突破を狙っていると考えられます。しかし、この横並びの配置ならば、部隊を三つに分散させて三つの門へ同時に攻撃を仕掛けてくるものと思われます」
僕の考えと全く同じだ。ここまでは相手の陣形を見れば容易に推測できる。
「では、僕たちはどう対処するべきだと思う?」
僕の問いに、サムは少し頭を捻りながら答えた。
「そうですね……戦力を三つに分散させるのは、明らかに不味い手だと思います。僕が敵の指揮官なら、数の暴力を活かして一点を強引に押し切ります。しかし、相手は別の方法を選びました。中央の歩兵は、昨日からの疲労の色が濃く表れています。おそらく、距離を置いての牽制役でしょう。問題は左右に展開する主力の騎馬隊ですが、昨日と同じ手で迎撃するのが最善です」
僕の想定とほぼ同じ結論だ。あえてもう少し踏み込んで聞いてみる。
「昨日と同じ手、というのは?」
「はい。昨日と同じく、敵の指揮官を真っ先に潰す事です。しかし、昨日の惨劇を考慮すれば、今日の敵指揮官は後方で安全を確保しているはずです。それを前線へ釣り出すためには、魅力的な『エサ』が必要になるかと」
素晴らしい返答だ。
「左右の騎馬隊に対してエサを見せるなら、エサとなる部隊も二つ必要になるけれど?」
ここまでは僕も考えていた。エサ役は僕が適任だが、あいにく僕は分身できない。
「いえ、エサは一つで充分です。片方の門にだけエサを見せれば、エサの無いもう片方の門の敵は、自分たちの側が安全だと勘違いして一気に攻め込んで来ます。安全だと確信すれば、手柄を焦る指揮官が必ず先陣を切るはずです。そして反対側の敵も、その状況を見れば動きが変わるはずです」
僕は舌を巻いた。スゲ〜や、サムさん、マジでハンパ無いっス! そこまでは僕も全く思い至らなかった。
「わかった。その作戦で行こう。僕が左手の扉を担当する。右手の扉の指揮は、サム、君に任せる」
僕がそう告げると、サムは決意に満ちた表情で目を輝かせた。その後、二人でさらに緻密な打ち合わせを行った。
そして、ついに開戦二日目の火蓋が切って落とされた。
こちらの予想通り、中央の歩兵部隊は牽制するようにゆっくりと前進してくる。そして左右の騎馬隊は、それぞれが門を目指して猛然と川を渡ってきた。
それに対するこちらの布陣はこうだ。
中央の門は堅く閉ざし、壁の上からの遠距離攻撃のみで牽制する。サムが指揮を執る右手の門は、あえて扉を開け放ち、その奥に『馬房柵』を構えて敵を迎え撃つ。これが『エサ』の無い、安全に見える門だ。そして僕が指揮する左手の門は、扉を堅く閉ざし、中央と同じように壁の上から攻撃して敵の注意を引く『エサ』の役目だ。
左手の門に迫ってきた敵の指揮官が、閉ざされた扉と壁上の僕たちを見上げて忌々しげに呟いた。
「チッ、こちらがハズレか。だが――ここを落とせば功績は大きいな!」
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