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大好きなお母さんの手

作者: 時輪めぐる
掲載日:2026/03/14

 白くてすべすべして柔らかく温かいお母さんの手。美味しいご飯やおやつを作ってくれる手。僕はお母さんの手が大好きだ。


 お母さんの手が、テーブルの端をトントンと叩いて、僕が、スクランブルエッグを食べ零したのを教えてくれる。


「あ、ごめん」


 僕はスクランブルエッグ拾う。


「今日も、コウちゃんと遊んでいい?」


 お母さんは、右手を指文字の【け】の形にして、上に向けた左の手のひらと平行に下し、


 次に右手を【け】のままで直角に左の手のひらにおろした。手話で「ケーキ」と言っているようだ。


「焼いてくれるの? ありがとう。コウちゃんもお母さんのケーキ好きだって。楽しみだな」


 僕はランドセルを背負って家を出る。


 お母さんが手を振った。


 僕のお母さんは、話せない。




 三か月前の十月。


 お父さんとお母さんが日帰りの旅行に行った日、僕は近所のコウちゃんの家で待っていた。


 夜になって、お父さんが旅行のお土産を持って、僕を迎えに来た。


「お母さんは?」


「……お家にいるよ」


 家に帰ると、お母さんがいなかった。


「あれ、お母さんいないよ」


「買い物にでも行ったのかな」


 疲れているのか、お父さんの顔色が何だか悪い。


 僕は「ふーん」と言って、お父さんが買って来たお弁当を食べると眠ってしまった。


 お母さんは翌朝になっても帰っていなかった。


 だから、僕はお父さんに「変だよ。お母さんを探して」と一生懸命頼んだ。


「……そのまま、お仕事に行ったのかな」


 お父さんは、目を逸らして冷蔵庫の横に置いた白い保冷箱をチラッと見る。


 その箱は、昨日からそこにある。触るなと言われた。


 夜になっても、お母さんが帰って来ないので、僕は泣き出した。在宅ワークをしていたお父さんは、大きな溜息を吐く。


「大丈夫だよ。お母さんだって、大人なんだから」




 僕は、お父さんが取り合ってくれないので、次の日、コウちゃんちのおばさんに話してみた。


「ええっ! それはちょっと変ね」


 おばさんが、僕のお母さんの勤め先に電話して訊いてくれた。


「お母さん、体調悪くてお休みしているって」


「えっ」


 どういうことなの。


 おばさんは、腕組みをし、難しい顔をして考え込んでしまった。


「おばちゃんに任せてくれる?」


 僕は他にどうしようもなかったので頷いた。


 おばさんに頼んだことをお父さんには言わないでねと言われた。




 学校は冬休みになり、もうすぐお正月だという夜、警察が家にやって来た。


 お父さんは、両脇を警官に支えられパトカーに乗せられた。その日から戻って来ない。


 残された僕は、ずっと気になっていた、冷蔵庫の横の白い保冷箱を開けてみることにした。べりべりと何重にも巻かれたガムテープを剥がすと、中には手首から先の手が二つ入っていた。右と左か。


「ドッキリおもちゃかなぁ」


 前に、コウちゃんが見せてくれた本の写真で見たことがある。本物そっくりで、初めて見た時はドキドキした。


 保冷箱の手は、それよりも白っぽかったけれど、手首のところが赤黒くてちょっとグチャグチャしている。少し生臭い。


「何か、本物みたいだ」


 よく見ると左手の薬指に見慣れた指輪をしていた。この指輪って。


「お母さん!」と呼び掛けると、ピクリと動いた。ああ、良かった。やっぱり、お母さんだったんだ。


 お母さんは寒そうに手を擦り合わせる。


 僕は保冷箱から出して、胸に抱きしめた。保冷箱は寒かったんだね。温めてあげる。


 お母さんは、左手の甲に右手を垂直にのせ、上に上げる。本当は頭も下げるのだけれど、頭が無いから下げられない。多分、「ありがとう」って言ったんだね。ろう学校に勤めていたお母さんから、手話を少し習っておいて良かった。


 僕、会いたかったんだよ。お母さんの作るご飯やケーキが食べたかったんだ。


 コウちゃんちのおばさんは、何かと僕を気に掛けてくれるけど、お母さんじゃないしね。




 冬休みが終わっても、僕はお母さんの手と暮らしている。話せなくなってしまったけれど、お母さんの手は、今までと変わりなく家事をこなす。今も台所で包丁を握り、お野菜を刻んでいる音がする。でも、体は何処へ行ってしまったのだろう。




 しばらく経ったある日、コウちゃんちのおばさんが「さっきニュースで言ってたけど、何処かの山の中から、手首から先が無い女の人の遺体が見つかったそうよ」と言った。


「何で切っちゃうの?」


 一緒に遊んでいたコウちゃんの声が震える。


「身元の発覚を遅れさせる為なんだって」


「それ、どういうこと」


 小学生の僕達にはよく分からない。


「どこの誰か分かるまで、時間が掛かるようにするってことよ」


 おばさんが話すのを聞いて、僕は、お母さんの体かもって、ちょっと思った。







 了

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