第8話 四天王、来訪①【ドラゴンとデコピン】
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃッ!!」
公爵令嬢の悲鳴が、離宮の空気を引き裂いた。
無理もない。彼女の目の前に鎮座しているのは、王城の尖塔よりも巨大な、伝説のエンシェントドラゴンなのだから。
その巨体は、離宮の庭を完全に埋め尽くしていた。琥珀色の瞳がギョロリと動き、腰を抜かした令嬢と、テラスで紅茶を啜る誠を見下ろす。
『……ふむ。人の子か』
ドラゴンの声は、それだけで大気を震わせる重低音だった。
『我が名は【剛力】の竜王。魔王軍四天王が筆頭なり。……そこに座する小さき者が、新たなる魔王か?』
鼻息だけで、テラスの植木鉢が吹き飛ぶ。
アリアは誠の前に立ち塞がろうとするが、足が震えて動かない。生物としての格が違いすぎるのだ。
しかし、誠は耳栓を外すと、鬱陶しそうに言った。
「……デカい。邪魔。日陰になるからどいてくんない?」
「ま、魔王様!? 相手は伝説の竜王ですわよ!? 口の利き方にはお気をつけあそばせ!?」
公爵令嬢が涙目で叫ぶが、誠は無視だ。
ドラゴンは、ピクリと太い眉(のような鱗)を動かした。
『……ほう。この我を前にして、眉一つ動かさぬか。胆力だけは認めてやろう』
ドラゴンはニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
『だが! 魔王の座とは、力無き者が座るには重すぎる椅子よ! 貴様が我が主に相応しいか、この爪牙をもって試させてもらう!』
ゴォォォォォッ!!
ドラゴンの全身から、灼熱の魔力が噴き上がる。
「い、嫌ぁぁぁぁッ! 殺されるぅぅぅッ!」
公爵令嬢が頭を抱えて地面に伏せる。
『行くぞ! まずは挨拶代わりの――』
ドラゴンが巨大な口を大きく開け、その奥で太陽のごとき炎塊が輝き始めた。ブレスだ。一撃で離宮どころか、山一つ消し飛ばす威力の。
誠は、ため息をついた。
「……はぁ。うるさいハエだ」
誠はペンを置き、椅子に座ったまま、ドラゴンに向けて右手をかざした。
中指を親指にかけ、ピンと弾く構え。
「どっか行ってろ」
パチンッ。
乾いた音が鳴った、その瞬間。
ドォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
大気が破裂した。
物理法則を無視した「拒絶」のエネルギーが、不可視の巨砲となってドラゴンの顔面に直撃する。
『ぬ……おぉぉぉぉぉぉッ!?』
巨大な竜の体が、まるで風船のように浮き上がった。
『ば、馬鹿なァァァァァァ……ッ!』
そのまま竜王は、音速を超えて空の彼方へとかっ飛んでいった。
雲を突き破り、成層圏を超え、空の星の一つとなってキラーンと輝く。
「…………」
後に残されたのは、静寂と、更地になった庭。
そして、白目を剥いて泡を吹いている公爵令嬢だけだった。
「……よし、静かになった」
誠は何事もなかったかのようにペンを取り、再びノートに向かい始めた。
アリアは、ポカンと開いた口が塞がらない。
「ま、誠様……今のは……?」
「デコピン。……アリア、お茶冷めたから入れ直して」
「は、はい! ただいま!」
アリアは慌ててポットを取りに走った。主人の強さが規格外すぎて、もはや恐怖よりも「さすが誠様です」という謎の納得感が勝ち始めていた。
***
それから十分後。
『……ガハハハハ! 参った! いやはや、完敗である!』
ズシーン、と地響きを立てて、ドラゴンが戻ってきた。
ただし、先ほどまでの殺気は消え失せ、尻尾をブンブンと振っている(その風圧で木々が薙ぎ倒されているが)。
『あの距離からの一撃で、我を衛星軌道まで弾き飛ばすとは! まさしく最強! 貴方様こそ、我が生涯の主に相応しい!』
ドラゴンは庭に土下座(?)のような姿勢で平伏した。
「……戻ってきたのかよ。しつけーな」
誠が顔をしかめる。
『我が主よ! この老骨、今日より貴方様の忠実なる下僕となりましょう! さあ、どうか背にお乗りください! 世界の果てまでお連れしますぞ!』
「乗らない。高所恐怖症だし、風が強くて髪が乱れる」
『なんと! では、館の中でお側にお仕えしましょう!』
ドラゴンはウキウキと体を起こし、離宮の窓から中に入ろうとした。
ガツンッ!
『……ぬ?』
頭が大きすぎて、窓枠に引っかかる。
『む、むぅ……。入れぬ……』
彼は巨大な鼻先を窓に押し付け、グイグイとねじ込もうとするが、どう見ても物理的に不可能だ。ミシミシと館が悲鳴を上げている。
「やめろ、家が壊れる」
誠が冷たく言い放つと、ドラゴンはシュンとして首を引っ込めた。
『……無念。我は、主のお側で茶飲み話にも混ざれぬのか……』
巨大な竜が、捨てられた子犬のようにクゥ~ンと喉を鳴らす。その姿には、最強種族の威厳など微塵もなかった。
「……庭にいればいいだろ。番犬代わりに」
『番犬! おお、なんと名誉な! では、この庭を我が巣とし、害虫どもを追い払いましょうぞ!』
単純なドラゴンは、すぐに機嫌を直して「ガハハ!」と笑った。
アリアは、気絶したままの公爵令嬢を引きずって退出しながら、庭に居座る巨大な「番犬」を見て遠い目をした。
この離宮は、日に日に魔境になっていく。
***
一方その頃。王城の一室。
クラスメイトの中でも「知能派」とされる二人が、窓の外の異変を目撃していた。
「……おい、見たか? 今の」
眼鏡を光らせた少年――『賢者』深見玲が呟く。
「ああ。ドラゴンが空の彼方にすっ飛んでいったね。物理演算がおかしいよ」
白衣を着た少年――『錬金術師』円城寺創が、試験管を振りながら答える。
二人の視線は、遠くに見える『北の離宮』に向けられていた。
「あのドラゴンを弾き飛ばしたエネルギー……魔法じゃないな。もっと別の、根源的な力の干渉だ」
玲は、手元の端末(異世界版タブレットのような魔道具)にデータを打ち込みながら、興味深そうに目を細めた。
「黒峰誠……。彼の『魔王』としての力。そして、彼が毎日ノートに書き殴っているという『研究』の内容……」
「興味あるよねぇ。僕らの科学知識と、この世界の魔法。それを融合させているとしたら?」
創がニヤリと笑う。
「行ってみようか、賢者くん。僕らの同級生が、一体どんな実験をしているのか」
「ああ。スライムに微積分を教えるよりは、有意義な時間になりそうだ」
知的好奇心の塊である二人が、静かに動き出した。




