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第7話 王国側の懐柔策①【公爵令嬢、立つ】

 王都の一等地にある、豪奢な公爵邸。


 その一室で、見事な縦ロールの金髪を揺らしながら、一人の少女が高らかに笑っていた。


「オーッホッホッホ! そうですの! ついにこの私、公爵令嬢の出番というわけですわね!」


 彼女の前には、疲れ切った顔の宰相が座っていた。


「は、はい。公爵令嬢殿……。あの魔王を手懐けられるのは、才色兼備の貴女様しかおりません」


 宰相はおべっかを使う。もはや毒をもって毒を制す、プライドの化け物にはプライドの化け物をぶつけるしかないという捨て鉢な作戦だ。


「ふん、あの騎士団長も大神官も、野蛮で無粋だから失敗したのですわ。魔王といえども男。この国の至宝たる私の美貌と教養をもってすれば、篭絡など赤子の手を捻るようなものですわ!」


 彼女は扇子をバチリと閉じ、自信満々に宣言した。


「見ていらっしゃい。今日中にあの魔王を私の『下僕その1』にして、首輪をつけて連れてきて差し上げますわ!」


「は、はあ……(そこまでは頼んでないんだが……)」


 宰相の不安をよそに、公爵令嬢はドレスを翻して部屋を出て行った。


 ***


 北の離宮。


 誠はテラスのテーブルに向かい、一心不乱にノートへペンを走らせていた。


「……ミンコフスキー時空におけるローレンツ変換の不変性が崩れるか? いや、ここはカラビ・ヤウ多様体のコンパクト化を用いて余剰次元を巻き上げれば……」


 ブツブツと独り言を呟きながら描いているのは、魔法陣というよりは、狂気的な数式の羅列と複雑怪奇な幾何学図形だ。その周りには「量子もつれの非局所相関」だの「シュワルツシルト半径近傍の特異点解消」だの、異世界人が聞けば即座に知恵熱を出しそうな単語が散りばめられている。


 そこへ、騒がしい足音が近づいてきた。


「ごめんあそばせ~! どなたか、いらっしゃいませんの~?」


 許可もなく庭に入ってきたのは、フリル全開のドレスを着た公爵令嬢だった。


 アリアが静かに箒を持って立ちはだかる。


「……どちら様でしょうか。主人は今、取り込み中ですので」


「あら、貴女が噂の『薄汚いメイド』ですのね? お退きなさい。私は公爵家の娘。未来の魔王妃……いえ、魔王の飼い主になる女ですわ!」


 公爵令嬢はアリアを鼻で笑い、強引にテラスへと上がり込んだ。


「ごきげんよう、魔王様! お初にお目にかかりますわ!」


 彼女は誠の目の前に立ち、優雅にカーテシー(膝を折る礼)を披露した。完璧な角度、完璧な笑顔。


 しかし。


「…………」


 誠は顔も上げない。視線はノートに釘付けだ。


「……コホン! ごきげんよう!!」


 公爵令嬢が声を張り上げる。


「…………(ブツブツ……ここでトポロジカルな位相欠損が生じると、因果律が破綻する……やはり超弦理論のM理論的アプローチで……)」


「無視ですのーっ!?」


 公爵令嬢の笑顔が引きつる。


「ちょ、ちょっと! 聞こえてまして!? 国一番の美女が挨拶に来て差し上げましたのよ!?」


 彼女は扇子で誠の机をバンバンと叩いた。


 誠がようやく、面倒くさそうに顔を上げる。


「……あ? 何だお前、うるさいな」


「う、うるさいとは何ですの! 私は貴方を『社交界』という輝かしい世界へ導いてあげるために来たのですわ!」


 公爵令嬢は気を取り直し、胸を張ってアピールを始めた。


「いいこと? 貴方は魔王といえど、この国ではよそ者。私の後ろ盾があれば、貴族としての地位も、富も、名誉も思いのまま……そして何より!」


 彼女はバサッと扇子を広げ、流し目で誠を見つめた。


「この私の『パートナー』となる権利をあげてもよろしくてよ? 光栄に思いなさいな!」


 自信満々のドヤ顔。


 誠はジト目で彼女を数秒見つめ、そして言った。


「……いらね」


「は?」


「地位とか名誉とか興味ないし。あと、お前みたいな高飛車なタイプ、一番苦手なんだわ。帰って」


 誠は再びノートに視線を戻した。


「なっ、ななな……ッ!?」


 公爵令嬢の顔が真っ赤に染まる。


「い、いらない!? 私が!? 公爵令嬢であるこの私が、フラれたとおっしゃいますのー!?」


 プライドを粉々にされた彼女は、ヒステリックに叫んだ。


「お、お待ちなさい! 私の魅力が分からないなんて、貴方の目は節穴ですの!? よく見なさい! この肌! この髪! このプロポーション!」


「あー、はいはい。すごいすごい」


「棒読みですわー!!」


 公爵令嬢が地団駄を踏む。


 アリアが冷ややかな目で、新しい紅茶を誠の前に置いた。


「誠様、騒音対策に耳栓をお持ちしましょうか?」


「頼むわ。気が散って計算が合わない」


「キーッ! メイドまで私を馬鹿にして! こうなったら実力行使ですわ! 私には『魅了チャーム』の魔法スキルがありましてよ!」


 公爵令嬢が扇子を掲げ、瞳を怪しく光らせようとした、その時。


 ズズズズズ……ッ。


 急に、あたりが薄暗くなった。


「え?」


 公爵令嬢が動きを止める。


 日が陰ったのではない。


 上空を、とてつもなく巨大な「何か」が覆い尽くしたのだ。


「な、なんですの……?」


 彼女が恐る恐る空を見上げる。


 そこにあったのは、離宮の屋根よりも巨大な、圧倒的な質量の「翼」だった。


 そして、雲を突き破るようにして、琥珀色の巨大な眼球がヌッと降りてくる。


『……グルルルルゥ……』


 地響きのような唸り声と共に、空気がビリビリと震える。


 それは、神話の時代から生きる伝説の生物。


 エンシェントドラゴン。


「ひ、ひぃぃぃぃぃッ!?」


 公爵令嬢が腰を抜かし、無様に尻餅をついた。


「ど、どど、ドラゴン!? なんでこんな所に!?」


『……我が主の眠りを妨げる羽虫は、貴様か?』


 ドラゴンの口が開き、灼熱の炎が喉の奥でチラついた。


「主……? は、羽虫……!?」


 公爵令嬢は白目を剥きかけながら、助けを求めて誠を見た。


 誠は耳栓(アリアが丸めたティッシュ)を詰めながら、迷惑そうに空を見上げた。


「……あーあ。もっとデカくてうるさいのが来ちまった」


 離宮の庭に、絶望的な影が落ちる。


 公爵令嬢の「魔王篭絡計画」は、開始からわずか十分で、物理的な質量差によって圧し潰されようとしていた。


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