第6話 王国側の混乱①【騎士団長と大神官】
「突撃ぃぃぃぃぃッ!!」
怒号と共に、離宮の正門が物理的に破壊された。
ドガァァン! とけたたましい音が響き、土煙が舞い上がる。
「聖女様をお救いしろ! 魔王の魔手から、麗しき乙女たちを奪還するのだぁぁッ!」
先頭を切って飛び込んできたのは、全身をミスリル銀の鎧で固めた騎士団長だ。その背後には、聖水を満載した桶や杖を持った神官部隊、そして数百の兵士たちが続く。
彼らの目には、悲壮な決意が宿っていた。
相手は規格外の魔王。全滅も覚悟の上での、決死の救出作戦である。
「おのれ魔王! 聖女様たちは渡さん! 我が命に代えても、その穢れた手から奪還してみせる!!」
騎士団長はテラスに座る黒峰誠の姿を認めると、地面を蹴って跳躍した。
「喰らえ! 我が渾身の、騎士団剣術奥義ぃぃぃッ!」
空中で剣を振りかぶり、流星のごとき勢いで誠の首を狙う。
その殺気は本物であり、並の戦士なら委縮して動けなくなるほどのプレッシャーを放っていた。
だが。
「……あ? なんか虫飛んできたか?」
誠は、耳元で羽音がしたような気がして、煩わしそうにパタパタと手を振った。
ただ、それだけの動作。
しかし、魔王の「手を振る」という動作は、物理法則を無視した暴風となって具現化した。
ゴォォォォォォォォッ!!
「な、なにぃぃぃぃぃッ!?」
騎士団長の体は、見えない巨人の平手打ちを食らったかのように、空中で「く」の字に折れ曲がった。
さらに、衝撃波だけで着ていたミスリル鎧の留め具が弾け飛び、金属片となって四散する。
「あ、あ~れ~……ッ!」
団長はキリモミ回転しながら離宮の彼方へ吹き飛び、美しい放物線を描いて森の中へと消えていった。
キラッ、と空の彼方で星が光る。
「だ、団長ぉぉぉぉッ!?」
部下の騎士たちが絶叫する。
現場に残されたのは、風圧でボサボサになった神官たちと、呆然とする兵士たちだけだ。
「ひ、怯むな! 悪しき魔王を浄化せよ!」
次に動いたのは、白い法衣に身を包んだ大神官だった。
彼は震える手で、最高級の「聖水」が入った瓶を掲げた。
「邪悪なる者よ! 神の雫を受け、塵となれ! 『聖浄の雨』ッ!」
大神官が瓶の中身をぶちまける。
高純度の聖水は、魔族にとっては硫酸にも等しい劇薬だ。それが誠の頭上から降り注ぐ。
「きゃっ、濡れるー!」
近くにいた瑠奈が悲鳴を上げるが、誠は動じない。
彼には『絶対不可侵』という自動防御スキルが備わっている。
ジュワアァァァァァァッ!!
聖水が誠の半径一メートル以内に侵入した瞬間、超高温の鉄板に水をかけたような音が響いた。
瞬時にして聖水は沸騰し、真っ白な水蒸気となって爆散する。
「あつっ!? 熱い、熱いぞ!?」
「なんという蒸気! 前が見えん!」
テラス周辺が一瞬にしてサウナ状態になり、神官たちが視界を奪われて右往左往する。
霧の中から、誠の不機嫌そうな声が響いた。
「……あー、湿気ウザ。除湿」
誠が指を鳴らす。
一瞬で空間の湿度がリセットされ、蒸気が消え失せた。
後に残ったのは、サウナで整ったかのように汗だくでへたり込む神官たちと、もはや戦意を喪失してガタガタ震える兵士たちの山だった。
「……ば、馬鹿な……。剣聖の斬撃も、神の聖水も通じぬとは……」
大神官が腰を抜かし、絶望の表情で誠を見上げる。
「これが……魔王……。我々では、手も足も出ないというのか……」
一方、当の誠はというと。
「……ん? なんか静かになったな」
紅茶を啜りながら、庭の方を不思議そうに見渡していた。
彼は、自分が攻撃されたことにも、反撃したことにも気づいていなかった。「虫を払った」「湿気を取った」程度の認識しかないのだ。
「あははー! すごーい!」
そこへ、莉乃が手を叩きながら身を乗り出した。
「おじいちゃんたち、真っ赤になってるね! ここだけ温泉みたいで気持ちよさそー!」
彼女はケラケラと無邪気に笑いながら、神官たちに手を振った。
苦悶の表情を浮かべる神官たちを見て、「サウナで温まっている」と天然全開で勘違いしたのだ。
「ちょ、ウケる。団長さんマジで星になったんだけど。動画撮りたかった~」
瑠奈も手を叩いて爆笑している。
その様子を見て、大神官は別の意味で戦慄した。
「せ、聖女様たちが……魔王に洗脳されている……!?」
「なんと恐ろしい……! 心まで支配するとは!」
「退却だ! 一時退却ぅぅッ! これ以上は全滅する!」
兵士たちは這うようにして逃げ出し、大神官も慌ててその後に続いた。
嵐が去った後のテラスで、アリアだけが冷や汗を拭いながら、主のカップに新しい紅茶を注いだ。
***
王城、宰相執務室。
報告を受けた宰相は、頭を抱えて机に突っ伏していた。
「……騎士団長は行方不明、大神官は自信喪失で引きこもり……だと?」
「はっ。魔王黒峰は、指一本触れずにこれらを撃退したとのことです……」
部下の報告に、宰相の胃がキリキリと悲鳴を上げる。
武力も、神聖魔法も通じない。
しかも、勇者たちはまだレベル上げの途中で、魔王にぶつけるには早すぎる。
「どうすればいい……。奴の機嫌を損ねれば、この国は終わりだ……」
宰相は血走った目で虚空を睨み、やがて一つの危険な賭けを思いついた。
「……力でねじ伏せるのが無理なら、搦め手を使うしかない」
「は?」
「毒をもって毒を制す……いや、傲慢な魔王には傲慢な娘を、か」
宰相は引き出しから一枚のリストを取り出した。
そこには、国内の有力貴族の令嬢たちの名が連なっている。
その筆頭にある名前を、宰相は指で弾いた。
「あの御方に頼るしかあるまい。プライドの高さだけなら魔王級の、あの公爵令嬢に……!」
宰相の瞳に、破れかぶれの光が宿る。
それが、さらなるカオスを招くとも知らずに。




