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無実の犯罪  作者: 大黒
2/11

回想2 一致し過ぎる偶然

 相馬は、庁舎の地下資料室を「墓場」だと思っていた。

 未解決の事件や、解決しても誰も触れたがらない記録が、湿った紙の匂いと古いインクの甘い腐敗臭を放っている。

 午前四時。

 この時間を選んだのは、静寂が必要だったからではない。

 同僚たちの「まだそんなこと調べてるのか」という視線から、逃げ出したかっただけだ。

 机の上には、三つの事件ファイルが並んでいる。

 いずれも動機不明。

 いずれも衝動的。

 いずれも――犯行直後、赤ん坊のように呆然としていた。

「……揃いすぎだろ」

 吐き出した独り言が、低く沈んだ。

 

 被疑者の年齢も職業もバラバラ。被害者との接点も皆無。

 通常なら、広域捜査の対象にすらならない別個の事件だ。

 だが、相馬の目は「備考欄」に刻まれた、あまりに些細な共通点だけを追っていた。

 ――犯行直前、ラジオ聴取の可能性あり(イヤホン使用)。

 ――周辺住民の証言「就寝前の習慣として、毎晩ラジオを流していた」。

 相馬は赤いペンを走らせ、それらを円で囲む。

 三件中、三件。

 だが、真に異常なのは「時刻」だった。

 二時十七分。

 二時二十二分。

 二時十九分。

 深夜。誰もが深い眠りか、あるいは最も深い孤独に沈む時間帯。

 そのわずか五分の間に、三人の「善良な市民」が突如として凶器を手に取った。

「番組表……」

 相馬はスマートフォンで、放送局の深夜タイムテーブルを開いた。

 該当時間帯に流れているのは、唯一つの番組。

 ――『ナイト・ライン』

 午前一時三十分から三時まで。

 パーソナリティ:神谷 恒一。

 公式ページの宣伝写真に写る男は、控えめで、穏やかな笑みを浮かべていた。

 「あなたの声を聞かせてください」という、ありふれたキャッチコピーが添えられている。

「……また、お前か」

 相馬は舌打ちを飲み込んだ。

 特定の放送が犯罪の引き金になる。そんな話、オカルトか、せいぜいサブリミナル広告の類だ。

 だが、決定的な異常がもう一つある。

 誰も、その番組の「内容」を語れないことだ。

 三人分の供述調書には、判で押したように同じ回答が並ぶ。

 「声は覚えている」「落ち着いた」「頭の中が白くなった」。

 何を話していたか、どんな曲が流れたかについては、誰もが記憶の霧の中にいた。

「内容のない番組なんて、放送事故だろ」

 相馬は仮説を立てる。

 覚えていないのではない。**情報の形をしていない「何か」**が流し込まれているとしたら?

 それを確かめるため、相馬はイヤホンを耳に押し込んだ。

 アーカイブ再生。時刻は午前四時三十二分。本来なら、夜明けを待つ静かな時間だ。

 再生ボタンを叩く直前、指先がわずかに震えた。

 理由は分からない。ただ、**「今、これを聴いてはいけない」**という本能的な警戒信号が、脊髄を走った。

 それでも、再生した。

 ――『こんばんは。ナイト・ラインです』

 スピーカー越しでもわかる、低い、だが驚くほど浸透力の強い声。

 抑揚を削ぎ落とした語り口。相馬は、無意識のうちに自分の呼吸が、その声のリズムと同調し始めていることに気づき、戦慄した。

「……っ」

 番組の内容は、拍子抜けするほど「普通」だった。

 取るに足らない季節の話題。リスナーからの悩み相談への、曖昧な肯定。

 だが、**「沈黙」**が異質だった。

 言葉と、言葉の間。

 通常なら放送事故とされるような、三秒、あるいは五秒の「空白」。

 それは単なる無音ではない。

 声の残響が脳の奥に残っている間に、次の言葉を待たせ、意識を空白に釘付けにする。

 まるで、一歩踏み外せば奈落に落ちる、真っ暗な階段を歩かされているような――。

 相馬は耐えきれず、停止ボタンを連打した。

 資料室の空気が、急激に重く、冷たく感じられた。

 イヤホンを外しても、耳の奥に「神谷の声」がこびりついている。

「……証拠には、ならん」

 自分に言い聞かせるように呟く。

 DJが「人を刺せ」と言っているわけではない。暗号も、殺害リストもない。

 だが、事実はこうだ。

 同じ番組を聴き、同じ空白を共有し、同じ時刻に、記憶を失った手が血に染まった。

 相馬はファイルを閉じ、DJの名前を睨みつけた。

 神谷 恒一。

 この男は、電波を使って、人々の脳の中に「鍵のない部屋」を作っている。

 そして、その部屋のドアを叩く権利を持っているのは、この世に一人しかいない。

 相馬は思う。

 この声に魅了された連中は、果たして「自分の意志」でナイフを握ったのか。

 それとも、ただ、声の主が落とした「沈黙」を埋めるための部品にされたのか。

 資料室を出る際、背後の暗闇から、まだあの声が聞こえてくるような気がして、相馬は一度も振り返らなかった。

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