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ソガシの屋敷ではソガシが、トヨミが新しく妃を迎えることになったと娘トウジに話していた。トウジはトヨミの妃だ。
話を聞いてトウジが鼻で笑う。
「誰が妃になろうとトヨミが変わると思えない」
ところがその相手がカタブの娘で、しかも妃にできなければ摂政を断るとトヨミが言ったと聞くと顔色を変えた。
「確かクルメが近ごろ妃に迎えたのもカタブの娘――どうやってカタブはタチバナの皇子二人に取り入ったの?」
「降って湧いたような話だと驚いて、戸惑っていた。あの男が仕組んだわけではなさそうだ」
「カタブとはどんな男なのです?」
「よく働く男だ。吾の役にも立ってくれた。だがこれからはタチバナにつくのだろうな」
「良いではありませんか。どうせタチバナだけでなく、トヨラも父親さまの言いなり」
「人聞きの悪いことを言うな。トヨミもヌカタベも、決して言いなりにできるものではないぞ」
「あら、そうでした? トヨミの母さまが自分の夫の息子の妻になったのは、そうなればトヨミもクルメも安泰だと、父親さまがハシヒを脅したからでは?」
ハシヒはトヨミの母の名だ。
舌打ちしたそうな顔でソガシが答える。
「トヨミもクルメもまだ幼かった。夫の息子なら頼りがいもあるだろうと勧めたまでのこと」
「それを脅しとハシヒが受け止めたって不思議じゃないけど?――まぁ、そんな事より、まさかカタブ、父親さまに取って代わろうなんて考えていないわよね?」
「吾に取って代わる?」
「ホキと言う娘がトヨミの子を産み、トヨミが帝位に就けば父親さまと同じ立場になる」
「安心しろ、トヨミが帝になったとして、トヨミの子が次の帝となるならヤマセ、おまえの産んだ子に決まっている――おまえはカタブの娘とは違う。帝の従妹だ。それを考えればカタブの娘など物の数にも入らない」
「本当にそうかしら?」
「よく考えろ。身分の低い娘など妃とは名ばかり。そして物は考えようだ。カタブの娘が子を産めば、その子はヤマセの従者となる」
「そうなればいいけどね――ヤマセを見てくる」
トウジが一番気にしていたのは、トヨミがどうしてもホキを妃にすると言い張ったことだ。トヨミはトウジが知る限り、我を通したことがない。そんなトヨミが無理押ししまでも望んだ女――許せないと思った。トヨミの妃は吾だけでいい。吾がものにするためにトヨミの最初の妃、皇女カタコに消えて貰ったのに……
ヤマセの部屋に行くと、眠るヤマセの傍についていた乳母が恭しく頭を下げて場所をトウジに譲った。
トウジが思う。ヤマセはなんと可愛いことか。愛らしい口元、起きていればトヨミに生き写しの美しい目を見ることもできるのに。でも、寝ている子を起こしてはいけない。せっかく眠っているのだもの。
息子ヤマセの顔を眺めてトウジが思う。この子がいるのだから他の妃になど子を産ませたくない。
でもいいわ。トヨミはすぐ飽きるだろう。あの皇子は移り気でなんにでも興味を持つが、ある程度知ると興味を失うのが常。きっとその女に通うのも初めの内だけだ。でも、もし長く通うようならばその時は、ホキと言う娘にも消えて貰おう――
摂政になると同時にアスハナの開拓に着手したトヨミは、都よりアスハナに近いカシワデ、つまりカタブの屋敷からアスハナに赴き、カタブの屋敷に帰る生活を送ることにした。かと言ってタチバナ宮を手放したわけでもない。皇子が婿入りするはずもなく、要するに宿舎代わりと言ったところだ。もちろんその分、カタブに謝礼を渡している。カタブは固辞したが、トヨミはそれを許さなかった。
皇子たるもの、妃の実家に世話になるわけにはいかないとトヨミは言ったが、カタブとしては甘えて欲しいのも本音だった。トヨミの面倒を見ておけば、後々恩恵があるはずだとの打算もあったが、実際のところ娘が可愛いだけだ。
トヨミもそのあたりを察しているものの、だからと言ってカタブに応じはしなかった。こちらはソガシへの遠慮が本当の理由と言える。妃を何人も持つのは珍しいことではない。だからソガシもそこに文句は言うまい。問題なのはソガシよりもカタブ、いや、トウジよりもホキに入れ込んでいると、明白にし過ぎることだ。ホキよりもトウジが大切だと、表面上だけでも取り繕わなければならない。
すでにトウジとの間にはヤマセが誕生し、夫としての義務は一応果たしたのだから、本音としてはトウジに会いになど行きたくない。だがソガシの手前、切り捨てられないし、吾が子は可愛い。それに……最初の妃カタコ亡きあと、トヨミを慰めてくれたのは確かにトウジだった。それをトヨミは忘れていない。
そんなトウジへの思いも愛情なのだとトヨミが気付いていたのなら、あるいはトウジとトヨミの仲もここまで拗れることがなかったかもしれない。トウジもまた、素直に己の思いをトヨミに伝えられる女だったなら、トヨミもまた変わっていたかもしれない。
だが、互いに相手の腹を探りあう二人だ。円満な夫婦になるのは土台無理な話だった――
アスハナの開拓は順調に進んでいた。トヨミに従う豪族は何もカタブに限ったものではない。それら豪族が挙って協力を申し出、あっという間に工夫が集まった。彼らの住処がアスハナの片隅にまずは造設される。町割りが出来上がる頃にはトヨミの宮の建造がマダラで始まり、ほど近い場所にクルメの宮の建造も計画された。さらに宮はもう一つ、これはマダラ宮に隣接する近さ、ハシヒのための宮だ。
トヨミの母ハシヒは既に二人目の夫も亡くしていた。が、オシフル帝の異母妹であること、また異母姉同様美貌であったことから夫の座を狙う男も多かった。摂政トヨミに近付けるという思惑も働いていたことだろう。トヨミはそんな母皇女を保護するべく、己の傍に置くことを考えていた。かつて、夫を亡くしたばかりのヌカタベを襲った男がいた。同じことが己の母に起きたらと思うと身の毛が弥立つ。
トヨミがタチバナの実をホキのために持ち帰ったのは、経過報告のため都に出向いた翌日だった。オシフル帝のトヨラ宮に行ったついでにタチバナ宮まで足を延ばし、一泊している。母ハシヒの様子を見る目的もあっただろう。
深まった秋がもうすぐ冬だと告げていた。が、その日は陽が昇るにつけ徐々に気温が上がった。トヨミがカタブの屋敷に戻った昼頃には、その季節にしては穏やかに暖かくなっていた。
タチバナの香りを楽しみながらホキが尋ねた。
「マダラ宮に移ったらタチバナ宮はどうするのですか?」
茣蓙に横たわり、立てた肘に頭を乗せてホキを眺めながらトヨミが答えた。
「都での拠点を失するわけにもいかない。そのままにしておく」
「庭のタチバナが見事なのだとか……初めて会った時、トヨミって何かいい匂いがすると思ったの。あれってタチバナの匂いだったんだって、こないだ気付いたわ」
「初めて会った時? 芹を一緒に摘んだ日のことか?」
「一緒じゃなくって、わたしの代わりにトヨミが摘んでくれたのよ」
拘るようなことか? トヨミが笑う。
「タチバナは花だけでなく実も葉も同じ香りを放つからな。それが装束にでも染みついていたんだろう」
「一年中いい香りのする宮なのね」
「マダラには何を植えたい?」
「あら? 吾の願いを聞いてくれるの?」
「ホキの願いならなんでも叶えると約束したぞ」
ホキが擽ったそうな顔をしてウフフと笑う。
「タチバナもいい。だけどツバキもいい。冬でも葉が艶々と緑に輝くものがいい」
「なるほど。だったらツバキか……」
「マダラの宮に木を植えるのはまだまだ先でしょう? よく考えてから決めてもいいのでは?」
「雪が降り始める前に宮は完成させたい。寒くなってからさえ、タチバナ宮に母者を一人にしておくのは気の毒だ……ん-、でもまぁ、植栽は来春でもいいか」
「義母さまは息災で?」
「うん、昨日はヌカタベ……オシフル帝も吾とともにタチバナ宮に母者を訪ねてくれた。二人して吾を虐めるものだから参ったよ」
「ねぇ、トヨミの母さまってどんなかた? ヒリがね、近くに住むことになるのを怖がってたわ」
「怖い? オシフル帝ならともかく、吾の母者は温厚だから怖がらなくてもいい」
「え……帝は怖いかたなの?」
「いや、吾から見れば、だ。すぐに小言を言う、怖い伯母だ」
これはトヨミの誤魔化しだ。
オシフルはヌカタベと呼ばれていたころから政敵を闇に葬ることを厭わない冷酷な面も持っていた。テイビの乱の発端は皇子の暗殺、それを命じたのはヌカタベではないか? 暗殺された皇子こそ、未亡人となったヌカタベを襲った男だ。幸い未遂に終わったもののヌカタベを助けた臣が暫くの後、皇子に虐殺されている。ヌカタベが皇子暗殺を企てても可怪しくない。
ソウシュン帝謀殺・アヤマ討伐には明らかにヌカタベが関与している。それらを思い、つい『オシフル帝ならともかく』と口にした。ホキに言っていいことではない。迂闊だった。
「義母さまは吾を気に入ってくれるかしら?」
「己が息子に穏やかな日々を運んでくれているのだ。気に入らないはずがない」
またもホキがウフフと笑う。
「それで、義母さまの宮の完成はいつ頃になりそう?」
「あぁ、あと数日で住めるようになる。吾が宮はもう少しかかるがクルメの宮もそんな感じだ」
「アスハナの街はどんな感じ?」
「町割りが済んで、豪族たちの屋敷も建ち始めた――カシワデの郷の者たちが住む地域も決まったからな。そろそろカタブも、己の屋敷の建造に取り掛かるんじゃないかな?」
「あら、これからなのね。吾がアスハナに移るのはいつになることやら」
するとトヨミがキョトンとする。
「何を言う? ホキは吾とともに、完成し次第マダラ宮に移るんだぞ?」
「本当に? トヨミがマダラに行ってしまったら寂しいって思ってた……ずっと一緒に居られるのね」
「そうだよ、だから泣くな」
「嬉し泣きだわ、いいじゃないの」
涙ぐむホキ、微笑んだトヨミが何か思いついて立ち上がった。




