13
ヒリに都の貴人から婚姻したいと申し出があったのは、末の弟の誕生から十日ののちのことだった。都にある貴人の屋敷に呼ばれたカタブは、なんの話だろうと首を傾げながら出かけて行き、戻ってきたときには大荷物を抱えていた。荷物は全て申し込んできた貴人からヒリへの贈物だと言う。
「でも、クガネが……」
贈物の山をチラチラ見ながらヒリが戸惑う。カタブはと言うと、なんとか顔を引き締めようとしているがどうしても目尻が下がってしまう。嬉しくて仕方ないのだ。それでも真面目腐った物言いで、
「あちらは前の帝の第四皇子、しかも妃にと仰っている。どれほど名誉なことか、判っているか?」
ヒリを説得する。カタブの妻が
「なんと?」
驚きを隠せずカタブを見、それから同席していたホキを見る。ホキは微笑んで妹を眺めていた。
「しかしカタブ。吾らの娘が皇子の妃なんて、あまりにも畏れ多い」
妻の言葉にカタブは
「皇子と言っても第四皇子、帝の地位に就くことはないらしい。これも本人が言っていた」
と、気にする様子はない。
「でも……いくら皇子とは言え、あまりのなさりようでは?」
カタブの妻はホキの相手の貴人と、ヒリに申し込んできた皇子が同一人物だと考えていた。姉を召しておきながら、今度は妹を? それではホキが哀れすぎる……そう感じていてもホキの前であけすけに言えはしない。言えばホキがますます辛くなるだけだ。
そんな両親の傍らで、贈物の山に目を奪われているのはヒリだ。見たことのないような美しい布、こないだの貴人が着ていたのもこんな感じだった。きっと触ったらつるつると滑らかなんだろう。それに簪についている玉は何? 艶々と鈍く光ってなんと美しいことか。櫛にはめ込まれている青いのはきっとヒスイ、ヒスイの簪を母さまが持っているけれど、比べ物にならないほど大きいわ……
ヒリを見ていたカタブが微笑んで言った。
「贈り物は気に入ったか?」
隣で妻が『物で釣ろうなんて……』と呟くが無視した。
「どれも素晴らしくって驚いています――父親さま、その簪についている鈍く輝く白い玉はなんですか?」
「それは真珠と言うものだ。なかなか手に入らないものだぞ」
「そうなのね……」
少し前、姉のホキも贈り物を貰っている。蘇と餅だった。母さまにってくださったの、ホキの説明に姉の相手は優しい人なのだと羨ましく思った。でも……吾には皇子の身分を持つかたがこれほど高価なものをくださった。
「どうだ、ヒリ? 皇子のお心に沿うてくれるな? これほどの贈物を其方のために用意した。それほど望まれているのだぞ」
カタブが娘に返答を催促する。が、イヤだと言われても押し通すつもりだ。
ヒリは迷っているようだ。それでも、
「吾にはクガネが……」
と躊躇っている。うーーん、とカタブが唸った。
「実はな、もう承知してしまったのだ」
「えぇえ?」
「相手は皇子だ。『考えてくれないか』と言われたら、命じられたと同じこと。判るか?」
「そんな……」
カタブを見詰めるヒリ、カタブの妻が『そんなことではないかと思っていた』と溜息を吐く。
「でも、この屋敷に皇子が通う?」
不安げなヒリ、カタブは余裕の笑みだ。もう一押しだと思っているのだろう。
「皇子は暫くこの屋敷に通うと仰っていた。開拓の地が決まればそこに宮を建て、其方を迎えると言っている」
「わたしが宮に住む? でも、クガネはどうなるの? カシワデの次の長は?」
「クガネには諦めて貰う。相手が皇子ではクガネとて文句は言えまい――長のことは心配しなくてもいい。郷の者が納得すれば、何も吾の息子や娘婿でなくてはならないと言うものでもない」
ヒリが溜息を吐いて、再び贈物の山を見て言った。
「姉さま、部屋に運ぶのを手伝って貰ってもいい?」
ホキとヒリが荷物を抱えて部屋を出て行くと、カタブの妻が溜息を吐いた。それを横目で見てカタブが笑う。
「なにも溜息を吐くこともなかろう。ヒリも納得した。どうしても嫌だと言って屋敷から逃げないか冷や冷やしたが、あの様子なら大丈夫だろう」
妻がまたも溜息を吐く。
「今は贈物に目が眩んでいるだけ。ヒリはいずれ後悔することになる」
「なぜ其方はどうしてそうも悪いほうへと考えたがる? 皇子の妃になればどんな贅沢もできるのだぞ? よかったと、ヒリも思うようになる」
楽観的なカタブを妻が嘲笑う。
「人の心はそんなに簡単なものではありませんよ?――でもまぁ、その皇子に帝になる気がないのなら、その点は良かった」
「うん? どういう意味だ?」
「帝の座を巡って殺害された皇子がいたのをもうお忘れ? その心配はないと言ったのよ――嬰児の様子を見に行きます」
去る妻の後ろ姿を見送るカタブ、押さえていた笑いを顔に浮かべる。
とうとう吾にも幸運が巡ってきた。ホキがトヨミに見初められただけでなく、ヒリを妃にしたいとクルメまで言ってきた……ヒリには名誉と言ったが、吾らが手にするのはそれだけではない。これで吾が一族は安泰だ――
荷物を運ぶのを手伝ったホキ、己の部屋で贈物をじっくり見始めたヒリに付き合っていた。
「この布は何で出来ているのかしら?」
「絹と言うものだそうよ」
ヒリの疑問にホキが答える。
「よくご存知ね」
「蘇をくれた人に教えて貰ったの」
「そう言えば、あの人、蘇を持ってきて以来、来てないんじゃないの?」
これにはホキがクスッと笑う。
「誰にも内緒よ? 父親さまや母さまに気を遣わせないようにって、こっそり吾の部屋に来ているの」
「そうだったの? 知らなかったわ」
「そりゃそうよ、だって誰にも言ってないもの」
クスッとホキが笑む。
そんな姉の顔を見てヒリが言った。
「姉さま、幸せそう――吾は幸せになれるのかしら?」
ホキが返答に困る。己の相手は好いた男だから幸せなのだと思う。妹の相手は好いた男と言うわけではない。だけど……
「こんな贈物をくださったんだもの、ヒリを大事に思っているのよ。きっと幸せになれるわ」
トヨミの弟なら、トヨミ同様優しい男だろう――ここでもホキはトヨミが前の帝の第二皇子とは言えなかった。其方の求婚者はあの人の同母弟と、喉元まで出かかった言葉を飲み込んでいる。カタブが言わなかったからだ。言えば何か差し障りがあるのだと感じていた。
「どうしてそう言い切れるのかしら? 幸せだから?」
「そうね、吾が幸せだからそう思うのかもね」
「そっか……」
ヒリが贈物に再び目を落とす。
姉の相手も貴人とは聞いているが、贈物一つをとっても随分と違う。姉は蘇と餅だった。他にも何か贈られたのなら同じ屋敷に住んでいれば判る。それに引きかえ吾の皇子は、こんなにたくさん高価なものを贈ってくれた。蘇がどれほど高価なものかは知らないが、父親さまが都土産にする程度のもの――物で幸せは測れない。だけど姉さまが幸せだと言うのなら、吾はもっと幸せなはずだ。幸せになれるはずだ。
「そうね。いやだと思っていれば幸せになれないわね」
ヒリがホキにそっと微笑んだ。
「幸せになるって決めたわ――皇子がどんな人かは判らないけれど、これほどの贈物をくれるのは姉さまが言う通り、吾を思ってくださっていると言うこと。幸せの種がそこにあるのなら、大切に育てて実らせるしかないわよね」
翌日、再びカタブは都に出向いた。ヒリの相手の皇子に準備が整ったと報せるためだ。ヒリの相手の皇子、クルメがカタブの屋敷を訪れたのはさらに三日後、それからクルメは二・三日おきにカタブの屋敷を訪れるようになった。
カシワデの郷に噂が流れる。カタブの娘ホキが皇子の妃になった――
タチバナ宮でトヨミがクルメに訊いた。ヒリがクルメの妃となって一月が経とうとしていた。
「それでカシワデの娘ヒリはどうだった?」
クルメがニヤリと笑う。
「兄者が『どうだった?』と訊くのはヒリのどのあたり?」
トヨミが苦笑する。
「夫婦仲は巧く行きそうなのかを訊いた」
そこですか、とクルメも苦笑する。
「恋仲の男がいると聞いていたけれど、まだ何も知らないようでした。吾のすることにいちいち驚くのでどうなるものかと思ったものですが、まぁ、夜明けごろには判ってきたようです。近頃は向こうからせがむようにもなりました」
そんなことを聞きたいんじゃないと思うトヨミ、それでも、
「それはよかったな。せいぜい可愛がってやれ」
と答えた。
「それで兄者のほうは? どうなのです? ソガシやヌカタベを黙らせられそうですか?」
「あぁ、其方が道を開いてくれた。弟の妃の姉を吾が妃にできないなどと言わせるものか」
「それでこそです。これで、やっぱり気が変わったなどと言われたら吾の苦労も水の泡」
「何か苦労したのか?」
「カタブとヒリの気を引くために絹や真珠などを用意しましたからね。まぁ、苦労ってほどでもないか」
「だいたい言い出したのはクルメ、其方だぞ?」
「えぇ、吾とて丈夫な子を産んでくれる女には興味があります。しかもヒリは思っていたよりも器量がよかった――まぁね、ヒリが喜んでくれるなら絹なんか惜しくもない」
「やっぱりヒリが気に入ったか。思っていたより頻繁に通っているから、そうだろうと思っていた」
「兄者ほどではありませんよ――で、そちらはどうです? 子を産んでくれそうですか?」
毎夜とはいかないが、クロコマを駆ってトヨミはホキに会いに行っている。が、会って抱き締め合い唇を味わうだけだ。都を一晩も空けるのは気が引けた。アヤマの件を気にしてのことだ。だが、ハツベもアヤマも、そしてソガシも動きを見せない。何事もなくアヤマの件は終結を迎えそうだ。そろそろ一晩くらい、都を開けても心配ないか?
トヨミがクルメに訊ねた。
「其方、次はいつカシワデに行く? 教えておけ、女の屋敷で弟と顔を合せたくはない」
「それはこっちも同じこと。今夜、これから行こうと思ってる」
「では吾は明日にするか」
トヨミがホキの顔を思い浮かべる。別れ際の、もの言いたげに潤んだ瞳を思い出す――明日こそは、と思うトヨミだった。




