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彼の心は誰のもの?  ~愛した人は雲の上、ついていきますどこまでも!  作者: 寄賀あける


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 末の弟が生まれたその日、トヨミの訪れはなかった。翌日も来ない。夜中に戸を叩く音がしないかと眠りの浅い日が続くホキ、そんなホキを悩ませるのはなかなか来ないトヨミだけではなかった。


 嬰児(あかご)の誕生祝に入れ代わり立ち代わり屋敷に顔を出す郷の者たちは、都の貴人にホキが気に入られたと知っている。何しろカタブが郷の者に手伝いを頼んでまで部屋を整えたのだ。(あか)()の誕生とともにホキの話もあっという間にカシワデの郷を賑わせる噂となった。


 彼らはみな一様に、祝を延べたあとはホキの話を聞きたがる。あるいは相手の貴人の事を聞きたがる。カタブは妻と嬰児(あかご)に気を取られ、郷の者の話など上の空だ。ヒリはツンとして何も言おうとしない。気が向くものでは到底なかったが、ホキが郷の者の相手をするしかなかった。


 彼らが一番に知りたがったのは相手の貴人の素性だ。言っていいものか迷い、ホキがカタブの顔色を窺う。すると、こちらのことなど気に留めていやしない(・・・・・)だろうと思っていたカタブがホキに目配せをする。怖い顔だ。これは迂闊に明かしてはいけないと、ホキは言葉を(にご)し笑って誤魔化した。考えてみればトヨミは(さき)(みかど)()()、軽々しく他者に告げていいはずがない。


 郷の者の中にはホキではなく、貴人に気に入られたのはヒリだと勘違いする者もいて、ホキだと知ると妙な顔をしてホキを見た。そして取ってつけたようにホキの容貌を褒めてから、居た(たま)れなくなったのか早々に帰っていった。


 噂を聞いて誰より気を揉んだのはカシワデの郷の若者クガネだっただろう。ホキの話を知ると他のことは投げ打って()っ飛んできたらしい。確かにホキなのだと、ヒリではないのだと確信するとほっと息を()いた。


 来たついでと言うわけではないのだろうが、この際だからとカタブに詰め寄る。ヒリと契る許しをくれと言ったのだ。


 今はそれどころじゃないと無視を決め込むカタブ、だがクガネも簡単には引き下がらない。

『今すぐでなくても、必ず許すとせめて約束を』

ヒリも一緒になって食い下がる。見かねた妻が

『婿入を約束するなら許してもいいのでは?』

取りなすが黙っている。


『クガネのどこが気に入らない!?』

ヒリの怒鳴り声に驚いて泣き出した嬰児(あかご)を、慌てて抱き上げた乳母があやす。乳母はもちろんカシワデの郷の女だ。少し前に出産したが早産で、嬰児(あかご)は助からなかった。溢れる乳に困っていると聞いて、ならば乳母を頼みたいと、カタブの妻が呼んだのだった。


 カタブの妻に促されて嬰児(あかご)を抱いたまま乳母が出て行く。するとやっとカタブがクガネとヒリに向き合った。


『約束などできん』

()に不服があるとでも!?』

『そうよ、どこが不足なのよ?』


 若者は先だってのテイビの乱でカタブに従い、カタブの軍勢の中では目を引く働きをした。同世代では一番と言っていい。身体も大きく丈夫、もともと次の(おさ)候補の一人だ。今はまだ若者だが、カタブが長の務めを果たせなくなるころには程よい年ごろになる。


『ふむ……』

カタブが座り直して難しい顔をする。

『実はな、アスハナの地に一族を引き連れて移ろうかと思っている』


『アスハナ?』

一番先に反応したのはカタブの妻だ。が、カタブはそれを無視する。


『都の繁栄は話に聞き及んでいるだろう? 人々が溢れかえり、少々手狭と感じるほどだ。人が増えれば食い物も足りなくなってくる。抜き差しならなくなる前に、どこかを開墾し、田畑を増やして増収を考えなくてはならない』

『それはカタブの仕事ではないのでは? ましてカシワデの郷と関わりのないことです』


『話は最後まで聞け――そこで(みかど)皇子(みこ)のお一人に開拓を命じられた。めぼしい場所を定め、開墾し、街を作れ……都に集まった人々が、ここなら移り住んでも良いと思えるような街にしろ』

カタブが言葉を切ってクガネを睨む。


()はその皇子(みこ)によい場所はないかと訊ねられ、アスハナが良いと答えた。まだ決まったわけではないが、もしアスハナと決まれば皇子(みこ)をお助けしないわけにはいかぬ。()もアスハナに移り住み、開墾の手伝いをする』

『移住の件は判ったが、それがどうヒリと()の契りと関係するのだ?』

クガネの問いにカタブがフッと笑う。


『関係などない。が、それが決まるまで他のことは決められない――まだヒリは若い。クガネ、其方(そなた)もだ。もう暫く待てぬこともなかろう』

『契るのは待てる。だけど約束がなければ安心できない』

『では、この話はなかったことにする』


父親(てておや)さま!?』

ヒリが悲鳴を上げ、クガネが抗議する。

『そんな、なんでそこまで?』

それにカタブが涼しい顔で答えた。


()が娘の婿になると言う事はカシワデの郷の次の(おさ)になるかもしれぬということだ。約束がなければ待てないなどと言う不実な者に、大事な郷を任せられるはずもない。まして可愛い娘をやれるものか』

これにはクガネがぐっと息を詰まらせる。ヒリを手に入れたければ、ここは退()くしかない。


『承知いたしました――アスハナに移ることになったなら、他の者に負けぬ働きをお見せする。いいえ、アスハナに限らず、これから先もますます身を挺して働きましょう。ヒリに相応(ふさわ)しい男になってみせますゆえ、婿候補から外されることのないようお願いする』


 クガネが去ってから妻がカタブに言った。

『いい加減、勿体つけるのはやめたらどうです? どうせヒリはクガネにと考えているのでしょう?』

するとカタブが煩そうに答えた。


『クガネと決めてはいない。他にもっといい相手がいるかもしれない』

『カシワデの郷ではクガネが一番だって、カタブも言っていたじゃないの』

『カシワデの郷ではな』

余所(よそ)から連れてくる気? 一族の者のほうが郷のみなも納得して従うのでは?』


『……なにもヒリの相手が次の(おさ)と決まってはいない』

『えっ?』

()には他にも娘がいる。息子だっている。それを忘れるな』

立ち上がるカタブ、それ以上は訊くなと言う事か? そのまま部屋を出て行ってしまった。一人残された妻はあれこれと考える。


 カタブがアスハナへの移住を言い出した時に浮かんだ疑念……もしやその皇子がホキの相手なのでは? だけどまさか、と打ち消した。貴人と言ってもソガシの縁者とか、せいぜい高い役職に就いた貴族程度だろう。皇子(みこ)をこの屋敷に招くなど畏れ多すぎる。まして娘が寵愛を受けるなんて考えられない。


 (みかど)に開拓の勅を受けた皇子(みこ)は誰なのか? 皇子(みこ)と言っても様々だ。さして力のない皇子(みこ)だっている。()が屋敷に来た貴人はそんな皇子(みこ)か? だがそれでは辻褄が合わない。勅を受けたのならば(みかど)の覚えもいいのだろう。


 思い違いなのだろう。ホキの相手はきっとソガシの縁者……気に入られればホキにも()が一族にも益のあること、そうに違いない。


 それでも妻は疑念を拭いきれずにいた。ホキの相手は皇子(みこ)、そしてカタブは……ヒリさえも皇子(みこ)に売り込もうとしているのではないか?――


 クガネが屋敷に来ていたころ、ホキはお産の手伝いをしてくれた女衆一人一人のもとに、出産祝いとともに礼の品を届けに行っていた。屋敷に戻るとすぐにヒリが泣きついて来て、カタブとクガネの遣り取りを知った。


「ねぇ、(あね)さま。父親(てておや)さまを説得できない?」

涙ながらに訴えるヒリに、どうしたものかと心を痛める。(おのれ)はどうやら思う相手と結ばれそうだ。妹にもそうなって欲しい……しかし有効な手段を思いつけない。


父親(てておや)さまは絶対許さないとは言わなかったのでしょう? クガネも父親(てておや)さまを納得させると言ったのでしょう?」

だったらクガネを信じるしかない……気休めを言うしかなかった。

「何かの折に、早くクガネに決めたらどうかと()父親(てておや)さまに言ってみる。でも今日はやめたほうがいい。余計に(こじ)れるだけよ」


 そりゃそうかも知れないけれど……頼りの姉にそう言われれば、いくら不満があってもヒリとて黙るしかない。


「だったら(あね)さま、アスハナになんか行きたくないってことも言ってくれない?」

「アスハナ?」

「そうなのよ、なんでも皇子(みこ)の一人が(みかど)の勅を受けてどこか開拓しなくちゃならないんだって。都に次ぐ街を造るらしいわ。で、父親(てておや)さまったらその皇子(みこ)にアスハナを勧めたらしいの。それで、アスハナに決まったら一族あげての移住を考えてるって父親(てておや)さまが言うのよ」

カシワデから離れたくないと訴えるヒリに、ホキが困惑する。


 きっとトヨミはアスハナを開拓すると決めるだろう。どこに決定権があり、誰の同意が必要なのか、そんなことはホキには判らない。けれどトヨミの口ぶりから、トヨミの気持ち次第で決まるのだと感じていた。だから多分アスハナに決まる。


「アスハナは(はは)さまの生まれ育った地。カシワデも良いところだけど、きっと素敵なところよ」

「あら、カシワデよりもっと田舎だって。いつか(はは)さまが言ってたわ」

「でも開かれて、大勢が集まる街になるのでしょう? そんな街を造るために父親(てておや)さまもアスハナに移るのでしょう?」

(あね)さまはカシワデを離れるのが辛くないの?」


 そうか、アスハナに行くということはカシワデを出なくちゃならない。そこまで考えていなかった。でも、アスハナに行けばトヨミとの暮らしが待っている。だからアスハナに行きたい。だけど、カシワデを離れたくない思いもある。


「そりゃあ、カシワデを離れるのは寂しいわ」

アスハナにも芹が()えているかしら? フキやワラビは見付けられる? そうだ、庭のカタカゴは? 持って行けるようなものではない。


「でしょう? ね、無理にアスハナに移らなくたっていいじゃない。父親(てておや)さまが男衆を率いて開拓の手伝いに行けばいいだけよ。(あね)さまもそう思うでしょ?」

「それはそうかもしれないけれど――まぁ、そんなに悩むことはないわ。アスハナに決まったらって話なんでしょ?」

「そっか。それじゃアスハナに決まらないようお祈りでもしようかな」


 それは困ると言いたいが、理由を口にできないホキだ。開拓を命じられた皇子(みこ)があの貴人だとヒリに告げるのは(はばか)られた。お喋りなヒリは考えなしに言いふらしてしまうだろう。カタブはトヨミの素性を誰かに知られることに難色を示していた。きっと知られないのがトヨミのため、そしてホキのためなのだ。


 開拓の地がアスハナ以外だったらカタブはどうするのだろう? その別の地に移住するだろうか? 移住して欲しいわけではないが、そのほうがトヨミの助けになると思った。それにトヨミと暮らすとしても、やはり近くに血縁がいるのと、遠くに離れているのでは心強さが変わってくる。カシワデの郷よりも、むしろ父母から離れがたい。


「ところで(あね)さま、夕餉(ゆうげ)はどうするの?」

ホキの心も知らず、ヒリが言った。ケロッとしたものだ。切り替えの早さはヒリの長所、ホキもしばしば助けられてきた。


「そうね、(はは)さまのために米を()いて()きましょうか? あとはスズナ(かぶ)がそろそろいい頃合いに漬かったのではないかしら?」

(はは)さまのお陰でこのところずっと米だわ。(はは)さまに感謝ね。他には何を?」

「そうねぇ。何がいいかしらね? とにかく(くりや)に行きましょう。ここで話していても料理は出来上がらないわ」

はいはい、ヒリが立ち上がる。今日は面倒臭そうじゃなかった――


 嬰児(あかご)が生まれて五日目の夜だった。庭側の戸を叩く音に、ウトウトしていたホキが気付いて慌てて起き上がる。その勢いで戸を開けようとしたがトヨミの言葉を思い出した。ほかの男が来ても部屋に入れるな。油断すると痛い目にあうぞ……


 ほかの男が来るとは思えなかったがこのまま開けたらトヨミに怒られそうだ。それに万が一別の誰かだったら?


「戸を叩いているのは誰ぞ?」

()だよ、ホキ」

間違いない、トヨミだ――勢いよく戸を開けて屈みこんだホキ、すぐ足下に居たトヨミに抱き着いていく。そうなるとは思っていなかったのだろう、驚きながらもホキを抱きとめるトヨミ、

「そんなに勢いつけると……」

後ろに倒れてしまうぞ、そう言おうとしていたトヨミの声が途絶える。ホキの唇がトヨミの口を塞いでいた。


 互いの唇を味わった後、身体を離したホキの頬を撫でてトヨミが微笑む。

「ホキからしてくるとは思ってなかった。嬉しいぞ」

ホキが含羞(はにか)んでトヨミに答える。

「こんなことするつもりじゃなかったのに、自分でも判らないわ」


「どうだ、身体が熱くなったか?」

「身体が熱くなる? これくらいじゃ汗を掻いたりしないわよ?」

やはり意味は通じていない。トヨミが苦笑する。


「お(なか)()いてない? 何か用意したほうがいいのかしら?」

「いや、要らない。すぐに都に帰らなきゃならないんだ」

トヨミが寂しげに言った。

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