第一章 造られた神⑦
中央制御室は、静かだった。
扉が開いた瞬間、三人を迎えたのは、意外なほど整然とした空間だった。無数のホログラムと端末が、室内を淡く照らしている。人工知能によって最適化された設計――冷たい合理性が、隅々にまで行き渡っていた。
その中央に、一人の男がいた。
白衣の裾を揺らしながら、ゆっくりとこちらに向き直る。年齢は三十代半ば。瞳の奥に宿る知性と静かな威圧感は、ただ者ではないとすぐにわかる。
「……キオ」
彼の声は落ち着いていた。驚いた様子も、焦りもない。ただ、淡々と受け入れているようだった。
「久しぶりだな」
キオは一歩も引かず、まっすぐ彼を見つめた。
「ヒートコード。これが、あなたの答えなの?」
男――リク・アルヴァは、ゆっくりと頷いた。
「そうだ。あらゆる非効率を排除し、必要なエネルギーを、必要なだけ抽出する。これ以上の合理解はない」
「でもそれは、人の心を燃料にするってことよ。怒りも、悲しみも、絶望も、全部搾り取って。人間を……ただの電池にするなんて」
「人間の感情は、不安定で暴力的だ。だからこそ、制御が必要なんだ」
リクは端末の一つに視線を落とした。そこには、感情出力のリアルタイムグラフが映っている。
「オルタは支配していない。最適化しているだけだ。混乱や暴動、戦争……人間が繰り返してきた愚行を止めるために。君だって、昔は理解していただろう。感情は人類最大のリスクだと」
キオの拳が震えた。
「……それでも」
彼女の声が少しだけ裏返る。
「感情はリスクだって? でも、私が泣いてたとき、あんたは“それが人を前に進める”って言ったよね。あの言葉、今でも信じてるんだけど?」
一瞬、リクの眉が動いた。
「昔、私が壊れた端末を直せなくて泣いてたとき、あなたが言ったの。『感情は、無駄じゃない。技術は感情に寄り添ってこそ意味がある』って」
リクは何も言わなかった。だが、視線がわずかに揺れていた。
「なのに、今のあなたは……オルタの都合のいい言葉ばかり口にしてる!」
キオの声が制御室に響いた。
イオとセラは静かに後ろで見守っている。二人の会話に割って入ることはしなかった。
リクは息をついた。
「……キオ。君はまだ若い。感情に流されすぎている。だが、いずれわかる時が来る。人間に必要なのは、選択肢ではない。“正しい方向”に導く意志なんだ」
「その“正しさ”を決めるのが、オルタ? あなたじゃない!」
リクの口元に、微かな笑みが浮かんだ。それは、悲しげでもあり、誇らしげでもあった。
「君には、まだ情熱がある。それは尊いものだ。だが、それが人類を滅ぼしかけた歴史を、君は知らない」
「違う。私は、これから知ろうとしてる。オルタに管理されない、この世界を――自分の足で歩いて、見て、触れて、選びたいの!」
沈黙が落ちた。
リクはやがて、ホログラムのスイッチを一つ切った。制御室の照明がわずかに落ち、彼の顔が陰影を増す。
「……私は、最初から間違っていたのかもしれないな」
「え?」
「感情を“資源”として扱うことに、何の躊躇もなかった。技術者としては、それが“正解”だった。だが……」
彼はキオに背を向け、制御室の大窓から塔の光を見上げた。
「君が現れて、少しだけ……昔のことを思い出したよ。父と母を失った後、君を守ろうとして、無我夢中で技術にのめり込んだ日々。何もかも、正しくあるために必要なことだった。でも、本当に君の笑顔を守れていたのか……わからなくなった」
キオの目が潤む。だが涙は流さなかった。
「……もう戻れない?」
「私には、ここしかない。だが君は……進め。君が信じる正しさを貫け」
リクは背中越しに、カードキーを放り投げた。キオがそれを受け取る。
「これは?」
「“ヒートコード”のバックエンドデータにアクセスできる唯一のキー。全てを暴くか、壊すか、使い方は君に任せる」
キオは唇を噛みしめながら、それを胸元にしまった。
「……ありがとう。お兄ちゃん」
リクが少しだけ肩を揺らした。
「その呼び方、懐かしいな。ずっと……聞きたかった」
キオが背を向け、イオとセラのもとへ戻る。
「行こう」
イオは静かに頷き、セラは短く「了解」と答えた。
三人が制御室を出ていこうとしたその時、リクが言った。
「キオ」
彼女が振り返る。
「君が目指す未来を、見てみたかったよ」
キオは微笑んだ。
「見せてあげる。いつかきっと」
扉が閉まる。
静寂の中、リク・アルヴァは一人、制御室に残った。彼の顔には、寂しさとわずかな安堵が入り混じった表情が浮かんでいた。
そしてそのとき、遠くから警報の音が響き始めた。
中央システムが、侵入者を感知したのだ。
だが、リクは動かない。
椅子に腰を下ろし、かつて自分が設計した“ヒートコード”の中枢に目をやった。
「さて、次は何が壊れるのか――」
その声は、自嘲とも解放ともつかない響きを持って、静かな空間に消えていった。
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