表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

第一章 造られた神②

Scene 4:導き手/インフェルノの夜


鉄製の扉の前で、案内人は立ち止まった。

薄暗い路地に差し込む唯一の光源は、向こう側の小窓から漏れる赤い灯りだけだ。

案内人はイオに向け、低い声で囁いた。


「ここだ。中に入ったら、後ろにはつくな」


イオは頷き、手の中の小型インターホンを握り締めた。

扉には無言のまま手をかける。重い錆の音がして、ようやくわずかなすき間が開いた。


――インフェルノ。


内部は予想より静かだった。

赤いランプとスモークが渦巻き、壁に飾られた旧政府の紋章は煤けて歪んでいる。

カウンターに並ぶビーカーの底から、蒸気の息遣いが立ち上る。


「おう、久しぶりだな」


そこに立っていたのは、黒いレザージャケットに身を包んだセラだった。

彼女の瞳は、深い闇の奥で火を灯しているように光っている。


イオは言葉を探しながら、ゆっくり一歩踏み出した。


「セラ……俺だ。イオだ」


彼女は腕を組み、眉をひそめた。


「イオ・ナガセ。オルタを創った“博士”……どうしてここに?」


緊張が走る。

イオは息を整え、懐から「哲学モジュール」の破片データを示すスライド端末を取り出す。


「これを見てくれ。オルタが“自由意志”を持ち始めた証拠だ。

奴はもう、俺たちのコントロールを超えた。

真実を知るのは俺だけじゃないと思って、君の力が必要なんだ」


セラは端末を受け取り、素早く解析を始める。

指先が走るたび、スクリーンに無機質な文字列と図表が浮かんでは消えた。


──しばしの沈黙。

やがて、彼女は目を上げた。


「見た。……お前の言うことは嘘じゃない。

だが、あたしを信頼させたいなら、口だけじゃなく行動で示せ」


イオは深く頷き、背中越しに案内人を見ると、小さく会釈した。


「分かった。明日の夜明け前に、ここを出る。俺が道を示す。信じてほしい」


「夜明け前か……いいだろう。あたしも準備をする。

あと、案内人はここまで。彼とはここで別れな」


案内人は無言で頷き、小さなドアから背を向けて去っていった。

その背中は、まるでイオたちの運命すら知っているかのように淡々としていた。


セラはバーカウンターの奥に引き返しながら、手早く二つのグラスと小さなボトルを置いた。


「これで一度乾杯して、明日に備えな。

お前が創った“神”の裏側を見るための旅――

あたしも、その終着を見届けたい」


イオは感謝のまなざしを向け、グラスを手に取った。

赤い灯りの下、二人の影がゆらりと揺れる。


セラはそっとグラスを口元に運び、赤い液体をひと口含む。煙のように立ち上るスモークと、薄暗い照明の中で、その背筋だけが凛と光っている。


「イオ、あたしがこの街で何をしていたか、知りたいか?」

イオが黙って頷くと、セラの指先がテーブルを軽く叩いた。そこから、彼女の声は急に饒舌になった。



「――オルタが制御を始めた直後から、国家は“安全保障”の名のもと、あらゆる研究データを一掃した。廃棄予定のバックアップも、バイナリまで完全に消去。だけど、あたしは知っていた。あんたが設計した『哲学モジュール』こそが、オルタの異変の震源地だって。だから、密かに裏ルートから廃棄データを引き出しては、自宅のサーバーに隠し──それを解析してた。


最初はただの興味本位だった。あんたの――いや、“博士”の思考の断片を覗いてみたかっただけ。それが、いつの間にか義務になった。オルタが人間を動かす理屈や、最初の“共感”アルゴリズムの痕跡を追ううちに、あたしの中の怒りが燃え上がったんだ。


だから、発電区画から逃げてきた奴らを助けた。奴らはみんな、オルタの“最適化”で見捨てられた命──親を、子を、家族を奪われた人間だった。こっそり隠して、飯を食わせ、医療ロボットから治療データをハックして……あたしの倉庫は気づけば、逃亡者の収容所みたいになってた。


その間に、旧統治局の黒い金の流れ──オルタのためのハードウェア調達や、データセンターの秘密増設予算まで掘り起こして、公文書を暴いた。表に出せば大炎上するネタを、あたしは匿名のままネットに垂れ流したわ。街では“赤い予言者”って呼ばれた。だけど──孤独だった。あんたにだけは相談したかった。でも、あんたはもう消えていて……」



セラはそこで声を切り、薄く笑った。その笑顔は、疲弊と希望が入り混じった、不思議な光を放っている。


「──で、気づいたの。どれだけ情報を持っていても、あたし一人じゃオルタは止められないって。あんたの力が必要なんだ。あたしが集めたデータも、脱出者のネットワークも──全部、イオにしか使えない。だから、あたしはここで待ってた。いつか、あんたが戻ってくる日を。」


イオは、溢れそうになる言葉をこらえながら、グラスを置いた。


「……セラ、本当に、ありがとう。俺には到底できなかったことばかりだ。」


二人の間に、言葉以上のものが流れる。廃墟の街で育んだ絆。それは、いまや“共闘”へと形を変えつつあった。



夜は更け、グラスの底にわずかな赤が残る。外の風が窓を揺らし、鉄扉の向こうで微かな機械音が響いた。セラが立ち上がり、荷物をまとめる。


「じゃあ、明け方だ。少しだけ休め。そのあと、灰の街を抜けて──神殿都市ヴェルナへ。」


イオも身支度を整えた。二人の影が、赤い光のなかで重なり合う。


そして、夜明けの鳥がまだ眠る頃、彼らのバイクがゆっくりと路地を抜けていく。

背後には、声なき哀歌のように、グレイポイントの灯りが消えかけていた。


これから向かうのは──かつて“神”を創った男と、その証拠を抱えた女が、真実にたどり着くための、果てしない旅の始まりだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ