テイムした覚えはないけれど
異世界ストーリーものでは魔獣などをテイムするとかがあるようだけれど······、私は詳しくないからよくわからない。
でも、もしかして、これはそれと同じことなのかしら?
最近、身のまわりで奇妙なことが起きていて、私を害そうとする人達がことごとく何者かに仕置きされているようなの。
それがなんなのか姿が見えないから、何が私を守ってくれているのかすらわからないし、テイムした覚えも全くないのに。
今朝も通勤電車の中で私に痴漢行為をしようとした人が、あらぬ方向に腕をねじ曲げられて悲鳴と共に気絶したみたい。
こういう時は助かるのだけれど、社内で私に嫌がらせをしようとした女性社員は、階段から落ちて両足を骨折し当分出社できなくなってしまった。
偶然にしてはタイミングが良すぎるし、ちょっとやり過ぎで怖くなってしまう。
私は何も命令や指示は出していないし、願ったり祈ってすらいないのだけど、勝手にそうなってしまうの。
しつこく交際を申し込んで来る同僚の男性も、職場近くの噴水に勝手に落ちてしまったわ。
私は何も触れてもいないのに、自分から落ちて行ったのよ。
この頃そんなことが立て続けに起きるから、みな私を怯えた目で見ることが増えてしまって困っている。
私が想いを寄せているあの男性からも変な目で見られてしまうのは嫌だわ。
両足を骨折した人が復帰したけれど、私が階段からつき落としたと言いふらしてまわっているから本当に勘弁して欲しい。
それに、そんなことをしたら、あの人はどうなってしまうのかしら?
私は全く関与していないのに濡れ衣を着せられるのは理不尽でしかないけれど、私が窮地になってしまうと、見えない何者かがまた動いてしまいそうで怖い。
これ以上はもう何もしないで欲しいの。
今日も私をゾッとするような目で睨んで来たから、「お願い、もうあの人には何もしないで」と心の中で叫んだら、何も起きることがなく済んでホッとした。
次の日会社へ行くと、みな私を一斉に見てくるから、何があったのかと聞くと、あの女性が自宅で首を吊って亡くなったのだと知った。
(······ああ、何てことをしてくれたのだろう)
彼女と親しかった人達が、あなたのせいよと言い出して、私が社内で孤立していくのを止めることは自分にはできない。
でも、誰とも関わらなければトラブルにはもうならないから、その方が断然いい。
身に覚えのない罪を着せられ、冷たい視線に囲まれながらでも、それでも耐えながら仕事を続けるしかないのよ。
それから一週間後、勤めていた会社は倒産や移転したわけではなく、物理的に地上から跡形もなく消えてしまった。
会社のあった場所は一夜にして更地になってしまっていた。
今日は朝からこればかりニュースで騒いでいるのは、仕方がないわよね。
私だってまさかこんなことになるなんて思ってもいなかったのだもの。
次はどんなことを引き起こしてしまうのか恐ろしくて、これではもう誰にも会えず外にも出られない。
でも、ゴミ出しには行かないとならないから、夜間にサッと行こうとしたら、玄関のドアが開かなくなっていた。
窓すら全く開かなくて、本当に私はこの部屋に閉じ込められてしまった。
パニックに陥った私は大声で叫んだ。
「ねえ、あなたは一体何なの?! どうしてこんなことをするの? いるなら姿を見せてよ!」
目の前の空間がぐにゃりと歪んで、灰色の煙で包まれたシルエットが揺らめいた。最終的にそれは人の姿を取った。
三十手前ぐらいのスラリとした男の姿だけれど、この世界の住人ではないのは間違いないわ。
「あなたは誰? どうして私にここまでするの?」
『迷惑だったか?』
その男は口を動かさずに、テレパシー(心話)で応えた。
(やっぱりこの世界の人ではないようね)
「私を守ってくれているの? それとも······」
そう、これではまるで悪魔だ。私が知らないうちに悪魔と契約してしまったのだろうか?
「私がいつあなたに頼んだの?全く覚えはないのに」
男はまた心話で答えた。
『頼まれたわけではない。放っておけなくなっただけだ』
「あなたは魔族なの?」
『魔族とは違う』
何が目的なの?と言おうとすると、男は手を伸ばして私の肩に触れようとしたので、反射的に後ずさった。
『我はそなたが気に入ったから、そなたの敵を排除しただけだ』
「なっ······、そんなことでここまでするの?!」
『もちろん。何がいけないのだ?』
男は悪びれること無く答えた。
「······あなたの名前は?」
『そなたが名乗れば教えてやる』
(もう、何でこの人はこんなに上から目線なのかしら?!)
上半身が半裸の外見も不遜な態度も、まるで古代エジプトのファラオのようだなと思っていたら、瞬時にファラオ調からギリシャ神話の登場人物のような姿に早変わりしたけれど、布面積が少ないところは同じね。
どちらも全く好みではないし、上半身裸なら個人的にはネイティブアメリカンの方がいいわ?!
(この人のキャラ設定、このセンスは一体なんなのかしら? ソースはどこなの?)
男性の筋骨隆々の姿は、好きな人は好きよね、でもこんな至近距離では流石に目のやり場に困るわ······。
内心そう思っていると、今度は素肌に黒革のピッタピタのスーツに身を包み、骸骨や薔薇やドラゴンなどのモチーフ、まるで凶器のようなゴツいシルバーアクセサリーで飾り立てて見せてきた。
「ヘビメタかよ?!」
という突っ込みと共に、この人の姿は変幻自在だと言うことだけは取りあえず理解した。
それと、基本的にこの人は黒髪の長髪らしい。
これが素なのか、単に今のお気に入りだからに過ぎないのかは全く見当もつかないけれど、この際、肌の露出さえ抑えてくれればどうでもいい。
『もう一度聞く、そなたの名は?』
防衛意識から本名を名乗りたくなかったので、SNSのハンドルネームを名乗ったら、偽名は許さんと速攻で言われてしまった。
(どこまで俺様なんだろうか)
「·····萌音、池澤萌音」
こんな見目の平凡なアラサーの私のどこが気に入ったのだろうか。
だが、男は満足げに笑いながら言った。
『これでそなたは我のものだ。我の名は、萌音の主だ』
「は?!」
それでは答えになっていないと抗議する間も無く、辺りの空間が先程のように歪みはじめた。
『そなたは我がテイムした。さあ参るぞ』
待ってと言っても通じないだろうし、抵抗すればなんとかなるものではないことは嫌でもわかっていた。逃げることすら不可能なのだと。
私はこの面妖な男に横抱きにされて、なす術もなく連れ去られた。
私がテイムした覚えも、テイムされた覚えももないけれど、異世界の住人からすれば、私は魔獣か何かでしかないのだろう。
私が連れて来られた世界では、みな半裸だった。というよりも服自体がそれほど必要ではないらしい。
なぜなら被毛の二足歩行の動物、まるで大型の縫いぐるみ、着ぐるみのようななりが基本なのだから。
こ、これは、もしかしてモフモフ天国?!
あの男の正体は、巨大な黒いプードルに似た生き物だった。
私の主となった黒い長毛種のプードル男は、自分のことは好きに呼べと言ったので、暫定的に「プー様」と呼ぶことにしたわ。プーリニウスだからプーでもいいわよね。
プー様はこの世界では王様だそうで、だからあんな口調だったのね。
この世界は巨大な犬猫、熊に獅子や狼、兎やリスや狐のようなもの、ハムスターの類、某アニメのト○ロのような生物が、まるで人間のように二足歩行で闊歩しているのだった。
私はそんな世界で、今はまだ愛玩動物のような扱いでお世話されている。どうやら私は彼らの恋愛や性の対象ではないらしい。
なぜなら彼らにはそれぞれ番がいるからだ。
プーの番は淡いクリーム色の長毛種のやはりプードルに似たエスメラルダという名で呼ばれている、金眼と緑眼のオッドアイ。犬というよりも猫のような風情がある個体。
私をこの世界に連れて来たあの男は、私に新しい名をつけて、夜も抱き枕のようにして手離さない。
そう、私はモフモフにモフられている。
時々私が彼の毛をブラッシングしていると、どちらがモフモフかわからなくなる。
「ララ」という名の人の形をしたモフモフ、モフモフのモフモフ、それが私のこの世界での立ち位置なの。
自分にはあまりにも不釣り合いで、ララという名前がどうにも恥ずかしい。
それもあって、私からの小さな仕返しのつもりのプー様呼びなの。
人間界ならペットが老犬老猫になっても寿命が来るまでお世話するものだけど、この世界で今アラサーの私が老婆になって、寿命が来るまでこの立ち位置でいるなんて未来は到底想像できない。
私専属のメイド、豆大福のような模様のロップイヤーのメイサ(私はメロメロ)に許可を得て抱きつかせてもらった時、すりすりしていた私に彼女が呟いた『美味しそう······』という一言にはドキリとしたわ。
プーがなぜ私を気に入ったかを彼に尋ねたら、程よい肉付きと香りだと言っていたし。
『そうね、いい香りだわ』とエスメラルダも同意していた。
この世界では食材を加熱調理などしないから、そのような調理器具すら存在しない。
あるのは石製のまな板と切り分け用とすりつぶし用の刃物だけ。
ほぼローフード、ホールフードの食事だから、私も木の実や果物、加熱しないで食べることができる野菜、乾燥した肉や魚が中心。
食器は都度大きな葉を利用し、串刺し用の串はあるけれど基本は手づかみ。
本当になんてエコロジーなのかと思うわ。
ここでは、私が読めるような本もなく、あまりにも日々やることが無くて暇過ぎるから、木の実や果物の収穫を手伝うことを許してもらった。
作業中にそんな私をチラチラ見ながら『捧げ物』『儀式』という言葉を彼らが囁く場面に何度も遭遇した。
私がこの世界に連れて来られた本当の理由は、儀式用の捧げ物という役割なのだと気がついた時はかなりショックは受けた。
でも、それと同時に、ああ、これでやっと転生できるって思ってしまったの。
どうせここで死ぬなら、早くもう転生したい。生け贄でもいいから。
私はその運命を受け入れた。
今度転生したら私は何をしよう? 何になろうかな? それだけを楽しみに今生きている。
ドングリを食べた豚さんが美味しくなるみたいに、どうせなら私ももっと美味しくなってやろう。
儀式がもうじき行われるということを、彼らの会話から知らされた。
『お前は本当にいい香りがするな』
いつものように寝床で私を抱きかかえながらプーが言った。
「ふふ、美味しそうでしょ? そろそろ食べ頃になった?」
『······ララ?!』
プーからは、自分が儀式の生け贄だとは直接聞いてはいない。でも、もうわかっているという私の態度に驚いたようだ。
「みんなに美味しく食べてもらえるなら、本望だから」
この世界に来たばかりの頃は、どうかモフモフ達の食糧にされませんようにって願っていたのに、こんな心境になるとは自分でも思ってもみなかった。
自分がモフモフ達の儀式の生け贄だなんて笑ってしまう。
「その儀式は、五穀豊穣や子孫繁栄を願うものなの?」
『······ああ、そうだ』
「それはいつ?」
『次の満月の日だ』
それならあと4日、本当にもうすぐなのね。
「それでは、楽しみにしていますね。おやすみなさい」
初めて私からプーの頬に口づけをした。狼狽したプーが可笑しかった。
儀式の準備がバタバタと行われていくのを、私は高い木の上に登り、座るのに丁度いい枝に腰かけて眺めていた。
私自身も香油やら薬湯やら普段よりも入念にお手入れされているけど、これも儀式の準備のうちなのかな。
眼下に儀式用の祭壇と思われるものが組み立てられていく。いよいよ満月は明日に迫ったが、明日あそこに私が乗せられるのかしら?
木登りなんて前いた世界では一度もしたことがなかったのに、木の実や果物を採るために身についてしまったのは驚きだった。
枝に腰かけている足を、子どもがするようにぶらぶらさせながら、はじめは鼻歌のようなものを口ずさんだだけだったのに、急にわけもわからず気分が高揚して、自分でも抑えきれない程に熱唱してしまった。
人前で歌うのは好きではないし、カラオケなんて苦痛でしかないのに。
私の歌声とは思えない程の声量、自分の全く知らない旋律と歌詞が、よどみ無く自分の中から湧き出て来るのを止めることはできなかった。
ひとしきり歌うと、みなが私のいる木の下に集まって来ていた。
『ララ様、どうか続けてください!』
神官服を身に纏った大きな鳥(多分鷹か鷲、ごめん、見分けがつかない)に懇願された。
『ララ、もっと続けるんだ!』
プーまでが真顔で叫んでいる。
私は声が出しやすいように腰かけていた枝から立ち上がると、力の限り歌った。
もっと遠くへ、もっと広い空間へ歌が届くようにと。
なぜそう思ったのかは全くわからない。
数曲くらい歌ったが、いずれも自分は知らない歌だった。
歌っている間、身体が軽くなって浮遊するような感覚に襲われた。
やがて木の幹に掴まっていた手に羽毛のようなものが生えて来て、木の上に立っていた足も同様だった。
驚くべきことなのに、なのになぜか私は喜悦に満たされてゆく。
木の下で私の歌を聞き、私のこの変わってゆく姿を見ていた者達から快哉の声が上がった。
ララと、みなが私の名を叫んでいる。
ララ、ララ、ララという音の嵐、それ自体が旋律のように。
しかも心話の声ではなくて、実際に鼓膜を通して耳から聞こえる音で届いた。
「ララ、降りておいで」
声の主のもとへ、私は弾かれたように飛び降りた。
飛び降りた筈なのに、下へ落ちるのではなく、空中で浮き上がった。
何これ?! 私、翼が生えているの?
まるで鳥みたいに?
ぎこちないけれど、確かに自力で羽ばたいているようだ。
(ええ?! これじゃあ私、明日、焼き鳥にされちゃわない?)
一瞬そんなことがよぎったけれど、プーが手を広げて私を待っているのが見えた。
なぜこんなことになったのか全くわからなかったけれど、取りあえずプーのところまで必死に羽ばたいていった。
慣れない着地で力加減がわからずに、ぐらついて後ろに転びそうになったのを、プーに支えてもらい事なきを得た。
「ララ、ララバード」
私をそう呼ぶ彼の声ももう心話ではなかった。
「ララバード様!」
神官も興奮しながら駆け寄って来た。懐から手鏡を取り出して、私に今の自分の姿を見せてくれた。
「······鳥じゃなくて、鳥人間?!」
鏡の中の私は、漫画やアニメに登場するハルピュイアという幻獣に近い。
「ララバードとはそのような生き物だ。先代がこの世界から姿を消して30年、ようやくララバードが帰還したということになるな」
「その通りでございます! なんと目出度いことでしょうか。明日の祭りはさぞかし盛り上がることでしょう」
神官の目はあり得ない程感激で輝いている。
「祭り······、じゃあ明日の儀式は私を食べないでいてくれるの?」
「もちろんだララ。そもそも儀式では食べるフリをするだけだぞ」
「そうなの?!」
「儀式は神獣の降臨を願うものだ。異世界から儀式に見合う者を呼ぶのはそのためだ」
私が先程登っていた木は、ララバードの木という香木、ララバードと縁の深い神聖な木とされていた。
みなが言っていた私の「いい香り」とはこの香木と同じ香りがしていたからみたい。
儀式は、ララバード不在の時に十年に一度行われるもので、ララバードに変容しなかった異世界人は、儀式の後でもといた世界へ戻すのだとか。
十年前と二十年前に連れて来られた人は、みんなを恐れて泣き叫び、帰りたいとせがむばかりで全くこの世界に順応しなかったらしい。
その人達もララバードの香木の香りを纏っていたから、ここへ連れて来られたそうなのだけれど。
そう言われてみると、私ちっとも帰りたいなんて思ってもみなかった。帰してくれるなんて知らなかったし。
それで、私はめでたくララバードになったというわけ。
儀式では異世界から連れて来たララバード候補を祭壇に寝かせて、ララバードの香木の実をすりつぶした粉を練ったもので、人の形に上から塗り固める。
神官が祈祷を捧げ、その後に塗り固めたものを少しずつ崩してみなに分け与えられる。それを嗅いだり口に含んだりする。
モフモフ達には、それがたまらない香りなのだそうだ。
儀式当日、なぜか儀式が終わってすぐに産気づいてしまい、私は子どもを産んだの。
妊娠した覚えもないし、妊娠するようなこともしていないのに。
鳥の子どもだからピーピー鳴くと思ったら、プープー鳴くから驚いたわ。
先代のララバードは「ちょっと各地を回って来るわ」と言って旅立ったきり戻って来ないそうだけど、もし私が旅に出て戻らなくても、これで当分ララバードがいなくなることもないわね。
ララバードは、この世界では瑞鳥だから、世界の隅々まで歌を届けないとならないの。
ララバードとして旅に出たいと言った時のプーのしょんぼりした姿は、ほんの少しだけうしろ髪をひかれた。
私が人間のままだったらまずしない、絶対できないと思うのだけど、私の歌を広めるお仕事があるから、この子よろしくねと、養育係に丸投げでお世話させてしまっているのは自分が最も驚いてしまった部分ね。
人間だったら、産みっぱなしの育児放棄だもの、こんなの。
どうやら私の感覚はもう、全部が全部、ララバードになってしまったの。
世界各地を気の向くまま自由に飛び回るのが楽しくって仕方がない。
さて、次はどこに行こうかしら。
(了)