5.自殺志願者
5.
決行の日の朝はやや胸が騒いでいたが、それでもしかし平常通りの朝だった。昼までだらだらと時間を潰して、時計を見て支度を始める。
素肌にベルトを巻きつけ、短剣を用意した。手入れは昨日のうちに済ませていたので今さら確認することはない。そして洗面台に向かいカラコンを入れた。あとはパーカーを着て、フードを被る。準備はこれで終了。さてと、と俺はスニーカーを履き、玄関のドアを開けた。
天気は晴天。日光浴したいと思えるほど静かで穏やかな日和だった。そこに不吉さはない。俺はそんな街を誰ともすれ違わず歩いて行く。
もっとも人のいない道を選んでいるというのもあった。数時間後には開戦されているだろう覚醒者との戦闘に、今から集中状態に思考を切り替えるのだが、その邪魔はされたくない。
そう思っていたのだが……。
途端、遠くからサイレンが聞こえてくる。
消防だろうか。もう始まったのか、と俺は思い、すぐに爆破されていく街を想起した。
冴田の能力が発火したのだろう。覚醒者の分散のための爆破。もうすでに戦闘は始まっているのだと、俺は戦闘態勢へ考えを改めさせられるのだった。
携帯端末を取り出し時計を見る。約束の時間には余裕で間に合うペースだ。
そうして公園へと到着するのだった。
公園へ入ると人の気配はなかった。喧騒はそのすべてが背景にあり、前途には緊張感がある。
コンクリートを打つ自分の足音が鮮明に聞こえる。道を左に曲がり、右に曲がれば、枝の隙間からビルが見えて、ベンチに座る冴田の姿を見つけた。
俺はフードを深くかぶり直し、冴田に近づいた。冴田が顔を上げ、怪訝そうな表情を向ける。
「御堂くん?」
その低い声はいくらか張りつめていた。
「ああ」と言って一度だけフードを上げて見せる。
「万全そうでよかったわ」
そう言って冴田はビルを睨みつける。そして「いよいよね」と呟いた。深呼吸するように伸びをして。
「不思議。今日は百パーセント楽しむつもりできたのに」
「緊張してんのか?」
「そうみたい」
「まあ、どうにでもなるさ。計画に穴は無い」
「人類全員があなたのような楽観主義だとは思わないことよ」
「なんだよそれ。ほれ、空」
そう言って俺は人差し指を上へ向ける。
つられて冴田は空を見た。
「あっちむいてほい」
「子どもじゃないんだから」
冴田に睨まれた。
そしてため息をして「もう行きましょう」と。
「まあ最大最上に楽しむことだな」
俺たちは覚醒者機構のビルへ足を踏み入れるべく前進する。足並みはそろっていた。そりゃ志が同じ同志というやつなのだから息は合うのだろう。
その前にゲートが現れる。普段から扉は開いてあり、今日も例外ではなかった。左には警備の小屋。中にはおじさんがいて、目が合った。
「会員証を提示してください」そう声をかけられる。
俺は会釈だけをして通り過ぎようとした。
「おい、君!」
今度は叱責された。俺は冴田を見て、
「ちょっくら徒競走らしいぜ。体力は?」
「それぐらい余裕よ」
そして俺たちは走り出す。振り返れば警備員が追いかけてきた。しかし追いつかれるようなことはなく、それを悟ったらしい警備員は、小屋へと引き返していく。
「これじゃ中で騒ぎを起こすまでもなく覚醒者が現れるんじゃねえの?」
「手間が省けるわね」
「いいねえ。そういった前向きさ、嫌いじゃないぜ」
「あなたから学んだのかしら?」
「俺って案外まともだったのか? もっと最悪なこと学んでるかと思ったぜ」
「私の中でろ過されただけ。そろそろフィルターの交換かしら」
「可愛くねえな」
ビルまでせいぜい五十メートル。俺は携帯を取り出し、受話器のアプリを起動させた。
コール音が走る振動で乱れながら聞こえてきて、繋がったので、
「よう」
「どうしたの?」
相手はミンだった。
「今覚醒者のビルの前にいるんだが、入り口を開けてくれないか?」
「どうして?」
「急用ができてな。急だったもんで会員証を忘れたんだ」
ミンは沈黙し「あんまりしたくないんだけど……分かった。ちょっと待ってね。すぐ開けるから」と言う。
すると前のドアが開かれた。外から中がうかがえ、エントランスが現れる。
俺は「サンキュー」と言って、「んじゃ」と通話を切る。
開かれた扉の前で立ち止まり、横ではというと冴田が驚いていて「本当だったのね」と声を漏らしていた。
「あたりまえだろ。勝算も無いのにこんな無謀なことするかよ」
「私はこの日のために生まれてきたんだわ」
「同意するぜ」
「さあ、始めましょう。歴史に刻む一日にするのよ」
「盲目になりすぎだ。深呼吸しな。浮足立っていると足元救われるぜ」
「……ありがとう。もう平気だから」
「んじゃ」
「ええ、行くわよ」
覚醒者機構のビルに入ると簡素なエントランスがあった。ソファやテーブルは上質のものらしいが、飾りっ気が無く、壁のくすんだ白が主張する場所だった。
受付カウンターらしき場所には人がいない。予め通報を受けて退避させているのだろう。しかし、その割には人がいなかった。不審者の対処を誰もしないはずがない。
「どういうことだ?」と俺は独り言ちる。
「おっかしいな。覚醒者の一人ぐらい駆けつけると思ったのによ」
「どこか爆破しましょうか?」
俺は「その前に」と言って「おーい、誰もいねえのか」と叫んだ。
すると、それに応えるかのようにチャイムが鳴って「裏屋敷、速やかにエントランスへ行け」と怒声が鳴り響いた。
俺はまさかと思い「裏屋敷……」と舌打ちせずにはいられなくなる。
「知っているの?」
「因縁の相手だ。かつて一度だけ手合わせして……そのときは敗走した」
「……聞きたくなかったわね。でも、二人なら倒せるんじゃない?」
「……あいつの能力はプレコグニション。要するに予知能力だ。びっくりするぜ、攻撃が当たらないんだからな。それと格闘技だ。X粒子で増幅された一撃はやばい。んで、質問の答えだが、倒せるかどうか、やってみないと分からない。数で攻めてどうにでもなる相手じゃねえんだよ、あいつは。連携がカギになる。知ってるか? 敵の首を取りたければ包み込むように退路を塞いでいくんだぜ。退路は俺が封鎖する。あんたは正面から頼んだ」
「ええ、まかせてちょうだい。触れさえすればいいんだから」
そして、静かなエントランスにどこからか足音が聞こえてきて、
「裏屋敷……」
裏屋敷ソウが現れる。相変わらず目が隠れるぐらい前髪は長く、どこか頼りない雰囲気を醸しているやつだった。まるで寝起きのようでいて、弱そうとさえ思えてくる。しかしそれは勘違いで、無駄なことが嫌いな奴というのか、その最小限の動きには美さえ感じられた。
「またあったな」
「えーと……どちらさま?」
俺はフードを取り顔を見せる。
すると裏屋敷は口を丸く開けて「ああ、前に一度だけ会ったね」と言った。
「それで、今日は何の用?」
「お前を倒しに来たのさ」
「ふうん……帰ってくんない?」
「バーカ、見ろよこの瞳。反覚醒者だぜ? 隣のやつもそうだ。帰れって言われて帰るやつがあるか」
「また面倒な……」
随分な体たらくの覚醒者だろう。
だからといってやはり警戒を解くことはできなかった。その矛盾に神経を使わされる。裏屋敷は頭をかいて。
「激しい運動がしたいって気分じゃないんだけど……まあ、しょうがないか。分かったから、早いところ終わらせよう。どうせなら二人で攻めてきなよ。いつでもいいからさ」
俺は冴田を一瞥した。
「ああいう奴だから好きなタイミングでおっぱじめていいぜ」
冴田の深呼吸が聞こえてきた。
「分かった。じゃ始めるわ」
そう言って、冴田は走り出す。冴田の能力は触れた対象を爆発させることだ。すなわち裏屋敷に触れられさえすればいい。冴田の腕が裏屋敷へと伸びていく。だがしかし……最初の一撃は簡単にかわされ、空振りに終わるのだった。